「大方等大集経」の
その一部を読経したり 書写したり 他者に教える事で
その一字一句が失われる事なく
速やかに阿耨多羅三藐三菩提に至り
寿徳や福徳の増長 外見が端正になる事が得られ
業障が除かれ 死後は善処に至れるなどの功徳が得られるとされます。
以下 「大方等大集経」の中の 「大集須弥蔵経」の一部です。
「爾時(にじ)
地蔵菩薩摩訶薩合掌礼仏(じぞうぼさつまかさつがっしょうらいぶつ)
而作是言(にさぜごん)
世尊(せそん)
我有一切三昧遊戯神通(がういっさいさんまいゆうぎじんつう)
今亦欲説(こんやくよくせつ)
幢杖大陀羅尼門(どうじょうだいだらにもん)
若於此幢杖大陀羅尼門(にゃくおしどうじょうだいだらにもん)
一経耳者(いっきょうにしゃ)
所有耳病悉得除愈(そうにびょうとくじょゆ)
亦除一切貪瞋癡等(やくじょいっさいとんじんちとう)
煩悩諸病(ぼんのうしょびょう)
設不全滅能令軽薄(せつふぜんめつのうりょうけいはく)
以此呪呪於海皮(にししゅしゅおかいひ)
安禅百千遍(あんぜんひゃくせんべん)
用塗王鼓(ようとおうこ)
有聞声者(うもんしょうしゃ)
所有貪瞋癡等(そうとんじんちとう)
一切煩悩悉皆微薄(いっさいぼんのうしっかいみはく)
於仏法中得清浄(おぶっぽうちゅうとくしょうじょう)
信恭敬愛楽希有之心(しんきょうけいあいらくけうししん)
亦得勇猛随順法行(やくとくゆうもうずいじゅんほうぎょう)
深信後世資生豊足(じんしんこうせししょうほうそく)
衆人愛楽莫不憙見(しゅにんあいらくまくふきけん)
即説呪曰(そくせつしゅわつ)
タドヤター・プールヴァマルガ・アモロマティ・クセトラ
ブルバイバナサニ・グナマキライ・マツァドゥライ
ゴラサムデ・ナクスパラマ・バドヤラスミビンガグリメライ
ロヒターラベ・ナンガラスーリャ・バガヴァラナ
ヒリニ・アンダラバ・ウラガ・ルルジャ・ケサロヒ
サマーダ・ドゥレ・スヴァーハー。」
「瑜伽師地論」
以下 「瑜伽師地論」の一部です。
「イティ・ミティ・キティビ・クサンティ・パダナ・スヴァーハー
即於如是呪章句義(そくおにょぜしゅしょうくぎ)
審諦思惟籌量観察 (しんていしゆいちゅうりょうかんさつ)
彼於如是呪章句義(ひおにょぜしゅしょうくぎ)
如是正行(にょぜしょうぎょう)
不従他聞自然通達(ふじゅうたもんじねんつうたつ)
了知如是諸呪章句(りょうちにょぜしょしゅしょうく)
都無有義是円成実(とむうぎぜえんじょうじつ)
但唯無義(たんゆいむぎ)
如実了知此章句義(にょじつりょうちししょうくぎ)
所謂無義(そいむぎ)
是故過此不求余義(ぜこかしふぐよぎ)
斎此名為妙善(さいしみょういみょうぜん)
通達呪章句義(つうたつしゅしょうくぎ)
彼於如是呪章句義(ひおにょぜしゅしょうくぎ)
正通達已(しょうつうたつい)
即随此義不従他聞(そくじしぎふじゅうたもん)
自正通達一切法義(じしょうつうたついっさいほうぎ)
謂於此義如是通達(いおしぎにょぜつうたつ)
一切言説所説諸法(いっさいごんせつしょせつしょぼう)
自性之義皆不成実(じしょうしぎかいふじょうじつ)
唯有諸法離言自性(ゆいうしょぼうりごんじしょう)
是自性義彼於諸法(ぜじしょうぎひおしょぼう)
此自性義正通達已(しじしょうぎしょうつうたつい)
過此更無余義可求(かしこうむよぎかぐ)
由於此義善通達故(ゆうおしぎふつうたつこ)
獲得最勝広大歓喜(かくとくさいしょうこうだいかんき)
由是菩薩得陀羅尼(ゆうぜぼさつとくだらに)
当言已得(とうごんいとく)
此陀羅尼章句(しだらにしょうく)
所立菩薩勝忍(しょりつぼさつしょうにん)
得此忍故(とくしにんこ)
是諸菩薩不久(ぜしょぼさつふく)
当得浄勝意楽(とうとくじょうしょういらく)
已依上品(いえじょうぼん)
勝解行地勝忍而転(しょうげぎょうじしょうにんにてん)
