「北山炎華」(4/4) 1/4はこちらから。 2/4はこちらから。 3/4はこちらから。
著作/シルフ(P.N)
昼間の喧騒が嘘のように、あたりは静まり返っていた。
軽傷の者、重傷の者、死んだ者、生きている者。さまざまいるが、全員に共通しているところといえばぼろぼろだというところだろうか。
だがその場に並んでいるものは、みなどこか達成感に満ちた顔をしていた。
辺りにはまだ、血と砂埃の匂いが漂っている。
「皆のもの、よくぞ責務を果たした。」
尚巴志は皆を見渡し、響き渡る声で言った。
「よくぞ1週間もの長い間、わしの手足となって戦ってくれた。この城と、この刀、千代金丸を手に入れられたのも、皆の働きがあればこそ。
――ああ、その中でも。」
尚巴志は護佐丸のほうを向いた。
「そなたの働きは見事であったぞ、護佐丸。」
「身に余るお言葉、ありがとうございます。」
護佐丸は深々と頭を下げた。
*
――その夜。
「尚巴志様。」
「…おお、そなたか。」
外にでていた尚巴志に、護佐丸が声をかけた。
「春先とは言え、こんな遅くに外にでていては、御身体が冷えます。なにをなさっておいでなのですか?」
「いや、月見をな。」
「月見?」
「ほら。」
空には、見事な満月がかかっていた。
「美しいとは思わんか?」
「…たしかに。」
ふっと、護佐丸も口を緩める。
このように月を見上げるのは久しぶりのような気がする。
「戦いが終わった後に見る月は、特に今回のように厳しい戦が終わった後の月は、美しさで心が癒される。」
しばらく月を見つめた後、ああそういえば、と、尚巴志は護佐丸のほうを向いた。
「そなたの祖先は、この今帰仁の按司であったが追放されたのであったな。
くしくも、今回の戦いで仇を討ったような形となるわけか。」
「……。」
護佐丸は、心中おだやかではなかった。
たしかに彼――攀安知は死んだ。だが、それは自分の手によってではない。
あのまま戦っていたら、確実にこちらが死んでいただろう。
自分は、まだ弱い。
それに……。
『相手を騙せば、また、自分も騙されるのだ。』
なぜかこの言葉が耳を離れなかった。
「のう、護佐丸。わしはこの城だけでは納まらぬぞ。もっと、もっとだ。
もっと領土を、力を、権力を広げる。そしてゆくゆくは……」
独り言のように、しかししっかりとした口調と瞳で
「わしはこの琉球を統一したいと思うておる。」
「……。」
驚き、おもわず尚巴志を見つめる護佐丸。
「世迷言と嘲笑うか?」
「……いえ。」
護佐丸は尚巴志に向かって跪いた。
「ついていきます。どこまでも。我が主 尚巴志様」
「……うむ。」
尚巴志は瞳を閉じ、満足そうに頷いた。
そしてゆっくりと瞳を開き、再びその眼(まなこ)に満月を映す。
「ああ、真に」
ふっと笑い
「いい月だ。」
――了――
終わりっ!
いかがでしたか?
正史などにある北山戦の様子をそのまま小説風にした感じですが、
尚巴志による北山討伐がどのようなものであったのかが
少しでもお分かりいただけると幸いです♪
尚巴志軍の苦戦、
本部の懐柔と裏切り、
敗走と見せかける作戦、
本部の裏切り宣言、
攀安知と本部の一騎打ち、
霊石を叩き割り自刃する攀安知、
宝刀・千代金丸などなど…
正史にあるエピソードから取っております。
(※ちなみに攀安知VS護佐丸は正史にはありません☆)
護佐丸の「今帰仁グスクを追放された祖先の仇」というのも本当で、
護佐丸の祖先(今帰仁世の主)は、攀安知の前の前の北山王、
つまり攀安知の祖父、怕尼芝(はにし)に追放されたと言われています。
今回の「北山炎華」では、攀安知寄りで描写してもらいました。
(最初は護佐丸主人公の予定だったのにねぇ~?(笑))
悪名名高い攀安知ですが、ただ単なる勧善懲悪の悪役ではなく、
本部に裏切られた彼なりの苦渋の思いと怒りとか、
形勢が逆転してゆく悲壮さとか、
それでも屈しない強さとか、
彼なりのそういう魅力をかもし出せたらなあ…ということで
ちょこちょこと演出をアドバイス(口出し?(笑))させてもらいました。
ところで…
本部の懐柔策ですが。
本部と攀安知が一騎打ちになって両方死んだからいいようなものの、
もし、本部が生き残ってたら尚巴志はどうするつもりだったんでしょうね(笑)
やっぱり、本部を北山看守(っていうか、今帰仁城主?)にしたんでしょうかね。
ちなみに、監修をしていて迷ったのは「尚巴志」の明記について。
尚巴志は一般的に、尚(苗字)、巴志(名前)といわれていて、
琉球統一の際に「尚姓」を明国から賜った…とあるので
北山戦の時点では「巴志」だけ…のはずではあるのです、が。
一説には、尚巴志はあくまで尚巴志であって、
「尚」を苗字としたのは中国人の勘違い!?みたいな…。
よって、しかたなく(?)後の王にも「尚」をつけるようになって、
さかのぼって思紹にも「尚」をつけた、みたいな。
んーーーーーー。
まあ…でも尚巴志のほうが分かりやすいだろうし…ということで、
「尚巴志」に統一させていただきました。
(最初の頃は、「巴志様」と言わせてましたが、途中から混合してきたので尚巴志に統一!(汗))
3/4の最後に、緋寒桜の描写を追記しました。
北山戦は3月中旬のことらしいです。(新暦?旧暦?)
当然ながら3月中旬には沖縄の桜は葉桜なのでアリエナイのですが、
昔は今よりも気温も低く、雪が降った記録もあるらしい…(!)ということで、
まぁ、一輪くらい遅咲きがあっても許容範囲、ということで。
※11/3追記 太陽暦で言うと4月3日に出兵。北山戦、昼夜4日間。だそうです。
今回の写真も、月と桜をキーワードに
今帰仁グスク桜まつりの時の写真をひっぱり出してみました
*
最後に、制作裏笑い話。
最初、尚巴志が結構「悪」でした(笑)
金丸みたいな(笑)
1/4の、
先ほど戦況を伝えに来た部下が、周りの兵士の雄叫びにかき消されぬよう、大声で話かけた。
「敵の攻撃は相変わらずです!このままでは、確実に……。」
「ふ…、心配には及ばん。」
尚巴志は笑った。
の部分。
ここで、尚巴志にどんな笑い方をさせるかで結構キャラが変わるんですよね(笑)
最初は、
「ははは!心配には及ばん。」
でした。
ははは!って(笑)
で、次が
「ククク…、心配には及ばん。」
でした。
ククク…っていくらなんでも悪すぎでしょ!
ってことで、
間を取って、↑になりました(笑)
というわけで、4回に分けてお送りしました琉球短編小説「北山炎華」、
これにて終了です。
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