うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

6年

2017年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

今年もこの日が来ました。

この5年間、当日の足跡を再体験する、ということをしてきたが、今年はあまりにも忙しくて、状況的に無理かな、と思っていた。

しかしながら、当日は帰宅できなかったとはいえ、翌朝押し入れのものが散乱した室内に唖然とし、夏には地震保険で半壊適用を受けた今の家は、この初夏には自分の手許を離れ、解体されてしまう。金曜日、なんとか時間を作り、オフィスを出た。

今回は4年前と同様、家族をピックアップした新宿のオフィスから、親戚の家まで歩いてみた。

昨年、そして6年前と同じく、金曜日だ。

昼間の天候も、ちょうど6年前のような明るく晴れ、そして早春らしくすこしだけ肌寒いものだった。

6年前も部下の子が休暇で一人で仕事していたが、今日も(人は変わったけど)やはり部下の子がお休みだ。

同僚とそんな話をして、そういえばあの日、掃除の人が来たかしら、と聞いてみた。いつもなら6時過ぎに清掃の人がやってくる。答えは来なかった。ほかの会社では、地震後まもなく帰宅を促すよう案内した会社も多かったようだ。

僕は一人で仕事していたので、震災や津波の映像をウォークマンについたワンセグで見ながら、7時近くまで仕事していた。同僚に話す。「あの日は仕事がもたついて、なかなか終わらなかった。今だから言うけど、正直言ってけっこう動揺していたんだ。人には涼しい顔していたけどね。。」

あの時と今とで、大きく違うのは新宿南口にバスタができたことだ。あのときは工事中で、たしか歩道が閉鎖され、臨時に車道に仕切りをつけてそこを歩いていた。すぐそばの車道は車でいっぱいだった。

当日は開店休業のような状態だったことを思い出す。町のたたずまいは、変わっていないような気もするが、よくわからない。考えてみると、当日、ようやく連絡がついた部下の子と歩きながらずっと話しっぱなしで周りを見ていなかったのだ。ただ、この牛丼屋だけは覚えちている。

昨年以前にも書いているが、当日は親戚の家に泊まって、翌日従兄の車で送ってもらい帰宅した。大通りから自宅まで歩いて帰ったが、澄み切った青空の気持ちいい朝だった。家についたのは11時半ぐらいだったと記憶している。

今年の天気もあのときとそっくりだ。あのときは鳥も何も飼っていなかったな。そういえば。

あの日は、押し入れや本棚からものが落ちて大変なことになっていた。

今は、あのときもとに詰め戻したそれらのものを取り出しては、ゴミに出している。

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