がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

【終了】530~護佐丸の日~企画

2012年05月31日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

530~護佐丸の日~企画、終了です。

ご参加くださったたくさんのみなさま、
コメント下さったみなさま、
情報拡散等協力して下さったみなさま、
本当にありがとうございました

ネタのUPは5月30日24:00でひとまず終了ということですが、
UPした記事の事後報告や感想、相互交流などは今後も自由にどうぞ

企画本部の記事のコメント欄に入れて下さいね。


ご報告下さった記事は全て訪問させていただきます!
またコメント残せる環境であればコメントも入れますのでしばしお待ちくださいませ。

振りかえり記事はまた改めて書かせていただきますが、
この記事を持ちましてひとまず企画の終了と、お礼とさせていただきます

 

 
見て、参加して、楽しかったよーって人は
クリックプリーズ!↑

アレがあれになったので
次はその準備もせねば…。

ではとりあえずオヤスミなさい…


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【当日】530~護佐丸の日~企画【企画本部】

2012年05月30日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

530~護佐丸の日~企画
5月30日(水)は皆で護佐丸についてUPしよう!


よーいドン!!

 

さあ来ました!530、5月30日「護佐丸の日」です。
(ついでに言うと、ゴミゼロの日でもある!今日はみなさんゴミゼロで!)

古琉球髄一の武将・護佐丸について、
みなさんのイメージ、思い出、考え、希望、妄想、暴走etc…

どうぞ自由に披露してください!

飛び入り参加も歓迎しますどうぞお気軽に!


企画詳細→ 

 

 

それぞれがUPした護佐丸記事は
是非この記事のコメント欄にURLと共に一言残してくださいませ!
(もちろんこれは任意なので、見られたくない!って方は無理は言いません

あ、もちろん通常のコメントでもOKですよ♪

ツイッターの方は「♯護佐丸の日」をご利用ください!

 

≪18:30 追記≫

ただいま帰宅~。
今日に限って通常の水曜日の1.5倍忙しかった…

さて、早くもつぶやいてくださったツイッターユーザーのみなさん、
ありがとうございました!

つぶやいたツイッターの単独表示(↓こういうの)のURLを
差支えなければ是非コメント欄に記入お願いします

せっかくですから、相互交流いたしましょう

一人いくつでもOKですので!


 


さて、ワタシの「護佐丸の日」はイラストで。

 画像サイズでかすぎたかな?
PCキーボード上の【F11】ボタンで全画面表示になりますのでお試しあれ。
(もう一度【F11】を押すと元に戻ります)

企画の言いだしっぺなのでちょっとはりきってガンバリマシタ!(笑)
(久しぶりにフルで描いた…

馬乗り武将護佐丸。

馬、たぶん初めて描きました。
(馬の頭蓋骨なら描いたことあるんだけど…デッサンとかで)

それからこの年齢設定の護佐丸も初めてチャレンジ。

三山時代の若ごさでも、
晩年の爺ごさでもなく、
壮年時代のおじごさ。

おそらく座喜味城主時代かと(笑)

 

さて、こんな感じで、本日5月30日24時間の間に
何度かこの記事に護佐丸ネタを追記・更新していこうと思います(笑)

時々覗いてみて下さいね


≪06:44 追記1≫

 ワタシの護佐丸のイメージは、強くて豪快さもあるけど
同時に礼儀と教養(つまり“品”育ちの良さ)のある武将。簡単に言うと優等生。
(むさくるしい武将は攀安知(笑) 知的クールな武将は大城賢雄)

そんなイメージから鎧は白系にしてみました(「琉球戦国列伝」でもね☆)

さすがに晩年は、ダンディな爺ちゃんらしく
黒&グレー(シルバー…いぶし銀かな?)のイメージですが。

 

≪18:45 追記2≫

企画表明の時も書きましたが、5月30日「530=ごさまる」で護佐丸の日です。
護佐丸最期の地である中城村によって制定された立派なゴロ合わせ記念日です。

(読谷村と恩納村は悔しがっているかもしれません(笑)
少なくともFMよみたんの仲宗根社長はちょっと悔しそうでした(笑))

ちなみに中城グスクは、現在の住所でいうと中城村と北中城村にまたがっており、
住所から言うと北中城になります。

複雑です、護佐丸を主張する「所在地」

 

≪19:20 追記3≫

YMさんの護佐丸の日参加ブログ記事、
「肝高の阿麻和利(と義の漢 護佐丸)を、俳優が演じるとしたら!?」
なかなか興味深いです。

しかし、いかんせんワタシはドラマとか全然見ない人なので
俳優・女優が分からない…(-_-;)

