乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

今昔狐夜噺 10 (いまハむかし きつねのよばなし) 八丁裏 九丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作 

2020-08-02 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 10 (いまハむかし きつねのよばなし) 八丁裏 九丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺八丁裏

くまがへのか郎になり、きつねハ

よきてきもあらバと、うろつき(欠け)

ながら、あつもりをみつけ

き□□□(欠け)もてきにしつぽ

をみせたもふもの かな

久したまへとあふ

ぎをもつてまねきけれバ

こゝろへたりとむくりんの

さゆふあつまり、くまがへに

わたり、あいついにうち

まけたりけるに、くまがへ

いたわしくおもひ

たすけんとひき

おこしけるとき

うしろかたの

やまてより

ひらやまのむしや

どころ、くまがへこそハ

ふたごゝろひとつ

あなのきつね也と

よばわりけるゆへ

ぜひなく くまがへ

あつもりをうちて

そのみは しゆつけ

せしとなり

このきつねよく

 

今昔狐夜噺九丁表

人をだまして

ぼうすにせし

むくい

にて

ついに

ぼうす

なり

ける

 

今昔狐夜噺九丁表 

   「二ぢう五さいのその

    うちでも いつ ちせう

    くわんとよばれたる

    かぼちやのごまじるハ

    ひらやまのむ

    しやどころとう

    なすつた、こう

    まいつたといゝ

    ぬけたくても

    ぬけさせね

    なんきんめ

    がねにみつけ

    たれバ、うぬら

    がいのちの

    あさつけ

    なますで

   おさらバ/\とハ

   イヤ、ふてい

   やつらだ

   アヽ、くちが

   すく

   なつた

 

今昔狐夜噺九丁表 下

  「あつもりになりたるき

   つねハこのつぎにもゆくが

   あるゆへ、はやがわりにて

   ちゆつと

 

今昔狐夜噺九丁表 下

   いしほとけ

   とすりかわり

   こゝらが

   よつほど

     あんばいもの也

      

今昔狐夜噺八丁裏

熊谷の家老になり、狐は

良き敵も有らと、うろつき

ながら、敦盛を見つけ

き(つね)□□□(欠け)も的に尻尾

を見せ給う物哉

久し給えと扇

を持って招きければ

「心得たり」と、むくりんの

さゆう集まり、熊谷に

渡り、相次いに打ち負け

たりけるに、熊谷

労しく思い、

助けんと引き

起こしける時

後ろ方の

山手より

平山のむしや

どころ、熊谷こそは

二心ひとつ

穴の狐也と

呼ばわりける故

是非無く 熊谷

敦盛を討ちて

その身は 出家

せしとなり

この狐よく

 

今昔狐夜噺九丁表

人をだまして

坊主にせし

報い

にて

ついに

坊主

成り

ける

 

今昔狐夜噺九丁表 

   「二十五歳のその

    内でも 何時 馳走

    食わんと呼ばれたる

    南瓜の胡麻汁は

    平山のむ

    しやどころと

    うなすった、こう

    まいったと 言い

    抜けたくても

    けさせね

    南京眼鏡に

    見つけ

    たれば、うぬ等

    が命の

    浅漬け膾で

   おさらば、おさらばとは

   いや!不貞

   奴らだ

   ああ! 口が

   酢く

   成った

 

今昔狐夜噺九丁表 下

  「敦盛に成りたる狐は

   この次にも行くが

   有る故、早変わりにて

   ちゅっと

 

今昔狐夜噺九丁表 下

   石 仏

   と摩り替わり

   此処らが

   よっほど

     塩梅物也

くまがへ (熊谷直実)

 歌舞伎では、『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』熊谷陣屋

「一枝を伐らば、一子を斬る」の台詞は、あまりにも有名^^

 この芝居も、私的には 片岡仁左衛門丈で見たい。

 

あつもり (平敦盛)   (ウィキペディア)

 平 敦盛(たいら の あつもり)は、平安末期の武将。

 平清盛の弟・経盛の末子。

 位階は従五位以下。

 官職にはついておらず、無冠大夫と称された。

 笛の名手。

 歌舞伎では、『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』「敦盛最後」

「汝がためにはよい敵ぞ。名乗らずとも、首とって、人に問へ。見知らうずるぞ」の台詞は、あまりにも有名^^

 

  「あつもりになりたるき

   つねハこのつぎにもゆくが

   あるゆへ、はやがわりにて

 芝居が見たい。早変わりの有る歌舞伎も見たい。

 

   ちゆつと

   いしほとけ

   とすりかわり

   こゝらが

   よつほど

     あんばいもの也

 上に書かれている様に地蔵ではないのですが

『菅原伝授手習鑑 』菅丞相と木像菅丞相の場面を、今一度片岡仁左衛門丈で見たい!

 歌舞伎が見たいワイ!

 

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今昔狐夜噺 9 (いまハむかし きつねのよばなし) 七丁裏 八丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-08-01 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 9 (いまハむかし きつねのよばなし) 七丁裏 八丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺七丁裏

だんじのかたより

このおやの四郎と

そのつていでたりハ

ゆつ□□(欠け)きつね

にて、これまで

かいてうばの

つくりもの

見るやふな

おもいつき

ばかりして

いてもおも

しろく

もない

とみへ

てめい

/\に

やゝわり

をなし、

それ/″\

けんげんを

するつもり

にて きて

こそ、お

せう

じきの

くわん

けと

 

今昔狐夜噺八丁表

やらかし

たるなり、

あくも

びやうへ

かげきよも

むしろ、おど

しのよろひに、

ねりまだいこんの

なぎなたをよこたへ

みをのがやきたる

しやれかうべの

かぶとのしころ

をとらへ、「ゑいや」とハ

いわず、うしろへ

そつとひきける

みをの やも、みを

のがれんと、そつと

ひく、たがいに そつと

ひくちからに ふつつりと

きれたるも、どうり、いけの

もをかぶりいたるなり

くびのほね もうででの

ほ□□(欠け)つよくもなん

ともないと わらつて

さゆふへ、ひきしりぞ

 

