【第118問】
第一次世界大戦後に起こった昭和恐慌を
沖縄では何と呼ぶか
(答えは下)
■ ■ ■ ■
【答え】
ソテツ地獄
(毒を持つソテツを食べざるを得ないほど
困窮していたことからの表現)
【第118問】
第一次世界大戦後に起こった昭和恐慌を
沖縄では何と呼ぶか
(答えは下)
■ ■ ■ ■
【答え】
ソテツ地獄
(毒を持つソテツを食べざるを得ないほど
困窮していたことからの表現)
【第117問】
中山世鑑を漢文に訳した歴史書の名称は?
(答えは下)
■ ■ ■ ■
【答え】
中山世譜(ちゅうざんせいふ)
蔡鐸本(1701)と蔡温本(1725)があります。
蔡温が、父・蔡鐸の「中山世譜」を改訂したのものを
「蔡温本 中山世譜」と言います。
正史を古い順に並べると
・中山世鑑(1650)
・蔡鐸本 中山世譜(1701)
・蔡温本 中山世譜(1725)
・球陽(1745)
となります。
【第116問】
羽地朝秀が唱えた
琉球は日本の民族や文化と起源は同じである
(琉球の民族や文化日本から分かれたものである)
という考えを何という?
(答えは下)
■ ■ ■ ■
【答え】
日琉同祖論(にちりゅうどうそろん)
羽地朝秀を表すキーワードの一つ。
羽地朝秀の墓は末吉公園界隈にあります。
【第115問】
琉球王府が最初に編纂した
正史の名称とその作者は?
(答えは下)
■ ■ ■ ■
【答え】
中山世鑑(ちゅうざんせいかん)
作者→羽地朝秀(はねじちょうしゅう)
(前記事の続き)
『南島雑話の世界 名越左源太の見た幕末の奄美』
(南日本新聞社/2002)
より、今度は私が特に印象に残った風習を1つご紹介。
それは『樹木葬』です。
亡骸を箱に入れて木に吊るす…というもの。
3年放置し、そののち洗骨して壺に納めるのだそう。
ただこれが一般的だったわけではなく、
特別な人がこのように葬られていたようです。
その特別な人というのは…
「ノロ」です。
奄美のノロも琉球のノロと同じく
精神的指導者として人々の信頼も厚く
祭りや祭事には欠かせない存在でした。
そのノロが亡くなった時の葬り方のよう。
聖なる山の奥地でこのように行い、
人々の立ち入りは近視。
樹に吊るすのは「神が天に上りやすいように」と書いています。
樹木葬…なんとも特異で不思議な風習です。
なお、このトピックの後半には
一般人の葬制の事にも触れていて、
(土葬や洞穴風葬なのですが)
「泣き男」「泣き女」を身分に応じて雇っていたのだそう。
悲哀に満ちて涙を誘うような
「泣きが上手い」人には報酬も高かったんだって(笑)
身分の高い家は「泣き男」や「泣き女」をたくさん雇って
たくさん泣かせた…ということでしょうか。
+ + +
この本には雪隠つまりトイレ事情や
様々な風俗、風習について
それから薩摩との関係などにも触れています。
また、
見たこともない異形の動物を見ると
「とりあえず食べてみよう」
となるのも奄美の人たちの気質が表れていてなんだか可笑しい。
(それでワニや見たこともない魚を食べちゃってます)
楽しく興味深く読めた1冊でした。
是非手元に欲しいな…。
(でも絶版中で古本でもなかなか情報ヒットせず…)
『南島雑話の世界 名越左源太の見た幕末の奄美』
(南日本新聞社/2002)
を読みました。
『南島雑話』とは、1850~1855年、
奄美大島に遠島(島流し)になった薩摩の上級武士・名越左源太が
奄美大島の自然や民俗などを記録したもの。
絵が得意だったという佐源汰自らが描いたスケッチの数々が
当時の奄美の様子を知る上で貴重なバイブルとされています。
この本はその『南島雑話』の記事をテーマに沿ってピックアップし
今と比較しながら書かれた新聞連載をまとめたもの。
幕末の奄美…と言えば
今年の大河ドラマ『西郷どん』の奄美編が記憶に新しいですね。
(西郷が奄美にいたのは佐源汰が帰郷して4年後の1859年)
