車内から見る風景は一面重く湿っている。当地ではこの季節、少し珍しい天候だ。
正月明けの三連休は、普段なら雲一つない青空であるという記憶が強い。
やがて冷たい雨が降り始めた。
それを見ているうちに、なぜかドイツ北部の小さな町を訪ねた時のことを思い出した。
前後のことはすっかり忘れてしまったが、中心となる市街地は駅から離れたところにあり、駅そのものは普通の住宅街にあった。ディティールは異なるが日本の郊外都市のそれと全く同じだ。埃っぽい道路沿いに、ぽつぽつと住宅や商店が立ち並んでいる。走る車は雪か雨で薄汚れた、メルセデスやVWで、車種は異なれど日本の郊外道路と何ら変わりはない。
人は生まれてから様々な環境のもとに身を置くことになるが、それらの経験は何らかの形で自分の中に堆積していくものなのかもしれない。偶々、寒々しい冬空、というキーワードで、同じような15年前の金沢、10年前の関ケ原、30年前のお茶の水、なんていうのが連鎖的に心に浮かんできたりする。
人々の記憶って、何なのだろう。
年末まで、ここには鳥たちがいた。別の部屋にいるときも、ここに来て扉を開ければ鳥たちが翼を広げて身構え、時にケージに張り付いて大声で呼び鳴きする、そういう存在感を感じていた。
それだけに、こうしてがらんとしてしまった部屋を見たときは何とも言えないものを感じた。
もちろん、アルとココはこれを書いている、別の場所にある部屋の、目の前にいるのであって、事情でこの部屋を離れているだけの話なのだが。
毎日、この部屋の扉を開けて、鳥たちの様子を見ることが日課となっていたので、その記憶がそういう反応を呼び起こすのだろう。
冬至から2週間ちょっとだが、不思議と少し日が長くなった、ということを感覚として感じる。
もちろん実際に日は長くなっているのだが、そこまで敏感に感じられるものなのか。今日は午前中雨が残り、午後になって日差しと温かさが戻ってきた。その印象がおおきいせいもあるのだろう。
今までは少しずつ陽の光が失われていく感じがあったが、今は少しずつ力を取り戻していく過程だ、という感じがある。