1458年 勝連落城
その時、勝連城主・阿麻和利は、そして王軍総大将・大城賢雄は…。
読谷村にある、阿麻和利のお墓の謎をモチーフにした創作琉球小説。
創作琉球小説
「月下に語る」
原案/和々 著作/シルフ+和々
予告編
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/94f831a9a424bfff5399df2b316aca80
はじめに
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/b52509b03cddaceafc3a53716293cd1f
1/4
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/554391defb384c03823deba1a707e6b5
2/4
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/4c378250df2b98739c134b4118b2c31e
3/4
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/c44da000828365bef8f6e8bb53913eb0
4/4
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/b38002202aa52ec4cedb180fac8fcaaf
では、「月下に語る」裏話~♪
(本編読んでない人は読んでからがいいかも)
まずは↑タイトルも作ってみた百十踏揚と月。
実は、3/4で阿麻和利が死ぬ際、月を見上げますが
その同時刻、首里でも百十踏揚が月を見上げ何かしらを感じ取る
…という、裏設定がありました(笑)
「べたな展開ですが」と言いつつ
添削してくれたショクバの歴女仲間A嬢が提案してくれました。
いいかも…と思いつつ、
でもどうやって文章として入れれば??
と悩んだ末、結局文章としては入れられ仕舞い
もし、この小説をビジュアル的に(っていうか漫画的に)イメージするとしたら、
あのシーンに首里の百十踏揚のコマが数コマ入る…
って感じです(笑)
(…分かるかな?)
お次はこの人。
津堅(つけん)。
この従者の存在はシルフさん発案です。
(グッジョブ☆)
最初は全部従者の視点で書く予定…でした。
その後、各章ごとに視点が変わるという『告白』スタイルに。
(ある章では賢雄視点。ある章では津堅視点…みたいな)
それも面白いな、と思ったのですが…
やはり難しかったので普通のスタイルになっちゃいました
で、「津堅」という名前。
勝連(町)の字名を羅列してその中から選びました(笑)
・内間 ・南風原 ・浜 ・比嘉 ・平敷屋 ・平安名 ・平安座 ・伊計 ・屋慶名 ・宮城
などなど…。
「肝高の阿麻和利」とかぶる苗字は避けて、「津堅」に。
でも「津堅」、実は与並岳生さんの『百十踏揚』に出てきます。
もちろん、同一人物のつもりじゃないんですが。
その中でも津堅は阿麻和利の弟的な比較的若い側近なんですよね。
偶然です(笑)
(「津堅」の名前を選んだのはワタシじゃないんで(笑))
「月下に語る」の津堅は17・8歳ってのは
最終段階になって出てきた設定です。
「…なんか、言動が若干子どもっぽいよねぇ。まっすぐっちゃ、まっすぐだけど。」
ってことで。
でも、最後にうまくまとまったんで、結果オーライかな。
(いかに無計画で行き当たりばったりで作ってたかがバレる…)
で、ひとまず「完成」とする前に、
添削チェックも兼ねて何人かのヒト(大人)に読んでもらったんですが、
その中で、
「これ書いた人、賢雄が好きなんだなーっていうのが分かる」
って言われました(笑)
「いやいや、賢雄も好きですけど阿麻和利が1番なんですよ?」
って言ったら、隣にいた別のヒトが
「でも阿麻和利の舞台終わってからも賢雄賢雄してて
阿麻和利のこと言ってるの聞いたことないけど(笑)」
…って。
はははっ(脱力)
それは誤解です
ちゃんと阿麻和利君も見てますよ(笑)
ただね、阿麻和利と違って
賢雄は演者が変わるからその違いを見るのが楽しいのさ。
それに阿麻和利はもうかなり有名だけど
大城賢雄はまだ知らない人の方が多いんだもん。
自然と賢雄について話題にしたくなるさぁね。
(そういえば、前にも別のコに言われたなぁ。賢雄が1番好きなんでしょ?って。そう見えるのか?)
まぁ…そんなこんなで、
阿麻和利も大城賢雄も愛情たっぷりに注いだ
「月下に語る」になりました(笑)
*おまけ*
日の目を見なかったかなり初期段階での台詞
「生きているのだろう?阿麻和利」
予告編にも入ってた台詞。
気に入っていたんだけど、この確信に満ちた台詞だとうまく繋がらなかったので泣く泣くカット。
「不思議なものだな。いい思い出のほうが少ないというのに、
限りある命だと思うととたんに郷愁の念を抱くのだから」
阿麻和利、屋良に行ってました。
でもやっぱり屋良で特別なにかをするでもなく…というわけでシルフさんリテイク。
「ふざけるな…っ!俺は、俺はそんなお前を追いかけていたんじゃない…!
俺は、どんな時でも諦めず、向かってきた勝連按司のお前を斬りに来たんだ…!
そんな腑抜けのお前を斬りに来たんじゃない!!」
腑抜け(笑)
賢雄、殺しにかかってます。どうすんだこの後(笑)
でもこの賢雄の感情の高ぶりが完成版のあの心の台詞に変わったのですネ。
最初、展開が全然今と違いました。
賢雄、部下総動員で阿麻和利探すし、
阿麻和利、屋良に行ってるし、
阿麻和利と賢雄と再会して一戦交えてるし。
(おいおい、阿麻和利瀕死やで)
ちなみに阿麻和利の瀕死のイメージは
中岡慎太郎くらい。
まぁ…それくらいまとまってなかったんです。過程が
結果はね。最初でできてたんですよ。
阿麻和利を斬ったのも墓を作ったのも賢雄って。
今思えば…よくできたものです
やっぱり、読谷山ってことは護佐丸でしょう。
阿麻和利・賢雄・護佐丸という琉球三傑を見るときに
護佐丸の神的な存在感っていうか
そういうのをどうしても入れたかったです。
それゆえに「読谷山」という場所の意味を持たせたかったのですね。
少しでも、伝われば幸いです♪
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