Accattone アッカットーネ
Salo' o le 120 giornate di sodoma サロ または ソドムの120日(ソドムの市)
監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ
少し前に、いつもの上映会で観たパゾリーニの死を描いた映画「陰謀」。
昨年が、パゾリーニ没40年(没1975年)だったこともあり製作されたのだが、各地で同時にパゾリーニの展覧会が開かれた。
この前、光栄にもお知り合いになったヴィテルボ(ローマの北60キロ)のさる図書館の館長の方、図書館も素晴らしく、いろいろな催しを行うようだが、昨年はパゾリーニの展覧会がここでも開かれたことを知った。
そこで、パゾリーニの映画を観てみたい気分になり、2本。
「勇気を出して」かの有名な「ソドムの市」(原題は「サロまたはソドムの120日」)。
はるか昔、見た時、ぎゃ~、ヒエ~、ドヒャ~と思ったものだ。
その印象は、こちらが年を取ったせいもあり若干薄れたが、よく作った、そして、よく出演を承知したものだ。実に感心!
出演してくれる人がなかなかいなかったという話は有名だが、それにしても、この映画に出演するほど勇気がいることはないような気がする。。。。。それも時は1975年。
昔、印象に残った疑問が、どうして(あの)女性は飛び降りたのだろう、ということだったが、今回、なんとなくわかったような気もした。全ての人が狂っている中(もちろんみんな正気のつもり)彼女だけがまともだったのかもしれない。
ところで、タイトルの「サロ」は、北イタリア、ガルダ湖湖畔のとても綺麗な街である。友人がいて、数回行ったことがあるのだが、その頃は、サロと聞いてもピンとこなかった。
イタリア人は、現代史を学校で学ぶので、サロの街を名前を知らない人はいないのだが、今思うと、え、どこ?と聞く私の質問を無視し、当たり前のように、サロ、と答えていたのが今はわかる。
(サロは第2次世界大戦中建設された、イタリア社会共和國、またはサロ共和国の首都だった街。正確にはサローと発音)
映画は、かなり歴史の勉強に役立つ。(笑)
さて、この映画は、 間違いなく「世界中の映画の中で最も見たくない映画」に入るので、興味がある方は是非一度は(一度だけは)ご覧ください。
さて、その映画を作ったパゾリーニ。そんな変な映画ばかりを作っていたわけではない。
「まともな」というか、評価される作品も多数作っている。(誤解なきよう。「ソドムの市」の評価も高い)
彼の有名な映画第1作目の「アッカットーネ」を見てみる。
1961年の作品である。白黒~。
主役の男優、フランコ・チッティはついこの前亡くなった。
この時点で、パゾリーニはすでに小説家として知られていたが、これがその後、30本以上制作されることになる、パソリーニの映画の原点。
プロヂューサーはフェデリコ・フェリーニだったらしいが、最後に手を引いたらしい。
アッカットーネは乞食、物乞い、ヒモのような人物を指す。
アッカットーネと呼ばれる、ヴィットリオは、売春婦のマッダレーナで食べている。ところが、マッダレーナが投獄されてしまうと、食べ物にも困る生活。そこに、ステッラという女性があわられ、売春をさせ、稼ごうとするのだが、彼女の心に打たれ、本気で惚れてしまう。
彼女を働かせない為に、なんとか職を探そうとするのだが、そう楽ではない。そこに、仲間と小さな盗みのいい機会。つい、盗みをしてしまう。
それが警察に見つかり、逃げる。ところがバイクで逃げるその時、交通事故で死亡してしまうのである。
今にしてみると、ストーリーはやや平凡かもしれない。
ずっと小狡い生活をしている場面が続き、ステッラが現れるのはずっと後。あっという間に惚れてしまう。
あれ、あれ~という感じなのだが、こういうところにさすが才能が現れている。
男が女に惚れるのにダラダラと長い理由はいらない。
面白くない作品なら、なんで?どーして?となるのだろうが、さすが。納得。
最後の方で、バタバタと急展開が起こっても、納得。
なるほど。
音楽は大好きなバッハのマタイ受難曲。アッカットーネの受難を示唆していると思う。
勇気を出して、どうぞ。。。。
Salo' o le 120 giornate di sodoma サロ または ソドムの120日(ソドムの市)
監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ
少し前に、いつもの上映会で観たパゾリーニの死を描いた映画「陰謀」。
昨年が、パゾリーニ没40年(没1975年)だったこともあり製作されたのだが、各地で同時にパゾリーニの展覧会が開かれた。
この前、光栄にもお知り合いになったヴィテルボ(ローマの北60キロ)のさる図書館の館長の方、図書館も素晴らしく、いろいろな催しを行うようだが、昨年はパゾリーニの展覧会がここでも開かれたことを知った。
そこで、パゾリーニの映画を観てみたい気分になり、2本。
「勇気を出して」かの有名な「ソドムの市」(原題は「サロまたはソドムの120日」)。
はるか昔、見た時、ぎゃ~、ヒエ~、ドヒャ~と思ったものだ。
その印象は、こちらが年を取ったせいもあり若干薄れたが、よく作った、そして、よく出演を承知したものだ。実に感心!
