うさぎくん

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「風立ちぬ」と「終戦のエンペラー」雑感いろいろ・・

2013年08月14日 | 日記・エッセイ・コラム

そろそろ8月15日が近くなった。
図らずも今年は、戦争に関する映画を立て続けに見ることになった。「風立ちぬ」については、テレビ(SWITCH INTERVIEW 達人達 NHK Eテレ)で、宮崎駿氏と半藤一利氏が対談しているのも見た。以下、断片的な雑感。

  • 零戦は航空史に残る名機だという。宮崎氏は「堀越二郎の作った飛行機はね、恐るべきものなんですよ」と、番組で言っている。他方、「堀越は戦闘機を作りたかったのではなく、飛行機を作りたかった人だ」とも言う。堀越自身は、名機と言われる飛行機は作ったが、彼自身、戦争に勝てると思っていたわけでもなかったようだ。
  • 宮崎氏は御尊父のことを回想し、「家族のことを大事にしよう、天下国家は大事じゃない」という人だった。大局観を全然持とうとしなかったと。・・・日本人である僕たちにはもうわかっていることだが、僕らはみんな与えられた中で一生懸命やる、と言うことが好きで、その限りではとても優秀なのだ。
  • 吉村昭氏の「戦艦武蔵」の中でも、これを受注し建造した人たちは、途方もない努力を重ね、世界最大の戦艦を作り上げてしまう。作ってしまうと、これでもう日本は安心だ、とほっとするのである。武蔵はいわばお守り、仏像のようなものであったのかもしれない。堀越氏の零戦も、ハードとしては極めて優秀だった。
  • 番組で紹介された堀越氏の手記には、開戦は当時の諸状況からやむをえなかったにしても、その後4年の間に、為政者が何らかの講和に導くということを皆期待していたはず、という記述が見られる。だが、大局観と統率力を持つ為政者は、この国にはいなかった。
  • 「風立ちぬ」の話が続くが、対談の中で両氏が語った、興味深い言葉;

    半藤氏:30年もたてば、世界は国境はなくなる・・国境の争いほど、不毛なものはないと、僕もかねがね思っている。今、仕事で中国系の人たちと交流する機会も多いが、事業ではお互いに必要としているし、その範囲での利害調整はできるのに、国家レベルになるとそれができなくなる。今でもお互い、どこかおかしいと思う人が多いのではないか。

    宮崎氏:(昭和史から何を学ぶか)負け戦の時は負け戦の中で一生懸命生きるしかない・・一緒に困るしかないだろう。困らないで生きるというのは、考え方としておかしいのではないか。う~~~ん。
  • 「終戦」について。フェラーズ准将は、日本兵の精神性みたいなことを神秘、理解不能、として、一生懸命に研究している。もう30年も前、日本経済が世界を席巻しかけた頃、企業経営者は、日本的経営なるものを、声高に語ろうとしていた。英米では、休日返上で家庭も顧みずに働く日本人社員を、自分たちと異質なものとして忌み嫌う人もいた・・。そんな時代を思い出してしまった。
  • 今、日本的経営なんてあるのか。そういう会社はブラック企業と名前を替えているのかも知れない。今の日本人にとって、30年前、70年前の日本人は、その時代の外国人達と同様、自分たちとは違う、異質な存在になりつつあるのではないか。
  • 個人的な感想だが、アメリカ人にも十分に国家主義的な感覚を持ち合わせているし、団結して一方的な考えに固執しようとする。そして、今ではそれを自らわかっている。神秘といいながら、彼らは日本人をより理解するようになってきているし、それがこの映画なのだろう。
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