がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

15世紀後半の首里城正殿、描いてみた(作画根拠メモ)

2020年02月29日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

昨日、2/28(金)の沖縄タイムスの見開き特集
「首里城 時代の地図②」は
第一尚氏王統について、でした。

15世紀後半、
志魯・布里の乱で首里城が消失した後に再建され、
なおかつ、尚泰久王・尚徳王・尚円王時代の
首里城正殿のイメージ図を、
様々な資料を元に描きました。

 

このイラスト、もともとは
10/2に行った桜坂劇場×ボーダーインクでの特別講座用に
描き下ろしたものです。

今回の特集に際してお声かけいただき、
一部加筆修正を加え、掲載と相成りました。

(講座参加者さんは
どこが変わったのか「間違い探し」してみてくださいね(笑))

 

ビジュアル化に伴って参考にした資料は
主に「朝鮮王朝実録」にある来琉した朝鮮人による目撃証言記録と、
実際の発掘調査報告書。

 

 

イラストと一緒に提供した
パーツごとの作画根拠メモ。

これらのメモは記者さんが整理して
掲載してくれましたが、

せっかくなので
スペースの都合上カットとなった部分や
解説の補足をしてみたいと思います。

 

 

まずは大きさ比較。

平成復元の首里城正殿(→以下「今の正殿」と表現させていただきます)と
同アングルで重ねてみたの図。

 

15世紀後半の正殿は、
発掘調査で建物の礎石や基壇の遺構が出土していて
それによると、
今の正殿のひとまわり小さいくらいです。

なお、正殿の位置は、今の正殿と同じで西向き。

ですが、6メートルほど奥に引っ込んでいたようです。
(※上の重ね写真は大きさ比較のためだけのものなので
奥には引っ込めてはいません)

参/『首里城跡―正殿地区発掘調査報告書―』
(沖縄県埋蔵文化センター/2016)

 

基壇の遺構については
出土した通りの雑石積なのか、
それとも出土したのは裏込め石で、
実際はきれいな布積みだったのか、
判断が分かれるところです。
(布積みだったとすると、じゃあ階段との接合部分はどうなるのか
…という問題も出てくるようですが…)

参/『首里城正殿基壇の変遷(首里城研究NO.2)』
(安里進/1996)

 

掲載イラストでは安里先生の見解を採って布積みにしましたが、
実は出土した状態のままの
雑石積バージョンも描いていたのでお披露目。

 

 

こんな感じ。
だいぶ雰囲気が変わりますね。

 

発掘された基壇は70~80度の勾配もあったようなので
雑石積バージョンではそのようにもしていましたが、

きれいな布積みに変更するに際しては、
傾斜も敢えて垂直に直しています。

 

なお、出土した階段部分はきれいな布積みの状態で残っていたため、
石の大きさや積み方はこの階段に合わせて描きました。
(…が、もうちょっと大きな石にしてもよかったかもしれないな)

布積みと一言で言っても色々ありますからね。

今の正殿の石積みとも、またたちょっと変えてあります。

 

+

 

次に、屋根について。

 

首里城の屋根はずーっと赤瓦なのではなく、
その前は灰色瓦、さらにその前は板葺き、
…という変遷があることは、
だいぶ色んな所で語られるようになったので
知っている、という人も多いはず。

今回の筆頭参考文献の李朝実録の目撃証言では、
屋根について、こう書いてあります。

参/『朝鮮王朝実録 琉球史料集成 訳注編』
(池谷望子・内田晶子・高瀬恭子編・訳/2005)

 

証言1 梁成ら(1456年漂着、1461年送還)
「その閣は覆うに板を以てし、板上は鑞を以てこれを沃す。」

 

屋根は板葺きで、
「板上」は鑞(金属塗料。錫か)がかかっていた。


この表現から、
板葺きの屋根全体が金属塗料でおおわれていた
とも読めます。

実際、そう解説している本もあります。


でも、私は
屋根全体をシルバー(金属塗料)には描きませんでした。


 
なぜか。

 

