うさぎくん

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令和へ

2019年04月07日 | 社会・経済

もうテレビでは平成を振り返る特集などが始まっているが、これからもそういう切り口の報道はますます増えていくだろう。

ただ個人的には今は新時代への期待のほうが大きくて、あまり過去を振り返る気がしない。ともすればすぐ感傷的になる自分にしては珍しい。

これはネットでちょっと語られていたことだが、令和はどこか高貴な響きがある。平成は、そんなことは今まで考えたことはなかったが、なんとなく庶民的というか大衆的で、あえて言えばどこか鈍い感じも漂う。令は令嬢とかいう言葉が浮かぶけど、平成は平民とか、そういう単純な連想でしかないような気もするが、やはり言葉の響き、語感が影響していると思う。

オーディオ評論家、コラムニストだった長岡鉄男氏の30年前のコラム「平成元年」(『長岡鉄男のいい加減にしますPartⅣ所蔵)によると、平成HEISEIは「肩肘張らずに、気楽に、気軽に、内外の世論にさからわず、摩擦をなくして仲良くやりましょうという意味合いを持つ」。今にして思うとかなり当たっているなあ、という感じがする。。氏が存命していたら、REIWAをどのように評価するだろうか。。

振り返る気がしないといいながら、結局振り返ってたりするが(^^;、あのとき、昭和64年1月7日は土曜日で出勤日だった。そのころはまだ金融機関は土曜日も営業していたのだ。有名な小渕官房長官の新元号発表は、リアルタイムでは見ていない、はずだ。週明けにはもう平成という元号で仕事をしていたはずだが、なにかが困ったという記憶はない。

土曜日は半日勤務で午後1時退社でした。職場の人と何の話をしたのかも覚えていない。。

一緒に食事をとった後、「写ルンです」を買って(とうぜん写メもコンデジもなかった)、街の様子を記録した。

社会がいろいろと自粛ムードだったことは確かで、前年放映されたCM「みなさんお元気ですか」が削除されたのには驚いたが、そんなものでは社会全体の隆盛は抑えきれるものではなかった。あの頃のことを考えると、社会全体の勢いが全然違っていたことに改めて驚く。

ご記帳に向かう人々。手前の東京海上ビルはいまも健在だが、真ん中のAIUビル、その奥の日本鋼管、左のパレスホテルもみんな建て替えになってしまった。

こういう街の記録はほとんどしたことがなかった。だいたい、日常普通の人が写真を撮るということ自体、あまりしてなかったものな。。

さっきの場所から90度右にむいたところ。行幸通りもそっけないアスファルト。丸ビル、新丸ビル、遠くに大丸デパートのビル。

時代の勢いの話に戻るが、この年空前の好景気を謳歌し、消費税導入の影響なんかまったく気にする必要もないようにみえた日本経済は、その翌年から一気に転落する。あとは皆さま覚えている通り。のちにバブル時代をうらやんで、あの頃どうだったのか聞いてくる若い子もいたが、その末路を知っている僕らとしては、そんなものを懐かしむ気にもなれない。

新しい令和の時代こそ、僕らの望むような時代になることを望む。

コメント
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