考えてみると、平成が始まった翌年に都内西郊に転居し、今上天皇が退位の御意思を表明された翌年まで、何度か住まいを変えながら住み続けていた。
なので、平成時代はほぼすっぽり、都内西郊地区にいた記憶と重なることになる。
ピアノが来た日 Apr. 2003
もっとも、平成時代とともに大きな区切りを迎えるという経験をされる方は、〈住まいに限らず〉けっこうおられるのではないか。30年というのはそれなりにまとまった時間だし、人がなにかを始めて一区切りつけるには適当な期間だという感じがする。
ピアノが出ていった日。Apr. 20, '17
元号が変わること、色々な感慨を持たれる方もおられるだろうし、関係ないと思われる方もまたいよう。
ただ、この時代を生きとおした方は、思わずこの時代を振り返るということぐらいはするだろうし、やはり一つの区切りとしてとらえる方は多いだろう。
ちょうど2年前の今頃は、家の整理をしていた。
既に太平の世は終わり、自分の周りの環境は大きく変わり始めていた。今日に至るまで、色々なことが変わり続けている(変わらないで困っていることもまだあるけど)。
はっきり言って越すのは気が進まなかったけど、息をつめて思い切って動いてしまえば、あとは現実がついてくる、という感じだった。
2年もたてば今の生活にもなじんでくるし、昔は少しずつ遠ざかっていってくれている。
まだ変わりきっていないところは、色々矛盾も生じているのだが、これは致し方ない。
それこそ、時代が令和になれば、事態は一気に変わってくれるのかもしれない。
よく、失われたXX年などというが、たぶんだけど50年ぐらいたっても、この時代の評価やはりそういうものなのかもしれない。
この30年間で、日本はその存在感を少しずつ落としていった。その点は議論の余地はない。
しかし、それではこれからも日本の競争力は落ち続け、他国の後塵を拝し続けていくのかというと、たぶんそうはならないような気がする。
さりとて、昭和30年代のような、高度成長が再来するということでもないだろう。
どういう世の中になるかは、平成の初期に我々が想像できなかったのと同様、今の自分たちにもわからない。
でもきっと変わる。
昭和の事物を懐かしがった平成の人々。団地、テレビ、初期の国産自動車。
性能や使い勝手が不十分なところがあっても、あこがれの存在と思われることで、プラスの印象としてとらえられてきた。
すこし平成にかかってしまうけど、バブルラジカセなんてのも、今は作ることができない物量重視の設計が懐かしがられた。
前にも書いたかもしれないけど、平成時代の技術や製品は、わりと軽視されがち?だ。
日の目を見ずに、あるいは一世を風靡しながら、時代の波に飲まれた技術、たとえばMD,DCC,レーザーディスク、APSカメラ、iモード、MOなどなど、こういうものはいまのところまだ、見直される対象にはなっていない。
これから平成懐かしブームみたいのが起きたとき、再び脚光を浴びることになるのかしら。。
自分のことに話を戻すと、平成はなんやかやと手こずることが多かったので、これを区切りに状況が変わってくれることを望んでいます。
なので、時代の区切りを意識するんですね。。
まあしかし、色々なことがあったものです。。
前回ほどではなくても、オリンピックを前に東京の風景も変わり続けているし。
とにかく、希望を持って新しい時代に備えたいと思います。