うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

敗戦日記

2020年05月26日 | 本と雑誌
高見順 文春文庫(購入したのはkindle)。
のっけから余談だが、kindleで買うと表紙はサムネイルでしか表示されない。さいきんは電子書籍ばかり買っているので、今流行のブックカバーチャレンジなんかするときは困ると思う。。この表紙画像はアマゾンから拝借。

昨年秋にいちど読んだが、この春の緊急事態宣言と一連の騒動をきっかけにまた読み返してみた。

今回のような災厄は、どの為政者にとっても厄介なものには違いない。広い意味では医療体制や防疫対策などが政治的に課題となるにしても、治水や地震対策ほどには目が届かなかった分野だろうし、誰にとってもそうだがひどい不意打ちで、これを予見し防ぐことは多少の差はあれできなかった。

初期の条件はほぼ同じだったが、その後の対応は国ごとに差が出たようだ。

これは戦争と同じだ、と言った元首が何人かいたけど、少し違うと思う。戦争は政治の不作為の結果としておこるものだし、国民は相手国に憎しみをぶつけることができる。感染症流行という事態に敵国はいない。色々話はあるにしても、誰かのせいにして事態が収束するわけではない。

なのだが、この本を読んでいると、だんだんと終戦間際の日本と緊急事態宣言下の日本が重なって見えてきて、興味深かった。

 日記が始まるのは昭和20年の元旦からだが、その頃既に東京には空襲が始まっていた。銀座などの繁華街では、飲食店はほぼ閉鎖になっていたようだ。わずかに開いている店も外食券を手に入れないと入れなかったらしい。高見のなじみの喫茶店なども、閉店したり別の店になったり、強制疎開で建物が壊されたりしている。
 銀座は真っ暗で誰もいない、などという描写は、今年の4月頃の様子を彷彿とさせる(明かりはついていたけど)。

 高見は当時鎌倉在住だが、下町にも馴染みがあったらしく頻繁に訪れている。焼け跡を歩き回っている記述が多く見られるが、当時としては生活(時間的にも)余裕のあった方なのかもしれない。野次馬と言ってしまえばそうなのだが。
 空襲では多くの知人を失ったらしい。
徳川無声の日記(高見同様終戦間際の描写がある)を以前読んだが、高見と徳川には共通の知人があるようだ。広島で亡くなった丸山定夫氏については双方の日記に出てくる。いつかは自分の家も被災し、所蔵の本なども焼かれてしまうだろうという思いは、二人とも持っていたようだ。

 もう一つ、二人が共通の認識を持っていたのは当時の日本人の風俗だ。
戦況の悪化に伴い、街の商店街や、列車などで出会う市井の日本人の姿がひどくみすぼらしくなっている様子を酷評している。まるで乞食のような姿だとか、老婆などはほとんど猿のようだ(これは徳川の方だったかな)、などと書いている。
 世相が荒れて、身なりにかまわなくなったということもあるが、日本民族の自己評価そのものが、ひどく落ちていったことの現れなのかもしれない。
 更に言えば、開戦当初の高揚した気持ち(おそらくその頃も、西欧諸国との比較を意識し、自己評価に疑問を持っていたのかもしれない)が、戦況につれて暗く萎んでいったということもあるのだろう。
 
 列車のひどい混雑の様子も描かれているが(三等車は二人がけの席に3人座るのが普通だが、二等車に乗るとなぜかふんぞり返って足を投げ出している、という描写も面白かった)、今とは比べものにならないほどの長時間乗車で、トイレに行くこともでない。通してくれと言う女性の声ともみ合いになる様子、やがて床を伝って流れてくる液体、みたいな描写があって(お食事中の方すみません。。)、なんとも。。
 尾籠ついでだが、筆者が銀座や繁華街のそこかしこで立ち小便をした、と書かれているのも気になった。公衆トイレがないのだそうだ。当時の衛生状態とはそういうものだったのだろう。

 戦争が終わる頃になっても高見はあちこちに出かけ、食事をしたり人に会ったりしている。人づての噂というのは相当の伝播力があったようで、原爆投下、ソ連参戦の情報も、人づてに入手しているようだ。うわさは広まり、みんな知っているはずだが、電車の乗客は何事もなかったかのように静かに揺られている。滅多なことを言うと引っ張られてしまうからだ。

 政府や軍、そして新聞報道についてはかなり辛辣な批判をしている。戦後は新聞の論調もだいぶ変わってきたようだが、その変節ぶりも酷評している。

 感染の広がりと様々な自粛の流れ、そしてこれからも続くであろう経済の混乱。
今年の日本人も多くの試練に接し、政府は様々な対応策を打ち出したり、「要請」をして、テレビや新聞は「専門家」のコメントを伝え、そして人々はSNSを通じて語り合った。中にはひどく幻滅させられるような情報も見かけたし、普段は見過ごされているような人の醜い面が白日にさらされたりもした。

 人が試練にさらされるときには、ふだん取り繕い隠してあるものがふっと見えてしまう、これは昔から変わらないものであるらしい。ほんとうの中身はいずれ、そうたいしたものではない。
 でもまあ、それがわかることで逆にほっとする、という面もあるのではないかな。。

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