宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「瓦礫の中に探す真実」

2006年08月21日 | Weblog

9月11日のワールド・トレード・センターでの出来事を
描いた映画、「ワールド・トレード・センター」が
今月9日に全米で公開され、公開初日に駆けつけた
一人の日本人のレビューを読む事が出来ました。
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「中枢同時テロが起き、旅客機がビルに突っ込む映像が
繰り返し流されると、日本で映像を見ていた一部の
人々から、『まるでハリウッド映画の破壊シーンを
見ているようだ。』という意見が出された。

ハリウッドで模擬的な破壊スペクタクルを作り続け、
世界中で金を儲け続けてきたアメリカを代表するビルの
一つが、現実のテロにより映画と同じ様に破壊される。
気の利いた物書きなら、確かにちょっと言及したく
なるだろう。(あの日私はマンハッタンにいて、テレビでは
なく肉眼で事件を目撃してしまったせいか、『ハリウッド
映画云々』とは全く思わなかった。

とうとうハリウッドは、『ハリウッド映画を見て
いるようだ。』と評された事件まで、わずか5年ほどで
『ハリウッド映画』にしてしまった。
一体、これをどう考えればいいのだろう。
映画『ワールド・トレード・センター』は観客を感動させる。
宣伝されている通り、『勇気とサバイバルの真実の物語』
だった。
しかし中枢テロは映画ではなく現実であったはずである。
あれがあったから、アフガン戦争があり、(実際には関係
なかったようだが)イラク戦争が始まり、今も人が死んでいる
わけだ。
この映画は観客を感動させる。私も泣き通した。
でも私は映画館を出た時、『だからなんだ。現実は何も
変わっていない。』と思う事にした。」
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近年のハリウッド映画の宣伝から、あくまで個人的にですが、
「迫力の追求」のために音声や視覚的刺激が多用されすぎて
鑑賞していてあまり落ち着かない作品が多い事、役者の演技力、
表現力に疑問を感じる事が少なくない事、また「感動」にせよ
「思想」にせよ周到に計算されつくした感じを受け、どこか
押し付けがましく感じてしまう印象を受けています。

この「ワールド・トレード・センター」という映画について、
監督自身は「これは実はWTCについての映画ではなく、
生命の危機に直面した人間が、生き残るためにいかに頑張るかを
扱った映画なんだ。」と語っていたそうです。
テーマそのものは非常に重いものですが、それでもやはりわたくし
の場合、特に足を運びたいとは思えずにおります…。
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現在進行形のパン

2006年08月20日 | Weblog
「電子レンジで作る」パンというものでした。
シリーズも沢山出ており、興味深く思い、巡回して
レビューなどを眺めていました。

このシリーズのレビューでは大絶賛している方も
いる一方、表示している時間内には完成出来ない事、
パン屋で売られているパンとはやはり食感が劣る事を
書かれている方がおられました。
レシピというのは特に個人の料理の完成度や期待する
ものに差があり、一口にレビューといっても単純に判断は
出来ない様に感じました。

そして結局購入したのが、「パン大革命」という本でした。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/
4594603033/ref=sr_11_1/249-2213908-1717903?ie=UTF8


生地を手でこねる事が不要で、発酵などは全て電子レンジを
数十秒使用するのみという、まさに「大革命」的な内容
でした。
また生地に使用する牛乳は豆乳や水で、バターはオリーブオイル
などで代用可能であったり、柔軟さも感じました。
強力粉100gに牛乳(もしくは水)75ccという配合が鍵である
そうです。

特別な道具が不要であるという点も魅力的に感じられましたが、
掲載されているロールパンなど、いつか作ってみたく思っています。
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「料理も仏法 戴くも仏法」

2006年08月19日 | Weblog
精進料理の多様化をいくつかの場所で目にして
いますが、今回作らせて頂いた豆腐とビーフンを
あわせますこの料理も、比較的新しいもの
ではないかと感じました。

レシピはこちらから頂きました。
http://www.kongohin.or.jp/recipe_0023.html
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ビーフン (適量)
長ねぎ (1本)
豆腐 (1/2丁)
和風だし汁 (3~4カップ)
塩 (少々)
しょうゆ (少々)

1.ビーフンは茹でて戻し、水気を切っておく。
2.豆腐をさいの目に切り、長ねぎはみじん切りにする。
3.だし汁が煮立ったら豆腐を入れ、塩としょうゆで味付けする。
4.「3」がふたたび煮立ったら、長ねぎを入れて火を止める。
5.器に「1」を入れ、「4」をかけて熱いうちにいただく。
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七味唐辛子も少々加えてみましたが、合っていた様に
思います。

