うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

やりそびれたり、こわれたり

2021年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム
年末、慌ただしいのは仕方ないとして、片づけたり掃除したりと、例年通りにやっていけばよいと思っていたのだが、どっこいそうは問屋がゆるさんぞ、と。

年賀状を書かねばと思い、ひじょうに久しぶりにアップルペンシルを使おうと思ったら動かない。
最初は電池残量が2%ですとか言うので、充電したら直ると思い、外出前に充電しておいた。戻っても直らない。Bluetoothがつながっていないので、接続したがダメ。いったん接続を解除し、やり直したがダメ。困った。

こわれたのか。修理か。アップルのサイト見ると、アップルペンシルの修理は最大8760円とある。それでも新品買いなおすより安いが、なんとかつながらないのか、また明日試してみる。が、年賀状は紙に書くことにしよう。

アップルペンシルなど、それほど困らないが、今度はなぜかミキサーが壊れた。しばらく前から、やたらと大きな音を立てたりしてはいた。
律儀な奴で、攪拌を一通りやりおえてからぷつっと止まってしまった。
電源を抜きなおしても、時間を置いてつけても動かない。
毎日使ってるから、もう仕方ない。同じモデルを5年ぐらい使っていたが、明日コジマかノジマかどこかいって買ってこよう。

ミキサーなど、買っても大した値段にはならないし、買って来ればすぐ使える。今度は湯沸かし器が動かなくなった。
風呂の掃除をして、ふつうは「ふろ自動」を押せば、適当な湯量で止めてくれるのだが、なにも動かない。エラーコード651だと。
ネットを見ると、これは水量サーボの故障なのだそうだ。
お湯は普通にでる。追い炊きはできる可能性があると、ネットには書いてある。なので、お湯は蛇口から入れた。ホテルなんかこうやって入れるもんね。
ホテルと違うのは、家の風呂桶はいっぱいになったら溢れてしまう。

あと、洗面台の蛇口が完全に閉まらなくなって、水滴がぽたぽたおちる。
これも明日、電話しないと。

こわれたシリーズはこれでおしまいだ。
もう、かんべんしてほしいわ。

やりそびれたこと。

それとここで書こうと思って書けなかったこと。

10月に、久しぶりにコンサートに行ったとき、ニルセンの5番を聞いた。
初めて聞いた曲だが面白かったので、CDを買うつもりだと、ここに書いた。

CDはその後すぐに買ったのだ。新宿ユニオンで、安い全集が手に入った。
以前ここで書いた、タンホイザーのCDと一緒に買って、まずタンホイザーを聞いた。ニルセンはだいぶたってから、1枚目から聞き始めた。
若書きの第一番を最初に聞いたが、なんだかブラームスぽっかったり、チャイコフスキーぽかったりする。・・・2番まで聞いて、ちょっとお休みしてしまった。まだ5番に達していない。
年内は聞き切れないかも。

コンサートも10月に聞いたきりだ。本当は第九も聞きたかったのだが、結局行けなかった。

今日、車で移動しようとしてラジオを付けたら、N響のライブ放送をやっていた。ちょうど第九の、フィナーレが始まったところで、移動先の駐車場できっちり終わった。ちょっといい感じ。
尾高忠明さんの指揮。たぶん指揮者もソリストも、もとは外国から来るはずだったのだろう。

昨日までカーペンターズのクリスマスアルバム聞いてたけど、今夜は第九を聞いてみた。ちょうど、朝比奈隆さんが没後20周年なのですよ。

なので、手持ちのCDから新日本フィルとの共演のものを。

サントリーホールでの収録だが、このCD、集録の関係か再生はひと工夫必要。ある程度音量を上げないと、籠ったような音に聞こえてしまう。

録音日がDec. '88としか書かれていない。調べればどこかに記録があるとは思うが。
88年12月と言えば、日本中がある種ふしぎな年末を迎えていた頃ですね。好景気に沸く一方、諸事自粛に気を使いながら過ごした年末。

そうそう、これもここで報告しそびれましたが、冒頭の写真はアルちゃんとペン殿のお墓が、こんな感じになりましたというカットです。

5月ごろだか、シン・エヴァンゲリオンを見た後、アマゾンでテレビ版のDVDを買いました。ただこれ、豪華ケースに入っていて安かったのですが、フランス版なので方式がPALで、家のパナソニックのレコーダーでは再生できないんです。
最初はパソコンに再生アプリを入れて(入ってなかったので窓の杜で探した)、観ようとしましたが、なんかパソコンで動画見るのって、めんどくさいというかその気にならないのですよ。
キーボードがあるから、まんじりともせずに画面を見るってのがどうもできない。皆さん、YouTubeとか、よく長時間見てるな、と思ったりしますけど。。まあ自分もときどきは見るけど。

とにかく、何枚かDVD見ただけで、途中で止まっていました。
ふと先日、親の持っていたポータブルDVD(法事のとき、親戚に家のビデオ見せるのに持ってきた)にエヴァのDVD入れてみたら、再生できる。
画面小さいですけど、パソコンよりはよさそうなので、これで見てみたいと思います。
ただ、年内はぜんぶ観きらないかな。。

このほか、漫画では日出処の天子も、まだ読み切れていません。あと、動物のお医者さんも、DLしてまだ読んでいません。あと、地球へもか。

本の紹介もブログに書くには時間が必要で、秋ごろから読んだ本のことは全然書けませんでした。。読み終わって時間が経つと、なかなか書けないし。

ここでは「分断のニッポン史 ありえたかもしれない敗戦後論」赤上裕幸著、中公社ラクレ2021を紹介します。
歴史のIF、太平洋戦争の結末は、いくつもの偶然が重なって史実のようになりはしましたが、たとえば4か国の分割統治などは、本当に検討されていたとのことですし、ドイツや北朝鮮のような分断国家になる可能性は、かなりの確度であり得た話です。

本書では小説などの世界で、分断国家となった日本を舞台とした小説等を紹介、分析しています。

あり得たかもしれない、と聞いて今の私たちが共有していることの一つに、10年前の東日本大震災と福島第二原発の事故があります。今も傷跡は残るものの、少しずつ復興が進められていますが、もしかしたら、もっと酷いことになり得たかもしれないのです。

終戦も、同時代を経験した者たちはifにリアリティを感じられます。時代が下ると、そのリアリティが少しずつ風化していく。
分断国家ものの小説も、次代と共にその意味合いが変化していると、筆者は語っています。70年代まではまだ、ソ連の北海道侵攻というシナリオに、ある程度リアリティを持って受け止められていたのが、90年代に入るとそれがひじょうに遠いものになっていく。

ここで受け止めておくべきことは、分断国家へのリアリティという話ではなく、時代背景が変わると、人々の意識も変わり、歴史そのものの捉え方も変わってくる、ということです。当時の人が何に関心を持ち、何を恐れていたか、が、風化してくる。

さて、とりとめのない話が続いてしまいました。

あしたは、でんわしないとな。

コメント
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