今昔狐夜噺 10 (いまハむかし きつねのよばなし) 八丁裏 九丁表 上、中、下 十返舎一九 画・作
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html
今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)
十返舎一九 画・作 1765-1831
1冊(合3冊) ; 18cm
[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]
黄表紙
今昔狐夜噺八丁裏
くまがへのか郎になり、きつねハ
よきてきもあらバと、うろつき(欠け)
ながら、あつもりをみつけ
き□□□(欠け)もてきにしつぽ
をみせたもふもの かな
久したまへとあふ
ぎをもつてまねきけれバ
こゝろへたりとむくりんの
さゆふあつまり、くまがへに
わたり、あいついにうち
まけたりけるに、くまがへ
いたわしくおもひ
たすけんとひき
おこしけるとき
うしろかたの
やまてより
ひらやまのむしや
どころ、くまがへこそハ
ふたごゝろひとつ
あなのきつね也と
よばわりけるゆへ
ぜひなく くまがへ
あつもりをうちて
そのみは しゆつけ
せしとなり
このきつねよく
今昔狐夜噺九丁表
人をだまして
ぼうすにせし
むくい
にて
ついに
ぼうす
に
なり
ける
也
今昔狐夜噺九丁表
「二ぢう五さいのその
うちでも いつ ちせう
くわんとよばれたる
かぼちやのごまじるハ
ひらやまのむ
しやどころとう
なすつた、こう
まいつたといゝ
ぬけたくても
ぬけさせね
なんきんめ
がねにみつけ
たれバ、うぬら
がいのちの
あさつけ
なますで
おさらバ/\とハ
イヤ、ふてい
やつらだ
アヽ、くちが
すく
なつた
今昔狐夜噺九丁表 下
「あつもりになりたるき
つねハこのつぎにもゆくが
あるゆへ、はやがわりにて
ちゆつと
今昔狐夜噺九丁表 下
いしほとけ
とすりかわり
こゝらが
よつほど
あんばいもの也
今昔狐夜噺八丁裏
熊谷の家老になり、狐は
良き敵も有らと、うろつき
ながら、敦盛を見つけ
き(つね)□□□(欠け)も的に尻尾
を見せ給う物哉
久し給えと扇
を持って招きければ
「心得たり」と、むくりんの
さゆう集まり、熊谷に
渡り、相次いに打ち負け
たりけるに、熊谷
労しく思い、
助けんと引き
起こしける時
後ろ方の
山手より
平山のむしや
どころ、熊谷こそは
二心ひとつ
穴の狐也と
呼ばわりける故
是非無く 熊谷
敦盛を討ちて
その身は 出家
せしとなり
この狐よく
今昔狐夜噺九丁表
人をだまして
坊主にせし
報い
にて
ついに
坊主
に
成り
ける
也
今昔狐夜噺九丁表
「二十五歳のその
内でも 何時 馳走
食わんと呼ばれたる
南瓜の胡麻汁は
平山のむ
しやどころと
うなすった、こう
まいったと 言い
抜けたくても
けさせね
南京眼鏡に
見つけ
たれば、うぬ等
が命の
浅漬け膾で
おさらば、おさらばとは
いや!不貞
奴らだ
ああ! 口が
酢く
成った
今昔狐夜噺九丁表 下
「敦盛に成りたる狐は
この次にも行くが
有る故、早変わりにて
ちゅっと
今昔狐夜噺九丁表 下
石 仏
と摩り替わり
此処らが
よっほど
塩梅物也
くまがへ (熊谷直実)
歌舞伎では、『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』熊谷陣屋
「一枝を伐らば、一子を斬る」の台詞は、あまりにも有名^^
この芝居も、私的には 片岡仁左衛門丈で見たい。
あつもり (平敦盛) (ウィキペディア)
平 敦盛(たいら の あつもり)は、平安末期の武将。
平清盛の弟・経盛の末子。
位階は従五位以下。
官職にはついておらず、無冠大夫と称された。
笛の名手。
歌舞伎では、『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』「敦盛最後」
「汝がためにはよい敵ぞ。名乗らずとも、首とって、人に問へ。見知らうずるぞ」の台詞は、あまりにも有名^^
「あつもりになりたるき
つねハこのつぎにもゆくが
あるゆへ、はやがわりにて
芝居が見たい。早変わりの有る歌舞伎も見たい。
ちゆつと
いしほとけ
とすりかわり
こゝらが
よつほど
あんばいもの也
上に書かれている様に地蔵ではないのですが
『菅原伝授手習鑑 』菅丞相と木像菅丞相の場面を、今一度片岡仁左衛門丈で見たい!
歌舞伎が見たいワイ!