是非みなさん記事をご覧いただいて知恵をお貸しください★

http://rieko0329.ti-da.net/e3955187.html

 ヘルプが出てる配役は屋慶名・南風原・平安名・ハッタラーですが、
ワタシは護佐丸はこの人希望!!
っていうのでもいいと思います。

YMさんのブログにコメント残して下さいね♪

肝高の阿麻和利見てなくてこの4名誰…?って方は
勝連4大将(琉球戦国列伝P24)と思ってください。
(…あ、ハッタラーは除く)

 

≪21:00 追記4≫

ワタシが初めて「護佐丸」の存在を知ったのは現代版組踊「肝高の阿麻和利」

(余談だけど「阿麻和利」の存在は高校3年の時。
卒展で二童敵討の阿麻和利をペーパークラフトでやった子がいて、それで。あれはすごい作品だった…)

琉球史の知識ゼロで観に行った肝高の阿麻和利の舞台。

パンフレットに載ってた舞台の人物相関図、

「護佐丸」
(舞台には登場しません)


これが護佐丸との初対面。

昨日、自分と護佐丸との初対面を振り返りながらふと思った。

ワタシ、何度か「人間・護佐丸っていまだに掴めん!」って書いたりラジオで言ったりしていますが(→例
もしかしたら、この初対面がかなり影響しているところもあるかもしれない。

例えば、護佐丸を初めて知ったのが
義の漢 護佐丸」だったら、「翔べ!尚巴志」だったら、
小説「百十踏揚」だったら…
もしかしたらガラリと違っていたかもしれない…。

(舞台には登場しません)


この謎めいた所。

「護佐丸」の実態がよく掴めないこのフレーズ。

一切登場しないのに、その存在はとてつもなく大きい。

分からない所から、色々本を読んだり調べたり…。

阿麻和利や攀安知や尚巴志と違って、
護佐丸だけがワタシにとってなんだかどこかもやっとした、
「一段上の特別な存在」(注:わからん!含む)なのは
そういう経緯だからなのかもしれません。

我ながら、
「…あぁ!
ってなんだか妙に腑に落ちました(笑)


とりあえず、ワタシなりに色々考えたり読んだり調べたりして、
理想とする護佐丸像は
ダントツで「百十踏揚」(与並岳生著/新星出版)ですね!

これはもう、阿麻和利も百十踏揚も大城賢雄も尚泰久も御茶当真五郎も全て。
(金丸は…ちょっと偏り過ぎた感はあるけど…でもワタシの“金丸像”に大きな影響を与えたのは確か)

圧倒的にリアルです。
大河ドラマ化希望!!と言い続けてます

読んだことない方、おススメです!

 

≪21:45 追記5≫

歴史上の人物は英雄像も反英雄像もあって然り。

これがワタシの基本的な姿勢。

両方知った上で、自分の理想とする人物像を描く。
歴史エンタメとして、娯楽としてね。
(専門家さんだとまた違うのだろうけど…)
理想とする人物像、ワタシだったらさっきも追記したように小説「百十踏揚」!


さーて、では、皆さんがあまり触れていない
「ワルな護佐丸」像に敢えて触れてみようかな(笑)

護佐丸は座喜味・中城の2つのグスクを築城(増築)したわけですが、
その際、多くの人が集められ過酷な労働を強いられた、と。

その人員徴用は奄美や慶良間にもおよび、
それゆえ、与論島では子どもが泣くと
「(泣いていると)護佐丸が来るぞ」と言って脅し(?)泣きやませる…

というのは有名な話。

ま、このこともそのままそっくり受け取るのは今では結構疑問視されているので、
(例:「護佐丸伝」(新垣正雄著)/「海の王国・琉球」(上里隆史著))
ひとつの言い伝えとしてワタシは受け取っておりますが。

そのエピソードをとりいれた「ワルな護佐丸」を描き…かけて未完になってる(涙)
「雲風」(山里永吉著/昭和47年)から一部御紹介。


中頭や国頭はもちろん、遠く与論、沖永良部、
奄美大島あたりからもかり集めてきた逞しい男たちが、

陽に焼けた顔や顔や肌に汗を流し、埃にまみれて働いていた。
誰も、殆ど裸体であった。

土を掘る者、石を割る者、その土や石を運ぶ者、樹を伐る者、
―――高い丘陵をかこんで、その周囲に蟻のようにたかって働いている。

役人は誰もが抜刀していた。怠けるものは斬るのである。

今日も一人斬られた。昨日も一昨日も、毎日一人や二人の犠牲者があった。

―――多分この築城は、今までに見たことも聞いたこともないほど、大規模なものであろう。

この築城を完成する為に、或いは護佐丸は土民の生命の千や二千は潰す覚悟であるかもしれない。


「雲風(首里城内の女たち収録)175-」(山里永吉著)

 

こんな護佐丸も今ではある意味新鮮なのでは?

