がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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現代版組踊20周年の特別公演:琉球伝信録

2019年08月31日 | ・現代版組踊レポ

 

琉球伝信録

2019年8月25日(日)

てぃるるホール

那覇青少年舞台プログラム+全国の現代版組踊チーム(有志)+OB・OG

 

2日目の朝公演を観劇ました。
(昼公演じゃなくて朝公演!)

 

 

+ + +

 

 

今回の公演は組踊300周年と、
現代版組踊発足20周年を兼ねた特別公演。

1部では平田さんコーナー、
2部が本編・琉球伝信録という2本組。

 

「琉球伝信録」は元々那覇の舞台なので
那覇チームが主ではありますが、
それに全国の現代版組踊チーム、
北海道から石垣までの有志+OB・OG、それに特別出演等が加わって
総勢70名余り(前回の1.7倍!)のスペシャルバージョンでした!

 

見ごたえが増さないわけがない。

 

全国からのメンバーはアンサンブルだけではなく
主要キャストにもがっつりキャスティングされて、

実際に一緒に合わせるのは本番間近になってからだろうに、
(ツイッターで拝見する限り1週間前とか?)
息の合った演技・演舞で、
最初から一つのチームだったように
まっったく違和感ありませんでした。

本当にすごい。

これまでも鬼鷲とか他チームが出演することはあったけど、
全国の10団体が参加して1つの舞台(アトラクションではなく)っていうのは
おそらく現代版組踊史上最大では!?

WOW!!

もう、現代版組踊チームは完全にボーダーレス!!

すばらしい!!

 

最後のメンバー紹介で
各チームごとに紹介&挙手して起立したのは
誰がどこのメンバーなのかがしっかり分かって良かったです!

パンフレットにも明記されてたけど、
実際に舞台上で紹介してくれて、その姿を見たら
より「おお~~~!」ってなる☆

 

 

ストーリーとか構成とか演出とか、
これまで書いてきていることは今回も同じく、
ということで割愛するとして、
今回印象的だったシーンをいくつか。

 

 

@玉城朝薫が組踊誕生に近づく心の移り変わり


国劇創作の重責を担って、悩み苦しみ葛藤する朝薫が
次第に手ごたえを確信していくシーン。
(BGM:星のゆりかご)

その心の移り変わりが、これまでよりもひしひしと、手に取るように伝わりました。

いきなりドカーン!とひらめいて、すぐに組踊ができたわけではなく
朝薫自身が試行錯誤しながらも、
「…うむ」「よし…」「そうだ…!」「これだ!!」と
組踊を作り上げていく様=時間の移り変わりも感じ
次の冊封のシーンへのつながりがとても自然に感じました。

男の子演じる朝薫も久々だー♪

クライマックスのダイナミック琉球では、
やっぱり扇子の振りが見たかったな。
琉球伝信録だけのダイナミック琉球って感じがあって、特別感が出ると思うし
主人公"踊奉行:玉城朝薫"を今一度印象付けられると思うんだー♪
(朝薫は空手をする武人=男群ではなく、文人=女群であってほしい派)

 

 

@完全強硬派の蔡温


対して、女の子蔡温は初めて見たかも!?

今回の蔡温は、迷いや良心の呵責など一切捨て去った完全強硬派。

簡単に言うと、完全敵役、嫌な奴。

おおぅ。

その分、(これまでに比べると)蔡温への好感度はちょっと下がるんだけど、
朝敏連行のストップモーション明け、すぐの
「さっさと連れて行け―!」のバンド音をかき消すほどの全力怒号100%は
メリハリが効いててドラマ性UP、トリハダものでした。

ふむぅ。

こう考えると、弱さを一切見せずに怒鳴る蔡温っていうのも
一切の迷いを振り切り信念をつらぬき通すための表れ…とも思えますね。

 

 

@最高のおじぃ感とサトウキビ感


三司官の…真ん中の人、伊舎堂親方?

現代版組踊ではいっさい外れがないおじいちゃんキャラ(笑)

私がすごいと思ったのは、場面転換しての初登場、
ライトが当たってその姿が見えたその瞬間、
ただ座っているだけ、まだ一言もしゃべってもなく動いてもないのに
その佇まいでそのキャラクターが伝わった事。

首を落とした前かがみの姿勢と、
唇を内側に隠した感じ(はーもー)と、
目をしょぼしょぼさせた表情

それだけですでにおかしみを覚える。
(やはり、佇まいだけでキャラクターを表現すってできる!)