当知是名菩薩(とうちぜみょうぼさつ)
所有能得菩薩忍陀羅尼(そうのうとくぼさつにんだらに)
此中菩薩法(しちゅうぼさつほう)
陀羅尼義陀羅尼(だらにぎだらに)
若過第一無数大劫(にゃくかだいいちむすうたいごう)
已入清浄勝意楽地(いにゅうしょうじょうしょういらくじ)
所得決定堅住広大(しょとくけつじょうけんじゅうこうだい)
従此以下(じゅうしにか)
或以願力或依静慮(こくにがんりきこくえせいりょ)
雖有獲得而不決定(すいうかくとくにふけつじょう)
亦不堅住亦不広大(やくふけんじゅうやくふこうだい)
如説法義二陀羅尼(にょせつほうぎにだらに)
呪陀羅尼当知亦爾(しゅだらにとうちやくに)
能得菩薩忍陀羅尼(のうとくぼさつにんだらに)
如前所釈(にょぜんしょしゃく)
即如是得(そくにょぜとく)。」
「瑜伽師地論」
以下 「瑜伽師地論」の一部です。
「イティ・ミティ・キティビ・クサンティ・パダナ・スヴァーハー
即於如是呪章句義(そくおにょぜしゅしょうくぎ)
審諦思惟籌量観察 (しんていしゆいちゅうりょうかんさつ)
彼於如是呪章句義(ひおにょぜしゅしょうくぎ)
如是正行(にょぜしょうぎょう)
不従他聞自然通達(ふじゅうたもんじねんつうたつ)
了知如是諸呪章句(りょうちにょぜしょしゅしょうく)
都無有義是円成実(とむうぎぜえんじょうじつ)
但唯無義(たんゆいむぎ)
如実了知此章句義(にょじつりょうちししょうくぎ)
所謂無義(そいむぎ)
是故過此不求余義(ぜこかしふぐよぎ)
斎此名為妙善(さいしみょういみょうぜん)
通達呪章句義(つうたつしゅしょうくぎ)
彼於如是呪章句義(ひおにょぜしゅしょうくぎ)
正通達已(しょうつうたつい)
即随此義不従他聞(そくじしぎふじゅうたもん)
自正通達一切法義(じしょうつうたついっさいほうぎ)
謂於此義如是通達(いおしぎにょぜつうたつ)
一切言説所説諸法(いっさいごんせつしょせつしょぼう)
自性之義皆不成実(じしょうしぎかいふじょうじつ)
唯有諸法離言自性(ゆいうしょぼうりごんじしょう)
是自性義彼於諸法(ぜじしょうぎひおしょぼう)
此自性義正通達已(しじしょうぎしょうつうたつい)
過此更無余義可求(かしこうむよぎかぐ)
由於此義善通達故(ゆうおしぎふつうたつこ)
獲得最勝広大歓喜(かくとくさいしょうこうだいかんき)
由是菩薩得陀羅尼(ゆうぜぼさつとくだらに)
当言已得(とうごんいとく)
此陀羅尼章句(しだらにしょうく)
所立菩薩勝忍(しょりつぼさつしょうにん)
得此忍故(とくしにんこ)
是諸菩薩不久(ぜしょぼさつふく)
当得浄勝意楽(とうとくじょうしょういらく)
已依上品(いえじょうぼん)
勝解行地勝忍而転(しょうげぎょうじしょうにんにてん)
当知是名菩薩(とうちぜみょうぼさつ)
所有能得菩薩忍陀羅尼(そうのうとくぼさつにんだらに)
此中菩薩法(しちゅうぼさつほう)
陀羅尼義陀羅尼(だらにぎだらに)
若過第一無数大劫(にゃくかだいいちむすうたいごう)
已入清浄勝意楽地(いにゅうしょうじょうしょういらくじ)
所得決定堅住広大(しょとくけつじょうけんじゅうこうだい)
従此以下(じゅうしにか)
或以願力或依静慮(こくにがんりきこくえせいりょ)
雖有獲得而不決定(すいうかくとくにふけつじょう)
亦不堅住亦不広大(やくふけんじゅうやくふこうだい)
如説法義二陀羅尼(にょせつほうぎにだらに)
呪陀羅尼当知亦爾(しゅだらにとうちやくに)
能得菩薩忍陀羅尼(のうとくぼさつにんだらに)
如前所釈(にょぜんしょしゃく)
即如是得(そくにょぜとく)。」
「三宝に頂礼して福慧を増長せしめる」
祭壇に向かって 五体投地を行いつつ
三宝を念礼して 7遍誦します。
「オン・ヴァジュラ・ディー。」
そのようにして 自己の福慧の増長が得られるとされます。