さて、みなさんの描く護佐丸はどんなヒト?

 


≪22:00 追記6≫

お絵描き隊が続々参入のようです。

いろんな護佐丸が見れてオモシロイなー

みなさんもコメント欄からジャンプしてくださいね!

落書きも大歓迎!
護佐丸の日もあと2時間、最後にいかがですか?

 

さあ、あと何回追記・更新できるかな?(笑)

 


*530~護佐丸の日~企画ルール*

●「護佐丸の日」という単語を本文もしくはタイトルに入れること
これ、お忘れなく!

●護佐丸に関連するネタであること

●5月30日(水)の00:00~24:00の間にUPすること

 

みなさまもどうぞ「護佐丸の日」を自由にお楽しみください
(尚、お一人様あたりのネタ披露や記事数の制限はありません。お好きなだけどうぞ(笑))

 

 
クリックプリーズ!↑

最初のこの記事のUP時間、
00:00にするか05:30にするかでちょっと悩みました(笑)

コメント (27)
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【いよいよ明日!】530~護佐丸の日~企画

2012年05月29日 | ・琉球史散策/第一尚氏

530~護佐丸の日~企画
5月30日(水)は皆で護佐丸についてUPしよう!

 

*企画詳細 再掲載*

 

≪ネタの例≫

絵を描いてUPするのもよし!(落書可)

ゆかりの地の写真をUPするのもよし!

こんな所が好きと暴露するのもよし!

妄想…もとい、勝手なイメージを語るもよし!

物語を作っちゃうのもよし!

もし「大河ドラマ・護佐丸」ができたとしたら誰が適任か発表するのもよし!

敢えて笑いをとるのもよし!

関連するうんちくを披露するのもよし!

専門的な見解を述べるのもまたよし!

「史実」に限らずフィクションやイメージもOK!
つまり、なんでもアリ!!

それぞれのレベル・視点・得意分野で参加してください!


 

≪それでも迷う…って人のために、例題≫


「あなたと護佐丸の出会いを述べよ」

あなたが「護佐丸」という武将を知ったのはいつですか?
何がきっかけでしたか?
その第一印象は?

一文(つぶやき)から長文まで制限なし!



↑新しく描く時間なかったので使い回し~

 

ルールは以下の3つです。

 

*ルール*

●「護佐丸の日」という単語を本文もしくはタイトルに入れること
これ、お忘れなく!

●護佐丸に関連するネタであること

●5月30日(水)の00:00~24:00の間にUPすること


なお、当日はそれぞれがUPしてくださった記事・つぶやきなどを
ある程度集約できればな、と思っております。

そうすれば相互交流にもなって
色んな人の「護佐丸」を、色んな人が見れますし

なのでUPする媒体はHP、ブログ、ツイッター、ピクシブ、写真や動画の共有サイトなど自由ですが、
誰もが訪問できるように、アクセス制限がない場所にUPしていただければと思います。


当日はワタシがUPする記事を「企画本部」としまして、
それぞれがUPした護佐丸記事のURLをコメント欄にどんどん記入していただければと思います。

これは任意ですが、↑の意図からも差支えなければ是非ご協力お願いします♪
(お知らせいただいた記事は全てご訪問・コメントさせていただきます



また、ツイッターの方は「♯護佐丸の日」もご利用ください



さあ、5月30日水曜日、
各々、護佐丸に対する思いの丈を述べるがいい!


【関連過去記事】

企画表明→     1週間前→     3日前→ 

 

 

 
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具志川グスク

2012年05月28日 | ・琉球史散策/グスク時代

 再び南山へリターンして、今日は具志川グスク。

晴天の日に、もう一度訪れたいグスク。

なぜならば、具志川グスクのこの立地!

海のそば!崖っぷち!!Σ(゜∀゜;)

山(丘)の上にあるグスクが多い中、
この崖っぷち具志川グスクはいやはや、なんとも言えない迫力でした。

トップ写真の柵のところは穴(火吹き穴)が開いていて、
そのまま海につながっているそうです。
(あいにく網などでふさがれていて確かめることはできませんでしたが…)

船を直接真下につけてこの穴から荷物の運搬をした…?

