530~護佐丸の日~企画
5月30日(水)は皆で護佐丸についてUPしよう!
よーいドン!!
さあ来ました!530、5月30日「護佐丸の日」です。
(ついでに言うと、ゴミゼロの日でもある!今日はみなさんゴミゼロで!)
古琉球髄一の武将・護佐丸について、
みなさんのイメージ、思い出、考え、希望、妄想、暴走etc…
どうぞ自由に披露してください!
飛び入り参加も歓迎しますどうぞお気軽に!
企画詳細→ ★
それぞれがUPした護佐丸記事は
是非この記事のコメント欄にURLと共に一言残してくださいませ!
(もちろんこれは任意なので、見られたくない!って方は無理は言いません)
あ、もちろん通常のコメントでもOKですよ♪
ツイッターの方は「♯護佐丸の日」をご利用ください!
≪18:30 追記≫
ただいま帰宅~。
今日に限って通常の水曜日の1.5倍忙しかった…
さて、早くもつぶやいてくださったツイッターユーザーのみなさん、
ありがとうございました!
つぶやいたツイッターの単独表示(↓こういうの)のURLを
差支えなければ是非コメント欄に記入お願いします
せっかくですから、相互交流いたしましょう
一人いくつでもOKですので!
さて、ワタシの「護佐丸の日」はイラストで。
画像サイズでかすぎたかな?
PCキーボード上の【F11】ボタンで全画面表示になりますのでお試しあれ。
(もう一度【F11】を押すと元に戻ります)
企画の言いだしっぺなのでちょっとはりきってガンバリマシタ!(笑)
(久しぶりにフルで描いた…)
馬乗り武将護佐丸。
馬、たぶん初めて描きました。
(馬の頭蓋骨なら描いたことあるんだけど…デッサンとかで)
それからこの年齢設定の護佐丸も初めてチャレンジ。
三山時代の若ごさでも、
晩年の爺ごさでもなく、
壮年時代のおじごさ。
おそらく座喜味城主時代かと(笑)
さて、こんな感じで、本日5月30日24時間の間に
何度かこの記事に護佐丸ネタを追記・更新していこうと思います(笑)
時々覗いてみて下さいね
≪06:44 追記1≫
ワタシの護佐丸のイメージは、強くて豪快さもあるけど
同時に礼儀と教養(つまり“品”育ちの良さ)のある武将。簡単に言うと優等生。
(むさくるしい武将は攀安知(笑) 知的クールな武将は大城賢雄)
そんなイメージから鎧は白系にしてみました(「琉球戦国列伝」でもね☆)。
さすがに晩年は、ダンディな爺ちゃんらしく
黒&グレー(シルバー…いぶし銀かな?)のイメージですが。
≪18:45 追記2≫
企画表明の時も書きましたが、5月30日「530=ごさまる」で護佐丸の日です。
護佐丸最期の地である中城村によって制定された立派なゴロ合わせ記念日です。
(読谷村と恩納村は悔しがっているかもしれません(笑)
少なくともFMよみたんの仲宗根社長はちょっと悔しそうでした(笑))
ちなみに中城グスクは、現在の住所でいうと中城村と北中城村にまたがっており、
住所から言うと北中城になります。
複雑です、護佐丸を主張する「所在地」
≪19:20 追記3≫
YMさんの護佐丸の日参加ブログ記事、
「肝高の阿麻和利(と義の漢 護佐丸)を、俳優が演じるとしたら!?」が
なかなか興味深いです。
しかし、いかんせんワタシはドラマとか全然見ない人なので
俳優・女優が分からない…(-_-;)
是非みなさん記事をご覧いただいて知恵をお貸しください★
http://rieko0329.ti-da.net/e3955187.html
ヘルプが出てる配役は屋慶名・南風原・平安名・ハッタラーですが、
ワタシは護佐丸はこの人希望!!
