ふと思い立って、城山三郎の最晩年の著作をいくつか買ってきた。「そうか、もう君はいないのか」「この命、何をあくせく」「どうせあちらへは手ぶらで行く」対談集「日本人への遺言」のほか、井上紀子氏の著作も。この時期の作品としては、「無所属の時間で生きる」や「指揮官たちの特攻」などを読んだことはあるが、あまり読んでいないのだ。
城山氏といえば、もっと昔の、日本経済が隆盛を極めていた時代、政財界のトップの人たちと対談した作品などが特に印象に残っている。福田赳夫、本田宗一郎、中山素平、平岩外四など、今日にまで語り継がれる蒼々たる経営者の方々と親交が篤かった。そのせいか、城山氏というと黄金期の日本という言葉が浮かんでくる。城山氏が亡くなられたときは本当に寂しかった。今の日本をどう思われるのか、もっと意見を聞きたかった。というより、今こそ意見を聞きたかった。
しかし晩年の城山氏は個人情報保護法への反対や、戦争体験を語り継ぐなど、社会へのコミットは続けてはいたが、いわゆる天下国家、企業経営を語るようなスタンスからは離れ、一方で日々の生活を慈しむようなエッセイを書くことが多くなっていたようだ。
城山氏は決して流麗な文章家というわけではなく、むしろごつごつした、ぎごちない文章を書くことも多かったし、決して器用な方ではないな、という印象を持っていた。しかし晩年の作品、特に愛妻の事をつづられた「そうか、もう君はいないのか」などは、夫人への愛情がストレートに描かれていて、ちょっとびっくりさせられる。
ただし、根底に流れる、蒸留水のような澄んだ心、のようなものは、一貫して流れる城山作品の特色であり、そこは全く変わっていない。
昨日は忙しくて時間が取れず、書きそびれたがもしスティーブ・ジョブズ氏と城山氏との対談が実現していたら、どんな会話になっていただろうか?最後にジョブズ氏の発言から引用を。
外部の期待や、プライド、恥や失敗に対する恐れ - これらのことは死を前にすると皆消えてしまい、真に重要なことだけが残される。 失う事を恐れる、という罠から逃れるには、人はいつかは死ぬ、ということを覚えておくのが一番だ。身につけているものなど、何もないのだ。心のままに行動しない理由はない。
(ちょっと下手な意訳)