 

サトウキビ畑での他の2人の三司官とのやりとりもサイコーでした(笑)

名護親方も加わって、
はっさもー、じいちゃんじいちゃんしてからにや~(笑)

三司官も、基本、朝薫を良く思わない嫌な奴側なんだけど
おじい三司官をあれこれ世話するから、
何だかんだとみんな微笑ましく見えたよ(笑)

 

薩摩奉行のサトウキビも、
ざわわと自ら歌う前に、手の振りだけで「ざわわ」を感じたし、
「那覇センセイション」のフレーズをぶっこんできてたのも気づいたよ

 

 

って、ここまで書いて気づいたけど、
これらの演者さん、みんな那覇以外のメンバーだ(!)

細かいところまでだいぶこだわって演じてるなと感じたのは
那覇の舞台やその役を、徹底的に研究して努力した故なんだろうな。

なるほど納得。

 

 

もちろん、那覇メンバーも安定の演じ&演舞っぷりでした!

尚敬はまろやかで品のある声で凛としてたし
名護親方もおじいちゃん声だけどしっかり聞こえるいい案内役だったし
朝敏もその無邪気さとかわいさで人気をかっさらってたし。

アンサンブルの小学生メンバーもたどたどしさもなくしっかり踊ってて
これからの成長が楽しみ!

バンドも演奏するのが楽しい!っていうのが伝わる元気さでした。

 

 

@組踊:二童敵討


芸大卒業生による古典披露の演出も久々!

上り口説(の演奏)と、二童敵討。

あまおへ(阿麻和利)含む演者は全て女性の方でした。

(古典)組踊そのものの形式だったんだけど、
後で名護親方がしっかり解説してくれたのでノープロブレム。
(「阿麻和利さん、何言ってるか分からないね~」と…(笑))

披露は一部のシーンだけだったとはいえ、
(古典)組踊に興味を持ったお客さんもいたんじゃないかな!?

これぞ、現代版組踊の妙☆

現代版組踊はミュージカルじゃないの。

「現代版」の「組踊」なの

 

対して、友情出演の波上宮獅子舞保存会の獅子舞は
今回あまり目立ってなくてもったいなかったので、
もうちょっと表に出て来てても良かったな…。
(最後に紹介…も、し忘れてたよね?(^^;))

 

 

というわけで、
盛りだくさんの「琉球伝信録」スペシャルバージョン。

現代版組踊発足20周年の節目に、
全国の現代版組踊チームの底力と可能性を
大いに見せつけてくれた公演でした

 

全国の現代版組踊チームの活躍を
これからも応援しています!

 

 

 

+ + +

 

 

 

ただ、

今回、

残念だったことが一つ。

ごめんなさい、
やはり今後の現代版組踊運営のためにも大事なことだと思うので

書かせていただきます。

 

それは、
第1部の平田さんのパート
(現代の踊奉行・平田大一の夢物語-いろんなゲストとコラボします!30分枠)が、

開演15分前に始まって、
開演5分で終了したこと。

実質20分。

(内容は平田さんソロの「星のゆりかご」と
ゲストとの「ダイナミック琉球」の計2曲)

 

あくまでも開演は10時30分だったので、
15分前(10時15分)に始まっている最中にも
お客さんはどんどん入ってくるし、
ゲストとのコラボも、たった1曲で終わったのは

「え、これで終わり!?(開演前に始まったのは早く来た人のためのサービスじゃなくて!?)」

ってなりました。

 

ええ、わかります。

2部の本編が思ったよりも長くなっちゃって
1部の平田さんの方を短縮せざるを得なかったんですよね?

そして、午後の公演時間の関係で後ろにずらすことはできなかったから
開始を早めるしかなかったんですよね

そんな運営上の事情も、大いに察せますよ。

 

 

でも、

そうなら、

せめて、

前もってちゃんと情宣しなきゃ!

ツイッターでもHPでもブログでも!
すべての媒体で!

こういう事情で開演が早まりますって。
チラシ情報とは変わってしまうけど、ご了承くださいって。

たとえ、時間変更の決定が、公演直前、前日であっても!

見に来るお客さん全てにこの変更を周知させるために
必死になって動かなきゃ!!