っていうのでもいいと思います。
YMさんのブログにコメント残して下さいね♪
肝高の阿麻和利見てなくてこの4名誰…?って方は
勝連4大将(琉球戦国列伝P24)と思ってください。
(…あ、ハッタラーは除く)
≪21:00 追記4≫
ワタシが初めて「護佐丸」の存在を知ったのは現代版組踊「肝高の阿麻和利」
(余談だけど「阿麻和利」の存在は高校3年の時。
卒展で二童敵討の阿麻和利をペーパークラフトでやった子がいて、それで。あれはすごい作品だった…)
琉球史の知識ゼロで観に行った肝高の阿麻和利の舞台。
パンフレットに載ってた舞台の人物相関図、
「護佐丸」
(舞台には登場しません)
これが護佐丸との初対面。
昨日、自分と護佐丸との初対面を振り返りながらふと思った。
ワタシ、何度か「人間・護佐丸っていまだに掴めん!」って書いたりラジオで言ったりしていますが(→例★)
もしかしたら、この初対面がかなり影響しているところもあるかもしれない。
例えば、護佐丸を初めて知ったのが
「義の漢 護佐丸」だったら、「翔べ!尚巴志」だったら、
小説「百十踏揚」だったら…
もしかしたらガラリと違っていたかもしれない…。
(舞台には登場しません)
この謎めいた所。
「護佐丸」の実態がよく掴めないこのフレーズ。
一切登場しないのに、その存在はとてつもなく大きい。
分からない所から、色々本を読んだり調べたり…。
阿麻和利や攀安知や尚巴志と違って、
護佐丸だけがワタシにとってなんだかどこかもやっとした、
「一段上の特別な存在」(注:わからん!含む)なのは
そういう経緯だからなのかもしれません。
我ながら、
「…あぁ!」
ってなんだか妙に腑に落ちました(笑)
とりあえず、ワタシなりに色々考えたり読んだり調べたりして、
理想とする護佐丸像は
ダントツで「百十踏揚」(与並岳生著/新星出版)ですね!
これはもう、阿麻和利も百十踏揚も大城賢雄も尚泰久も御茶当真五郎も全て。
(金丸は…ちょっと偏り過ぎた感はあるけど…でもワタシの“金丸像”に大きな影響を与えたのは確か)
圧倒的にリアルです。
大河ドラマ化希望!!と言い続けてます
読んだことない方、おススメです!
≪21:45 追記5≫
歴史上の人物は英雄像も反英雄像もあって然り。
これがワタシの基本的な姿勢。
両方知った上で、自分の理想とする人物像を描く。
歴史エンタメとして、娯楽としてね。
(専門家さんだとまた違うのだろうけど…)
理想とする人物像、ワタシだったらさっきも追記したように小説「百十踏揚」!
さーて、では、皆さんがあまり触れていない
「ワルな護佐丸」像に敢えて触れてみようかな(笑)
護佐丸は座喜味・中城の2つのグスクを築城(増築)したわけですが、
その際、多くの人が集められ過酷な労働を強いられた、と。
その人員徴用は奄美や慶良間にもおよび、
それゆえ、与論島では子どもが泣くと
「(泣いていると)護佐丸が来るぞ」と言って脅し(?)泣きやませる…
というのは有名な話。
ま、このこともそのままそっくり受け取るのは今では結構疑問視されているので、
(例:「護佐丸伝」(新垣正雄著)/「海の王国・琉球」(上里隆史著))
ひとつの言い伝えとしてワタシは受け取っておりますが。
そのエピソードをとりいれた「ワルな護佐丸」を描き…かけて未完になってる(涙)
「雲風」(山里永吉著/昭和47年)から一部御紹介。
中頭や国頭はもちろん、遠く与論、沖永良部、
奄美大島あたりからもかり集めてきた逞しい男たちが、
陽に焼けた顔や顔や肌に汗を流し、埃にまみれて働いていた。
誰も、殆ど裸体であった。
土を掘る者、石を割る者、その土や石を運ぶ者、樹を伐る者、
―――高い丘陵をかこんで、その周囲に蟻のようにたかって働いている。
役人は誰もが抜刀していた。怠けるものは斬るのである。
今日も一人斬られた。昨日も一昨日も、毎日一人や二人の犠牲者があった。
*
―――多分この築城は、今までに見たことも聞いたこともないほど、大規模なものであろう。
この築城を完成する為に、或いは護佐丸は土民の生命の千や二千は潰す覚悟であるかもしれない。
「雲風(首里城内の女たち収録)175-」(山里永吉著)
こんな護佐丸も今ではある意味新鮮なのでは?
さて、みなさんの描く護佐丸はどんなヒト?
≪22:00 追記6≫
お絵描き隊が続々参入のようです。
いろんな護佐丸が見れてオモシロイなー
みなさんもコメント欄からジャンプしてくださいね!
落書きも大歓迎!
護佐丸の日もあと2時間、最後にいかがですか?
さあ、あと何回追記・更新できるかな?(笑)
*530~護佐丸の日~企画ルール*
●「護佐丸の日」という単語を本文もしくはタイトルに入れること
↑これ、お忘れなく!
●護佐丸に関連するネタであること
●5月30日(水)の00:00~24:00の間にUPすること
みなさまもどうぞ「護佐丸の日」を自由にお楽しみください
(尚、お一人様あたりのネタ披露や記事数の制限はありません。お好きなだけどうぞ(笑))
クリックプリーズ!↑
最初のこの記事のUP時間、
00:00にするか05:30にするかでちょっと悩みました(笑)