日本の精進料理は普茶料理よりも味付けや油の使用が
少ない様に思われますが、それだけに素材の質や新鮮さが
より問われるのであると感じます。

以前普段コンビに弁当などしか口にしない数人の女性達が
実験である高級料亭に招かれて、提供される純和食の、
上品な味付けの料理を食する事になったそうです。
すると驚く事に全員が全員、料理に味が無いと困惑し、
しまいにはそうした料亭において、御飯にマヨネーズを
かけて戴くに至ったそうです。

調味料の味だけが料理の「味」ではないはずなのですが、
恐らく彼らはそうした食材そのものを味わう味覚を失って
しまい、濃厚な調味料だけの味しか感じられなくなってしまった
という事なのでしょう。
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桜の花が咲く頃

2006年08月18日 | Weblog
昨今ネットの負の部分が強調される事が多く、また実際
そうした指摘はその通りである様に感じられます。
ネットに接続するためにはまず種々の魔のプログラムからの
保護や防衛が不可欠ですし、またスパムメールや架空請求や
掲示板への書き込みから訴訟にまで発展した例など、
そうした負の面を全て挙げるならば、全くきりがない様に
思います。

しかしこうした負の面だけを強調するならば、自衛策を
講じる事は出来ても、ネットであるからこそ出来る利点や
長所の発展には目が行きにくい様に思われます。
全体として負の部分の方が常に優勢であっても、常に
利点や長所に目を向けて発展させようとする姿勢が、
やがてネットの可能性を更に広げ、更に有意義なものに
する様に思います。

ネットの利点が非常に生かされている実例の一つに、
夜の繁華街を徘徊する子どもたちに声をかけて歩く「夜回り」
水谷先生の御活動が挙げられます様に思います。
こちらのインタビューは写真も多く掲載され、内容が濃く、
非常に興味深く思われました。
http://jp.getronics.com/today/helpful/frame1.htm

教師と言っても実際様々な人がおり、ただ毎日受け持つ授業
だけを機械的に行って、生徒に対しても担任としての最低限の
行動しか起こさない教師も実際沢山おりますが、そうした種類の
教師とこの水谷先生は、その気迫、容貌、言葉の重みと質が
全く異なっております様に感じられました。

物質的にも精神的にも行き場を失った少年少女達が食い物にされ、
費やされて捨てられていく、そうした状況にある子供達の救済に
一日1~2時間の睡眠だけで奔走し、自身の病身を捧げていく、
こうした先生がおられる一方で、これといった病気もなく、余暇に
歓楽街に出向いて風俗店で遊んでいる教師が一部にいる現状を思うと
どこか割りに合わぬものを感じてしまいます。

また実際先生は自分は死を全く恐れていないと仰っていますが、その
目は確かに死に対する恐怖や嫌悪というものが微塵もない様な、
自分の今現在の働きに全生命を賭しておられる様な、そうした一般の
人とは異なっております雰囲気が感じられました。

先生の言葉はどれも深く重みのあるものですが、人間の生という
ものに深く関わっておられる方であるからこそなのでしょう。
先生の言葉で特に印象に残ったものの一つです。

「人を暴力でいじめようが、言葉でいじめようが、
人のものを盗もうが、薬物を使おうが、
体を買われようが、自分でやったことは自分で
責任を取りなさい。
逃げちゃだめだ。いいね。」

自分で責任を取る事の意味、必要を理解させる事なく子供達を
立ち上がらせる事は不可能であるという事なのでしょう。
しかしこれはそうした環境に身を置く子供達のみではなく、
あらゆる事に言える、非常に重要な事であると思います。
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「天使召喚技法の前の呪文」

2006年08月17日 | Weblog




(ネオ・バベッタ)
ζ~(  `m´)~ζ 「…一つのグリモワールの中に記載されている
            天使召喚の前に 魔術服をまとう時に誦す呪文が記されています。

            他の天使召喚 または天使への祈願
            天使より加持を受けようとする時にも応用できると思われます。」


★「アマコル・アマコル・アミデス・テオドマイ・アイントルよ
  御身の天使達の功力によって
  おお 主よ
  世々に至るまで み国の とこしえなる
  至聖アドナイによりて完徳をもたらさるる事を願う
  この義の衣(ころも)を 我 まとわんとす アーメン。」

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仏教なき仏教

2006年08月16日 | Weblog

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篤信の一人の老人が尊敬を込めて寺院の
周囲を右回りに回っていた。
ゲシェ(学僧)ドルムは老人に気がついて
声をかけた。
「私はあなたが巡っておられるのを見る事が
出来まして幸いです。しかしあなたはダルマの
修練をなされた方がよろしいでしょう。」