今昔狐夜噺七丁裏 中央

こん八の武者が、左手には先が大根の薙刀を持ち、

右手で髑髏の武者を鷲掴みにしてたつ。  

  「とをからんものハ

   おとにもきけ

   ちかくハよつて

   みをのやが

   しころを

   つかんで、ぐつ

   とひき、「どふだ

   はなぢハ」と

   まつやしたる

 

今昔狐夜噺七丁裏 下

     「なぎなたも

      ふるく

      なる

      と

      けが

      はへる

      そうだ

 

今昔狐夜噺八丁表 下

     「なむさん、かたなを

      へしおつて、とげを

      たてたかげきよ、

      けぬきがあらバ

      かさりやへ

      

今昔狐夜噺七丁裏

男児の偏り

この親の四郎と

その伝手(つて)出でたる(り)は

ゆつ□□(欠け)狐

にて、是迄

開帳場の

作り物

見る様な

思い付き

ばかりして

いても面白く

も無い、

富へ

てめい

てめい

ややわり

をなし、

それぞれ

権限を

するつもり

にて、来て

こそ、和尚

次期の

関係と

 

今昔狐夜噺八丁表

やらかし

たる也、

悪も

びょうへ

景清も

むしろ、脅し

の鎧に、

練馬大根の

薙刀を横たえ

身を逃や 来たる

髑髏の

兜のしころ

を捉え、「えいや!」とは

言わず、後ろへ

そっと引きける

みおの やも、身を

逃れんと、そっと

引く、互いに そっと

引く力に ふっつりと

切れたるも 道理、池の

藻を被り至る也、

首の骨詣での

ほ□□(欠け)強くも

何とも無いと 笑って

作用へ、退きぞ

 

今昔狐夜噺七丁裏 中央

こん八の武者が、左手には先が大根の薙刀を持ち、

右手で髑髏の武者を鷲掴みにしてたつ。  

  「遠からんものは

   音にも聞け

   近くは寄って

   身をのやが

   し頃を

   掴んで、ぐっ!

   と引き、「どふだ、

   鼻血は」と

   待つや、したる

 

今昔狐夜噺七丁裏 下

     「薙刀も

      古く

      なる

      と、

      怪我

      は減る

      そうだ

 

今昔狐夜噺八丁表 下

     「南無三、刀を

      圧し折って、棘を

      たてた景清、

      毛抜きが有らば

      飾り屋へ

   

かげきよ(景清)  宝生流謡曲

 ●あらすじ
 平家没落の後、日向に流された悪七部衛景清を慕って、幼い頃別れた娘の人丸が訪ねてくる。景清は盲目となり老残の身、それを恥じて娘を立ち去らせるが、里人の計らいで対面することになる。 景清は武将としての栄光の日々を追懐し、娘の所望により屋島の錣引きの武勇譚を語る。 父娘の情愛に心惹かれつつも、それを断ち切り、わが跡を弔うようにと言い含めて、永遠の決別をする。

 ●宝生流謡本 (参考)   内九巻の二    四番目  (太鼓なし) 
  季節=不定 場所=日向国宮崎  稽古順=奥伝  素謡時間65分(松門節が有名)
  素謡座席順    ツレ=従者
              ツレ=人丸
              シテ=景清
              ワキ=里人

『景清』は歌舞伎十八番では馴染みがあるが、残念なことに能楽では見た事が無い。又、『出世景清』もまだ読んでない。

 南座では市川海老蔵の『寿三升景清』を見た事があるが、歌舞伎の形式美に則った歌舞伎の醍醐味が感じられる、台詞が少なめの芝居であった。

 

練馬大根

大根役者

 演技力のない役者、芸のまずい役者をあざけっていう語。大根。

 [補説]語源については、大根の根の白いことを素人 (しろうと) に寄せていったもの、へたな役者を意味する「馬の脚」の脚から連想していったもの。
 大根はどのように食べても腹を壊さないので、へたなことと掛けて「当たらない」の意でいったもの、など諸説がある。
 
 練馬大根

 おぉお〜、まさしく(江戸時代から)

 大根役者か(^^)

けぬき 『毛抜』の歌舞伎十八番。

  「なむさん、かたなを

   へしおつて、とげを

   たてたかげきよ、

   けぬきがあらバ

   かさりやへ

『毛抜』と云う芝居も何度見た事でしょう。

 テレビも含めて十代から考えると少なくとも30回以上は見たと思うが、故市川團十郎の『毛抜』の台詞のアクセントが、今も耳に残って離れない。

 江戸時代からこういったコメディ色の強いしゃれた舞台があったのかと思うと、日本の芝居も捨てたものじゃ無いなと感じる。

 って云うか!!!

 歌舞伎が見たいワイ!