 発掘&復元も行われていて立派な石垣が海に向かっております。

↑正門跡(内側からの撮影)。

かなり幅が広いです。

階段跡。

いったん上がって、そして見下ろすと、こう↓

ああ、晴天の日はさぞかし壮大な眺めだろうなぁ

ちなみにこの海の方角は南。

 主郭エリア。

ちなみに具志川グスクは同名のものがうるま市具志川にもありますが、
今回のは本島最南端糸満市喜屋武岬近くの具志川グスクです。

喜屋武岬が近いということもあってか
少ないながらも人が途切れることなく訪れていました。

満潮の晴れた夏の日に、またリベンジしたいグスクでした

 

ワタシは専門的なコメントはできないので
もっとちゃんと知りたい方は上里さんの該当記事をどうぞ → 

 




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護佐丸の日まであと3日

2012年05月27日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 
530~護佐丸の日~企画まであと3日!

 

この企画は事前申請もなにも必要ありません。

ただ、5月30日(水)に、
それぞれブログやツイッターなどで
護佐丸に対するネタを披露していただくだけです。

 

でも語るほどあまり護佐丸詳しくないし~

っていう人も大丈夫!

 

ネタがないって人のために、
例題を1つ。

 

「あなたと護佐丸の出会いを100字以内で述べよ」

あなたが「護佐丸」という武将を知ったのはいつですか?
何がきっかけでしたか?
その第一印象は?

 

ほら。書けそうでしょ?
(もちろん100字以上書けそうな人はどんどん書いちゃってください)

 

琉球史初心者も、歴女も歴男も、専門家さんも、
どうぞそれぞれのレベル、それぞれの視点で
護佐丸に対する思いの丈を披露してくださいませ!

 

イラスト・落書き等も大歓迎です♪

大丈夫!かなりアレンジされてても怒らないから(笑)

デフォルメ・写実・硬派・長髪・銀髪・色男etc…
え~いっ!この際なんでもアリだ!!

どうぞ琉球史サブカルチャーとして遊んでください。

 

 

なお、当日はそれぞれがUPしてくださった記事・つぶやきなどを
ある程度集約できればな、と思っております。

そうすれば相互交流にもなって
色んな人の「護佐丸」を、色んな人が見れますし

なのでUPする媒体はHP、ブログ、ツイッター、ピクシブ、写真や動画の共有サイトなど自由ですが、
誰もが訪問できるように、アクセス制限がない場所にUPしていただければと思います。


当日はワタシがUPする記事を「企画本部」としまして、
それぞれがUPした護佐丸記事のURLをコメント欄にどんどん記入していただければと思います。

これは任意ですが、↑の意図からもできるだけご協力お願いします♪
(お知らせいただいた記事は全てご訪問・コメントさせていただきます

 

 

530~護佐丸の日~企画 


*ルール*

●「護佐丸の日」という単語を本文もしくはタイトルに入れること

●護佐丸に関連するネタであること

●5月30日(水)の00:00~24:00の間にUPすること

 

その他詳細はこちら
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/4fc305c408e0252eaa7f89c2dbfe3b15

 

何か不明な点がありましたら、お気軽に聞いてください



 
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シニグンニ

2012年05月27日 | ・琉球歴史/文化風景

ずっと行ってみたかった、今帰仁グスク界隈にある謎の史跡。

シニグンニ。

今帰仁グスク前の模型にポツンと存在だけは紹介されているものの、
そこに至るまでの案内板や表示などは一切なかったにも関わらず、

「むっ、この先あやしい… (-_-)」

という勘だけで迷わず一発で辿りつけた時は
内心ガッツポーズしましたね(笑)

思わずモブログしちゃったくらい(笑)

四角い石組みに中央がまるくくぼんでいる。

…まるで生贄台?

と感じるのはワタシだけじゃないはず?

その手前にはストーンサークル。

 

何らかの儀式に使われた史跡でしょうが、
とても原始的な雰囲気があって不思議な感じです。
(いつの時代のものなんだろう?)

いわゆる「御嶽」にはなっていないっぽいのも不思議。

手前は広場になっていました。

壇に登るための階段跡。

今帰仁グスク界隈の史跡は
石組みがワイルド。

大きくて、荒々しい。

しばし場の雰囲気を味わい、ぼ~っとする。

 

「グスク」とも、「御嶽」とも一味違った不思議な史跡、
「シニグンニ」でした。

 

あと3日!情報拡散・飛び入り参加も歓迎しまーす(^◇^)ノ

 


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テンチジアマチジ

2012年05月26日 | ・琉球史散策/グスク時代

久しぶりに史跡めぐり記事をば。

南山巡りの写真もまだ全部紹介してないのですが、
今日はちょっと南山から北山へ。

今帰仁グスクのこんな場所をご紹介。

 

テンチジアマチジ。

 

今帰仁グスクの御内原にある御嶽。

実はこの御嶽は、アレがあった場所と言われています。

では、今回は「北山炎華」から引用してみましょうか。

 

「…もはやここまでか…。」

ばらばらと、遠くで城が崩れる音が聞こえる。
恐らく、全壊するのも時間の問題だろう。

我が城が、我が領土が、我が国が。

……それならば。

剣をかまえ直した攀安知を見て、護佐丸はこちらに向かってくると思い警戒した。

だが、


バキイィン!!