(本来なら、予約してる人には全員、直接電話して伝えるべき。
開演時間の前倒しはそれくらい大変で、大事なこと)

 

私はたまたま早めについたから
最初から全部見ることはできたけれど、

もし開演直前に到着してたら(その可能性も十分あった)
平田さんの1部はほぼ見れなかったわけで…。

実際、他のお客さんの中には、そうだった人もいるわけで。

公演時間に間に合わせて来ている人には、
何も落ち度はないのに、
本来見れるべきものの大部分が見れなった、
というのは…いかがなものでしょう?

 

平田さんの1部は今回の公演の特別枠、目玉のひとつだったはずなのに、
このような形になってしまっていたのは
非常に、非常に、残念でした。

そして、披露された2曲はやはり素晴らしかっただけに、
ちゃんと30分枠でもっとしっかり聞きたかったよ…。

 


運営さんへ。

私もこれまでにイベントの主催側だった経験もあるし、
主となって企画したり全体を動かす立場だったことも何度もあるので
運営の大変さも十分わかります。

でも、

公演の「全て」を楽しみにして、
お金を払って、遠方からも見に来ている、
受け取り手=お客さん=第三者の、視点・立場を忘れないで下さい。

お願いします。


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クーデターと七日浜

2019年08月24日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

沖縄本島の東側、
国道329号線を北上して、
金武町に入ってすぐの所にある
案内板とモニュメント。

『ようこそ 海外雄飛の里 金武町へ』

というのは、
移民の父、當山久三にちなんだもの。

 

このモニュメントの、

裏手に、

 

 

こんな石碑がひっそりと建っています。

 

その名も

『七日浜の碑』

 

 

當山久三からずーっとずーーーっと時代をさかのぼって、

時は1469年。

第二尚氏のクーデターにまつわる碑です。

 

逆光で読めませんね

 

というわけで、
画像加工、えいやっ!

 

 

七日浜の碑

尚徳王が革命によって 尚円王の時代になったので
その一族が国頭に逃げる途中 人目を避けるため
昼は山の中にひそみ 夜な夜な歩き 歩行困難の場所で七日かかったので
七日浜の由来と言われている。
風光明媚であり 長い砂浜の美しい海岸である

昭和五十八年十月二十五日 竣工

 

他の口伝では、尚徳自身が久高島で革命を知り、
隠れ逃げつつ7日目にここに着いた、
…というのも見かけたりもします。

で、そのまま「北」へ…。

というね。

 

 

第二尚氏のクーデターも、
尚徳の死の直後に起こったのか、
それとも、
生きていて久高島にいる間に起こったのか。

尚徳は
病死か、毒殺か、自殺か、逃亡先で息絶えたのか。

色々あって謎に包まれています。

 

 

その七日浜。

尚徳の一族、または尚徳自身が
息も絶え絶え踏みしめた浜…かもしれない。

 

小雨がぱらついたりとが天気が良くなく、
景色がくすんでいますが
七日浜から南(石川、勝連半島)方面の見た風景。


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KUMIODORI300-組踊展―

2019年08月18日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

組踊300周年記念展示会、
その名もズバリ
「KUMIODORI 300ー組踊展ー」

県立博物館と首里城の2会場で同時開催中です。

https://kumiodori300.okinawa/event/20190711-0825-exhibition/
https://kumiodori300.okinawa/event/20190705-1114-exhibition/

 

県博の方が展示規模が大きく本格的なのですが、
会期があと1週間!
(首里城は11月まで)

そこで、県博のほうの見どころを
簡単にレポートします。

 


『執心鐘入』の元ネタともいえる
『道明寺縁起』が初公開!

執心鐘入のストーリーと比較しながら
絵巻を見ることもできて面白いです。
道明寺そのものにも興味がわきます。

 


村(地方)に伝わる組踊の数々の衣装や小道具!

これだけの衣装を一堂に見れるのはなかなか貴重!
宜野座村の『本部大主』、
多良間島の『忠臣仲宗根豊見親組』が特に興味深かったな。
「鎧」の表現が面白いの。

国賓に対して踊られた(古典)組踊とは違って
近代になって村々で演じられてきた組踊は庶民の目も加わり、
よりショー的なビジュアルになっていった部分
(ある意味では庶民的ながらも健気な工夫)もあるのかな、
と想像しました( ˘ω˘ )

こういうごてごてした装飾って、
古典組踊ではあまり見ない気がするもの。
特に男性キャラ。

琉球創作をしてる人(絵とか舞台とか)には
いいヒント・資料になるかも。

衣装、後ろからも見たかったな。



組踊名優たちの衣装・小道具
『二童敵討』のあまおへ(阿麻和利)だけでも
こんなにバリエーションが!

