うさぎくん

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2015年01月10日 | 本と雑誌

ヤマザキマリ。

昨年書店でちらと立ち読みしたとき、面白そう、と思ったのだが、買おうと思ったときには見当たらず、hontoの電子書籍で購入して読んだ。

ヤマザキマリは若い頃、かなり波瀾万丈の人生を歩んできたようだ。海外経験をもとに、「外から目線」で日本批判をするひと(女性が多い。不思議なことに、海外暮らしをすると女性はそれに同化してエヴァンジェリストになり、男性は逆に国粋主義者になる人がおおい)は多いが、この人はすごい。説得力が違う。

というか、本書でヤマザキ氏が強調されていることについて、僕は(海外経験ないけど)ほとんど同意見なのだけど、仮に僕が本を出せる立場だったとして、同じことを書いてもたぶん、誰も聞く耳持ってくれないだろう。

いくつか本文から引用してみよう。

 ときどき日本に帰ってきて滞在すると、「日本はこんな国だったのか」と再発見することがたくさんあります。いいことも、悪いことも。洗練されていて、クリーンで、秩序だっているこの国には、他国にはない誇れるポイントがいくつもある。でも一方で、現在の日本には絶対的に足りないものがあるとも思うのです。それは、ここにクラス人々が「生きる喜び」の実感を得るための、機会や制度や機運といったものです。

 「空気を読む」という、もはや慣用句になった最近の言葉がありますが、今ほど周囲の人間との同調を求められる時代があったでしょうか。逆に言えば、「不寛容」が進んでいるとも言えそうです。

 今日本の社会は、突出したものに対して、不寛容に過ぎる傾向があります。出る杭を打ちすぎ、その結果、突出しようと意気込む人の危害すらあらかじめ喪失させている。

 私は、基本的に空気をうまく読み取る人、つまり、自分が今いる場所の価値観やルールに自分を巧みに適応させることが得意な人のことを、余り信用していません。

日本批判のくだり。「空気を読む」については、こちらでらくちんさんが見事にコメントされている。ただ、ヤマザキ氏はたぶん、「周りのことなんか気にしないで、のびのびと自分の感覚の思うままに生きろ!」と(まあ、ちょっとちがうかもしれないけど)言いたいのだと思う。でも、日本のビジネス社会に親しんだ人にとっては、空気を読みつつ、時にそれに従わないというほうが、通りがいいだろうな。

置かれた場所に満足し、そこで咲くことを考えているだけなんて、それで一体どうするんだい!

amazon書評でも、この部分に反応した人が多かった。ここのくだりでは、煎じ詰めれば自分をあきらめるな、自己暗示にかかるな!ということなのだろう。海外で活躍する日本人に女性が多い、と書かれいてるが、その傾向は昔からある。

僕の若い頃も、女性の同僚はしばらく働いてお金を貯めると、短期間でもなんでも海外に留学する、という人が結構いた。相当年配の、子供のいる人も、万難を排して留学したりするのだ。最初に書いたことにつながるが、女性は現実的、実際的だが、男性は制度や理論や土地などに縛られるというのかな、傾向としてそういうところがある。

それはそうと、このくだりはヤマザキ氏だから書けた、という面がある。苦労はされたと思うが、海外に飛び出せたのはヤマザキ氏のおかれた環境や、幸運が強く影響しているのだろう。たとえ今が自由社会だとしても、一般には呪縛から解放されるのは容易ではない。自分の意思ではなく、今の環境を出ざるを得ないときもある。とはいえ、より良い世界をあきらめない気持ちは大事だろうけど。

 女性と男性みたいなことを書いたが、ヤマザキ氏が魅力を感じる男性に共通する特徴について、こんなことを書かれている。

人文系と理数系、二つの要素が一人の人間の中で共存していること、即物的で現実的な側面を持ちながら、いかにして空想、イマジネーションの部分も背負っていけるか。この二面性が魅力となって現れている人に惹かれます。

そしてやはり、時代の数税や大多数の価値観から外れている自分自身を、ウジウジ悩まないどころか、武器に変えられる人がいい。もちろん、傍若無人勝手わがままに自分の流儀を押しつけよという話ではありません。その時々の世論や価値観を、相対化できるというのかな。多数派にただ流されるのをよしとしない、気骨というのか。

女性に、こういうタイプがいないとは言いません。でも一般的に女性は、しなやかでしたたかで、空想よりも「現実」の方に重きを置く向きがあります。生物学的に見ても、メスは保守的。守りの中で、瞬間の判断を下していく。

まあ、僕もかなりずれているけど、けっこうウジウジ悩んでいるよなあ・・。

次に日本女性への苦言。

成熟による美。今日本で軽んじられて、ほとんどないことにされているのが、この美の価値観ではないでしょうか。
多くの日本の女性が「若さ」という指標にとりつかれているように見えるのは、個人の問題のようでいて、実は構造上の問題です。

ミロのヴィーナスに限らず、ヴィーナス像を子細に眺めていると、普遍的な女性の美とはどういうものか、漠然とながら理解できることがあります。それは、ただの外面的な造作の整い方、つまり美人か不美人かだけが、美を形作るものではないということ。

いわば宇宙的哲学としての「調和」-自然との調和だったり、内面と外面の調和だったり、知と情の調和だったりと、ともかく調和的であることに女性の美は宿るのだなと感じます。そうした調和を無視して、人為的に外面だけをいじりまくる方が、みっともないと思ってしまうのは私だけでしょうか?

ちょっとわかりにくい面もあるが、これもうんと煎じ詰めると、日本人女性があまりに若作りすることにこだわる傾向への批判だ。同時に、日本人男性がステレオタイプにロリコン的少女を求め、日本人女性はそれに応えようと躍起になるのだ、という男性批判もしている。

僕もケーブルのCMとかで、若そうに見えるこの人が実はXX歳!(おおっというどよめき)みたいなのを見て、うわあ、不気味と思ったりすることがある。

いいぐあいに年輪を重ねた女性というのは美しいものだ。そう思ったのは、TWW6(ザ・ホワイトハウス シーズン6)で、議員としてゲスト出演したメル・ハリスを見たときだ。といっても、画像は出せないけど。年長の女性と話をしていたとき、キャロライン・ケネディ大使のしわの感じが良いといったら、やっぱり男性と女性とは感覚が違うのねえ、といわれたことがある。 

だいぶ話がそれた。

ヤマザキ氏は日本を愛し、日本の良さを世界に紹介したいと思うが、それには今の鎖国的な閉鎖性をなんとかできないかという考えから、この本を書いたという。時には「ペリー的な」気分になるといい、なぜ海外経験の長い有名人が協力してくれないのかとして、村上春樹さんを例に挙げている。もっと発言してほしいと。これは難しかろう。村上氏は日本の文壇からあまりにも離れたところにいる。それに、村上氏は日本人社会とことをおこすのをとても嫌う。

それに、海外経験者の誰もがヤマザキ氏と同じ考えの持ち主というわけでもない。あまり書けないが、海外勤務経験者でそこ(アジア)を基準に日本を批判する人で、一方で非常に同調圧力の強い人も知っている。いろいろ考える・・。やはり、本書にあるヤマザキ氏の意見は、氏のハードな海外経験だけではなく、自由だった家庭環境や、変人好きからきたものなのだろう。わかりやすく言えば、天真爛漫で何処か光を持っている人と、小器用な人との対立図式。僕もぶっ飛んだ人の方がすきです・・。

 

 

 

 

 

 


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