証言2を見てみましょう。

 


証言2 肖得誠(1460年漂着、1461年送還)
「その閣は皆、丹雘を着け、覆うに板を以てこれを沃す。
毎鷲頭に鑞を以てこれを沃す。」

 

板葺き、というのは同じですね。

しかし、「鑞」については、
「(毎)鷲頭に」としています。

 

鷲頭とは、

 

殿閣・門楼など大建築の大棟の両端の飾りのこと

『朝鮮王朝実録 琉球史料集成 訳注編』


いわゆる、日本でいうと鬼瓦のこと。

 

それを知ると、
証言1の「板上」というのも、
板葺きの屋根そのものの上(表面)、ということではなく、
板葺き屋根の、上の部分、つまり「大棟」を指している
とも読めます。

 

実際、板葺き建築の様式を見ても、
大棟(及び鬼瓦)は灰色瓦であり、
この灰色瓦の光沢を、朝鮮人らが「鑞」だと
勘違いした可能性は大いに考えられます。

参/『沖縄の名城を歩く』(上里隆史・山本正昭編/2019)

 

少なくとも、

板葺き建築上、他に事例がない、
「屋根全体を金属を塗った板葺き建物」
というものよりは現実的です。

というわけで、
「板上に鑞」は
大棟を指していて灰色の棟瓦、
という解釈で描きました。

 

+

 

さて、先ほどから「板葺き」と言ってますが、

板葺きについて。

 

板葺きには

「檜皮葺(ひわだぶき)」

「杮葺(こけらぶき)」

があります。

 

素材も違いますが、
檜皮葺のほうが目が細かくて密度があって
「高価」な屋根になります。

 

詳しくはこちら!
全国社寺等屋根工事技術保存会

 

じゃあ、首里城の板葺きはどっちだ?!

 

ヒントとなったのが「玉陵」です。

玉陵は創建(1501年)当時の
首里城を模したのではと言われています。

(なので大棟の造形も玉陵のものを参考にさせてもらいました)

 

 

 

玉陵、墓室の屋根です。

 

う~ん、見上げる感じだとよくわかりませんね。

 

では、空から見てましょう。

 


↑クリックで再生ページにジャンプ

 

この形状は明らかに檜皮葺ではなく杮葺!

 

杮葺き決定!

 

ところで、

 

杮葺の首里城……

 

実は、写真に残ってるんです。

 

 

いや、マジで。

 

 

 

それがこちら!

 

 


(「首里城復元期成会会報第10号」より)

 

そうです。

実は、平成の復元の時、
正殿屋根は杮葺で作られていたんです!

 

 

今回の復元工事では屋根荷重の軽減や
耐久性を高める目的で、
下地は椹板を竹釘で留める杮葺とし、
その上に土を使わずに瓦を葺く
空葺工法を取り入れた

参/『首里城の復元―正殿復元の考え方・根拠を中心に―』
首里城公園友の会編/海洋博覧会記念公園管理財団(平成15)

 

 

杮葺の首里城が現代によみがえっていた!

 

というわけで、
色的にも、きっとこんな風に木肌の色だったはずです。

もちろん経年変化で茶にはなっていっただろうけど。

 

 

 


この時期、唐破風はまだありませんが、
中央部が張り出した「向拝」形式だったのでは、
との見解もあります。

向拝とは、例えばこういうの

 

ですが、朝鮮人の「勤政殿の如し」に従って
ここではひとまず、向拝なしを採用しました。

 

 

 

 

正殿周辺の建物について。

 

どうやら、周辺に建物はあったらしいことが
うかがえます。

証言2では


「廊廡は、周回連接し」

 

とあります。

 

廊廡とは、

 

正殿に付属した細長い建物
『朝鮮王朝実録 琉球史料集成 訳注編』

 

ということで、
イラストにも描いています。

 

 

また、南殿の発掘調査でも
この時代に相当する遺構がでています。

参/『首里城跡―南殿・北殿跡の遺構調査報告―』
(沖縄県教育員会/2015)

 