そこで見た奄美の様子は幕末と言えども
自然も、髪型も、服装も、文化も、言葉も、
薩摩というよりもずっとずっと琉球だ、と感じました。
(※薩摩侵攻までは奄美は琉球の一部でした)
…と思っていたら、
薩摩は通常、奄美全体で大和風の文化(頭頂を剃る月代や髷、服装など)
を禁止していたのだそう。
それは、清国との関係で奄美は琉球だと思わせておく方が得策で
薩摩が奄美を支配しているというのがバレないように、
ということらしい。
とまぁ、色々と勉強にもなる本なのですが、
面白い記述や絵もたくさんあったので
いくつかご紹介したいと思います。
まずは不思議な生き物シリーズ。
(絵はワタシが模写したものです)
1 ケンモン
ケンムンって言ったほうが聞き馴染みがあるでしょうか。
『西郷どん』でも出てきましたね(18話)。
沖縄で言う所のキジムナーに近い、
ガジュマルに住んでいる妖怪です。
人懐こくて人間の手伝いをすることもあれば
いたずらを仕掛けたり、
仕返しをすることも。
ちょっと違うのは、猿+河童のような見た目の事。
沖縄のキジムナーで河童ような皿がある…というのは聞いたことないような?
『南島雑話』にはこんな絵も。
人間と一緒に手をつないで踊っているのか、手を引かれているのか。
ともあれ、人間・ケンモン両者とも
表情がとてもかわいらしくてほのぼのします。
2 人魚
…どこに「魚」の要素を見つければいいのでしょうか…。
強いて言うなら、耳辺りがエラに…見えないこともない?
ただのはーもーにたじーのおじいにしか見えないです(笑)
3 チリモヌ
ネコ科の動物の様でかわいいです。
名前の響きも、なんだかおもしろい。
空想上の生き物と見る人もいれば
かつてはいた希少動物と見る人もいるらしいです。
記録では
・不浄の獣
・人が死ぬ時に敷くむしろなどに宿っている
・股をくぐられると病気になって死ぬ
・豚の子のようで、猫に似ている。
・色は薄黒、しっぽは短い。
チリモヌと同じように
ミンキリャワァという妖怪?もいるらしく
同じく股をくぐられると死ぬ…らしい。
ともあれ、チリモヌに出会ったら、股をくぐられないように
足を交差させてあるくべし!
4 奈麻戸奴加奈之(ナマトヌガナシ)
語尾に「ガナシ(加奈之=加奈志)」という敬称がつけられているので
高貴な存在だと分かります。
これはの8のツノと8ペアの足(=16本)をもつ牛の姿をした
耕作の神様です。
牛よりも一回り大きいそうで、
鳴き声はチャウメラ(チャルメラ?)のようで
夕暮れに庭火をたくとその光に徘徊するのだとか。
(夕暮れのマジムン出現率高し!
昼と夜の狭間…アコークローってやつですね…)
この神様が出現すると皆、地に顔を伏せて畏敬するので
誰もその姿を見たことはない…
のですが、
作者の佐源汰は
「これ作りものじゃんって言ったらきっとめっちゃ怒られるよねー。
だから大和人が近づくことを嫌うのかー」
って書いちゃってます。
(つづく)
那覇市歴史博物館で開催中の
『考古学から見た那覇』
ワタシも開催早々観に行ってました。
お目当ては、円覚寺跡から出土したという「クリス」!
琉球戦国列伝でも芥隠に持たせた、
あのくねくねした剣です。
まだ生では見たことがなかったクリス!
ついにお目見え!!
芥隠さん@琉球戦国列伝ver
かーなーりー小さかった。
戦国列伝で描いたものほど大きくはないとは思ってたけど
予想以上に、はるかに小さかった…。
びっくりこいた…。
(…戦国列伝で描いたクリスは
同型で大きさの違うクリスが他にもあった、ということで…)
展示会ではほかにも
3万年前の自然が分かる遺物や
国際商業都市として栄えた那覇の様子が垣間見える
様々な出土品が展示されています。
コンパクトな展示ではありますが、
一見の価値ありです。
今月30日までですので
まだの方は是非この機会に★
また、当初6月までだった宝刀の展示も
同じく今月30日まで延長中!
