在イタリア、ソムリエワインノートとイタリア映画評論、他つれづれ appunti di degustazione

ソムリエ 20年、イタリアワインのテイスティングノートと、なぜか突然のイタリア映画評論、日本酒、日本茶、突然アートも

Barolo chinato s.a. Cappellano バローロ・キナート カッペッラーノ

2016-04-07 15:41:40 | Piemonte ピエモンテ
Barolo chinato s.a. Cappellano



アルマンドのネッビオーロのコルソもそろそろ終盤。
残すところあと1回だけだが、最後はヴェルテッリーナなので、3回に分けたバローロが終わり、これでほぼ終わったような感覚。
そこで「最後」のワインとしてアルマンドが選んだのはコレ。

私はマッソリーニのヴィーニャ・リオンダと踏んだのだが、またはもしかしたらジャコモ・コンテルノのフランチャ。。。

ところが蓋を開けると、なんと

フランチャが一番最初のワイン(コレを一番最初に出してしまう試飲会はそう他にはないだろう。。。。。。)

ヴィーニャ・リオンダが最後から2番目のワイン(ただし、辛口のワインとしては一番最後。一応当たった。。。)

そして、最後がカペッラーノのキナートだった。

おお、と感嘆を上げるしかない。

他の6つのワインに関してはまた別に書きたいのだが、そして、3回に分けた他の回についても書きたいのだが(ネッビオーロの他の回に関しても。。。いつになるやら)とにかく最後のワインに権威を表して。

Barolo chinato s.a. Cappellano
s.a.=senza annata ヴィンテージなし

バローロとバルバレスコの規定の記事で書いた。(見てない方はぜひどうぞ)バローロにはキナートがあるがバルバレスコにはない。これから先誰かが作るかもしれないが、とにかく今はバルバレスコは辛口のワインだけ。
バローロはキナートがあるので、正確には辛口ワインと甘口ワインがあることになる。

カペッラーノは、辛口のバローロも当然造っていて、2種あるうちのピエ・フランコPie Francoが大好きである。
もう一つのピエ・ルペストリスPie Rupestrisも素晴らしいが、ピエ・フランコにはかなわない。



ちなみに、ピエ・フランコとはアメリカの台木に繋いでいないもののことを指す。
(ただし、それは、このワイナリーのぶどうの木だけがフィロキセラから逃れたというわけではない)

さて、このカペッラーノがバローロ・キナートを造った。
1895年、薬剤師だったので考えたのだろう。13種類の薬草を混ぜて造ったのが始まり。
中でもキーナの使用量が多いことからこのキナートの名前が付いているが、キーナだけを漬けたものではない。他、糖分、アルコールが「添加」されている。

アルコール度。デザートワインはアルコール度が高いが、17、5%。
潜在アルコール、つまり糖分として残っているのは18%。

そう数は多くないとはいえ、バローロ・キナートは他、幾つかのワイナリーが造っている。
しかし、カペッラーノのものは別格。雲の上に位置すると言ってもいいくらいである。

当然甘いが、そして薬草酒なので、薬草の香りがプンプンするわけだが、この品の良さ。
ベタつく甘さは全くなし、酸味が程よく、余韻がすごーーーーく長い。
いつ飲んでも素晴らしいワインである。
いつも感動的。至福。

必ずと言っていいほど、これは何と合わせたらいいんですかぁ??と聞く輩がいる。
これはこれだけで飲むべし。
それがこのバローロ・キナートの正しい飲み方。



カッペッラーノのキナートが日本に入っているのかはわからないが、ロアーニャのを見つけた。
ロアーニャはこれまた素晴らしい超自然派のピエモンテのワイナリー。
飲んでみる価値はある。絶対。

バローロ キナート ロアーニャ NV 甘口リキュール 750ml
ロアーニャ(TUSCANY)
ロアーニャ




La macchinazione イタリア映画 陰謀

2016-04-07 00:00:23 | 何故か突然イタリア映画
La macchinazione 陰謀
監督 ダヴィド・グリエコ

パゾリーニの映画。パゾリーニが作ったのはなく、パソリーニを描いた映画。それも彼の死に関して。



ピエル・パオロ・パゾリーニを知らない人は日本ではたくさんいると思うが(残念。。)ヨーロッパ、特にフランスで、そして北欧でもかなり人気があったというのが今日の北欧の記者たちの弁。