「南殿」は薩摩侵攻後に造られたとされていましたが、
それ以前の15世紀から、
何らかの建物があったことが分かっています。

ただ、残念ながら建物の姿かたちは不明。

 

なお、南の建物は正殿に対して
90度に建てられていたようです。

ということでは
御庭も今みたいに歪んではいなかった、
ということも分かりますね。

 

北殿に関しては、
発掘調査でも
遺構の損傷が激しくて
よくわからなかったようです。

一応、北殿の創建は
尚真代の1506~1521年頃とされているようですが
(『首里城の復元―正殿復元の考え方・根拠を中心に―』)
はっきりしたことは分かってないようです。

 

 

尚真王代の最盛期、16世紀に入ると
首里城にどんどんリフォームが加えられていきます。

正殿も、欄干や龍柱の付き、
城壁も拡張(→外郭)されます。

 

 

1534年の冊封使・陳侃による記述も加えていくと
この首里城イメージ図もまた少し変わっていきます。


実はそれバージョンも少しあるのですが、
落書きメモ程度なのでここでのお披露目は控えます(^^;)
 
そのうちに…、とは思っているので
どうぞお楽しみに。
(と言ってもいつになるかは不明(^^;))
 

 

 

 

 

今回15世紀後半の首里城正殿イメージ図として
ビジュアル化してみたものの、
もちろんこれが「絶対の正解」ではありません。

文献や発掘も含めた資料の解釈も色々あるし、
今後新たな発見や見解も出てくることでしょう。

絵として至らない点も多々あるかと思います。

なので、あくまでもこれは
現時点での「暫定イメージ図」であることは
ご了承下さい。

資料解釈に誤りや不十分な点があれば
ご教示いただければ幸いです。

 

作画するにあたって
たくさんの方々の研究を参考にさせていただきました。

文献の編訳、
発掘、資料整理、編集はもちろん、
それら文献や報告書を
分析・研究し発表された先生方などなど、
首里城研究に携わってきた全ての方々に敬意を表します。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石積みピアス、キャンペーン価格は2月29日まで!

2020年02月27日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

かざり細工朔望×和々のコラボ商品

琉球石灰岩を模した
リュウキュウライムストーンシリーズの
シルバーアクセサリー


「石積みピアス」

 

当初のキャンペーン価格は
2月29日受注分で終了とさせていただきます。

 

キャンペーン価格後は
1000円程度値上がりするかも…
とのことなので、
迷っていた方はラストチャンスです!

 

石積みピアスについての詳細は
こちらの専用ページをご覧下さい

イヤリング展開も開始しています♪

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆんたくマンガ(5)が抜けていたので掲載しました

2020年02月24日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

キラキラ琉球史★ゆんたくマンガの(5)を掲載せずに、
間違って先に(6)を掲載していたのに気づいたので、
(5)をUPしました。

(6)の前に来るように日付操作しています。

 

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(5)『THE★SATTOⅤ』

はクリックでジャンプします↑

 

おまけ話は
「朝貢貿易ってなぁ~に?」です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドッキドキの土器話【1】

2020年02月23日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

ちょっと前の事になりますが、
発掘された土器の破片を触らせてもらう機会がありました。

おそらく、900~500年前のグスク土器。

 

土器って博物館に行けば
必ずと言っていいほど展示されているし、
むしろ考古=土器ってくらいメジャーな存在。

だけど色が華やかでもなければ、
本土の縄文土器のように造形がすごいわけでもない。

それが装飾性のないグスク土器で、
しかも破片となればなおさら。
「ああ、土器だね」
で終わるくらい、
正直、無感動で味気ない存在です。

 

実際、

展示されてる土器(の破片)を見て
フゥ~!テンション上がる~!!
ってなる一般人はなかなかいないと思います(^^;)

 

が。

 

ワタシ、上がっちゃったんです。

土器の破片で。

テンションが。

もう、ドッキドキの胸キュンもの。

 

今日はそのお話を。

 

 

 

当然ですが、
昔の土器は「ロクロ」は使いません。

粘土を紐状に伸ばして
くるくると積み上げていき
手でならしていく
「紐づくり」の技法で成形されています。

陶芸の基礎なので
今でも陶芸教室なんかで体験できます。
(例えばこんな感じ

 

 

でね、

本題はここからです。

 

 

触らせてもらった土器の中に、
粘土を積み上げて、
手でならすときについたでろう
指の跡がくっきりついた破片が…!!!