攀安知が愛刀・千代金丸の切っ先を向けたのは、護佐丸ではなく、
この城、そして北山の守護神ともいえる霊石であった。

「なっ!!攀安知殿っ!?なにを!!」

「くくく…ははは…こうなれば道連れじゃ…。」

そう言った後、攀安知はゆらりと護佐丸に顔を向けた。

「おい、護佐丸。わしの、この言葉を覚えておけ。
お前が今までやってきたことは全てお前に返ってくる。相手を裏切れば己が裏切られ、そして」

うっすらと笑みを浮かべ、まっすぐに護佐丸を見据える。

「相手を騙せば、また、己も騙されるのだ」


「北山炎華」(シルフ著)より

 

攀安知が自ら叩き割った霊石があったとされる場所。

実際の石は昭和の頃まではあったとのことですが、
どっかのおじいが持ち去って今はない
ってどこかで読んだんだけど(笑)

とりあえず、残念ながら今は紛失中、らしいです。

 

でも『琉球王国ぶらぶらぁ散歩』にはヒビの入った霊石?の写真が。

どういうこっちゃ?

 

 

+ + +

 

【追記】

写真が暗いので後日撮った写真も追加しておきます

 

  

 

+ + +

 

ちなみにこのテンチジアマチジ、またの名を「今帰仁の金比屋武」は
琉球七嶽、つまり琉球の7大重要御嶽のうちの1つです。

 

【琉球七嶽】


安須森御嶽


今帰仁の金比屋武


知念グスク(知念森)・斎場御嶽( 


藪薩の浦原


玉城グスク( 


クボー御嶽


首里森御嶽
(あれっ、独立記事書いてないっぽい…?首里城下之御庭にあるこれ↓)



ツイッターの方は「♯護佐丸の日」で、情報拡散もお願いします(^◇^)ノ

 護佐丸の日の準備、終わった~♪

 


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そういえば小説第3弾もさっさと進めないとな~;
(半分くらいはできてるんですが…)
「月下に語る」と違って締め切り設定されてないので
ゆるゆるです(笑)


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アナログ人間

2012年05月26日 | ・徒然日記

今週月曜日にUPした記事
現代版組踊による心の支援」、
フェイスブックのシェアカウントが78になってる !(゜0゜;)

ワタシはフェイスブックやってないので
どなたがシェアしてくださったのは検討もつかないのですが
記事をシェアして紹介してくれた皆さん、
どうもありがとうございました

 

フェイスブック、ツイッター、ミクシィetc…

ワタシはどれもやってません

とあるSNSは7年くらい前まではやってたけど、
更新時期の時に抜けて、そのまま。

ケータイもスマホじゃないし、
ケータイでメールするのもあまりやるほうじゃない。
(メールするのはPCの方がだんぜん楽)

ちなみにケータイもワタシが大学生のときは
もう皆がフツーに持っているっていう状態だったけど
敢えて持たなかったあまのじゃくです。
(クラスで持ってないのワタシだけだった(笑))

社会人になってからです。ケータイ買ったの。

こう見てみるとワタシは結構アナログ人間みたいです(笑)

絵描くのもパソコン使うのは塗りだけで、
「護佐丸の日」の絵も直接ペン入れしてそれをスキャンしてPCで塗り
…という作業手順は相変わらず。

先日ペンタブ買ってみたけど、まだ全然です。

でも実はここだけの話、
ツイッターは一度アカウント作ったことはあるんです。

作って、小一時間で削除した

ん~~~……

割とワタシがやりたいことは今のところブログで事足りているので
スマホになったら考えます(笑)

次、ケータイ替える時はさすがにもうスマホしかないと思うので(笑)

 

さ。

「護佐丸の日」の準備、今日で終わらせようっと。

 

ツイッターの方は「♯護佐丸の日」で、情報拡散もお願いします(^◇^)ノ

 

 


今日もご訪問ありがとうございます。
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*おまけ*

エンダー(A&W)のカーリーフライ

あたり!(笑)

エンダーのオレンジジュースはおいしい。


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紅型-琉球王朝の色と形-

2012年05月24日 | ・琉球歴史/文化風景

先月から始まってる沖縄県立博物館での企画展、
「紅型―琉球王朝の色と形―」
も、いよいよ来る日曜日までとなりました!