実は当初の展示最終日の日(6月27日)に、
あの刀剣乱舞の新キャラ「千代金丸」がお披露目され
ネットがかなりざわつくというまさかの事態が発生…
その「千代金丸」キャラのニュースをうけ、
学芸員さんが頑張ってくれてみごと展示会期が1か月延長!!
…という経緯があります。
こちらも是非。
(でも私個人的にはやっぱりクリス推し!)
噂の「唐人そば」を食べに行きました。
唐人そばとは、
沖縄そばの元祖と言われているそば。
沖縄そばの歴史は明治にさかのぼり、
那覇に開業した「支那そばや」で
清国人の料理人が作ったのが始まり、
と言われています。
今の沖縄そばとはちょっと違い、
黒いスープだった
というのが興味深い。
その元祖沖縄そば「唐人そば」の味を
復活させようじゃないか、と取り組んだのが
沖縄のそば発展継承の会。
かいあって無事に再現され、
現在、以下のお店で食べることができます。
みよ家(嘉手納町嘉手納463-13)
すば処 月桃(那覇市寄宮3-10-1 JAおきなわ真和志支店1F)
民芸食堂(与那原町字与那原433)
すばかふぇゆったりあけもどろ(那覇市天久2-28-28)
下地そば(那覇市真地41番地)
大笑うふわらい(那覇市壺屋1-1-1 開南太平通り)
うちなぁ家(那覇市泊3-12-14)
うちなぁ家八重瀬店(八重瀬町東風平822-2)
おかあさん(糸満市座波1806-2)
まーさむん家 麵そーれ(糸満市潮平590-4)
同じ唐人そばでも店舗によって微妙に違うみたいなので
いくつかのお店を食べ比べてみても楽しいかも。
私は嘉手納の「みよ家」でいただきました(写真)
確かに今の沖縄そばとはちょっと違う。
もちろんラーメンとも違う。
スープは割りとアッサリめで私好みでした。
ワタシは普段、スープを飲み干すことはないんだけど
一番苦労されただろう、スープの再現に敬意を表して
全部飲み干させていただきました。
くゎっちーさびたん。
第二尚氏2代国王・尚宣威。
金丸(尚円)の弟で、ともに伊是名を脱出。
金丸の死後、世子である尚真がまだ幼少だったことから
暫定的に王位につきます。
しかし、半年後の即位式で神に拒否され失脚。
越来グスクに隠居し、失意のうちに亡くなったと言われています。
このエピソードからも
同情を感じざるを得ない人物の一人です。
『中山世鑑』などでも神に忌避された理由として
何も尚宣威に徳がなくて神に憎まれたのではなく、
ただただ尚真の徳が高かっただけなのだ(意訳)
と尚宣威について決して悪くは述べていません。
人間的にも優しい人、素直な人、まじめな人
というようなイメージがあります。
(『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』でもそんな感じで描きました)
みなさんはいかがでしょうか。
さて、
そんな尚宣威のイメージをがらりと覆す
ある口伝があったのでご紹介しましょう。
『琉球王国三大妃』
(金城昌永著/新星出版/2017)
この本は筆者が母から聞いたという、
寵一族(大宗良壁上間親方長胤)に伝わる
口伝言説を記録したものです。
通説と違うこともあろうでしょうがご了承ご理解ください
と筆者も断り書きしているので
一つの伝承として読んでみましょう。
(私個人的には口伝伝承大歓迎)
それでは要約。
金丸と、伊是名からの妻、その子供たち、
そして宣威は西原の内間で一緒に暮らしていた。
そのうち、例のクーデターが起き、
金丸は尚円として王に就くことになる。
その際に結婚したのがオギヤカ(※)。
※尚円の王位は7年なので、
尚真が即位した時に12(13)歳だったことを考えると
即位してから結婚というのは本当は計算が合わないのですが
尚円はオギヤカを愛で、首里に在中していることもあり
内間の家族を顧みることが減っていった。
そんな状況をいいことに、
尚宣威は一緒に住んでいた金丸の娘に手を出します(!)