そこで考えた老人は移動し、経文を取って
読み始めた。
ゲシェ(学僧)ドルムは老人に気がついて
声をかけた。
「私はあなたが経文を読んでおられるのを見る事が
出来まして幸いです。しかしあなたはダルマの
修練をなされた方がよろしいでしょう。」

その老人は一番よい方法は何かと考え、一点に
集中して瞑想を始めた。
ゲシェ(学僧)ドルムは老人に気がついて
声をかけた。
「私はあなたがよく瞑想しておられるのを見る
事が出来ます。しかしあなたはダルマの
修練をなされた方がよろしいでしょう。」

老人に残された方法はありませんでした。
「ゲシェ、どの様にダルマの修練を為す事が出来ますか、
御教え頂けませんでしょうか?」
ゲシェは答えました。
「あなたが修練する時、あなたのマインドとダルマの間に
分離があってはならないのです。」
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西洋人の僧侶などで、仏教は宗教ではなく哲学そのもので
あり、悟りの彼岸に至るまでの単なる技法にしか過ぎない
ので、儀式や伝統を全て取り払うという姿勢で臨んでおられる
方々がいる事を知りました。彼らは積極的に「信の不要」を
説いていました。

形骸化しただけの部分を取り去ろうとする姿勢は革命的では
ありますが、一方で現在の高等教育を受けた西洋人が
全面的に何かに信を置く事が難しくなっております状況の
一種の表れの如くにも感じられ、また真に卓越した人物でも
ない限り、こうした「手術」は却って弊害や誤解をも生み出し
かねぬ様に感じました。
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「食即禅」

2006年08月15日 | Weblog
禅の黄檗宗の普茶料理の一つに、
鰻の蒲焼に見立てた「芋菜(ウーツァイ)」がありますが、
先日これ以外にも、鰻料理に見立てた精進料理があり
ます事を知り、本日早速作ってみました。
レシピはこちらを利用させて頂きました。
http://allabout.co.jp/gourmet/cookingmen/
closeup/CU20051228C/index.htm


干しシイタケの田ウナギ風
材料(2~3人分)

干しシイタケ 6-7個程度
片栗粉 適宜
揚げ油 適宜

日本酒 大さじ1
酢 大さじ2
砂糖 大さじ山盛り1
唐辛子  少々
ゴマ油少々

1.干しシイタケを良く洗ってから水に漬け、
3-4時間吸水させて戻します。。
2.ハサミでシイタケの石づきを取ります。
3.シイタケを握って水気を絞り取り、くるくると
回しながら、ハサミで外周かららせん状に切っていきます。
4.ひも状にしたシイタケをさらに5センチ程度の長さに切ります。
5.ボールに入れ片栗粉を全体にまぶします。
6.これを適量ずつ油を入れた鍋に入れ、周りがカリッと
してくるまで、中火~弱火でじっくり揚げます。
7.酢、日本酒、醤油、唐辛子、砂糖を鍋に入れて火にかけ、
よく混ぜます。
沸騰して砂糖が溶けたらさらにごま油を加えます。
8.そこに揚げたシイタケを全部入れ、たれをよくからめます。
そのまま冷まして完成です。

以前「ベジタリアンたこ焼き」というレシピを見かけた事が
ありましたが、そちらではタコの食感に似ているという事から、
タコの代わりにマッシュルームが使用されていました。
また今回の料理の食感は確かに鰻に似ていました。

数年前に夫が鰻を食しました際、「ビニールの味の様だ。」
と言って殆ど食する事が出来ませんでした。
西洋人には特に好みの分かれる所であるかもしれません。
しかし本日の料理は意外と非常に好んでおりました。

しいたけさえ戻してあれば、早く簡単に作れます様に
感じました。
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小松かきわけ 出る月

2006年08月14日 | Weblog
感情の起伏が激しく夜泣きのひどい子や、
癇癪を起こして噛み付いたり、また始終泣いて
泣き止まぬ子、衰弱しております子などの
身体中に「疳の虫」が存在していると言われ、
各地や各宗教で若干異なった蟲封じの方法が
古来より伝えられています。

わたくし自身の幼少時代には、そうした蟲封じを
要した事がなかった様ですが、「疳の虫」の症状を
持つ子供の周囲は中々大変であるという事が、いくつかの
報告を読みまして知りました。
現在民間で行われておりますよく知られた方法では、

1.塩で手を洗う
2.お湯で流す
3.綺麗な布で拭く
4.これを3~4回繰り返す
5.その後指から白く細い繊維状のものが沢山出てくる

もしくは
1.まず丁寧に水で手を洗い、いったん拭く
2.スプーン1杯ほどの塩を手に取り、手のひらや指、
手の甲に丹念に擦りつける
3.再び水で塩を洗い流して両手を布で拭き、蟲が出てくる
のを待つ

