久しぶりに、
こんなタッチで絵を描いてみました。
イメージは、吉屋チルー…
ではないけれど、
辻の女性。
表情や色気のある「指」が書けるようになりたいです。
特に、足の指。
指の表現が印象的な画家は、
いわさきちひろ
と
丸木俊。
丸木俊さんは私が中3の時に親に連れられた行った
佐喜眞美術館での講演会(というかお客さんとの談話会)で
”学校で美術を学ぶこと”ということについて、
直接お声かけ(激励と課題提示)してもらった
という思い出があります。
久しぶりに、
こんなタッチで絵を描いてみました。
イメージは、吉屋チルー…
ではないけれど、
辻の女性。
表情や色気のある「指」が書けるようになりたいです。
特に、足の指。
指の表現が印象的な画家は、
いわさきちひろ
と
丸木俊。
丸木俊さんは私が中3の時に親に連れられた行った
佐喜眞美術館での講演会(というかお客さんとの談話会)で
”学校で美術を学ぶこと”ということについて、
直接お声かけ(激励と課題提示)してもらった
という思い出があります。
今年(2020年)は
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が
世界遺産に登録されて20年の節目の年。
20周年を記念して、現在
『世界遺産出土品巡回展~未来に継ぐ琉球の宝~』が
開催されています。
…が、ポスターやチラシ、
専用のウェブページやSNSなどが無いなど、
告知があまりにもなされていない上、
コロナの影響で会期が変更になったりして
(そしてそれが各会場博物館のサイトにも載ってなかったりして)
情報が錯綜、迷走しています
そこで、
実際に3会場に行ってきたので、
それを踏まえつつ、
現段階での状況をまとめてみたいと思います。
+
まず、巡回展の開催一覧。
各会場でもらえるパンフレットの表紙に書かれていたもの。
配色上、情報が見にくいので、画像加工したのがこちら↓
まず、会期変更をお知らせします。
今帰仁村歴史文化センター
8月11日~9月6日→ 現在開催中~10月7日まで
うるま市立与那城歴史民俗資料館
8月17日~9月18日→ 現在開催中~10月7日まで
世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアム
9月11日~10月4日→ 11月6日~11月23日
那覇市立壺屋焼物博物館からは
今のところ変更の情報なしです。
そして各会場では、
「巡回展」としての展示と、
20周年を記念した「その会場独自の展示会」が、
別々に開催されている場合があります。
ユンタンザミュージアムの巡回展は
大幅に会期がずれましたが、
「20周年記念展 座喜味城跡写真パネル展」は
現在開催中~11月3日
です。
同じ20周年を冠していることもあり、
すごくややこしいので
お間違えないようご注意ください。
また、読谷会場は広報誌には
巡回展の告知が
当初の予定通り9月11日~10月4日の日程で
掲載されているようですが、
実際には開催されていません。
ユンタンザミュージアムのサイトにもFBにも
巡回展の会期変更のお報せは(現時点では)載っていませんが、
実際には開催されていません。
現在ユンタンザミュージアムで開催されているのは
「写真パネル展」のみです
じゃあ、私はどこで巡回展読谷会場の
会期変更の情報を得たかというと、
この写真パネル展で配布していた
巡回展パンフレットの、中に入っていた
「変更のお知らせ」の紙です。
ツッコんでもいいですか。
っていうか、巡回展目当てで読谷まで行ったのに
怒ってもいいですか。
でも写真パネル展は良かったのがせめてもの救い。
そして、巡回展が現在開催中の
うるま市の与那城会場ですが、
土日祝日は休館です。
見学したい方は
平日の9時から17時までです。
ご注意ください。
(今帰仁会場は会期中は休館なしです)
こんな調子なので、
壺屋焼物博物館以降の日程も
果たして予定通りにいくのか
あまりあてになりません。
各会場のサイトだけではなく、
(既に述べたように情報掲載されていない例もあるので)
行こうと思っている日に合わせて
直接電話して確認するのが確実のようです。
コロナで予定通りにいかないのはしょうがないとしても、
世の中で明らかにそういう状況があるのに
この事業の情報をとりまとめているサイトがないのが厄介ですよね。
とりまとめは県だと思うのですが。
今からでも専用SNSでも立ち上げてほしいものです。
+ + +
というわけで、先日、
今帰仁会場、
与那城会場に行ってきましたので
少しだけレポします。
まず、今帰仁会場。
スペースはこじんまりしていますが、
モノは各場所の特徴的なものが揃っている感じです。
那覇からは
世界遺産以外の場所のものも。
これは渡地村跡の瓦。
ちょっと他では見ない珍しい感じの瓦デザイン。
巡回展のキャプションに
これがいつごろのものかっていうのも
明記してほしかったな。
(今帰仁独自の展示キャプションは明記されていました)
+
続いて与那城会場
今帰仁のトラの骨は
与那城会場に来ていました。
那覇の神応寺跡の歓喜天。
これは珍しい展示なのでは…。
某有名出土物のレプリカも展示されていましたが
キャプションに「複製」って書かれてなかったから
一瞬本物!?ってびっくりしたよ…。
(確認したらやっぱりレプリカって。だよね…)
ってゆーか、複製なら複製って明記しないと…。
与那城会場はうるま市なので
うるま市独自の展示である、
勝連城跡の最新の発掘速報が興味深かったです。
近年は東側のエリアを重点的に発掘した模様。
南風原御門の石畳。
その南風原御門から出た、
アユタヤ白化粧台付土器(!)
各地域の出土物を見比べることで
その地域の特色や歴史、繁栄具合、がわかるのは面白いです。
(ただ、一か所、非常にヨロシクナイ展示方法がなされていたのが残念。
シャレにならないレベルので写真は載せませんが……改善されたかな…)
+
読谷会場。
先述した通り、巡回展はやってなかったので、
読谷独自の「写真パネル」を。
スペースは今帰仁、与那城よりも広かったです。
写真に合わせた解説も丁寧で
座喜味城跡の整備の歴史を知ることができ、
新鮮&勉強になりました。
整備が始まる前、
1974年以前の座喜味グスクの様子。
米軍施設の建設のため破壊されていて、
後方の城壁はほとんどありません。
(ということは、今見ているのは復元されたものということになります)
今では想像もつかない座喜味グスクの姿です。
残っていたアーチ門も、
ゆがみなどが生じていたため、
一度解体して積みなおす作業が行われたようです。
二の郭は当時重機が入れず、
人力による作業がほとんどだったらしい。
ひええぇえぇえ……。
グスク建設当時もこのような風景だったのかもしれない。
山田グスクから石を崩して運び、
奄美諸島からも人手を集めて築城されたという
当時の様子に思いを馳せる…。
もりだくさんの写真展、
入場無料です。
(常設展部分は有料)
+
世界遺産登録20年の節目、
この機会に是非
お近くの会場に足を運んでみてはいかがでしょうか?
(10周年の時はリレー講座とか企画が盛沢山で色々はしごしたりしたな…。
現代版組踊も各グスクで野外公演したりして)
キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ
SEASON3に入ります。
SEASON3は阿麻和利編。
輪郭線の色も紫色に変わります。
時代区分表でいうとこのあたりです。
「阿麻和利編」ですが、
ネタは伊是名時代の金丸からのスタートです。
それでは引き続き、
キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガを
よろしくお願いします。
「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい。
かつては首里城鎖之間で食べることができた
琉球菓子とお茶のセットの呈茶サービス。
お手軽(300円)←350円に値上がりしたんだったかな?
かつ、
菓子についても学べる(スタッフさんの解説付き)ということもあり、
首里城に行くという人には
是非に、とおすすめしていたサービスでした。
火災を受け、
鎖之間も焼失し、
このサービス、レストランなどで再展開してくれないかな…
と思っていたのですが、
どうやら再開しているらしい、と以前小耳にはさみ、
今回は久々にこれを味わうことも目的の一つにしていました。
…が、その情報をちゃんとHPで確かめなかったため
とても難儀する羽目に(^^;)
このサービスを提供している
という張り紙などの案内が、
駐車場から出たところのエントランスにも、
案内所周辺にも、
広福門のチケット売り場にもなし。
まぁ、
レストランやフードコートのところだろう、と
全て見終わってお土産も買って、
駐車場に向かうついでに寄ってみたら、
…なし!
レストランや売店が入っている
首里杜館入口や周辺を探ってみてもなし!
結局、お土産買ったついでに
売店のお姉さんに聞いてみたら、
系図座・用物座で、とのこと。
……ええ、引き返しましたよ。
木曳門通ってね。
下之御庭にある、
系図座・用物座、よく見たら入口にちいさな案内板が。
小さすぎて気づかなかったよ(涙)!
ってゆーか、動線的にそのまま反対方向の有料区域に行っちゃうし、
普通の人ならそれでそのまま久慶門側から帰っちゃうだろうし、
一応私、この時京の内にも行ったんだけど、
系図座の中は華麗にスルーしてたわぁ…。
ここでこのサービスやってますって、
系図座の外にでかでかとはできないにしても(景観的にそれはイタダケナイ)
せめてチケット売り場ではポスターとか貼ってたほうが
もっとたくさんの人が気づいてくれるかもね…。
今の首里城の巡り方、
下之御庭、奉神門まで行ったら
まずは奉神門の脇から
↓
番所横を通って
↓
京の内の展望台(金城町の眺め)
↓
京の内
↓
西のアザナ(那覇の眺め)
↓
京の内外側から下之御庭に戻ってきて
↓
系図座・用物座でお茶(一休み)
↓
チケット購入
↓
有料エリアへ(以下略)
の流れが、
見落としなく周れるかもしれないですね。
せめて、チケット売り場にくらいは
ポスター、貼ろう?(2回目)
値段は500円にアップしていました。
でもまぁ、ここは復興支援だと思って。
以前の様子はこちらから
お菓子の4種盛りは
・くんぺん
・ちんすこう
・花ぼうる
・冬瓜漬 ←NEW!!
時期によっては
らくがん(こーぐゎーし)や、
きっぱんになったりもするみたいです。
(きっぱん、好き)
ちいるんこうはなくなったようです。
直接の解説(お話)はなく、
解説の描かれたシートが一緒についていました。
おすすめの食べ順があることに、
半分以上食べた後に気づいたよ(^^;)
さんぴん茶は変わらずお替り自由!
この日はとても暑かったので
さんぴん茶(冷)の清涼感がとても心地よく、
一杯お替りしました♡
ここで味わったちんすこうは、
首里城の売店でも買うことができます。
作るは、新垣カミ菓子店。
琉球王国時代に王府の包丁人だった新垣親雲上淑規を祖先に持つ、
「新垣御三家」の一つです。
① 本家新垣菓子店
② 新垣カミ菓子店
③ 新垣菓子店
↑工場を持ち、市場に広く出しているのがココ
③’ 新垣ちんすこう本舗
↑新垣菓子店の販売会社
ちんすこうは絶対新垣の!!
が私のこだわりなのですが、
新垣御三家の中でも
新垣カミ菓子店のちんすこうは
少ししっとり目。
世の中には固めのザクザクしたちんすこうもありますが
私は柔らかしっとり派です。
売店では14袋(1袋2本)入り400円也。
新垣カミ菓子店のお菓子は
市場にはあまり出回っていないので、
首里城に来たらぜひゲットしてくださいね♪
+ + +
先日、久しぶりに首里城に行ってきました。
既に遺構などの一般公開が始まっていましたが
沖縄県の非常事態宣言による閉園や
個人的なスケジュールが合わず
なかなか足を運ぶことができず、
瓦の漆喰はがしボランティア参加の時以来の
訪問となりました。
日影台からの風景。
被災した建物は完全に撤去されています。
被災した建物が残る今年2月に撮った様子は
こちらの過去記事からどうぞ。
下の御庭には黄色い柵と小屋が。
どうやら、この小屋で
大龍柱の補修作業を行うようです。
作業も小屋越しに公開してくれるのですね。
琉装したスタッフさんもマスク姿。
暑いときは、マスクは余計に大変。
本当に、お疲れ様です。
(ところどころにいるスタッフさんに挨拶されるたび、
思わず「お疲れ様です」と返してしまいました^^;)
奉神門。
かつてはこの門の向こうに赤い正殿が見えていたのですが、
今は青空一色です。
一歩入った風景。
撤去した資材が置かれているからか、
いまだに微かに焦げ臭さを感じました。
この日はとても暑くて、
いい天気で、
すごく赤い城が映えただろうに、
と思わずにはいられませんでした。
御庭って…こんなに狭かったっけ?
もちろん、柵で囲われてたり
様々な資材が置かれてて、
見える床面積が小さいというのはあるけれど
それを鑑みてもだいぶこじんまりとして見えました。
正殿をはじめ、周りにあった建物が、色が、装飾が、
いかに全体の空間を演出していたのかを
ひしひしと感じました。
北殿のあった風景。
南殿・番所・書院・鎖之間などがあった風景。
銘苅嶽。
銘苅嶽後ろの物見代の城壁は
フチが装飾されていてとても好きでした。
真ん中に残る1本の木。
大龍柱は補修作業のための移設作業中。
がっしり養生されて頭のてっぺんしか見えませんでした。
確か9月中旬には移動って
新聞で見たはずなので、
もしかしたら今はもうないのかも?
被災した装飾品や礎石なども
それとわかるように展示されています。
屋根の上にあった龍の造形の大きさに驚かされます。
この「大きさ感」や「規模感」というのは
写真ではわかりません。
生でその場で対峙しないと実感できるものではありません。
これは是非とも
沖縄の人たちは直接見てほしいと思いました。
もちろん、学校教育の一環としても。
今しか見れません。
今だからこそ、です。
正殿の遺構は小屋に覆われて
小屋越しに見ることができます。
これまでも正殿の床下に見ることができましたが、
照明や見せ方が変わっているので、
初見と同様の気分で見学しました。
保護のためか、下部が砂?でおおわれていて
見られるのは基壇の高さの上半分程度のみとなっています。
右側が志魯・布里の乱(1453年)で焼けたとされている(Ⅱ期)遺構で、
左側がその後の再建、
つまり尚泰久や尚徳が住んでいたころ(Ⅲ期)の首里城の遺構です。
奥の布積部分は正殿の中央階段。
他は雑積みになっていますが、
いそいで再建した故ともいわれますが、
これは裏込め石で(表面の切り石は再利用で撤去))のでは、
との見方もあります。
埋文講座で聞いた、
発掘に携わっていた上原靜先生の話によると、
今回の被災で発掘された時よりも石の表面が変色し、
チョークのようにもろくなっている
(→白墨(白炭?)化)
とのことでした。
文責/和々
結構知らない人も多いのですが、
世界遺産で登録されているの「首里城跡」とは、
まさにこれらの遺構(群)のことなのです。
御内原の後之御庭からの風景。
小屋があったところが正殿です。
奥は奉神門。
東のアザナにも登りました。
鎖之間の庭園が見えます。
継世門にはネットがかぶさっていました。
補修作業に入るのかな…?
突然ですが、
「御城印(ごじょういん)」というものを
知っていますか?
本土の歴史好き、城好きの方には
すっかりおなじみかもしれませんが、
沖縄ではまだまだ
「なにそれ?」
という人のほうが多いかもしれませんね。
神社や寺院に「御朱印(ごしゅいん)」という印章紙がありますが、
それらを求めて御朱印巡り、御朱印集めをする人も増えている…
というのは聞いたことがある人も多いはず。
御城印は、この御朱印をヒントに作られた、
お城ごとの印章紙のことです。
この御城印、全国ではすでにメジャーなアイテムで、
全国各地のお城で御城印が発行されています。
私も昨年、お城EXPOに行ったとき
各ブースでたくさん見かけました。
御城印巡りをするお城ファンや
御城印コレクターも全国にたくさんいます。
さて、では沖縄の城、グスクではどうかというと、
まだ1つも発行されていなかったのです。
…が、
このたびついに!!
沖縄県初の御城印が
リリースされることになりました!!
記念すべき沖縄県の御城印
第1号のグスクは!!
首里城!!!
…ではなく、
中城城跡です!!
(企画発行/中城村観光協会)
世界遺産登録20周年の特別版である
芭蕉紙(ばしょうし)バージョン(800円/1枚)と、
通常版である
三椏紙(みつまたし)バージョン(500円/1枚)の
2種類です。
(両方ともはがきサイズ)
え、800円って…高くない…?
と思った方。
800円の芭蕉紙バージョンには
なんと
中城城跡入場券(大人一人400円相当)がついてきます!
しかも、この芭蕉紙、
職人がすべて手作業で作っており
芭蕉紙ははがき大で1枚500円くらいする貴重な紙なのだとか!
(三椏紙も素材は違いますが、同じ職人が手漉きしています)
まさに伝統工芸品!
今回の企画にはこのような沖縄の伝統産業を活かす、伝える、
という狙いも込められているのです。
芭蕉紙は貴重かつ生産が限られるため、
今回200枚制作(※増刷未定)となっております。
もしかしたら、
この200枚限り…ということもあるかもしれません。
気になった方、どうしようか迷った方は
今のうちの選択をおすすめしますよ。
【追記】
手漉琉球紙工房 蕉紙菴について(中城村観光協会ツイートより)
+
文字(書)は公募によってえらばれた
中城村の書家、新里利浩氏が、
背景イラスト及び全体デザインは
ご縁あってワタクシ和々が担当させていただきました!
一般に御城印デザインは
城の名前と、その城主の家紋をかたどったものが主流なのですが
(御朱印が名前と社紋をかたどったものであるように)
琉球は家紋文化は一般的ではないので、
グスクをデザイン化しています。
(ここで護佐丸=毛氏の家紋を使わなかったのは、
中城グスクファンの一人としてのこだわりです(きっぱり)。)
グスクはデザイン化するにあたってアレンジしていますが
押さえるべきポイントやこだわりは
しっかり表現していますよ♪
よく見てもらえるとわかるのですが、
芭蕉紙バージョンと
三椏紙バージョンでは
色だけでなくデザインも少し違います。
2種類購入しちゃうのもアリかも~!?(≧▽≦)
是非お手にとってもらえると嬉しいです。
+ + +
さて、今回は御城印だけではなく、
御城印をファイリングする
御朱印帳ならぬ、御城印帳も同時リリース!
ちょっと画像では見えにくいのですが、
中城と首里を結んだ中城ハンタ道(昨年、文化庁歴史の道百選に選定)を
モチーフにデザインされています。
(こちらは私のデザインではありません)
各ページ表は御城印を傷つけずに入れられるポケットタイプで、
裏はスタンプやメモができる白紙になっていて
とっても機能的!
お土産にも喜ばれそうです。
1冊2750円、
初回発行100冊(※増刷未定)です。
+ + +
販売は
9月20日(日)~22日(火・祝)中城城跡にて。
9月23日からは中城城跡、中城村観光協会、ネット販売になります。
詳しくは中城村観光協会サイトをご覧ください。
この御城印の評判(売れ行き)次第では、
きっと勝連や今帰仁など、
他のグスクの御城印も出てくるはずなので、
他のグスクを贔屓にしている方も
まずは中城城跡御城印をどうぞよろしくお願いいたします
+
さて、
中城城跡御城印リリースを記念して、
販売初日の9月20日(日)午前10時~12時に
中城城跡チケット売り場横の売店跡にて、
イベントが行われます。
今回の書に選ばれた新里氏が
生で、御城印に直書きします。
芭蕉紙も直筆専用の、
周囲をきれいに裁断していない
手漉きならではの「耳」つき。
もちろんこちらも中城城跡の入場券付き!
限定20名様!!
要予約!!
…なのですが、
聞くところによると、
どうやらもう埋まってしまったようです。
反応は上々のようです
(キャンセル待ちは…あるかな??)
直筆限定の20枚は予約で埋まってしまいましたが、
販売用の御城印(2種)、御城印帳は
予約なしでその場で購入できますので、
(販売は10時~15時)
お近くの方はグスクめぐりも兼ねて
この機会にどうぞお越しくださいませ☆
本記事の画像は中城村観光協会からお借りました。
(転載確認済)
+
県内新聞にも掲載されました↓
キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ
SEASON2「尚巴志・三山時代編」は
今回はラストになります。
(普段よりも余白があります。スクロールして下さいね)
↓
キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガでは
三山統一の過程で、
本部の裏切りも
攀安知や他魯毎の死も描きませんでした。
それには、それなりの理由というか
思いがあってのものですが、
唯一の例外がこちら。
本当はこれも描こうかどうか迷ったんですが…
気分を害された方がいましたらご容赦を…。
今回のこぼれ話は1コマ目について。
護佐丸は攻めてきたのが王軍(と阿麻和利)だと知ると、
王家に逆らうことはできない、と
歯向かうことなく自刃した。
それゆえに忠臣の鏡だ、と言われています。
しかし、『異本毛氏由来記』では
すぐに自刃するのではなく、
応戦したという記述があります・
個人的には応戦派です。
『護佐丸伝』(または『護佐丸全集』)著者の
新垣正雄氏はこの応戦について、
護佐丸は攻めてきたのが(王軍と)阿麻和利だと知ると、
中城の次は首里を攻めるという阿麻和利の策略を見抜き、
そうはさせまいと勝連軍の勢力をできるだけ削ぐために
応戦したのではないか、
と推測しています。
さて、あなたはどっち派?
あと、2コマ目、
切腹という本土の武士の作法にしなかったのも
一応こだわりです。
(果たしてこの時期に本土で武士の自刃方法として切腹が一般的で、
それが琉球に入ってきているのか疑問だったので)
キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ、次回からはSEASON3に入ります!
「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい。
古本整理の手伝いをしていたら出てきたパンフレット
「今帰仁グスク展」(沖縄県立博物館/昭和59年)より。
36年前ごろの今帰仁グスクの空撮です。
城壁の輪郭は分かるものの、
郭の境目はあいまいかつ、
木が鬱蒼としていて、
だいぶ雰囲気が違いますね。
同じく古本から、同時期の今帰仁グスク別アングル。
『城郭と城下町 南九州・沖縄』(小学館/昭和59年)より
入口付近にこんなに建物があったんですね。
そして、鳥居があるのにご注目。
以前も記事にした、今帰仁グスクの鳥居です。
昭和5年に建てられたものです。
今は撤去され、
足部分のみが資料館の前の庭に展示されています。
これは1枚写真。
メモ書きもなかったのでいつごろのものか不明。
志慶真門郭側から見た今帰仁グスクですね。
志慶真門郭がこんなに森だったなんて。
大隅あたりにも建物が見えます。
外郭の、さらに向こう側の風景も気になります。
「琉球のユウナ⑤」(響ワタル著/白泉社)
(↑タイトルクリックでamazonにジャンプ)
先週発売になった琉球のユウナ5巻。
kindleで購入。
4巻のレビュー記事が去年の12月7日だから、
9か月で5巻が出たということか。
「早い!」
というのが雑誌で一切読んでいない
私の印象です。
4巻の一言感想は
「あらぁ、ユウナちゃん、たくましくなって…(ほろり)」
でしたが、
前半は4巻に引き続きたくましく、
後半は少女漫画味たっぷり♡の5巻です。
新キャラ大良金の存在が面白かったです。
彼や幸地里之子にモデルはいるのか
気になりました。
尚真の異母兄弟ならわんさかいるはずだし(笑)
(アカインコが3巻からさっぱりなのがさみし~)
さて、
4巻同様、5巻に出てきた歴史的エッセンスを
ピックアップして過去記事にリンクさせたいと思います。
マンガから歴史や史跡に興味を持ってくれた人の
参考になれば幸いです。
これまでの巻のレビューはこちらから
◆寒緋桜
今回の舞台でもある今帰仁グスクは
現在、寒緋桜の名所でもあります→★ ★ ★
見ごろは1月下頃~2月初旬。
寒緋桜は北から南へと咲いていきます。
◆今帰仁グスク図
香川元太郎氏の16世紀後半の推定復元図が元。
もちろん旧道もばっちり!
(大隅の洞窟入口は隠してあるのだと推定(笑))
外郭の16世紀頃と推定されている建物群は
そのまま踏襲じゃなくても良かったかも?
(なお、北山時代は正殿の向きや規模などは変わります)
◆尚泰久
尚徳の父。
第一尚氏6代国王。
ティダから言えば祖父にあたります。
いずれ白澤と尚泰久のエピソードも描かれるのかしら…。
(興味津々)
◆北山看守
4巻レビューでも書きましたので割愛。
第二看守の始まりについて
真加戸とセリフにさらっと入れたのはさすが……
(こういうのがくすぐるんですよね~♪)
◆クリス
サニが使ってた短刀。
クリスは東南アジア経由の刀なので
サニに持たせたのもさもありなん。
円覚寺から出土しています。
◆本部おおやくもい
「本部の裏切りを見抜いたのは褒めてやる」
にやりとなりますよねー。
おおやくもいの名前選定の際に
敢えて「本部」を選んだ、
と思えてくる…けどどうかな…?
(リンク選びが難しかったので、↓とまとめます)
◆今帰仁グスクの志慶真門
先の本部の裏切りとリンクして
志慶真門からの突入。
尚巴志VS北山の戦いを知ってる人は
もうわかるよね。
敵を正門側に引き付けておいて
裏門から攻め入る。
尚巴志(第一尚氏)がした戦術を
第二尚氏がそのままなぞるとは…(笑)
因果応報。
なーんてね。
ところで、
ユウナでは今帰仁グスクや北山が
第二尚氏への反乱分子の潜伏エリアになってましたが
元々は北山を滅ぼした第一尚氏への
反乱分子が多かったといいます。
滅ぼされた側なので、そりゃそうですよね。
なので正直私は
「北山で無念の死を遂げた者の魂」には
マンガには出てこない第一尚氏に滅ぼされた旧北山のことに
意識が行ってしまった…(笑)
ともあれ、
北山滅亡のあれこれについては
きっと題材(ヒント)にはしているんだろうな。
なのでそのあたりの北山の歴史も知ると
さらに面白いですよ♪
さて、どの過去記事をリンクすればよいのやら…
とりあえずこれを→★ ★
◆大隅の洞窟
あれですね。
◆今帰仁クボウ御嶽
今帰仁グスクそばの山にある御嶽。
辺戸の安須森ほどではないけど
登った時は怖かった…(高所恐怖症)
→★ ★
◆御開門
焼失するまでは首里城奉神門前で毎朝やっていましたが
今はどうなんだろう…?
日常的にはやってないかな?
◆首里城正月儀式
実際の再現儀式の様子がこちらになります。
子之方御拝→★ ★
朝之御拝→★ ★
大通りの儀→★ ★
+
今回も首里城の場面がたくさん出てきましたが、
今(※)みたいな首里城ではなくて
(今の首里城のビジュアルにしたのは敢えてだと思っていますが)
本当に尚真時代の、古琉球時代(かつ志魯・布里の乱後の再建された)の首里城の姿で
描かれているのも見てみたいな~と思ったりもしました。
もちろん、充分な資料がないので推定になるけれども。
推定でもいいから、
響先生の画力をもって、今(※)とは違う首里城で、
ユウナたちが生き生きと動く様子も一度見てみたいものです。
(※)
平成復元の首里城は、1709年に焼失し、
1712~1715年に再建された首里城の姿を対象にしています。
前回のつづき
本(『琉球戦国キャラクター図鑑』)の
「護佐丸ステータス」に
絵心…★
って書いとけばよかった~~(笑)
(私のキャラは必ず何かしらの欠点や弱点を入れています)
なお、
左三つ巴が尚家の家紋として使われ始めたのがいつなのか、
なぜ本土と全く同じ三つ巴のデザインが採用されたのか、
(尚家以外の家紋は本土のと全然系統が違うのに)
は不明です。
諸説ある中から
マンガで護佐丸くんがプレゼンしている元ネタが
こちら(→尚家三つ巴の意味)になります。
゛三山が一つになって…”
このコンセプトだととてもきれいに収まるのですが、
尚徳の「八幡」との関係が
1番実情に近いような気がしています。
「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい。
久々にマンホーラー記事。
マンホール目当てに地域を巡る…
ということまではしないけど、
出かけた先ではマンホールにもアンテナを張って
写真に撮るマンホーラーです。
このように撮ったマンホール写真ストックから、
今はなき具志頭村のマンホール。
中央が旧 具志頭村の村章で、
周りは牛と、無形民俗文化財の芸能「シーヤーマー」が描かれています。
現在は合併して「八重瀬町」になっていますが、
最近でも具志頭村の道路表記を見かけることがあります。
(写真は2019年3月撮影)
さて、マンホールといえば。
現在「首里城マンホールデザインコンテスト」の
一般人気投票が行われています。
↑クリックでジャンプ
首里城をテーマにした8つのデザインが
ノミネートしています。
↑クリックでジャンプ
どれも味がありますね。
お気に入りのデザインはあれば
是非投票してみては?
選ばれたデザインは実際にマンホールになるようですよ。
明日は台風10号真っただ中の予想。
パソコン作業はできそうもないので
今日のうちに過去の下書き編集&アップで!
今日はずっと紹介しようと思いつつ
(ツイッターでは軽くアップしてましたが)
何かと後回しになっていた、
こちらです!
今年の春にオープンした、
台グスクの展望台。
(今年3月に工事終了でしたが、公園施設に不備が見つかったらしく
公の情報公開は延び延び&あいまいに…)
台グスク(デーグスク)とは、
中城グスクのそばの丘陵にあるグスクで、
伝承では護佐丸が中城に移動したときの
一時居住地だとか、
伊寿留按司の居城だったとか、
先中城按司の居城だったとか、
色々言われています。
まあ、一言でいうと
詳細は謎。
とりあえず、
中城の按司にゆかりのあるグスク
ということになります。
試掘調査では、土器や獣骨、貝などが出土していて
中城グスクよりも古い時代の遺跡だと
考えられています。
ということは、先の伝承でいえば
先中城按司により関係がありそうですね。
過去にも何度か訪問&記事にしているのですが、
→ ★(2015年) ★(2016年)
公園として整備された様子を
改めてレポートします!
まず、入口。
中城グスクの駐車場を出て、右に行くとすぐです。
入城&利用は無料ですが
管理上、オープンは9:00~18:00です。
駐車場は広く、ゆとりがあります。
トイレや自販機も完備。
展望台に上る階段です。
こちらも利用は9:00~18:00
ひたすら階段一本です。
ひたすらのぼって行ってください。
迷うことはありません。
(2016年撮影)
以前、
これなんだろう…って記事にしてたこの場所は、
こうなりました。
階段設置の工事だったのですね。
頂上に着きました。
トップの写真をもう一度。
絶景かな絶景かな。
是非とも晴れた日に来てほしいですね。
360度動画はこちらからどうぞ(ツイッター)→★
(ツイッターに動画アップしたら画質劣化が著しいのは私だけ…?(´;ω;`))
ここからは
勝連グスクはもちろんのこと、
勝連半島の後ろのある
平安座島まで確認できます。
台グスクは戦前は松が多く茂る景勝地で
新聞社が主催する景勝地コンクールのようなもので
1位になったことがあるのだとか。
(参『中城の民話』/中城村教育委員会/H11)
南側は西原、与那原、
そして知念半島。
戦後、疎開先から帰沖した際、
与那原からこの台グスクを見て
故郷に帰ってきたことを実感した、
という人もいたそう。
(参『中城村の学童疎開』/中城村教育委員会/2020 他)
中城グスクではなく、
台グスクで、というのは興味深いですね。
台グスクは崖の地形が特徴的なので
より確認しやすかったのでしょうか。
台グスクが中城のランドマークだった
ということが分かります。
展望台からは中城グスクの城壁がちらり。
この距離感。
帰りのくだり階段から見える風景も
絵になりますね。
+
ところで、この台グスクの丘陵には
護佐丸のお墓があります。
階段の途中にある切れ目から森の中に入っていくと…
護佐丸のお墓に通じます。
護佐丸のお墓も訪問する予定の人は、
台グスクの階段から行くほうが近道ですよ。
ただ、草刈りされていない時とかは
要注意です。
ハブとかね。
(あと、道中、崖下古墓とかあります)