乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

63; 『季語の誕生』 宮坂静生著  2009年 岩波新書

2010-05-03 | 読書全般(古典など以外の一般書)


記録だけ 


  2010年度 63冊目  



       『季語の誕生』

 

 宮坂静生著

 岩波新書 1214

 2009年10月20日 第1刷

 208ページ  735円
 


 昨日から読み始めた『季語の誕生』を、読了。

『季語の誕生』は季語を民俗学、民族学、考古学、人類学、歴史学、言語学といった多角的立場からひもといた押さえておきたい一冊。

 たいへん楽しく読んだ。



 現在人にも興味深いといえる桜や月などをいろいろな立場から説明する著者の幅の広さには驚く。

 季語の誕生に始まり、平安時代の美意識からひもとかれた本書。

 いろいろな文献を並べたパッチワークではなく、自分の考えもしっかりと示す著者は見事としか言いようがない。



 著者は歳時記において流動的性格と認識することは重要とのべる。

 京都や東京中心の時雨や霞(一例)だけではなく、各地域の特徴が明解に示された歳時記がつくられなければいけないと力説(175)

 果ては季語再考といった考えをはっきりと示されている興味深い秀作。

 たいへん勉強になった。


コメント (2)
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香高山五百羅漢 2   (奈良 壺阪)

2010-05-03 | お出かけ



              香高山五百羅漢 2




 昨日、香高山五百羅漢 の一部を紹介させていただいた。

 今回は 香高山五百羅漢 2

 朔日の5枚に加えて、写真15枚を追加したい。

 尚、今回は香高山五百羅漢の説明は省かせていただくことにした。 



 この日カメラマンの方が羅漢にかかった落ち葉などを丹念に払いのけておられた。

 この男性によって、香高山五百羅漢の全体の大きさがわかっていただけるであろうか。

 ただし香高山五百羅漢は方々に分散しており写真に写るばかりではない。



 岩が崩れ落ち、仏像の姿は無惨にも下敷きとなっていた。

 こういった痛々しい姿の仏像をいくつか見た。

 仏は時の流れとともに風化が進み、砂と化するのであろうか。



 近づいて見てみよう。

 真っ逆さまではないが、奈良の郡山城の石垣にみられる「さかさ地蔵」を思い浮かべる。

 心の中で手を合わさずにはいられない。



 はっきりしたことは知らないが、弘法大師が彫られたという。

 お太子さまのいろいろな伝承は各地に残る。



 台座に座られた方 1



 台座に座られた方 2




















   

 ここから下の写真は 香高山五百羅漢に1で紹介させていただいたものです。▼













   

 最後までおつきあい下さいまして、ありがとうございました。

 感謝申し上げます。

          



コメント (4)
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香高山五百羅漢 1   (奈良 壺阪)

2010-05-03 | お出かけ


       壺阪  香高山五百羅漢















 5月2日。

 子ども二人とわたしとの三人で、歌舞伎(『壺阪霊験記』)で何度も見た壺阪寺にいく。

 壺阪寺をあらかじめ調べると、近くの山中には五百羅漢あるとのことで、楽しみにしていた。



 香高山五百羅漢をもう少し登ると、数々の仏像が彫られている。

 香高山五百羅漢も仏像もそれぞれが表情豊かなため、見飽きることは無い。

 磨崖仏等の好きな人には魅力的なところだと感じる。

 できれば数時間かけてそれぞれのお顔や仕草を眺めてみたい。



 一見羅漢や仏像に見えない岩肌や落ちた大きな石。

 よく見ると劣化したそれらを見つけることができよう。

 時間をかけて、心に残る宝の発見をしてみたいものだ。


 
 一体の大きさは50㎝前後のものが多い。

 こけしのような顔のものも多く芸術的な域からは少し距離感を感じるが、おびただしい数の羅漢は心を弾ませてくれる。



 香高山五百羅漢は推定 桃山時代から江戸時代初期のものとされている。

 壺阪寺から高取城跡方向に向かってわずか20分ほど登ると、香高山五百羅漢は姿を現す。

 途中道標あり。

 わかりやすい登り。

 迷うことはまず無い。

 香高山の全山にわたって岩肌に様々な仏像が彫られていて、興味が尽きない磨崖仏群に出会えること、間違いなし。



 では一体なぜここにこの数多い羅漢が彫られたのか。

 元高取城のわずか下で壺阪寺の近く。

 険しい山道。

 何かの境界線的意味合いか或は見守るためか、それとも修行か・・・。

 わたしにはわからないが、考えているだけでも楽しいものだ。

 どなたかお分かりの方がおられましたら、お教え下さいますれば嬉しいです。



 ところで五百羅漢など、数多く写真に収めた。

 ただ、日差しが強く、ハレーションを起こしている。

 もし家族が一緒で、ここがイランの遺跡ならば、夕刻までこの場にいて、日差しの程度に合わせて写真を撮り続けるはめに陥ったであろう。

 今回は仕事ではなく遊ぼで、まして子どもと一緒。

 助かった^^

 

 とりあえずは今回6枚だけをUPしたい。

 続きは明日ということで、お許し下さい。


 


 鉄道 近鉄吉野線壷阪山駅下車。

 壺阪寺前行きバス、終点下車。 (平日1時間に1本程度、320円)

 徒歩1.5㎞。


 売店なし、飲み物等の用意必要 (壺阪寺内にはに自販機、売店あり  壺阪寺 600円)



コメント (4)
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