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島倉 原 角川新書 2019年(kindle版で購入)
MMT(Modern Monetary Theory 現代貨幣理論は、数年前から話題にのぼりはじめ、特に2019年、ステファニー・ケルトン教授が日本の財政、金融政策を指して「日本は非常に良い事例である」とコメントしたことが、国内のマスコミ等で話題になった。
当時から、少なくとも日本のエコノミストたちの間ではあまり評判は良くなかったが、2020年に入ってコロナ禍が世界を席巻し、各国が大規模な財政出動をするようになると、それにかき消されるように話題に上らなくなった。
有名な主張は、国の公的債務について、それがどれだけ膨らんでも、政府が自国通貨を発行できる立場にある限り、債務不履行になることはあり得ない、というものだ。
先進国の中でも飛びぬけて対GDP比債務比率が高い日本は、インフレにもならず、返済不能にもなっていない。これは(MMT理論主唱者たちと対立する、主流派の経済学差たちの予測を覆す)好例だ、という(日本の政策が彼らの理論に沿ったものだという意味ではない。平たく言えばもっと思い切ってやれ、みたいな見解を述べている)。
要するに、悪いことだと思いながら借金を重ねている人に、イインダヨ、イクラカリタッテ、と言っているようなもので、(念のため・それが許されるのは政府だけ)、財政規律を何とかせねば、と思っている人たちは、余計な事言いやがってと、カチンとくるという図式だ。
そのうえMMT派は、主流派経済学否定、批判しながら自己の議論を主張している。。
先日NHKの日曜討論会を見ていたら、れいわ新撰組の幹事長さんだったかな、が話していた。それどっかで聞いたことあるな、と思ってウェブを見たら、どうもれいわはMMT推しらしい。。
ということで・、今までMMTの理論を読んだことはなかったので、年末年始にちょっと読んでみようか、と思いぽち、した。
タスキにMMTの本格的入門書、と書かれているが、そんなにやさしくはない。大学の経済学とか勉強した人でないと、何を批判してるのかわからんかもしれない。あと、途中から政府とか市中銀行、個人などの財政状態を、バランスシートのような図式で示しているものがあるが、財務諸表が読める人でないとわからない上に「純貯蓄」(=金融資産から負債を引いたもの)などという聞きなれない科目が出てきたりして、とっても不親切だ。
なので、本書の内容を理解できたかというと、はて?ちゃんと理解できたのかな、としばらく考え込んでしまいそうだ。。
ただ、MMTのMMTたるゆえんは貨幣に関する考察であり、そこから経済政策的な主張が導かれている。歴史的に、人類が経済活動を物々交換から開始したという証拠はなく、貨幣ははじめから信用貨幣(それ自体に物的な価値はない)として登場した、というような主張をしている。
この辺の議論は心を摑まれる・。
歴史がどうした、という議論をするのは、ごく平たく言えば理論体系上の整合性の問題だ。MMT主唱者たちは、主流派の貨幣に対する見解は(これまた平たく言えば)論理的に整合していない、という。だから史上存在していなかった、物々交換から議論を始めているのだと。
話は飛ぶが、僕らが若い頃、ミルトン・フリードマン(当時シカゴ大学教授)が、マネタリズムという理論を主張して、それまで主流だったケインズ理論(総需要政策重視派)に挑戦していた。
若い頃ってそういう、体制に挑戦するような議論をカッコいいと思うもので、訳もわからずなんかイマイな(死語)、と思っていた。その後世界は新自由主義とか、そういう世界方向に進んでいく。
MMTというのは、どちらかというと、ケインズ主義的な流れに通じるものがある。新自由主義的なものを見直していく、というような方向性だ。
興味深いことに、マネタリズム(文字通り通貨主義)もMMTも、貨幣に興味を持っていることだ。出てくる主張は反対方向というか、あれだけど。
あれだけど、というのは、主張が正反対です、と言い切っちゃうと、違う、あれがこうでこれがああだ、と言われると困ってしまうからだ。こんなちゃちなブログの文章で、書ききれるようなものではないのだ。経済学は。
それでも世の中は動いていくのであって、黒田東彦氏は異次元のなんとかを続行中だし、パウエル氏はどうとかなんとか、してる。経済政策に治験はないので、いつだってぶっつけ本番だし、その政策が数式できれいに理論化できることなどない。
そういう比較をするのもなんだが、コロナ対策と経済政策、に関するネット上の議論の寒暖差は、前者が自分たちの日常の経験の範囲で語れる部分が多いのに対し、後者は人々の間に(自分は)議論をするだけの知識がない、という自覚を持ちやすい、という所から来ているように思う。他方共通しているのは、どちらも自分たちの生活に直接かかわりがあることだ。
実は前者も、本当に実のある議論ができる人は相当限られているはずだ(専門知識を持つ人たちは、それだけのレベルの議論ができているのだが、常に妥当な結論が導き出せる訳ではないので、素人も議論に参加するだけの資格がある、と思いこみやすい)。
経済についてもトンデモ議論は存在するのだが、やっぱり、つまらないのか人気がない。
健康議論に飽いたら、今度は経済のことをみんなで考えてみると、新鮮でよいのではないだろうかしら。
いずれにしても、余りネット議論でムキになるのはほどほどに。。以上余談。
さいごに、本書末尾に書かれているMMTの特徴を短くまとめてみます。
・日本や米国のように通貨主権を有する国(自国独自の通貨を発行、流通させている国)は自国建てで支払い能力に制約はなく、デフォルトリスクはない。財政赤字や国債残高を気にする必要はない。
・政府にとって、税金は財源ではなく、国債は資金調達手段ではない。税金は所得、国債は金利にはたらきかけ、経済を適正に調整するための政策手段である。
・政府は「最後の雇い手」として、希望する人に就業する機会を約束することができる。
最後の項目はMMTが財政支出を通じて完全雇用と物価安定を目指す、ということを示しているもので、完全雇用の妨げになる(と思われる)社会保障費(社会保険など)は好ましくない、とMMTは考えている。企業が負担を嫌って雇用を躊躇するようになるからだ。
この辺りの見解も、彼らを評価するときに重要なポイントだろう。