埋蔵文化財センターで開催されている
『首里城京の内跡出土品展-発掘された倉庫跡-』
会期が1週間をきりました!
京の内展は毎年恒例と言ってもいいくらいやっている
埋文ではおなじみの展示会トピックですが、
今回はチラシで「倉庫跡」というタイトルを見たとたん
ドキュン!!
ってなりました。
だって、京の内の倉庫跡って、
あの時の、
あの倉庫
ですもの!
「勝連が……」
踏揚は絶句して、炎を振り仰ぎ、それからにわかに狂ったように、
「思戸…あの人が…按司様が……」
と叫んだのだった。
踏揚の熱はまだ引かず、朦朧としていたであろうが、
思戸をふりほどいて飛び出していこうとする。
「うみないびの前……」
思戸は必死に抱き止めた。
「思戸。離して!あの人が…按司様が……」
+
『球陽』等、王府史記は、その来襲を次のように書いている。
<(踏揚が首里城に入って)王、阿摩和利の反逆を知り、
即ち急ぎ令を伝えて四境の軍士を招集す。
未だ幾時ならずして、阿摩和利、機事の密ならず、大城(賢雄)逃去し、
もし先に手を動かさざれば災禍免れ難きを以て
みずから軍兵を率いておい来たり、
火を放ちて城を攻むること甚だ密、殺戦極めて急なり。 …>
一方、『明史』に、事件の翌年―天順3年(1459)に、
尚泰久王が明国に使者を遣わし、
首里城に火災があり、「延焼」して王庫が焼け、
銅銭や、明国からの物品類も焼けてしまったと報告し、
銅銭や、苧糸、沙羅、絹布等を賜った記事がある。
この時の火災の原因が何であったのかは不明だが、
勝連の急襲によるそれだったなら、
勝連はまさに「一矢」報いたのだと言えよう。
小説『百十踏揚 P461-』(与並岳生/新星出版)
今回の展示会は
(明実録に記録のある)「1459年の火災」で焼失した
倉庫跡にスポットを当てています。
引用箇所にも書いてあるように
実際に前年(1458年)の勝連の攻撃で焼失したのかどうかは分かりませんが、
小説とはいえこのようなエピソードや
その元となった歴史的背景を知っておくと
想像が膨らんで展示物を見るのもより楽しくなりますよね♪
少なくとも、
この倉庫は尚泰久時代(以前も含む)のものなので、
出土したものの中には
百十踏揚や賢雄や、更に金丸や護佐丸や阿麻和利が
見たり触ったりしたものもあるかもしれない。
少なくとも京の内だから百十踏揚には関係ありそうよね!
とかね。
そういう視点でも楽しめますよ!
というわけで
倉庫跡展の様子をちょこっとご紹介。
入ったら床にどーん!と遺構の実物大写真。
実際に発掘されたときの様子や状況がわかります。
倉庫跡に入っちゃいましょう!
ポイントポイントで解説もあって
考古学の知識なくてもばっちりサポートしてくれます。
周りには出土品。
世界でも希少で貴重な品の数々。
個人的には真ん中の紅釉水注が特におすすめです。
これ、世界で4点しか確認されていないという
めっっっっちゃ希少品
今回は「陶磁器の見方」についてのパネルやクイズなんかもあって
(床貼りの実物大遺構写真も含めて)教育普及プログラムとしても
よい展示演出だなと感じました!
(゚д゚)(。_。)ウンウン!
考古学分野は知らない人にとっては
どうしても難しいし味気ないからね。
こういうアピールはどんどんやっていこ!
小さい展示で入場無料なので
ふらっと気軽に立ち寄ってみては?
今週日曜日まで。