 

 

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今昔狐夜噺 8 (いまハむかし きつねのよばなし) 六丁裏 七丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-07-31 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 8 (いまハむかし きつねのよばなし) 六丁裏 七丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺六丁裏

さてもへいけがたにハ

かなわじとやおもい

けん、われも/\と

ひ□□(欠け)せんにとり

のり□(欠け)にをさし

て、こきいだすを

のがさじと、げん

じのつわもの

おつかけ/\

たくかいけるに

はるかのふねに、

ひのまるかいたる

あふぎをおしたて

玉むしといふ

くわん女へ、さきに

い出て、ひなたぼこを

していたりける、この

たまむし、うつくしい

やりとおもいのほか

とんだ あはたづら

なり、どうりこそ

よく/\見れば

いしぢぞう也

ぜんざい/″\いうに

げんじのやり ばら

このあふぎの

 

今昔狐夜噺七丁表

まとをいる

べし、「われハこれ、玉むしと

いふ うつくしい

くわん女のつもり

なり、ゆめ/\うた

がふことなかれと、かきけす

や、ふでハなく、やつはり

さつくりとたつていたり

けるに、なすのよいちハ

とり おどしにて、もち

まへのゆみや おつとり

かのおふだのまと

ねらつてハいれども

いつきつて はなす

ともしれず

されども きつね

つうりきにて

どこぞのはづみ

にむつちりと

おふぎにわたつて

とびちりければ

ゐたりや/\

あつはれ ハだしの

ゆ□□□(欠け)やと

□(欠け)んずる こへハ

□(欠け)らましいほど

       きこへる

 

今昔狐夜噺六丁裏 中

  「おのゝ

   こまちが

   なれのはて

   やまだのうじと

   うたわれた

   おとこだァ〜

     つがも

     わへ

 

今昔狐夜噺六丁裏 下

     すゞ

     がもり

     からの

     くだり、らう

     そくハ また

     かくべつ

 

今昔狐夜噺七丁表 下

    「よその

     かたしハ

     まとに

     なるが

       このかゝしハ

       あちら

       こちらだ

 

今昔狐夜噺六丁裏

扨も平家方には

叶わじとや思い

けん、我も我も

ひ□□(欠け)せんに、とり

のり□(欠け)にを差し

て、扱(こ)き出だすを

逃さじと、源氏

の兵(つわもの)

追っかけ追っかけ

たく、(船を)かいけるに

遥かの船に、

日の丸描いたる

扇を押し立て

玉虫と云う

官女へ、先に

い出て、日向ぼこ(ひなたぼこ)を

していたりける、この

玉虫、美しい

槍と思いの外

とんだ 粟田面(あわたづら)

也、道理こそ

よくよく見れば

石地蔵也

善哉善哉 云う

源氏の槍 ばら

この扇の

 

今昔狐夜噺七丁表

的を射る

べし、「我はこれ、玉虫と

云う 美しい

官女のつもり

也、夢夢疑う

事なかれと、搔き消す

や、筆は無く、やつぱり

さっくりと立って居たり

けるに、那須与一は

鳥脅しにて、持ち前

の弓矢 押っ取り

かのお札の的

狙ってはいれども

粋って 話す

共知れず

されども 狐

通力にて

どこぞのはづみ

に むっちりと

扇に渡って

飛び散りければ

いたりゃ、いたりゃ

あつぱれ 裸足の

ゆ□□□(欠け)やと

□(欠け)んずる 声は

□(欠け)らましい程

       聞こえる

 

今昔狐夜噺六丁裏 中

  「小野小町

   なれの果て

   山田の氏と

   うたわれた

   男だァ〜

     つがも

     わへ

 

今昔狐夜噺六丁裏 下

     鈴ヶ森

     からの

     下り、蝋燭は 又

     格別

 

今昔狐夜噺七丁表 下

    「よその

     かたしは

     的に

     なるが

       この案山子は

       あちら

       こちらだ

 

 

くわん女

 官女

 

なすのよいち(那須与一公)

 源氏と平家の「屋島の戦い」にて、平家が立てた扇の的を、見事射落としたことで有名な源氏方の武士。

 

扇の的

 平家物語

 屋島の戦い

 

かく

 (船を)かいける と 日の丸描いたる

  掛詞

 

 

 

鈴ヶ森のくだり

     すゞ

     がもり

     からの

     くだり、らう

     そくハ また

     かくべつ

 そうそう、鈴ヶ森のくだりを、出来る事なら今一度、故中村富十郎などで、 見てみたい。

 歌舞伎が見たいワイ!

 

 

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今昔狐夜噺 7 (いまハむかし きつねのよばなし) 五丁裏 六丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-07-30 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 7 (いまハむかし きつねのよばなし) 五丁裏 六丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺五丁裏

ひよ

どりごへ

さかおとし

のよろい

むしや

とみへ

たるハ

かきみ

かんの

たぐひなり

まのきつね

すけにきたり、

さかおとしの

てつだいをする

なんきんあやつりの▲

 

今昔狐夜噺五丁裏 中央

  ▲かくにて木のゑだへ

   あがつてつかうきねの

   うちでも よつほと

   きゆふ えだのてやいが

       つうつて

       いる   

 

今昔狐夜噺六丁表

よせだいこのどん/″\と

きこへしハ、いなり

さまのたいこのおと

ちやん/\ハ、わにぐち

にて、きつねの

うちにても

いたみ、

でやいが

より あつ

まり、

おもい/\に

おちを

とらんと

しやかうしける

ひるなかにおい

だしたる き

つねや うまに

のせたる きつねハ

なんのやくにたゝ

ねども、よるのき

つねハ、なか/\

わかしゆをも

わかしかねぬ

い□□□(欠け)

 よつぷど

 きのきいた

  ものなり

 

今昔狐夜噺五丁裏 中央

  「よろひ

   むしゃが

   ひとやま四もんと

    わるくちをいうこなしき

 

今昔狐夜噺五丁裏 下

     「ももくり

      三ぜんかきハ

      せんあうしせて

        いちまん

        よきばら

        り/\とやま

        かぜにおちちる

        ごとく、すさまじし

        このところの りじの

            もんくなり

 

今昔狐夜噺六丁表 下

        「ちつとむまの

         ほねのしんと  

         きらつせへ

 

今昔狐夜噺六丁表 中

  「せりだしの

    あなハいゝかの

    いし

    ぢぞうの

    せりあげ

 

今昔狐夜噺五丁裏

鵯(ひよどり)子(ご)