ワタシは先月、観に行きました。
(展示変え後も行きたかったけど…結局行けず仕舞いかなぁ…)

あれだけの数(100点以上!)の紅型が一堂に集まるのは
ワタシは初めてで、見ごたえ抜群でした!!

尚家が持っていた「国宝」の紅型もあれば、
本土の収集家が持っていた紅型なども初公開!

まだ見てないという方は、是非この機会に見てほしいと思います!

個人的には一緒に見た美術館での田中一村展よりも良かったなぁ
(いや、一村展も十分良かったけど)


美術館よりも博物館の方が訪問回数が多い美術人・和々でした
(だって常設も企画も博物館の方が惹かれるのが多いんだもん(笑))

さて、本日はテンペスト7話。

側室試験のシーンで紅型衣装がたくさん見られる回なので
ぜひこの衣装にもご注目あれ

…で、↑の展示会でも見かけなかったので
やっぱり黄緑地の紅型って……ないと思うんだけど…

という不思議。

紅型はやっぱり白地のものが好きです
次が黄色

 

写真は企画展の資料集。

即買い。

装丁ステキ過ぎ

 


紅型、もうしばらく触ってないな~;
また再開したいな。

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護佐丸の日まであと1週間

2012年05月23日 | ・琉球史散策/第一尚氏


Are you ready…!?

 

日曜日にFMよみたんの仲宗根局長と会ったので話したら、
FMよみたんでも企画告知してくれることになりました(笑)

ツイッターの方は是非「♯護佐丸の日」で情報拡散お願いします☆

皆で「530 護佐丸の日」をひそかに盛り上げましょう~

 

What's 530 護佐丸の日? → 

 


「琉球戦国列伝」verの若護佐丸。
ワタシの護佐丸のポイントは、
垂れ目とキリ眉と、ぱっつん切りの髪の毛。

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五月晴れ

2012年05月22日 | ・徒然日記

今年の梅雨はなんだか過ごしやすい。

あの梅雨特有のじめっ&むわっとした
生ぬるい湿気のある日って…少ない気がする。

雨の日も晴れの日もあるけれど、
割と過ごしやすい日々が続いていますよ。

今日も出勤のため家をでたら
スカッと澄みきった五月晴れで、
そのままドライブに行きたい衝動に駆られました(笑)


ここ最近ずっとお伝えしている
てぃんぬむい」の岩手派遣報告会

今日の沖縄タイムスに記事が載っていましたね

明日はTVで放映予定です。

ワタシも現代版組踊のコドモタチに負けないように顔晴るぞ~

ってなことで、今日、朝日新聞社さんから取材を受けました。

公の媒体で「琉球歴女」という4文字が出たアレから約1年半。
「琉球歴女」、ついに朝日新聞デビューです(笑)

九州版なので、沖縄では読めませんが、
(※沖縄の新聞は沖縄タイムスと琉球新報のみ)
このブログの読者さんで九州在住の方がいれば
探してみて下さいね

今週中か、
遅くとも来週には掲載予定だそうです。


 


↑今日もご訪問ありがとうございます。
ぽちっとクリック応援お願いします☆
 

ちなみにワタシは大学の4年間は福岡在住でした。

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現代版組踊による心の支援

2012年05月21日 | ・現代版組踊レポ

昨日行われた、
Teamシンカヌチャー代表メンバー(現・てぃんぬむい~星結踊~)による
岩手派遣報告会in名桜大学。

まず、パンフレットの表紙、サブタイトルが明快。

 

~現代版組踊による心の支援を通して~

 

5日間の岩手での経験を、この視点で報告してくれました。

聞いたこと、見たこと、思ったこと、感じたこと、人との出会い、
現地でやったこと、そしてこれからやろうと思っていること。

1年たった、今の岩手の現状。

変わったこと、変わらないこと。

過去と現在と、未来まで。

写真を交えて、分かりやすく、
そして「自分たちの言葉で」プレゼンしてくれました。

最初は緊張してるかな~っていう感じでしたが、
聞いているうちに引き込まれて、気付いたら1時間たってた
という感じでした。
(ビシッとしたスーツ姿もかっこよかったデス

 

テレビや新聞での報道は、嘘じゃないけど表の部分でしかない。

物的支援のギャップ、
過剰支援や格差。

そんな中でも、皆なにかしらの心の傷を負っている。

物的支援では満たされ得ない、
心の支援が求められているということ。

それも、一過性ではなく、継続的な支援。

 

う~ん、と考えさせられるものがありました。

支援の形は既に次のステップに行っているんだな、と。

そこで「現代版組踊」というツールを通して、
踊りや演技で笑顔と感動を届ける支援、
それも継続的な支援、
それが今、私たちにできること、との報告は
とても彼女たちらしくて、
また彼女たちだからこそできるもので、
なんだかとても羨ましく思いました。