 

おもわず

「ぎゃっ!」

って言ってしまうほど

生々しい指の跡…!

その跡に自分の指を重ねてみると
ちょうどワタシと同じくらいの指の大きさ。

土器の面を挟むように
内側には親指の跡も。

 

他の土器片も注意して触ってみると、
このような指の跡(指圧跡)が
色んな所についていることに気づきます。

 

そうするとね、

なんかわかるんです。

この土器を作った人の人間性というか、

タイプが(笑)

 

4本指がぴしっと揃ってたり
方向も位置もバラッバラだったり
指の先だけでちょんちょんとやってたり
指全体を使ってたり
跡が深かったり
浅かったりetc…

 

紐づくりを実際にやったことある人は分かるかもしれませんが、
こういう所に性格って出るんですよね(笑)

 

500年前か、700年前か、900年前か、
名もなき土器職人の生々しい痕跡。

しかもその体格(指の大きさや長さ)や
性格も分かるようで。

指圧痕に指を重ねることで
何百年もの時を超えて通じ合ったような、
不思議な気分。

気分はまさにコレですよ。

 

すごい!!

土器って
なんて人間臭くて
なんて面白いんだ!!

 

中には
こねた粘土の余りをポイっとした?ような
土塊もあったりして、
それにもくっきりと指圧痕や指紋が(!)

 

考古遺物でこんなにも人間味を感じたのは初めてでした。

 

この衝撃と感動を
色んな人に味わってほしい…!!!

 

 

が、
この指圧痕、見るだけではなかなか気づけません。
正直、触ってみないと分からない。

触って、指を重ねて直接感じられる
展示ができればいいのだけど……

 

土器はもろいため、
不特定多数の人に自由に触らせると
人の手の脂がついたり摩耗したりするので
なかなか厳しいらしいです…。

 

かといって袋越しに触るとかじゃ
生々しさは伝わらないしなぁ…。

 

う~ん、なんとかできないかなぁ…。

 



トップ写真は伊波式土器の臨作。
ドッキドキの土器話【2】に続く。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(6)『THE★SATTOⅥ』

2020年02月16日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

前回の続き。

サイボーグキャラいじり、ラストです。
(そしてありがちな夢オチ)

 

察度のツノヘアーについて。

琉球男性の髪型「カタカシラ」は
古琉球時代は耳の横にあった、
というのは、
もう大丈夫でしょうか?
(え!知らなかった!という人は、
例えばこちらこちらをどうぞ)

 

その起源は舜天王にまでさかのぼる
との伝承がありますが、
今回舜天は横にお い と い て、

別の伝説から。

 

むかしむかし、
この国(リュウキュウ)には鬼が住んでいて
二本のツノを付けていた。

ある日、他国の人が来て
そのツノを打ち落としたのだが、
末代までの印に、と
片方のツノは切らずに残しておいた。

鬼は後に人間になったのだが、

以前の姿を懐かしんで、
片方のツノをまねて髪を結うようになった…

 

『琉球神道記』

 

 

察度のカタカシラがツノ状なのは、
この伝説からの着想でした。
(本の中では1番古い時代の人物でもあったので)

 

ちなみに、
引用元の『琉球神道記』とは、

 

1603年~1606年まで琉球に滞在していた袋中上人が、
中世の神道(仏教)や琉球の宗教事についてまとめた書。

琉球開闢神話など、多数の神話、説話、
について記している。

薩摩侵攻前の古琉球時代の様子が垣間見える
貴重な一冊です。

 

 

ところで、このツノヘアー。
私、学生時代の髪が長かったころ、
よくやってました。

一つ結びおだんごだけど、
丸いおだんごではなく、
こういうツノっぽいおだんごにしてましたね。

ツノおだんご、ツノヘアーって、
今もファッションとしてもあるしね。

大きさとか数とかほぐしとか、
時代によってニュアンスは違うけど。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(5)『THE★SATTOⅤ』

2020年02月15日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

「朝貢貿易(ちょうこうぼうえき)」って
なぁ~に?