逆(さか)落とし

の鎧

武者

と見え

たるは、

柿、蜜柑の

類也、

魔の狐助(固有名詞)

に来たり、

逆落としの

手伝いをする

南京操りの▲

 

今昔狐夜噺五丁裏 中央

  ▲かくにて木の枝へ

   上がって遣う杵の

   うちでも よっぽど

   きよう、枝の手やいが

       通(つぅ)って

       いる   

 

今昔狐夜噺六丁表

寄せ太鼓のどんどん

聞こえしは、稲荷様

の太鼓の音

チャンちゃんは、鰐口

にて、狐の

うちにても

痛み、

出会い(でやい)が

より 集まり

思い思い

オチを

取らんと

しゃこうしける

昼中に追い出したる

狐や馬に

乗せたる 狐ハ

何の役に立た

ねども、夜の狐

は、なかなか

若衆をも

沸かしかねぬ

い□□□(欠け)

 よっぽど

 気の利いた

  者なり

 

今昔狐夜噺五丁裏 中央

  「鎧

   武者が

   一山四文と

    悪口を言う子、無しき

 

今昔狐夜噺五丁裏 下

     「桃栗

      三千、柿八千

      合わせて(あうしせて)

        一万

        良き腹り、良き腹り

        と山風に落ち散る

        如く、凄まじし、

        この処の りじの

            文句也

 

今昔狐夜噺六丁表 下

        「ちっと、馬の

         骨のしんと  

         斬らっせえ

 

今昔狐夜噺六丁表 中

  「迫り出しの

    穴はいいかの

    石地蔵

    迫り上げ

 

 

 

わかしゆ(若衆)

よつぷど(よっぽど)

合うしせて(合わせて)

 

迫り出し、迫り上げ

  「迫り出しの

    穴はいいかの

    石地蔵

    迫り上げ

  乱鳥、歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

  

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今昔狐夜噺 6 (いまハむかし きつねのよばなし) 四丁裏 五丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-07-30 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 6 (いまハむかし きつねのよばなし) 四丁裏 五丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺四丁裏

よのなかに、ふしぎな□□(欠け)

□(欠け)うろしも、たねのない

□(欠け)なざまハできぬもの

にて、きつねがつうりき

も□□(欠け)とくいちのたに

へいけのちんどりおほくと

見へたるそのたねハと

いへバ、このゑのごとく

やくらと見へしハ、ところ/″\の

なるこなわ、しゝごやハしろと

見へ、いなむらかざしをよろい

むしや、とちゆう つうせし

きつねのつうりきなれぼ

はくがくのらくさいさま

でも、こんな事ハ

御ぞんじ

あるまい、

きつねも

いまハ

たねを

見せて

ばかす

やふに

なり

やた、

 

今昔狐夜噺五丁表

きつねが

こう

ぜうに

あたがい

どん/″\

ちやん/″\の

おとに

つれて、つ

かいが

三年ひよ

どり、ご人

のてい

さい

せう

よし、

つねをはじ

め、あまたの

ぐんびやう

さりおとしの

ありさま

ふきやてうの

かしへだし

ても、はづかし

からぬきつねの

□□(欠け)き、まことに

 おそれいつた

 ものなり

 

今昔狐夜噺四丁裏

  「これから又

   てつかいが

   みねの

   せりさけ

   が大じかけ、

   とか/\

   とう/\

    でなけれバ

    おちが とれ

        ませぬ

 

今昔狐夜噺五丁表

  「ありや

    /\

    /\

 

今昔狐夜噺五丁表 

   「ゑい/\わい

       /\

    どん/″\

     どた/″\

     □□(欠け)チキ

           チャン

 

今昔狐夜噺四丁裏

世の中に、不思議な□□(欠け)

□(欠け)うろしも、種の無い

□(欠け)な樣(ざま)は出来ぬ物

にて、狐が通力

も□□(欠け)とくいちの他に

平家の珍鳥多くと

見へたる その種はと

云えば、この絵の如く

櫓と見えしは、所々の

鳴子縄、獅子小屋は しろと

見へ、稲村翳し(かざし)を鎧

むしや、途中 写せし

狐の通力なれぼ

博学の楽斎様

でも、こんな事は

御存知

有るまい、

狐も

今は

種を

見せて

化かす

様に

成り

やた、

 

今昔狐夜噺五丁表

狐が

口上に

与えがい

どんどん

ちゃんぢゃんの

音に

つれて、使い

三年鵯(ひよどり)

御人

の体裁、

良し、

常を初め

頭の

軍兵

去り落としの

有様

ふきや町

貸しへだし

ても、恥ずかし

からぬ狐の

□□(欠け)き、誠に

 恐れいった

 物也

 

今昔狐夜噺四丁裏

  「これから又

   手番が

   峰の

   芹酒

   が大仕掛け、

   とかとか

   とうとう

    でなければ

    おちが とれ

        ませぬ

 

今昔狐夜噺五丁表

  「ありや

    ありや

    ありや

 

今昔狐夜噺五丁表 

   「えいえい、わい

       わい

    どんどん

     どたどた どたどた

     □□(欠け)チキ

           チャン

 

こうぜう(口上)

 

獅子村だの口上だの、

『仮名手本忠臣蔵』そして『仮名手本忠臣蔵』の二つ玉の段を思い浮かべる。

 定九郎役は何と言っても、片岡仁左衛門丈で見たい。

 歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

 

 

 

 

 

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今昔狐夜噺 5 (いまハむかし きつねのよばなし) 三丁裏 四丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-07-30 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 5 (いまハむかし きつねのよばなし) 三丁裏 四丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

 

今昔狐夜噺三丁裏

かのこん八

ぎつねハ、らく

さいに、い

と□□(欠け)

もと□□(欠け)