もしくは
子どもの疳の虫には手のひらに田の字を墨で三回書く

もしくは
1.まず手を石鹸でキレイに洗う
2.次に約5分間、粗塩で手をゴシゴシと力を入れてよく揉む
3.ぬるま湯で粗塩を洗い流した後、乾いたタオルでそっと水分を
拭き取る
4.自分が一番落ち着く所に座り、両手のひらを自分の顔の
方に向ける
5.雑念が去るまで目をつむり、心を静める
6.落ち着いた気分になったら、目を開けて指の先をよく見る

他にも様々な方法があります様ですが、大人でもこれらの方法に
よって「疳の虫」が出る場合があります。
わたくし自身も、これまで数回試みた事がありますが、疲労が
たまっております時ほど白く細い繊維状のものが多く出ます様に
感じました。
また手を丹念に洗います事とも無関係ではない様に思いますが、
これを行った後は心身が爽快に感じられます。

いくつかの説明では、指紋の間などに残った塩が結晶化し、毛細
管現象で細い糸状になったもの、もしくは手を拭く布の残存繊維で
あるとも言われていますが、また疳の虫はストレスの多い人に多く、
塩で揉む事によって身体から出て行くとも伝えられています…。
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雲が消え去って

2006年08月13日 | Weblog
「かつて伊勢湾台風が大きな被害を出した時、
ある人の家の塀が壊れてしまった。
それを見た近所の人達が翌日、それぞれありあわせの
板を手にして集まり、塀を直した。

そうして直された塀はお世辞にも立派とは言えない
ものであったが、ある人がそれを見て言った。
『この塀はまぶしいほどに輝いている。』」

もしそこに百人の人間が存在すれば、百の現実が
あるという事になりますが、そこにただありあわせの
木材で修復された塀を見るか、その奥にあるものを
見る事が出来ますかは本人次第なのかもしれません。
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「末法灯明記」

2006年08月12日 | Weblog
90年代のあるジャーナリストの対談です…。
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「その坊主は大阪の男でして、密教だと言いふら
して中曽根(元首相)を丸め込んだらしいが、
調べて見たら高野山にも登録していない。
恐らく滝に打たれる様な業を自分でやり、密教と
称して信者を集めたのでしょう。
中曽根(元首相)が外国に出かける時などは
首相官邸に祭壇を設けて祈祷していました。」

「政治がそんな形でやられているとしたら、
二十世紀の今が平安時代のレベルを出ていませんね。
(中略)
末法思想が大流行した頃と同じじゃないですか…。」

「中曽根(元首相)のそんな状態を聞き出した相場師が、
その坊主にカネを握らせて、政府や官邸の動きについて
情報を集め、しかもそれを投機に使って儲けていた
のです。
そこで私もカネを包んで情報を取るために会ったが、
直ぐにインチキ坊主だと見破りましたよ。」

「しかし、そこに目をつけた相場師は流石ですね。
ことによると、バブル経済のネタ元はその辺にあって、
中曽根時代に狂乱化した株や土地の投機なんか、情報の
漏洩が亡国現象を生んだのかもしれませんね。
一国の心配事を祈祷する人間がいて、もし外国の諜報機関が
懐柔して利用すれば、国家機密はたちまち筒抜けになって
しまいますよ。」

「そういう事だが、日本では例え首相でも利権情報が中心で、
大して重要な国家機密何かは持っていやせんです。
連中は役人の指図と利権の兼ね合いで動き、税金をばら撒く
ための口利きをするだけだし、中曽根(元首相)も個人的な
成功を祈って貰って、民族や国家の事など無関心だったのです。
だから高野山と言っても学僧でない人のちょっとした術で、
中曽根(元首相)程度ならたぶらかせるのでしょうな。

政治家に信念があれば引っかかるわけないが、世も末になると
こんな驚くべき状況になる。何しろ、カルチエの金時計を
はめて煙草をスパスパ吸って、その坊主は『求聞持の法』
をやるのだと言うんだな。
しかもこの法は百日やると人間でなくなり、神通力がついて
姿が消えてしまうので、99日だけやるとうそぶいているのです。
99日間何も食べずに不眠不休でやると言う言葉に、簡単に
引っかかる程度の頭脳の持ち主が日本国の総理大臣をやった
という事でして、やはりこれは末法現象ですよ…。」
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過去に首相官邸に祭壇が設けられて、何処かの拝み屋が
雇われていたという話ですが、ここまではなくとも、
現在の僧侶のあり方にも非常に疑問が感じられる事があります。

夫には以前から説明していたのですが、在家の法名を受けた
後の今になって、夫は実状に対し舌を巻いています…。
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