うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

ロング・グッドバイ / 大いなる眠り

2017年11月26日 | 本と雑誌

レイモンド・チャンドラー 村上春樹訳 

早川書房2010,2014

今年も残すところ40日を切った。「月に何冊読んだ」みたいなことを計量する趣味はないが、買ったまま読み残している本というのは気になる。買いたいけど、前がつかえてるから買えない本もいくつかある。

手元にある「現物」の本では多和田葉子「献灯使」、昼休みに勉強しようと思っていた「国際法入門」「初めてのアメリカ法」(これらはもう年内読了は無理かな・・)が手つかずで残っている。そういってるところに漫画も到着。電子版では新書1冊が手つかず、ハルバースタム「ザ・コールデスト・ウィンター」の上巻がおわるところ(これを終えないと次が読めない)。漫画は、「ベルサイユのばら」1巻が中途半端なまま。途中巻で次を買っていないのは「空母いぶき」「少女終末旅行」ほかいくつか。

有名な作品だけど自分では読んだことがない、というのはかなり多くて、実はこのチャンドラーもそう。これが、今年後半の収穫の一つだ。他の本を押しのけて、立て続けに読んでしまった。あ、それで思い出した。「事件屋稼業」も1巻読んだだけだった。。

今まで読まなかったことに別に理由はないのですが。。あれですね、初期の村上作品とよく似ていますねいまさら何言うのかといわれそうですけど。「ロング・グッドバイ」なんて、村上春樹の新作を読むみたいでしたもの。

どちらも訳者の村上春樹氏がかなり力の入った解説を書いている。その思い入れの強い文体に思わずたじろいでしまうが、たぶん世の中には、チャンドラー信奉者、マーロウファンも多数いるに違いない。そう考えると、ここで余計なこと書いたら怒られそう、という気持ちになって、筆がなえてしまう。。いちおう、話のしめくくりとして村上氏の「大いなる眠り」解説から引用しておく。僕自身、自由に強いあこがれを持ち、ある程度の犠牲を払いそれを貫きながらも、ここへきて過去のつながりに回帰しようとしたり、あるいはせざるをえなくなったりと、そんな人生のひとときを過ごしております。。

・・個人的な意見を書かせてもらうなら、僕がチャンドラーの小説を読み続けているのも、やはりそこにある自由さに心を惹かれるからではないかという気がする。我々は誰しも自由にあこがれる。しかし自由であるためには、人は心身ともにタフでなくてはならない。(中略)我々れの全員がそこまでタフになれるわけではない。我々の多くはどこかの時点で保護を必要とし、頼ることのできる組織を必要とする。。

しかしマーロウはーもちろんあくまでもフィクション上の人物としてだがーそんな妥協をすることなく、どれほど痛い目にあわされようと、生命を脅かされようと、あざけられようと、その自由さを執拗なまでに貫いていく。マーロウのそのような頑なな生き方は、我々に開拓時代末期のガンマンの姿を想起させる。

(中略)チャンドラーの生き生きした文章と描写は、それを寓話という域を超えたものにしている。それはひとつの「神話(myth)」にまで昇華されている。寓話と神話との違いは何か?寓話は継承の組み換えといいうレベルで完結してしまうが、神話は人の心の「元型」に基づいている。寓話は頭で理解するものだが、元型は心をすっぽりあてはめるものである。そこには理解は必要とされない。

コメント
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