これまでの

御おんなが/\

ふねくるまにも

つまれねほどの

ありがたさ、おん

れいにハふくを

さづけてあげ

たくても、そんな

事ハおきらい也、

きつねとせうで

あらわし(まま)うへハ

うまいものをあげ

ても、うまのふん

かとおぼしめす

であろふこのうへハ

何もおなぐさみ

せんねんにてみしが、わうい

とき見ました げんへいの

うつせんいちのたに、さか

おとし、ゆしまのさかいの

よふすを、今このおゆわ

さきにていたく御らんににいれ

ませう、とゝんまれなる大どうぐ

 

今昔狐夜噺四丁表

まくなしにて

おめにかけま

せう、まづさい

しよが、いちの

たに、すまの

うら、へいけがた

ぢんちうの

ていをいたして

おめにかけんと

せうじを

ひらきみせ

けれバ、はるか

のむかふに

ぢんちうの

ありさま

いちのたにの

やまにより、なみうち

ぎわまでさくゆいわたし

あかはた、てんにふき

なびきと、

ふたバぐんきの

もんくのとふ

りてにとる

ど□□(欠け)へ

□□□(欠け)らく

□(欠け)い大きに

かんしんして

 みとれいる、

 

今昔狐夜噺三丁裏 中

   「さいしよ

    御らんに

    いれまする

    が、いちの

    たに、す

    まのだ

    いりの

    けいしよく

    これも

    これ

    よに

    いります

    れば

    てう

    ちんたい

    まつひ

    をとも

    して

    おめ

    にかけ

    ます、

 

今昔狐夜噺三丁裏 下

     「まだ

      /″\はい

      ふきより

      じやをいだ

      しする

      ほんに、ことき

      をつくして

      おめにかけ

      ませふ、

 

今昔狐夜噺四丁表 下

    「いや

     はや

      おそろかし

      さまご ことし

      のさまごにや

      ゆだんが

      なら

      ぬ

      

 

今昔狐夜噺三丁裏

かの こん八狐は、

楽斎に、い

と□□(欠け)

もと□□(欠け)

これまでの

御女が、御女が、

船来る間にも

積まれね程の

有難たさ、御礼

には福を

授けて

上げたくても、そんな

事はお嫌い也、

狐と性で(性根を)

現す(あらわし ママ)上は

美味い物をあげ

ても、馬の糞

かと思し召す

であろふうこの上は

何も御慰み、

千年にて見しが、多い(わうい)

時見ました 源平の

討つ 戦、一の谷、逆(さか)落とし

湯島の境の

様子を、今この、おゆわ

さきにていたく御覧に入れ

ましょうと、とんと(とん)稀なる大道具

 

今昔狐夜噺四丁表

幕無しにて

お目にかけま

しょう、先ず最初が

一の谷

須磨の浦

平家方

尋常の

程を致して

お目に掛けんと

障子を

開き見せ

ければ、遥か

の向こうに

尋常の

有様

一の谷の

山により、波打ち際

まで索ゆ 言い渡し(いわたし)

赤旗、天に吹き

靡きと、

双葉軍記の

文句の通り

てに、とる

ど□□(欠け)へ

□□□(欠け)らく

□(欠け)い大きに

感心して

 見とれいる、

 

今昔狐夜噺三丁裏 中

   「最初

    御覧に

    入れまする

    が、一の谷

    須磨の

    内裏

    けいしょく

    此れも

    此れ

    世に

    入ります

    れば、

    提灯

    松明

    を灯して

    お目

    に掛け

    ます、

 

今昔狐夜噺三丁裏 下

     「まだ

      まだ、はい

      ふきより

      じやを出(いだ)

      しする

      ほんに、事、気

      を尽くして

      お目に掛け

      ましょう、

 

今昔狐夜噺四丁表 下

    「いや

     はや

      恐ろ(おそろ)かし

      さまご、 ことし

      のさまごにや

      油断が

      なら

      ぬ

      

 

 

さまご

 ?

 

一の谷   (ウィキペディア)

 一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)は、平安時代の末期の寿永3年/治承8(1118)年2月に摂津国福原および須磨で行われた戦い。(源平合戦)における戦いの一つ。

 

逆(さか)落とし   (ウィキペディア)

 精兵70騎を率いて、一ノ谷の裏手の断崖絶壁の上に立った義経は戦機と見て坂を駆け下る決断をする。

 

 

 

 

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今昔狐夜噺 4 (いまハむかし きつねのよばなし) 二丁裏 三丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-07-29 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 4 (いまハむかし きつねのよばなし) 二丁裏 三丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

 

今昔狐夜噺二丁裏

らくさい

もろ/\と

いほりの

たちへいり

けれ□□るの

とん八ハいつ

しんに本を

よみいたりし

ゆへ、らくさいの

かへりたるをもしらず

こん八とよばれて、はつと

おどろき、へいふくして申けるハ

わたくしハちるごろのあたりへ

ひきこしたる

きつねにて候が

そこもとのはくがく

たさいなるを

うらやましく

わたくしも

ちくせうにハ

うまれたれ

ども、せん

ねんのよわひ

をたもち、ふるぎ

つねのことしまでも

ついにしりをく人に

見られず、かへつて

人をばかさんと

にんげんのかたちと

なるつゞり

 

今昔狐夜噺三丁表

わきじざいのみのうえでも

ちくせうの

あさましさ

いちもんもんめ

のこのみなれバ

てんとうを

しらずして

ふぢゆんの

みちにまよい

せうがいくらき

よりくらき

をたどるこゝち

して、ついにあ

かるきみちへ

いですして

くちはつる

こと、くち

おしく、なに

とぞ、ほん

せんのみち

をまなび

たく、さて

こそにん

げんのすがたと

なりて、御ほうこう

いた□□(欠け)さゆふに

□(欠け)ちをまなび

今こそめいとくを

あきらめにするの

こゝちをあきらめ▲

 