出演してくれる人がなかなかいなかったという話は有名だが、それにしても、この映画に出演するほど勇気がいることはないような気がする。。。。。それも時は1975年。
昔、印象に残った疑問が、どうして(あの)女性は飛び降りたのだろう、ということだったが、今回、なんとなくわかったような気もした。全ての人が狂っている中(もちろんみんな正気のつもり)彼女だけがまともだったのかもしれない。
ところで、タイトルの「サロ」は、北イタリア、ガルダ湖湖畔のとても綺麗な街である。友人がいて、数回行ったことがあるのだが、その頃は、サロと聞いてもピンとこなかった。
イタリア人は、現代史を学校で学ぶので、サロの街を名前を知らない人はいないのだが、今思うと、え、どこ?と聞く私の質問を無視し、当たり前のように、サロ、と答えていたのが今はわかる。
(サロは第2次世界大戦中建設された、イタリア社会共和國、またはサロ共和国の首都だった街。正確にはサローと発音)
映画は、かなり歴史の勉強に役立つ。(笑)
さて、この映画は、 間違いなく「世界中の映画の中で最も見たくない映画」に入るので、興味がある方は是非一度は(一度だけは)ご覧ください。
さて、その映画を作ったパゾリーニ。そんな変な映画ばかりを作っていたわけではない。
「まともな」というか、評価される作品も多数作っている。(誤解なきよう。「ソドムの市」の評価も高い)
彼の有名な映画第1作目の「アッカットーネ」を見てみる。
1961年の作品である。白黒~。
主役の男優、フランコ・チッティはついこの前亡くなった。
この時点で、パゾリーニはすでに小説家として知られていたが、これがその後、30本以上制作されることになる、パソリーニの映画の原点。
プロヂューサーはフェデリコ・フェリーニだったらしいが、最後に手を引いたらしい。
アッカットーネは乞食、物乞い、ヒモのような人物を指す。
アッカットーネと呼ばれる、ヴィットリオは、売春婦のマッダレーナで食べている。ところが、マッダレーナが投獄されてしまうと、食べ物にも困る生活。そこに、ステッラという女性があわられ、売春をさせ、稼ごうとするのだが、彼女の心に打たれ、本気で惚れてしまう。
彼女を働かせない為に、なんとか職を探そうとするのだが、そう楽ではない。そこに、仲間と小さな盗みのいい機会。つい、盗みをしてしまう。
それが警察に見つかり、逃げる。ところがバイクで逃げるその時、交通事故で死亡してしまうのである。
今にしてみると、ストーリーはやや平凡かもしれない。
ずっと小狡い生活をしている場面が続き、ステッラが現れるのはずっと後。あっという間に惚れてしまう。
あれ、あれ~という感じなのだが、こういうところにさすが才能が現れている。
男が女に惚れるのにダラダラと長い理由はいらない。
面白くない作品なら、なんで?どーして?となるのだろうが、さすが。納得。
最後の方で、バタバタと急展開が起こっても、納得。
なるほど。
音楽は大好きなバッハのマタイ受難曲。アッカットーネの受難を示唆していると思う。
勇気を出して、どうぞ。。。。
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