向立(鍬形部分)も似ているようでちょっと違う。
統一されている形というわけではないのね。

(今の肝高の阿麻和利の阿麻和利のように
真ん中部分がつながっている向立も!)

どの阿麻和利衣装が好みか、話の種にできそう。

 


片山春帆の『芸能画帖』!

個人的にはこちらもポイント高し!

組踊をスケッチ+淡彩したものがステキング!

クロッキーなので、ささっとした線なんだけど
それがまた良くて、憧れる…

 

 

個人的な推しポイントは以上の4つですが、
音楽に焦点を当てたコーナーや
NHKの「沖縄の歌と踊り」の上映もあります。

上映はダイジェストとかじゃなくて
各演目がっつり見れます。

こちらは無料スペースです。

ちなみに、展示は3Fですが、
1Fのジブリ展の手前では
4Kで組踊を上映してましたよ。

演者や公演にこだわらず
綺麗な画像で見たい方はこちらもオススメ。

 

 

首里城での展示は
南殿と黄金御殿だけなのでこじんまりとしていますが、
首里城出土の、アノ兜の鍬形を生で見れます!


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琉球の花火

2019年08月17日 | ・琉球史散策/第二尚氏

組踊300周年記念イヤーも後半戦、
加えて夏休み期間ということで
あちらこちらで組踊関連の企画が
目白押しですね。

お盆時期恒例の沖縄ホラードラマも
今年は「琉球トラウマナイト」「オキナワノコワイハナシ」の
2夜連続で『執心鐘入』題材の話があったのには
さすがにぶっとびまし

おかげで10年前に執心鐘入のあらすじを紹介した記事が
ここ数日ずっとアクセス数トップです。

どうもありがとうございます。

 

 

しかし、私は組踊は組踊でも、
今、興味関心がアゲアゲなのが

琉球の花火

なのです

冊封使をもてなす宴で芸能(琉舞や組踊)が披露され、
そのクライマックス、おおとりとして披露されたのが
なんと「花火」でした。

以前、このニュースで『火花方日記』の絵図を見た時から、
琉球の花火にすっかり虜になってしまいました。
(動画は公開終了で現在は見れません。残念…)

 

 

琉球の花火は
打ち上げ花火や手持ち花火ではなく、
スタンド式のからくり仕掛け花火。
(※ただし時代によって変化あり)

1866年(尚泰冊封)の『火花方日記』に記録されている花火は
どんなものかというと、

 

こんなん。

ちなみにこの画像は、昨日行われた首里城講座
『琉球国の舞台と花火―甦る300年の伝統ー』
で配られたチラシです。

現在の私たちが「花火」と聞いて
イメージするものとは違う驚きと、華やかさがありますね

講座でもこの画像が写し出されとたん
会場から「わぁ~」と声が上がっていました。

 

赤いふさふさが火です。
噴水状のものと、回転式のものと、
それから飾りを魅せるための照明(ランプ)としての花火。

ちなみに着火前は、

 

 

こう。

こちらも同上のチラシ(裏)より。

どういう仕組みで着火だけであれだけの展開が可能になるんだろう…

 

このようはスタンド式のからくり仕掛け花火が
他にあと4種類あって(全5種類)
それぞれ異なる趣向をこらしています。

この花火の担当者(火花方)任命や
5つの花火のうち誰がいくつ担当するかを巡って
ライバル争いがあったというエピソードは
人間臭くて面白かったです(笑)

↑の花火を担当した安里さん(安里筑登之親雲上)は
父・祖父が花火を代々担当してきた家なのに、
他のライバルに負け1つしか担当させてもらえなかったらしい。

最初は不服申し立てをするも、
本番が終わって後の(冊封使からの)リクエスト再演に指名されればいいや、
と、申し立てを取り下げ、本番は1つということに甘んじたのに、
まさかのリクエスト指名もされなかったという…

 

そんな(ちょっとカワイソウな)安里さんの花火↑が
今秋、復元披露される予定です→  

 

その前に、

 

こちらの講座もいかがですか?

国立劇場おきなわの研究講座「17191年朝薫の舞台」

 

花火について特化した講座もあるので
要チェックです!