という人のために、
図解です。

 

 

朝貢は中国(明・清)の皇帝に貢物を持っていき
忠誠を誓うことですが、
中国(明・清)はもらった貢物の何倍もの返礼品をくれました。

また、当時海禁策(鎖国のようなもの)をとっていた明は
朝貢国としか貿易を許可しませんでした。

よって、朝貢することは
忠誠を誓う国にとっても
大きなメリットがあったのです。


琉球はそのシステムをおおいに「利用」して
大交易時代に突入していくわけです。

 

 

え!何倍もの返礼品を上げてたって、
じゃあ明には何のメリットあるの?

と思うでしょ?

明がとったのは、物質的な利益ではなく
いわば「メンツ」。

それに、実際に武力で周辺諸国を支配下に置くよりも
コストもリスクもかかりません。

朝貢というシステムで
国際安全保障体制を構築したことになります。

また、それができるだけの国力があった
というのもポイントです。

 

 

ふふふ、
マンガとは違ってまじめな解説(笑)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1966年のイザイホー、他

2020年02月14日 | ・琉球歴史/文化風景

 

亡くなった身内の遺品整理をしていたら出てきた、
という写真スライドを見せてもらいました。

復帰前の、60年代~70年代の沖縄。

もう5・60年前のものです。

 

 

中には、1966年の久高島の神事「イザイホー」を撮ったものが(!)

スライドカバーにはメモが書かれており、

66.12.29

とあります。

12年に一回行われるというイザイホーは
1978年が最後となっているので、
その1つ前のもの。

 

 

ちなみに、

66年のイザイホーには、

「太陽の塔」でおなじみの芸術家、
岡本太郎が取材で来島しているので、
もしかしたらこのスライドの見物人の中に
岡本太郎が映って…いたりして…(未確認)。

 

 

今は途絶えてしまったイザイホーの、
貴重な記録です。

 

 

 

 

スライドはイザイホーのほかにも
各地の史跡も。

 

 

65.12.18

守礼門(裏)と園比屋武御嶽石門。

 

 

 

 

驚くことに、コザ騒動の時の写真も。

1970.12.20

 

 

この方はカメラマンではなく、
写真が趣味だったようです。

普通の家に、
このような貴重な写真って
まだまだ残っているものなのですね。

 

 

 

この写真を託された人が、
「これ、撮ってからブログに載せていいよ!」
って言ってくれたので、
一部、紹介させていただきました。

 

ありがとうございましたm(_ _)m


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金丸、恋の軌跡

2020年02月12日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

琉球史における稀代のモテ男と言えば、
金丸ですね。

後に第二尚氏王統の始祖(尚円王)となった、
あの男です。

 

生まれ島の伊是名を脱出して
沖縄本島に渡り、
各地を転々としたのち
尚泰久王子(のちに王)と出会い、
首里城に仕官。

王府の役人としてとんとん拍子に出世し、
クーデター勃発の末
ついに国王へ!

という
シンデレラストーリー男
でもあります。

 

しかし、
その彼のたどった道中には、
まぁ~~~女性にまつわる話が多く、
現地でできた子供たち(伝)も
一体どれだけいるのやら…。

というわけで、

ドラマ「尚円王」放送を記念して(!?)
これまで記事にした

金丸、恋の軌跡スポット

を、まとめてみました!

※現地妻のみ。
正妻ポジションである伊是名の女性や
オギヤカ関連は除きます。

 

北部から中部、南部まで!

もしかしたら、
あなたのお住まいの地域にも
金丸の恋の軌跡があるのかも?

