うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

I Go To Pieces

2016年07月26日 | 音楽

ピーターとゴードン。

・・そんなこんなで、彼女の白い肌は私に昔のことを思い出させた。ジミ・ヘンドリックスやクリームやビートルズやオーティス・レディングや、そんな時代の頃のことだ。私は口笛でピーター・アンド・ゴードンの『アイ・ゴー・トゥー・ピーセズ』のはじめの何小節かを吹いてみた。良い唄だ。甘くて切ない。デュラン・デュランなんかよりずっと良い。でも私がそう感じるのは私が年を取ってしまったせいなのかもしれない。何しろそれが流行ったのはもう二十年も前の話なのだ。二十年前にいったい誰がパンティー・ストッキングの出現を予測できただろう? (「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」より)

このシーンの前で、「私」は深夜、自宅から車で出かける。大きな通りで信号待ちしているとき、若い男女の乗るスポーツタイプの白いスカイラインが横に並んだ。その車のカー・ステレオから流れていたのが、デュラン・デュランだったのだ。「私」はなぜか、デュラン・デュランの音楽と、スカイラインに乗っていた女が左手首にはめていた銀のブレスレッドが後々まで気になって、何度も思い出すことになる。

考えてみるとこの小説の設定は、近未来風を装いながらも、結構ピンポイントで時代を特定できるような描写が出てくる。ピーターとゴードンのこの曲は1965年のヒット曲だ。それから20年を経るということは、やはり80年代の前半ということになる。あの頃はたしかにデュラン・デュラン、世間でよくかかっていた。スカイラインも当時の若者たちが結構乗っていた車だ。

僕自身は当時、デュラン・デュランはあまり聞いていなかったが、このI Go To Piecesはちょうどその頃に、ラジオのオールディズ特集で聞いて初めて知った。いろいろと、ちょっと参っていた時期だったが、この曲はそんな疲れた心を癒やしてくれるような気がした。

なんとなくしっとりした雨を連想する。ちょうど小説で「私」が最後に地上に出て自宅に戻った数時間の間、降り続いていた細かい雨のように、優しく、ひんやりと心を包んでくれるような気がする。

歌詞はあまり聞き取れないところもおおいが、ふられた彼女に道で会って、心乱れて体がばらばらになっちゃいそう、みたいな話らしい。たしかに、自分もそんな思いを味わった思い出はあるが、記憶には残っていても、痛みの感覚はもう忘れてしまって久しい。だんだんと、ひとはそうなっていくんですね。。

今年の梅雨は出始めはからっとしていて、明ける間際になって、急に思い出したようにぐずつくような降りかたをしている・。当地では先週来雨の日が多く、わりと涼しい日が続く。涼しい夏、というのも近頃はあまり経験することがないな。思い出すのは、たしか7年前も、いちど梅雨明けを宣言されたのに、その後もしばらく雨が続いたことがあったな。。たまには涼しい夏も良い気がするけど、まあこれから暑くなるのかな。

 

コメント (2)
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