全部平日開催ですが、入場無料です。
(要受付・先着順)

 

 

ところで、今年の首里城の中秋の宴は
影を潜めすぎているんだけど
なんなんだろうか…。

一応日程は9月14・15日みたいだけど、
(県博の首里城関連の掲示物で確認)
公式HPには出てないしチラシも見ないし、
プログラムも不明。

組踊300周年の、
正真正銘の現場である首里城の、
中秋の宴で、
特別なにもない?って……いいんだろうか…

組踊300周年イヤーの集大成は、
まさにこの首里城中秋の宴だと思っていたんだけど…
ちがうのか?

仮に何かする計画があるとしても、
今になってもちゃんとした情宣がなさすぎるのは、不安…


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意外!? 南風原石彫魔除獅子の○○姿

2019年08月13日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

前回に引き続き、
特に個性的な村シーサー君を、
もうひとつご紹介しましょう。

 

南城市大里にある、
南風原石彫魔除獅子。

 

 

どん。

 

 

 

南風原バス停のそばにあり、
足元には綺麗に手入れされた花壇になっていて
集落で大切にされていることが伝わりました

 

 

鼻はめずらしくつぶれており、
あまり主張していませんが、
口は閉じ気味とは言え、やはりデカイ。


そして、斜めからみると分かる、
しゃくれ顎(笑)


アーンド、
両津勘吉(BYこち亀)眉。

 

顔もいいが、
四股がまた魅力的。

 

 

左向き。

後頭部にたてがみらしきものも見えますね。

耳は……不明。

 

ネットや書籍などで紹介されるのは
大抵正面図や斜め図ばかりなので、

今回はレアな斜め後ろ姿も公開!!

 

 

胴体は無いに等しいが
しっぽはあった…!!

 

むしろこの村シーサーの1番のポイントは
顔よりもここなんじゃないかとも思う
和々なのであった。


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貴重!村シーサーの○○ポーズ!

2019年08月12日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

前回の続き。

シーサーの造形について。

 

現在、シーサー「らしい」とも言える、
一般化された造形がありますが、

本来シーサーはもっと自由で、
もっと個性的で、
もっとバリエーションに富んでいました。

先人たちが自由に、
おおらかな精神で作ってきたシーサーは
今でも沖縄の各地で見ることができます。

 

それは……

 

村シーサー 

こと 

石獅子!!

 

現在の私たちがイメージする、
シーサー「らしい」なんて、
吹き飛ばしてしまうほどの自由な造形に
ノックアウト必須です。


これまでもいくつか紹介してますが、
今日ご紹介する村シーサー君も
なかなかのものです。

 

 

 

どん。

 

沖縄市古謝のアガリヌシーサー(東之獅子)。

くちマギーに
鼻マギー。 

 

顔のインパクトもすごいけれど、
このシーサーがすごいのは
顔と言うよりもこちら。

 

 

立っている!!!

短い手(前足?)を広げて
立っておられる…!!

仁王立ちとか、
マジムン(悪霊)をガードしている…というよりは…、


え、ハグ…?

 

 

 

 

横から見た図。

足(後ろ足)は無いように見えるけれど
地面に埋もれているだけで
本当はあったのだろうか。

それとも安定させるために
最初からなかったのだろうか…。

 

 

バックショット。

まるで亀の甲羅を背負っているような重厚感。

…っていうか、
耳もたてがみもないことも重なって
亀キャラのようだ。
(タートルズ的な…)

 

村シーサーには耳なしが多い説、な。

 

 

ずんぐりむっくりなフォルムが
愛嬌がある村シーサーです。

 

 

このアングルから見るのが1番可愛い。

なお、
津堅の海峡に向けて設置されているのだそうです。

 

古謝公民館の近く、
車通りのある道沿いに場所にあります。

(最初、公民館の裏手とか住宅エリアばかり探してて
なかなか見つけきれなくて、
諦めて帰ろうと車を通りに出したとたん見つけたパターン

 

 

参/民藝(795号)


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シーサーらしさって…?

2019年08月08日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

沖縄と言えば、

というものの一つに

「シーサー」

がありますね。

観光客が大勢で写真を撮るときに

「はい☆シーサー!」

って言っているのも見かけたりもします。

※ちなみに地元民はそんなかけ声はしません。

 

 

なので、沖縄色がテーマのイラストなんかでも
シーサーが描かれることも多いし、

ちょうど今は夏休みですから
シーサー作り体験とか
図工の宿題で作ったりとかした(する)人もいるかも。

 

ではここで、
シーサーを描く・作る時のポイントをお教えします。

 

くちマギー(大きく)

鼻マギー(大きく)

たてがみぐるぐるぅ~

 

です。

 

繰り返します。

 

くちマギー

鼻マギー

ぐるぐるぅ~

 

はい、覚えました?