質疑応答や感想文発表(高校生代表と、学生代表)ののち、

約30分のアトラクション。

おなじみ琉球旅芸人・アカインコが岩手のみなさんに琉球を紹介しながら
音楽や演舞に込められたメッセージを伝えてゆく、というもの。

演目は、

「シンカヌチャー」
「国頭さばくい」
「星のゆりかご」
「出発の朝」
「ダイナミック琉球」

の5曲。

ダイナミック琉球に関しては海を歌った歌だから、ということで
更地となった被災地を前に本当にこの曲を踊っていいのか
という迷いもあったようです。

しかし、そのような葛藤があったことを聞いてから見たダイナミック琉球は…

いつもとは違って見えた。

これまで何十回と見てきたダイナミック琉球。

確かに海の歌なんだけど、

でも海と共に生きてきた人たちが岩手にもいて、
確かに脅威だったけれど、そうじゃない部分もちゃんとあって、

それをしっかり受けとめて、この場所でまだ生き続けていくふるさとを想う心、
辛い経験を乗り越えていこうっていうダイナミックさというか
力強さというか、未来に向かっていくたくましさというか、
そういうものを私は感じました。

きっとメンバーさんの力強い演舞と、笑顔が、
ただの海の曲ではなく、そんな気持ちにしてくれたんだと思います。

この曲を実際に披露して1番好評だったというのも
きっとそんな気持ちが伝わったんじゃないかな。

とてもステキな報告会でした。

現代版組踊による“継続的な”心の支援を目的に立ちあげられた
「てぃんぬむい~星結踊~」の活動は今後も続くようです!

ワタシは彼女たちのように踊れないのですが、
でもそんな彼女たちを支援するのもまた1つの支援の形よね

ってことで、ワタシも「賛同」という意味で応援・支援していきたいな思いました!

きっとこれは昨日会場にいたお客さんたちも同じ気持ちなはず。

みなさんも
「こんな支援があるんだ」
「こんな活動をしてる沖縄の若者・子供たちがいるんだ」
(今回は17歳~23歳だったそうです)
って、知っていただければと思います♪

会場の名桜大学多目的ホールはでーじジョートーだった…。大学入るの久しぶりでした。


この報告会の模様は、今週水曜日(護佐丸の日の1週間前!)、
6時15分からからのRBCローカルニュースで流れる予定だそうです!

あさってですよ!

みなさん、チェックチェック!


証拠写真。インタビュー中の代表の背後を激写!(笑)

 


分からない人のために最初に「現代版組踊とは」
っていう説明があると、もっと良かったかも♪

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今回はさぁやーさんに頼まれて、聞きながら写真係してました
大きいサイズや他の写真はてぃんぬむいのブログでも披露されるかもです。
いや~、ステージ写真、難しいわ…
(↑場数がなさすぎ)


 

おまけショット

「北山の風」より、ナイス助っ人でした

 

コメント (6)
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岩手派遣報告会終わって…

2012年05月20日 | ・現代版組踊レポ

 

行ってきました

思っていたよりも濃ゆい内容でたっぷり2時間!

私自身考えさせられることもありました。

そして約2か月ぶりの演舞の数々は
やっぱりかっこよかった

 

詳細はまた改めて書きますが、
まずは、てぃんぬむいメンバーさんお疲れ様!
ということで取り急ぎ報告でした!

(今から1週間分のご飯作らなきゃ…)

 


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メンバーさんへ。
採用した写真は「最後に撮ったやつ」です(笑)


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明日14:00~名桜大学

2012年05月19日 | ・現代版組踊レポ

 

以前お伝えした
現代版組踊塾Teamシンカヌチャーの代表メンバーによる
「岩手派遣報告会」

昨日の沖縄タイムスに載っていたので再度ご紹介

 

報告会は明日、14:00~、名護の名桜大学にて。

 

現代版組踊 岩手派遣メンバー
岩手派遣報告会
 

5月20日(日)
場所 名桜大学 多目的ホール
開場/13:30  開演/14:00~15:30(予定)


*アトラクションあり*
入場料無料

 

てぃんぬむい~星結踊~のブログはこちらから

 


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みなさん、「護佐丸の日」は、気楽に考えてくださいね~。
「私が思う護佐丸像」とかでもいいよ☆
一行でも、長文でも思いのままにどうぞ。
遊びだから!(笑)

ツイッターの方は「♯護佐丸の日」で、情報拡散もお願いします(^◇^)ノ


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島添大里グスク

2012年05月19日 | ・琉球史散策/グスク時代

前回紹介した「チチンガー」のすぐそばにあるのが
南山で権威を誇っていたもうひとつのグスク、島添大里グスク。

琉球史に興味を持ち始めた時、
尚巴志の三山統一までの細かい経緯や、
この「南山」というエリアの立ち位置がイマイチどうもよく掴めなかった記憶があります

尚巴志は佐敷の出で南山所属なのに、
なんで南山を制する前に中山を討伐したの?