今昔狐夜噺二丁裏 下

   ▲候ゆへ、あらうれしやとぞん

   じおもわず、われをわすれて

   ほん  せうをあらわし

       もはや

       にんげんの

       まじ

       わりも

       いなわず

       おなごり

       おしけれ

       ども、御

       いとま申

       たるへし

       と、楽斎

       へ

       ねがひ

       ける

 

今昔狐夜噺二丁裏 下

茶を点てる楽斎と対座し、

楽斎に指を指す、こん八

   「これハわた

    くしがしいじ  

    のせうねだま

    でござり

    ます

    ぞ

性根玉を挟んで

    もちてが

    もちてゆへ、今

    までハひかりも

    でませなんだが、みちを

    あきらめましたら

    たちまち

    このとうりで

 

 「ハヽア、おれハ

  また、とりの

  まちのみや

  げるとおもつ

  たら、しんがく

     心学

  性根玉ハ

   そのたま

   のことじや

       の

 

 

     さて/\

     よくひかる

     たまだ

     イヨ、たまや

     と、いひたい

     よふだ

 

今昔狐夜噺二丁裏

楽斎

諸々

庵の

館へ入り

ければ、居るの

こん八は、一心

に本を

読み至りし

故、楽斎の

帰りたるをも知らず

こん八と呼ばれて、「はっ」と

驚き、平伏して申けるは

私達はちるごろの辺りへ

引っ越したる

狐にて候が

其処もと(そこもと)の博学

多才なるを

羨ましく

私も

畜生には

生まれたれ

ども、千年

の齢

を保ち、古狐

の事、し(知る)までも

ついに知り置く人に

見られず、却って

人を化かさんと

人間の形と

なる綴り

 

今昔狐夜噺三丁表

わき、自在の身の上でも

畜生の

浅ましさ

一文、匁

のこの身なれば

天道を

知らずして

不純の

道に迷い

生涯暗き

より暗き

を辿る心地

して、ついに明るき

道へ

出でずして

朽ち果つる

事、口

惜しく、何卒

、本線

の道

を学び

たく、扨こそ、

人間の姿と

成りて、御奉公

致したさ故に

道を学び

今こそ 明徳を

諦めにするの

心地を諦め▲

 

今昔狐夜噺二丁裏 下

▲候故、あら嬉しやと存知、

   思わず、我を忘れて

   本性を現し

       もはや

       人間の

       交わり

       否わず

       御名残

       惜しけれ

       ども、御

       暇 申し

       たるべし

       と、楽斎

       へ

       願い

       ける

 

今昔狐夜噺二丁裏 下

茶を点てる楽斎と対座し、

楽斎に指を指す、こん八

   「これは私

    が しいじ  

    の

    でござり

    ます

    ぞ

性根玉を挟んで

    持ち手が

    持ち手故、今

    までは光も

    出ませなんだが、道を

    諦めましたら

    たちまち

    この通りで

 

今昔狐夜噺三丁表

 「はぁぁ、俺は

  又、鳥の

  まちの見上げる(みやげる)

  と思っ

  たら、心学(しんがく)

  性根玉は

   その玉

   の事じゃ

       の

 

今昔狐夜噺三丁表

     扨々

     よく光る

     玉だ

     「いよ!玉屋!」

     と、言いたい

     ようだ

 

 

けれ□□るの

 □は、欠け 

   庵の

   館へ入り

   けれバ、いる  (か?)

 楽斎が囲炉裏の庵に入ると、こん八が居たと云う意味。

 

平伏(へいふく)

《名・ス自》ひれふすこと。両手をつき、頭を地や畳につけて礼をすること。

 

ちるごろのあたり(ちるごろの辺り)

 ちるごろ(固有名詞) 土地名

 

いた□□(欠け)さゆふに

 いたしたさゆうに(致したさ、ゆうに)

□(欠け)ちをまなび

 みちをまなび(道を学び)

 

くちはつる

こと、くち

おしく

 掛詞 口、朽ち

 今昔狐夜噺でも上のような掛詞が多く使われている。

 

 性根玉を花火に見立てる。

      ↓

     さて/\

     よくひかる

     たまだ

     イヨ、たまや

     と、いひたい

     よふだ

 

心学(しんがく)

 中国

 宗明理学の学派のひとつ。陸王心学、陸王学派、心学派とも。

 日本

 陽明学の異称。上記参照。

 

 石門心学

 石門心学(せきもんしんがく)は、日本の江戸時代中期の思想家・石田梅岩(1685年 - 1744年)を開祖とする倫理学の一派。

 平民のための平易で実践的な道徳教のことである。

 

 

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今昔狐夜噺 3 (いまハむかし きつねのよばなし) 一丁裏 二丁表  十返舎一九 画・作

2020-07-29 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 3 (いまハむかし きつねのよばなし) 一丁裏 二丁表  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

 

今昔狐夜噺一丁裏

こゝにみめ

ぐりのほ

とりに

くさの

いほ

むすび

よをのがれ

くらす

らくさいと

いふものあり

おゑどの

まんなかに

有、とやしき

ひきまハした

大あきんど

なりしが、あと

しきハむすこに

ゆづりて、そのみハ

わかいんきよの

みのうえ

なれバ、このところへ

ひきこもり、わかんの

ふみをのみ、ともと

して、たのしみ

くらしけるが、らく

さいあるとき、ほか

よりかへりが、どの

とのすきまかり

 

今昔狐夜噺二丁表

ふとのぞき

見けるに

めしたき

おとこの

こん八と

いふもの、よねん

なく、いろ/\の

しよもつをとり

いたし、ながめいたり

けるが、このこん八の

すがた、いつと

なく、きつね

のすがたと

なり、なをも

よねんなく

しよもつに

見入れたる

ありさま

らくさいも

おどろき

ながら

よふすを

なをも

うろぐ

 