 

この3つさえ押さえておけば、
それなりにシーサーらしくなります。

 

目をぎょろ目にするというのもありますが、
個人的にはそれよりも鼻マギーのほうが優先だと思ってます。
目がつぶらでも鼻マギーのほうが、その逆よりもらしく見えるので。
くちマギーは必須。第一必須条件。

 

 

しかし!

今述べたポイントは、
現在一般的な、量産もされているシーサーのフォルムを元にしたもの。

 

クールなシーサー(うん)

 

こーゆーのね。
(普通のシーサーを撮った写真が全然見当たらなかったので^^;
イラスト沖縄さんのフリー素材を拝借しました

 

でも、ちょっと意識を街中のシーサーに目を向けてみると
シーサーのビジュアルはもっと様々で
色んなバリエーションに富んでいます。

たてがみだって、
ぐるぐるぅ~じゃないものも色々あります。

完全ストレートロングで後ろに垂れてたり、
ストレートの毛先だけワンカールだったり、
パンクロックの人みたいにピーンと逆立ってたり、
髭みたいにちょろっとしかなかったり、
長かったり短かったりetc…

 

 

なので、

シーサーは、
現在の一般的なフォルムにとらわれすぎることなく、

 

くちマギー

鼻マギー

(基本)たてがみは入れるが好きにしろ!

 

あとは自由!!!

 

でやるのをオススメしています。

顔の形も、動物型の耳さえあれば
丸でも四角でも三角でも、長くても短くてもいい。

そのほうが紋切型ではない、
個性的でバリエーションに富んだシーサーが描ける・作れると思っています。

 

 

実際、先人たちはもっと自由に、
おおらかな精神でシーサーを形作っていました。

 

(長くなりそうなので、つづく)


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昔はちょっと違う姿だった、皮弁冠

2019年08月04日 | ・琉球歴史/文化風景

 

琉球の王様と言えば、この冠をすぐに思い浮かべる人も多いでしょう。

写真↑は首里城正殿で常時展示されている冠。

現物(国宝)のレプリカです。
(現物は那覇市歴史博物館蔵で毎年定期的に展示されます)

この冠は皮弁冠(ひべんかん)と言い、
冊封の際、琉球王の証として中国皇帝から与えられました。

 

 

こちら、お仕事依頼ページ用に書いたイラスト。

現代版組踊御後絵:尚巴志のちびキャラバージョンです。

琉球王の正装である、皮弁冠に皮弁服。

 

実は…この皮弁冠、
現在見ることのできる皮弁冠と
ちょっと変えていることにお気づきでしょうか。

 

明が清になると色々と事情が変わり、
皮弁服も琉球側で自作(反物は下賜)、皮弁冠も自作…となっていきます。

なので、現在見ることのできる皮弁冠は、
近世に琉球国側で自作したもの、ということになります。

(首里城南殿に並べられている御後絵を、時代に沿って見ていくと、
ある時期から冠が変わり、衣装もどんどん派手になっていってるのが分かりますよ)

 

しかし、古琉球の時代は
冠も服も出来上がっているものを直接下賜されており、
もちろんメイド イン ミン(明)。

その当時の物が沖縄に一切残っていないのが残念なのですが、
皮弁冠自体はなにも琉球国王だけが使っていたわけではなく、
他の朝貢国、それから製造元の中国にもその姿を見ることができます。

それらを調べてみると、
結構細かい所で違うんですよね。

 

 

それがこちら。

冠の筋列が7列、というのは結構知られていますが、
他にも簪の形、額部分の装飾の形、側面部など。

玉の配置も、今の見ることのできる皮弁冠はバラバラですが、
明代のものは揃っています。

資料によって全体のフォルムなども微妙に違ったりするのですが
(簪が逆差しのものも)
大きく分けると、以上のような違いが見受けられます。

 

明から清への時代の移り変わり、
そして古琉球から近世琉球への移り変わり。


その時代の違いを出す(表現する)ためにも、
私は、古琉球(特に御後絵が残っていない三山~第一尚氏期)の皮弁冠は
このような違いを意識して描くようにしています。


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