尚巴志が島添大里を倒したのに、
南山はどうもしなかったの?

島添大里グスクと、南山グスクの力関係は?

琉球史に関してはワタシは全部独学で
誰かに整理して筋立て教えてもらったわけではないので
なんとなくわかったような、わからないような…
という感じでした

とりあえず、南山は按司たちの「連合政権」という色が濃く、
ワタシたちが一般的に連想する「王国」という
(王を頂点としたピラミッド型の国組織)
確固たる基盤はかなり薄かったみたいですね。

内部争いもあってのそんなこんなで
(詳しくは「琉球戦国列伝」を読んでね(笑)相関図もあるので分かりやすいです☆)
南山はイマイチ「国」としてのまとまりがなく、
実質、2つのグループに分かれることになるようです。

それが、
島尻大里グスク(南山グスク)と、
島添大里グスク。

そのうちの1つの勢力「島添大里グスク」を、
隣のいち小勢力にすぎなかった佐敷の尚巴志が討ちとったものだから
さあ大変!

これによって佐敷の小按司・尚巴志は「島添大里エリア」と、
元々治めていた「佐敷エリア」、…と付随するその周辺を
我が領土に治めるわけですね。

つまり、南山の約半分をまず攻略。

これまでの「島添大里按司」のポジションを
尚巴志が取って変わります。

で、もう一つの勢力である「島尻大里グスク(南山グスク)」は
ひとまず置いておき、次の目標を中山に定めるのございます。

あと半分の島尻大里エリアは放っておいても
とりあえず大丈夫と判断したのでしょうかね。

もしくは……、はてさて。

で、尚巴志は拠点を佐敷グスクからこの島添大里グスクに移り、
その4年後、中山(武寧)攻略へとコマを進めるわけであります。

南山に属する小さな地方按司にすぎなかった尚巴志が天下をとれたのも、
このような南山のまとまりのなさや内部のごたごた、
不安定さがあったからなのかもしれませんね。

尚巴志が元々中山エリアに生まれていたら、
また歴史は違ったのかもしれません。

というわけで、尚巴志の最初の攻略の地、
島添大里グスク!

実際に尚巴志が住んだグスクでもあります。

そして…アノ蟹の甲羅が大量発掘された場所(笑)

さあ、蟹好きは尚巴志か、はたまたその前の島添大里按司なのか!?(笑)

↑↓一の郭、正殿跡。

ちょっと高くなっている所に正殿があったようです。

一段高い所に正殿、

その下に広場(御庭)。

典型的なグスクの造り。

↑手前の石は基壇に登る階段の跡…だっけな?
(いかん、この写真の記憶がない…

グスクの石は崩されたり移動してたりリサイクルされていたりと
(特に礎石のリサイクル率高し(笑))
全て当時のまま、というわけではないようですが、

正殿の礎石が残されていましたよ。
分かりにくいので線を引いてみました。

分かるかな?

正殿跡の背後はこんな感じ。

絶壁!

見晴らしいい!

展望台もありました。

展望台から見た首里方面をチェック!

天気がよかったらもっときれいに見えていたのかもしれませんが、
(この時間、もう夕方で曇り空…)

「この辺」をカメラのズームレンズで拡大してみると…

首里城がくっきり!

東のアザナまで。

当時は周りに余計なものもなくて
もっとよく見えていたでしょうね。

尚巴志は中山攻略後、首里城を今の位置に建設し移りますが、
この島添大里グスクも同時に使っていたようです。

「別荘」的な感じ?

これだけお互いがはっきり見えているなら
行き来してというのも納得ですね。

復元図が見れるのは嬉しい。

晴れた日なら中城・勝連の方まで見えるのかな?

島添大里グスク、思っていたよりも広かったです。

南山で勢力が誇っていたというのもなんか納得。

お墓もありましたが…

残念ながらこれは島添大里按司のお墓には非ず。

今回は参ることは叶いませんでした。

また天気がいい時に行けたらいいな

ちなみに小説『琉球三国志』(加藤真司著)では
島添大里按司と尚巴志の関係にあるフィクション(説)を入れてきています。
また、尚巴志と思紹の関係もなかなかリアルでオモシロイです。

紹介しようかと思ったらけど、ヤメておこう。

図書館などで探して是非ご一読くだされ。

 


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