今昔狐夜噺一丁裏 中央

鼠頭の異形が、草子を読んでいる

    「明徳(めいとく)を

     あきらか

     にすると

     いふ事がやふ/\と

      わかつてきた

      うれしや

         /\

 

 

今昔狐夜噺二丁表 下

門口で黒い羽織の男(楽斎)が中をのぞいている

     さてハこん八ハ

     きつねでおつ

     たか、どうりで

     よく

     あぶ

     らげ

     のさい

     はかり

     くり

     せた

     

   

 

   

 

今昔狐夜噺一丁裏

此処に見目

ぐりの辺り

草の

いを

結び

世を逃れ

暮らす

楽斎(固有名詞)と

云う者あり

お江戸の

真ん中に

有り、と(とある)屋敷、

引き回した

大商人

成りしが、後

敷きは息子に

譲りて、その身は

若隠居の

身の上

なれば、この所へ

引き篭もり、和漢の

文をのみ、友と

して、楽しみ

暮らしけるが、楽斎、

或る時、他

より帰りが、どの

との、隙間かり(ママ から)

 

今昔狐夜噺二丁表

ふと覗き

見けるに

飯炊き

男の

こん八と

云う者、余念

無く、色々の

書物を取り

致し、眺め居たり

けるが、このこん八の

姿、いつと

なく、狐

の姿と

なり、尚も

余念無く

書物に

見入れたる

有様、

楽斎も

驚き

ながら

様子を

尚も

うろぐ

 

今昔狐夜噺一丁裏 中央

鼠頭の異形が、草子を読んでいる

    「明徳(めいとく)を

     明らか

     にすると

     云う事が、ようようと

      分かって来た

      嬉しや

         嬉しや

 

 

今昔狐夜噺二丁表 下

門口で黒い羽織の男が中をのぞいている

     扨はこん八は

     狐でおったか、

     道理で

     よく

     油揚げ

     の菜

     ばかり

     喰り

     せた

一代目十返舎一九の『今昔狐夜噺』での言葉の特徴

下は一例

   すきまかり(隙間から)

   くりせた(喰りせた→食っていた)

 

明徳

  正しく公明な徳。
 2 《「大学集注」から》天から与えられたすぐれた徳性。

徳性

 徳義をそなえた品性。道徳心。道徳意識。

 

 

 

 

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今昔狐夜噺 2 上、中、下 十返舎一九 画・作

2020-07-28 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 2 上、中、下 十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

 

来ル巳正月より  作者 十返舎

              一九

 

げんじ の ろひらき

源氏炉開

へいけ の くちきり

平家口切

いま ハ むかし きつね の よばなし 

今昔狐夜噺 上

      全部 三番纉

 

右古今、まれなる大道具

大じかけ、幕なしにて、奉

入 御覧候以上

       板元

 

来たる巳 正月より  作者 十返舎一九

 

げんじ の ろひらき

源氏炉開

へいけ の くちきり

平家口切

いま は むかし きつね の よばなし 

今昔狐夜噺 上

      全部 三番纉

 

右(ここでは、上)古今、稀(まれ)なる大道具

大仕掛け、幕無しにて、奉り

入り、 御覧候え 以上

       板元

 

 

表紙では、下の様に書かれているが、

げんじ の くちきり

源氏口切

へいけ の ろひらき

平家炉開

いま ハ むかし きつね の よばなし 

今昔狐夜話 上

裏表紙では

げんじ の ろひらき

源氏炉開

へいけ の くちきり

平家口切

いま ハ むかし きつね の よばなし 

今昔狐夜話 上

上の様に、赤い文字の部分がテレコになっている事に面白みを感じる。

         

  口切、炉開)→炉開、口切)

 

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今昔狐夜噺 1 上,、中、下 十返舎一九 画・作

2020-07-28 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 1 上,、中、下 十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

げんじ の くちきり

源氏口切

へいけ の ろひらき

平家炉開

いま ハ むかし きつね の よばなし 

今昔狐夜噺 上

 

巳 新板

 

舎 (山吉)

舎 (山吉)

 山に、榎本屋吉兵衛の吉

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『東海道中膝栗毛 初編』   「揚げ足取り」、ここでは「詞咎め」(ことばとがめ)と記されている。

2020-05-17 | 十返舎一九

写真は、『黒塚』

 

 

『東海道中膝栗毛 初編』

「揚げ足取り」 ここでは「詞咎め」(ことばとがめ)と記されている。

 

北 「これ/\お女中、たばこ盆に火を入れてくんな。」

弥二「たばこ盆に火を入れたらこげてしまう、云々」

北 「おめへも詞咎めをするもんだ。それじゃ、日が短い時にやァ、たばこものまずにゐにやァならね。」

 

言葉咎 (日本国語大辞典)
〘名〙 相手のことばじりをとらえて非難すること。ことばとまげ。
 寛永刊本蒙求抄(1529頃)七「詞とがめなどして死はをかしい事ぢゃげに候」
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『東海道中膝栗毛 初編』外郎(薬)透頂香  【市川海老蔵さん、團十郎襲名披露の延期】

2020-04-10 | 十返舎一九

 数日前にもなるだろうか。
 歌舞伎美人にて、市川海老蔵さんの團十郎襲名披露の延期を知った。
 團十郎の睨みは疫病神を退散させるという。(伝承)
 早く世の中が収まり、襲名披露を迎えることを望む。

 團十郎家の十八番之内の中に、『外郎売』(ういろううり)という演目がある。
『外郎売』は早口言葉の場面も一つの醍醐味^^

『東海道中膝栗毛 初編』によれば、團十郎家の『外郎売』の店は、『東海道名所図会』にも出てくるという。
『東海道名所図会』では、八つ棟も店の図があり、「北条氏網の時、京都西洞院綾小路外郎(ういろう)といふ者、此地に下り、家方透頂香を制して氏網へ献ず。」とある。