生まれは1922年、映画監督が一番有名だと思うが、詩人、小説家でもある。
最も有名な映画作品は何と言っても遺作となってしまった「ソドムの市 Salo’ e 120 giorni di Sodoma」だろう。
数ある映画の中で最も「見たくない」映画に挙がるだろうと思われる映画。(頑張ってもう一度見る。。。?うーーーーん。。。)
今から40年前、1975年の作品である。

彼の死も1975年。11月1日の夜から2日にかけて暴行に合い惨死、2日の朝、ローマ郊外のオスティアの海岸で遺体が発見された。

バリバリのコミュニストで、ゲイ(当時はホモといったほうがふさわしい)で、今と違ってゲイは社会から否定されていた。
当時付き合ってたのは17歳のチンピラ少年。結構な美少年(写真からは美少年とは思えないが。。。)で、かなり惚れていたと推測する。

パゾリーニを殺害したのはこの愛人のチンピラ少年ピーノだということになっていた。
それは自白によるもので、裁判にかけられ(未成年だったので76年に再審)9年の懲役となった。

しかし、当時からパゾリーニの死を疑う人はいて、ただ、ピーノが自白内容を変えなかったこともあり、そのままになっていた。(家族に危害を加えると脅されていたらしい)
それが、2010年になり、パソリーニの死が再度調査されることとなり、意外(と言っても推測されていたことのようだが)な事実が発見されたのである。

パゾリーニが着ていた服が保管されていて、5人のDNAが発見された。
つまり、ピーノが単独で殺害を起こしたということと一致しないし、数日後に現場を撮ったビデオがあり、再捜査すると、とても一人で暴行したと思えない状況などがわかってきた。

ピーノ自身も、両親が亡くなった後であることもあり、実際に殺害したのは当時、ピーノも属していたチンピラグループ(ネオファシスト)の一員、麻薬密売などをやっていた兄弟だと告白するようになった。
パゾリーニがホモであり、バリバリのコミュニスト、そして有名人、映画監督として金ズルになっていたこともある。
当時、ホモで共産党であることがかなりの憎悪の対象になっていたようだし、実は、殺害の前に「ソドムの市」のフィルムが盗まれていて、交換に多額の支払いが求められていた。

誰がフィルムを盗んだかパゾリーニにも想像がついていたようで、返してもらう約束を11月1日とした。
ピーノもその場にいて、彼はむしろ、パゾリーニの死を救おうとしたようだが、殺人犯の濡れ衣を着せられることになってしまった。

映画は「ソドムの市」の撮影が終了し、リモンタージュをする頃から死まで。

ところで、その頃、パソリーニは「石油 Petrolio」というタイトルの小説を書いていた。(未完のものが1992年になって出版されている)
かなり危ない内容の小説で、つまり、当時の隠れた石油王(Cefisという人物)を偽名で弾圧した内容で、いずれは殺される運命にあった、と言われている。

つまり、真実は、単純にチンピラグループが金目当て、ホモで共産党という憎悪から殺害しただけではなく、裏にパゾリーニがいなくなることを喜ぶ政治と経済の社会が存在していたということらしい。

映画監督は、友人でもあった(特に母の友人だったそう)ジャーナリストのダヴィド・グリエコ。
生前、パゾリーニのアシスタントを務めたこともあるという彼が、2014年にフェラーラという監督により製作された「パゾリーニ」という映画の参加を最終的に拒否し(ゲイであるプライベート部分が強調されていることが嫌だったそう)、新たに自身でパソリーニの死について制作したのがこの映画。
小説家でもあり、小説にもなっている。
聡明で、おそらく頭脳明晰、今日のインタヴューは、イタリア現代史を含むかなり難しい内容になった。(冷や汗。。。。)

ピンクフロイドの音楽が映画をとても引き立てる。
そして、パゾリーニ役がなんとまあ、びっくりするくらい似ている。画面に最初現れた途端、似てる~と声が上がったほど。
私も生前のパゾリーには映像でよく見たから知っているが、まあ本当に瓜二つ!

パソリーニに全く興味のない人は見る必要はないが、興味がある人は絶対に見たほうがいい。
なお、意外とイタリアでは、パゾリーニを知らない若い年代で反響が大きいとのこと。



こちらのビデオは「世界で最も見たくないグロテスク映画」、超有名「ソドムの市」、パソリーニの遺作。
勇気がある人は勇気を持って見てください。。。。
フィルムが盗まれたので、残されたコピーで制作されたとのこと。

ソドムの市 ~制作40周年記念~ [DVD]
クリエーター情報なし
是空