 

 

緑の字or ★をクリックで該当記事にジャンプします。

 

 

 

伊是名村(逆田)

 

 

国頭村宜名真(宜名真御殿)

 

 

国頭村奥間(アガリカンジャー)

 

 

名護市汀間(金丸カー)

 

 

沖縄市山内(山内大明神) 

 

 

北中城村安谷屋(若松公園) 

 

 

西原町内間

ナコーモー

カヤブチ御殿

ウガンジャマー

 

 

<番外編>

南城市知念(知名グスク)

 

記事にしてないけど、
もっとあったかもしれない。

首里や越来周辺にそういう話がないのは
やはり、尚泰久の手前、控えたりしたのだろうか…?
(越来は大城賢雄の方がそういう話はあったりする)

 

ちなみに、
現地のノロさんとデキている確率が高いのですが、
それについて考えた記事がこちらになります。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(4)『THE★SATTOⅣ』

2020年02月11日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

前回の続き。

 

THE★SATTO Ⅱ」で触れた通り、
キラキラ察度はサイボーグキャラいじり。

もう少し続きます(笑)

 

さて、二コマ目の泰期の心の声

”いくら兄貴が常識に薄い人でも”

とは、

左手を切ってくっつけたこと、
もそうなのですが、

嫁もらいのエピソード
黄金を知らなかったエピソード
基づいています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【コラボ商品】石積みイヤリングができました!

2020年02月04日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

かざり細工:朔望さんとのコラボ商品、
石積みピアス。

グスクの石積みでもお馴染みの
琉球石灰岩を模した
リュウキュウライムストーンシリーズの
シルバーアクセサリーです。

 

…が、
発表直後から、
耳に穴開けてないからイヤリングはないの?
という要望をいただいておりました。

 

だいぶ遅くなってしまいましたが
イヤリングバージョンができたので、

「石積みイヤリング」の受注を開始いたします!

 

 

着画や値段など、
詳しくはこちらから!

(記事の下のほうに
石積みイヤリングについて追記しています)

  

 

+ + +

 

なお、

「石積みピアス」のキャンペーン価格は
2月中の受注分までになります。

 

 

3月からは正規値段にUPしますので
迷っている方は今のうちに~!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

琉球歴史ドラマ『尚巴志』TVerで公開中

2020年02月02日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

RBC琉球歴史ドラマ『尚円王』の放送を前にして、
2017年に放送された第一弾『尚巴志』が
沖縄で再々放送されていますね。

今日が最終話の放送日になります。

 

え!知らんかった!!!

 

どうせ本土じゃ観れんし…

 

という方。

 

大丈夫です。

 

今回はTVerでも公開中!

 

つまり、ネットを介して、
全国各地、世界各地から見ることができますよ
ってことです。

 

しかも、公開は2月12日まで。

まだまだ時間はあります。

 

見逃した方、本土の方、

是非この機会にご覧ください。

 

 

TVer 琉球歴史ドラマ「尚巴志」
https://tver.jp/feature/f0045552

 

 

『尚巴志』の時は琉球歴女・宣伝部員として
ロケ見学をさせてもらっていたので、
放送前からいろいろ記事を書いてました。

オフショット、裏話なども載せているので
合わせてお楽しみ下さい↓

 

 

歴史ドラマ「尚巴志」特別ロケレポ

歴史ドラマ「尚巴志」特別ロケレポ2

歴史ドラマ「尚巴志」特別ロケレポ3

歴史ドラマ「尚巴志」特別ロケレポ4

歴史ドラマ「尚巴志」特別ロケレポ5

 

でも放送日が年度末の繁忙期だったから
各話ごとのレビューは全く書けてないのよね…。

かろうじてツイッターで
ちょこっと触れた程度。

 

そのツイッターでは
関連史跡や歴史上のあれこれについても

紹介していました。
モーメント(まとめ版)がこちら。

 

RBC琉球歴史ドラマ「尚巴志」①

RBC琉球歴史ドラマ「尚巴志」②

RBC琉球歴史ドラマ「尚巴志」③


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする