前回、古琉球期の王様の行列のについて書きましたが、
同じ朝鮮王朝実録に記録された
王様の行列の超有名なエピソードは
別にあります。
通称、
オギヤカの行列。
オギヤカの行列の様子については
これまで断片的には取り上げてるとは思いますが
しっかりブログに書いてないっぽいので、
せっかくなのでしっかり拾ってみましょう。
供述しているのは1477年に済州島から漂流し、
1479年に帰国した朝鮮人。
帰国までに転々とした先島諸島や
琉球国、九州など各地の様子について語っている
当時の記録。
その彼らが1478年沖縄島にいた時、
あの行列を目撃したのです。
(意訳:和々)
俺らは、たまたま、国王の母の出御を見た。
国王の母は漆の輿乗り、四面は御簾が垂れていた。
輿を担ぐ者は20人近くいた。
皆、白苧衣を着て、帛(絹?)で頭を包んでいる。
軍士は長剣を持ち、弓矢を佩いて、前後を警護しており、
100人近くいる。
双角や双太平簫(※楽器)を吹き、
火砲(※祝砲的なやつ?)を放っている。
美しい婦人たちが4・5人、
あやぎぬの衣を着て、表(上)には白苧衣の長い衣を着ている。
俺らは、道端に出て拝謁した。
すると輿が止まり、
二つの鑞瓶が運ばれ、漆の木の器で酒を賜った。
その味はわが国(朝鮮)と同じだった。
若君がいた。
(輿より)やや後ろにいて別隊だった。
年齢は10歳余りだろうか。
はなはだ美しい。
髪は後ろにたらし、編んではいない。
紅のあやぎぬの衣を着て、帯をし、
肥えた馬に乗っている。
轡をとる者、皆、白苧衣を着ている。
騎馬で先導するものが4・5人いる。
左右を護衛するものも、はなはだ多い。
衛士の長剣を持つ者は20人余り。
傘を持つ者は馬に並んで行き、陽をさえぎっている。
俺らは、(若君にも)また伏して謁見した。
すると若君は馬から降りると
鑞瓶を持ってきて酒を盛り、これをくれた。
俺らがそれを飲み干すと、
若君は馬に乗って去っていった。
国の人が言っていた。
『国王が亡くなって、若君はまだ年若い。
なので母君様が朝廷にいる。
若君が成長すれば、すぐ国王になる』
『朝鮮王朝実録 琉球史料集成』(榕樹書林/2005)
この行列は、
尚真が即位(1477年)してじきのことから、
お披露目パレードのような、
もしくは権威を知らしめるためのものとも
考えられています。
だけど、当の尚真王よりも、
母・オギヤカの方が派手で、輿に乗り、前方にいることから
幼い尚真王を差し置いて権力を誇示する
オギヤカの女帝っぷりが感じられるエピソードとして
この行列の記述はよく引用されています。
一方で尚真はというと、
母が朝鮮人に酒を賜ったのをそっくり真似て
同じようにやっているのがちょっとかわいい。
馬から降りて、飲むのを最後まで見届けている
というのも、なんだか無邪気な少年らしさが感じられて
面白いですよね。
しかも美少年ときたもんだ。
さすが、モテ男金丸と、
そんな金丸を射止めるほど美人だったであろう
オギヤカの血を引く人だ!
もう一つ特筆すべきは、
尚真の髪型。
髪は後ろにたらして編んで(束ねて)はいない。
カタカシラでもなく、
総角でもなく
かんぷーでもない。
ちょっと意外な感じもしますよね。
この記述から、キラキラ尚真(少年期)は
さらさらストレート垂れ髪にしてます。
(制作途中↓)
本当は髪は(結べるくらい)後ろも前ももっと長くて
サイドも結んではないんだろうけど、
ここは幼さとかわいさを出すための
アレンジとして。
採用版では短くおかっぱになりましたけど、
没ラフでは記述通りもっと髪は長かったのです↓
でも金丸も長髪ストレートだったので
被りすぎるかなーと思い、
バリエーションを出すためにも
サイドだけ長くして、後ろは短くした…
という制作裏話。
子猿ちゃんの印が怖いですね(笑)
ところでこの漂流民の記述。
自分たちを示すのに
俺ら(俺等)
って書いてあるのがツボ(笑)
私が勝手に一人称「俺」にしてるんじゃなくて
本当に「俺等」って書いてあるんです(笑)
俺等、適々国王の母の出遊するを見る。
俺等、道傍に出で拝謁す。
云々。
俺等、イカしてるぜ!