「南無(なむ)
本師上師仏法僧宝文殊菩薩(ほんしじょうしぶっぽうそうほうもんじゅぼさつ)
承仏威神(しょうぶついじん)
祈仏福佑(きぶつふくゆう)
上師加持(じょうしかじ)
願我一時行(がんがいちじぎょう)
般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)
未曾不布施(みそふふせ)
有財有施有受者(うざいうせうじゅしゃ)
為行檀波羅蜜(いぎょうだんはらみつ)
知罪知福(ちざいちふく)
為行尸波羅蜜(いぎょうしはらみつ)
不起恚意(ふきいい)
為行せん提波羅蜜(いぎょうせんだいはらみつ)
身口常精進(しんくじょうしょうじん)
意不懈怠(いふけたい)
為行惟逮波羅蜜(いぎょうゆいたいはらみつ)
于六情無所味(うろくじょうむしょみ)
為行禅波羅蜜(いぎょうぜんはらみつ)
我行般若波羅蜜定意不起(がぎょうはんにゃはらみつじょういふき)
当具四意止(とうぐしいし)
四意断(しいだん)
四神足(しじんそく)
五根五力(ごこんごりき)
七覚意(しちがくい)
賢聖八品道(げんしょうはちぼんどう)
当具足空三昧(とうぐそくくうざんまい)
無相三昧(むそうざんまい)
無願三昧(むがんざんまい)
具足四禅四等(ぐそくしぜんしとう)
四無形三昧(しむぎょうざんまい)
具八解禅(ぐはちげぜん)
得九次第禅(とくくじだいぜん)
当復知九相(とうぶちくそう)
——新死相(いっしんしそう)
筋纏束薪相(きんてんそくしんそう)
青お相(しょうおそう)
膿相(のうそう)
血相(けっそう)
食不消相(じきふしょうそう)
骨節分離相(こっせつぶんりそう)
久骨相(くこつそう)
焼焦可悪相(しょうしょうかあくそう)
已知諸相当念仏志(いちしょそうとうねんぶっし)
法志(ほうし)
比丘僧志(びくそうし)
在施戒志(ざいせかいし)
在安般守意志(ざいあんはんしゅいし)
在無常苦(ざいむじょうく)
空無我人想(くうむがにんそう)
無所楽想(むしょらくそう)
無生滅想(むしょうめっそう)
無道想(むどうそう)
無尽想(むじんそう)
無所起想(むしょきそう)
善想法想(ぜんそうほうそう)
預知一切衆生之意(よちいっさいしゅじょうしい)
是謂為慧(ぜいいえ)
便得覚意三昧(べんとくかくいざんまい)
無畏三昧——有想有畏(むいざんまいいちうそうむい)
無想無畏(むそうむい)
亦無想亦無畏(やくむそうやくむい)
所不知根当知已知(しょふつこんとうちいち)
当知欲過八患却十二衰(とうちよくかはちかんきゃくじうにすい)
具足仏十力十八法(ぐそくぶつじうりきじうはっぽう)
四無所畏(しむしょい)
四無碍慧(しむげえ)
大慈大悲(だいじだいひ)
覚知一切菩薩之慧(かくちいっさいぼさつしえ)
我当常習般若波羅蜜(がとうじょうしゅうはんにゃはらみつ)
我欲具足薩云若(がよくぐそくさつうんにゃく)
離于生死習諸(りうしょうじしゅうしょ)
当学般若波羅蜜(とうがくはんにゃはらみつ)
如是(にょぜ)
是為我行般若波羅蜜(ぜいがぎょうはんにゃはらみつ)。」
「タイ仏教における 自己と家族が三宝の功徳を得られる祈祷文」
以下のように誦す事で 三宝の功徳が得られ、
その功徳は 自分の家族にも及ぶとされます。
「パワト・トゥサプ・パマン・カラ(Lの発音)ン
ラッカン・トゥサプ・パテイ・ワッタ
サッパ・プッタ・ヌパヴァイナク・サタ・ソッティ・パワン・トゥテ
パワト・トゥサプ・パマン・カラ(Lの発音)ン
ラッカン・トゥサプ・パテイ・ワッタ
サッパ・タンマ・ヌパヴァイナク・サタ・ソッティ・パワン・トゥテ
パワト・トゥサプ・パマン・カラ(Lの発音)ン
ラッカン・トゥサプ・パテイ・ワッタ
サッパ・サンカ・ヌパヴァイナク・サタ・ソッティ・パワン・トゥテ。」
「菩薩地持経」
「菩薩地持経」の経文の一部でも
誦したり 聴いたり 書写したり 他人に教えたりする事で
無量無辺の功徳を集められるとされます。
以下 「菩薩地持経」の一部です。
「イティ・ミティ・キティビ・クサンティ
パダナ・スヴァーハー
於此諸呪術章句義思量観察(おししょじゅじゅつしょうくぎしりょうかんさつ)
如是呪術章句(にょぜじゅじゅつしょうく)
如是正思惟(にょぜしょうしゆい)
如此義尚不自聞(にょしぎしょうふじもん)
何有所得(かうしょとく)
如呪術章句(にょじゅじゅつしょうく)
義不可得(ぎふかとく)
是則無義(ぜそくむぎ)
如是諸義(にょぜしょぎ)
所謂無義(そいむぎ)
是故亦無余義可求(ぜこやくむよぎかぐ)
如是名為善解呪術句義(にょぜみょういぜんげじゅじゅつくぎ)
善解呪術句義者(ぜんげじゅじゅつくぎしゃ)
以如是義(ににょぜぎ)
比知一切諸法義(ひちいっさいしょほうぎ)
皆悉善知不従他聞(かいしつぜんちふじゅうたもん)
又知一切言説(ゆうちいっさいごんせつ)
一切法自性(いっさいほうじしょう)
義不可得(ぎふかとく)
以此等無言説自性義(にしとうむごんせつじしょうぎ)
則知一切諸法自性義(そくちいっさいしょほうじしょうぎ)
是名第一義最勝義(ぜみょうだいいちぎさいしょうぎ)
得最上歓喜(とくさいじょうかんき)
是菩薩得此陀羅尼呪術処(ぜぼさつとくしだらにじゅじゅつしょ)
名得菩薩忍(みょうとくぼさつにん)
得此忍者(とくしにんしゃ)
不久当得浄心(ふくとうとくじょうしん)
増上解行地忍(そうじょうげぎょうじにん)
是名菩薩得菩薩忍陀羅尼(ぜみょうぼさつとくぼさつにんだらに)
彼法陀羅尼(ひほうだらに)
義陀羅尼(ぎだらに)
菩薩是度初阿僧祇劫(ぼさつぜどしょあそうぎごう)
入浄心地所得(にゅうじょうしんじしょとく)
必定不動最勝最妙(ひつじょうふどうさいしょうさいみょう)
若中間所得(にゃくちゅうけんしょとく)
或因願力(こくいんがんりき)
或禅定力(こくぜんじょうりき)
不定不任亦不勝妙(ふじょうふにんやくふしょうみょう)
如法義陀羅尼(にょほうぎだらに)
呪術陀羅尼亦如是(じゅじゅつだらにやくにょぜ)
得菩薩忍陀羅尼(とくぼさつにんだらに)
如前所説(にょぜんしょせつ)。」