『東海道中膝栗毛 初編』では、虎屋藤右衛門で販売した丸薬「外郎」のことを、透頂香という。
 透頂香は、痰を治し、咽喉を守るとされる。
 江戸にも出店があり、市川團十郎家の外郎の口上で宣伝された。
 つまり、芝居の中で外郎(薬)透頂香の宣伝がされたという。

 そういえば、江戸時代、團十郎が根付などをの小物や衣装などを身に付けると、民衆は同じ商品を買い求めたという。
 今のエルメスのようなブランド品といったところかと思う。
 三枡の着物なども着たがる殿方が多かったらしいので、さぞや演目にもなった外郎(薬)透頂香は売れに売れたことであろうと楽しんでいる。

『東海道中膝栗毛 初編』に戻ると、弥次さん北さんたちは、
「な〜んだ、食べ物じゃなかったんだ。薬だったんだ^^」
と、笑いながら、通り過ぎる。 (東海道中膝栗毛 初編  小田原の宿を過ぎた頃の話)
 
 









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『東海道中膝栗毛 初編』 甲斐の猿ばし〜白旗村〜鴫立沢 狂歌(4首)

2020-04-03 | 十返舎一九
法隆寺


 『東海道中膝栗毛 初編』

 此に白旗村といへるは、そのむかし、義経の首こゝに飛び来たりたるをいはひこめて、白はたの宮といへる、今にありと聞て弥次郎兵衛へ(やじろべへえ)
  首ばかりとんだはなしの残りけり
       ほんのことかはしらはたのみや

 それより大磯にいたり、虎が石を見て北八よむ
  此さとの虎は藪にも剛(かう)のもの
       おもしの石となりし貞節

 弥次郎兵衛へ(やじろべへえ)
  去りながら石になるとは無分別
       ひとつ蓮(はちす)の上には乗られぬ
 
 斯(かく)打(うち)興(こう)じて大磯の街を打過、鴫立沢にいたり、文覚(もんがく)上人が刀作と聞こえし、西行の像にむかひて、
  われ/\も天窓(あまた)を破(わ)りて歌よまん
       刀(なた)づくりなる御影(みえい)おがみて


 

 甲斐の猿ばし(山梨県北都留守桂川にかかる日本三奇橋)〜白旗村〜鴫立沢(西行 三夕の一首 大磯の東の小磯の路傍に堂があった)


 こじつけたような数々の掛詞で、狂歌を形成しているところが面白い。
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『浮世(東海道中)膝栗毛初編』 十四丁ウ

2020-03-19 | 十返舎一九

 『浮世(東海道中)膝栗毛初編』 十四丁ウ
 『浮世(東海道中)膝栗毛初編』(上 右から二冊め)  早稲田大学デジタル図書


 

 ありしハ。かへつて鳥目(てうもく)の徳(とく)御きたりとおかしくて
       一筋(ひとすじ)に親子(おやこ)とおもふおんなより
       只(たゞ)二すじの銭(ぜに)もうけせり
 斯口(かくゝち)づさミて。打わらひつゝかたむけし。箱(はこ)まくらも
 耳(ミヽ)の根(ね)に。いたくもひゞく夜明(よあけ)の鐘(かね)、はやおもてに 八助郷馬(すけごうむま)の嘶(いなゝ)く声(こへ)
「ヒイン/\馬の屁(へ)のおとブウ/\/\。長もち。にんそくのうた
 人「竹にさあ。引 すゞめハァなァんあへ。ヨイ/\。どうする/\
 此内「弥次「北もおき出ればやがて膳も出。どふもいろ/\あれども。あまりくだ/\しけれバやすくす。それよりふたりハそこ/\にしたくして。こゝを


 
 
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 『浮世東海道中膝栗毛初編 発端』 神田の八丁堀〜高輪〜鈴ヶ森〜大森〜金川(神奈川)   十遍舎一九

2020-03-18 | 十返舎一九


     『浮世東海道中膝栗毛初編 発端』 十遍舎一九
     神田の八丁堀〜高輪〜鈴ヶ森〜大森〜金川(神奈川)


 江戸から目指すは、
 ↓
 やまと巡り
 花の都(京都)、
 梅の浪花


弥次郎兵衛(弥次郎兵衛へ)
神田の八丁堀辺に住む
 ↓
高輪(江戸府内の南口)
  海辺をばなどしな川といふやらん
 と難時たる上の国、きた八とりあえず、
  さればさみずのあるにまかせて

 ↓
鈴ヶ森
  おそろしや罪ある人のくびだまにつけたる名なれ鈴が森とは

 ↓
大森
 飯にたくむぎはらざいく買いたまへこれは子どもをすかし屁として

 ↓
金川(神奈川)   飯屋の女
 あったかな冷や飯
 煮立ての肴の冷めたもの
 そばのふといの
 うどんのおっきなもの
 
茶屋の娘
 やじ「おめえの焼いた鯵なら、美味かろう。

 やじ
 ごつたと見ゆる目もとのおさかなはさてはむすめがやきく去ったか
 きた八
 味(うま)そふに見ゆるむすめに油断すな貴奴が焼いたるあじの悪さよ

 ↓
神奈川の宿を出たところ  (十二、三歳の伊勢参りと後先なりて)
 弥次「与太郎どののかみさまは、たしか女だっけ
 イセ「おつかさまァ、女でございます

 弥次「そのかみさまは馬と色事して
 イセ「庄屋どんのおつかさまぁ、内の馬右衛門といふ男とつつぱり(駆け落ち)した

 
 
 

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