そして生まれたのが、
あの居仁と朝易(!!)。
しかしそれが兄(金丸)にバレると大変!
(いや、2人も生まれてるんだから普通にバレるだろ!)
そこで宣威が取った行動とは。
一緒に住んでいた金丸の妻(元々の妻)と、
自分が手を出した金丸の娘を暗殺(!!!)
そして、
それをオギヤカのせいだとします。
かねてから王位を狙っていた宣威は
そうすることでオギヤカの子(尚真)の王位継承権を失わせ、
自分が次の王位につく…という算段だったのだとか。
しかし、そのことを知ったオギヤカは激怒!!
そのうち自分や尚真などの命も狙われるのでは…と
尚円に相談。
敵討ちの機会を待ちます。
そして、その敵討ちというのが、
例の即位式での神からの忌避というもの。
オギヤカは見事、金丸の元妻子の仇を討ち、
自らへの危険も除去することをに成功した…
…って、
いやいやいや、これ敵討ちになってるか?
うむ。
しかし、この本によると、
オギヤカは、
心が純真で
日々子育てと神人の取りまとめをし、
夫(尚円)の健康をいつも気づかい
心が広くて優しい妃
だったようなので、
敵討ちというのもこれくらいで良かったのでしょうかね…
でもそう考えると
尚真の妻に居仁を迎えた…というのも
これまでと少しちがった動機が見えてくるの
これはこれで新鮮ですね。
その他にもいろいろ書かれてるんですが
(オギヤカ以外に尚元王妃・尚久王妃。どちらかというとそっちがメイン)
ちょっとこの本の文章、すごい読みにくくて
(主語述語とか句読点とか言い回しとか色々)
今回は尚宣威の部分を要約アレンジでお伝えしましたが
興味ある方は直接読んでみてください。
なお、尚宣威のお墓は沖縄市にあります。
…が、1979年に行われた学術調査では
その証拠は見つかっていません。
(※ただし子孫の向姓・湧川門中はここを尚宣威の墓としてあがめています)
尚宣威の墓はこことは別に
沖縄市の津嘉山森という説や
北谷グスクだという記録もあるようです。
(参「尚宣威王の墓/沖縄市教育委員会/1980」)
肝高の阿麻和利 7月公演
2018年7月7日(土)
きむたかホール
7月公演レビュー【表編】です。
(【裏編】はこちらから)
今回は6月に亡くなられた
肝高の阿麻和利生みの親(発案・企画者)、
上江洲安吉先生の追悼公演でした。
公演前に生前のインタビュー映像や写真をまとめたスライド上映があり
安吉先生の志に改めて胸が熱くなりました。
でも『北山の風』の紀秀先生追悼公演の時もそうだったけど、
舞台や子どもたちを観ていると
この世に安吉先生は肉体はなくとも、
その魂と志は子どもたちにしっかり受け継がれている、
これからも受け継がれていくのだと感じました。
あまわりの 萬国に道拓き 我した肝高の 誇り高さ
(詠 上江洲安吉)
本当にすごいお仕事をなさったのだよなぁ…。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
+ + +
観劇は7日の夜公演でした。
実は観劇するか(できるか)どうかギリギリまで迷っているうちに
事前に全公演チケットが完売したので諦めていたのですが、
やっぱりロビーで音声聞いていたら(やっぱり)中で観たくなって、
ダメ元で聞いてみたら運よくキャンセル席をゲットできました。
久々の前方中央エリアだったので、
演者さんたちの表情・しぐさ・息づかいまで
しっかり味わうことができました。
(その代わり中通路や後方の演出を見るのはできないんだけどね…
なので大好物の”男サンの笑顔でアイコンタクト”は今回は見れず……)
では、
この前方のメリットからのレビューから。
《阿麻和利の最期》
ここは多くの人が涙する名シーン。
瀕死の阿麻和利に泣きすがる百十踏揚に
その涙を拭うように頬に触れる阿麻和利。
瀕死でありながらその優しそうなことよ。
まるで少女漫画のようでとしました。
(思わず絵にしてみました)
2人のラブラブ、大歓迎です(。・ω・。)ノ♡
ちなみに絵ではおとなしめに描きましたが
取り乱して泣き叫ぶ百十踏揚…も好き…。
一方その頃、賢雄は。
《毎度おなじみ賢雄ウォッチャー》
阿麻和利が瀕死になってからの
賢雄の心の移り変わりは
ソロでガン見してもいいくらい
見ごたえがあります。
(公演や演者さんによっても微妙に変わる)
これまでは、阿麻和利に
「賢雄!踏揚を…頼んだぞ…」
と言われたときに
ハッと顔をあげてそこから後悔の念が押し寄せる
ってパターンが多かったのですが
今回はそれよりも前に
おそらく泣きすがる百十踏揚の様子などを見て
しだいに揺れ始め、
上の阿麻和利のセリフの時には
ぐさっと刺さったかのように
逆にぐっと顔を伏せたのが印象的でした。
(もしくは、
後悔を確信したもののすぐには認めたくなくて眼をそむけたか)
そこも良かったです、
が、
今回何気にツボだったのが
実はそれよりも前のシーン。
阿麻和利が首里からの知らせに
迷いながらも戦を決意し命令を下す所。
「戦だ…、戦支度をせよ!」
と阿麻和利が踵を返すと同時に見えた、
賢雄のかすか~~~~なニヤリ顔!
分かりやすいあからさまなニヤリじゃなくて
本当にさり気ないニヤリ。
これは前の席じゃないと見えないくらいの変化。
これが見れたのは良かった♡ ←マニアック
《女性アンサンブルさんの”キャラ設定”》
次は女性アンサンブルさん演じる民衆たち。
阿麻和利が按司として民に語りかけるシーン。
「この勝連は田畑はせまく、作物も少ない…」
「だが、ものは考えようだ。
シマが小さいということは、海が広いということだ」
この前向きなセリフに民たちの顔がパッと明るくなって
希望を抱くのですが、
そんな希望に満ちた民大勢の中に…
…おやおや?
(???……どういうこと?何言ってんのかわかんない)
って表情の民さんがいるぞー?(笑)
阿麻和利のセリフが続きます。
「海の向こうには、唐がある。大和がある」
周りの民たちに遅れて
しだいに理解し始めた民さん。
(…あ!そっかぁ…!)
「世界中に船を走らせ、異国の宝を持ち帰ろうではないか!」
(わーい!すごーーい!!!)
最後には周りの民たちよりもいっそう目をキラキラさせる民さん。
わ~、かわいい(笑)
アンサンブルさんも演舞に合わせて表情を作ってはいますが
今回のように「(民)個人」としてのキャラをしっかり作っていたのは
珍しいような?と。
でも余裕がないとできないよね。
前の立ち位置でもあったし、女サンのリーダーさんとかなのかな?
写真は日曜日の昼。見事なまでの青空でした。
《新演出!》
前回ワタシが見た卒業公演からの
目立った(気づいた)演出変更は2つ。
1つ目は「阿麻和利の笛」
平敷屋エイサーのシーンの冒頭に、
一の郭で月を眺めながら語らう阿麻和利と百十踏揚…
だったのですが、
今回は阿麻和利の横笛演奏がプラス。
『百十~MOMOTO~』でもそんなシーンがあったから
リンクを考えてのものかな?
でも今回は「ふり」じゃなくて、阿麻和利君のマジ演奏ですよ。
しかも、ソロ。
きっとたくさん練習したことでしょう。
プレッシャーもあったことでしょう。
高音とかさ、難しいよね。
(私も小中高ずっと吹奏楽やってたんで分かります)
よくがんばりました
これ、8代目阿麻和利君の残された公演では
ずっとやってほしい♪
2つ目は「歓喜」のシーンのハッタラー↓
(今回このチラシゲットできなかった…グスクに取りに行ったのに…)
カチャーシーのあと、
ハッタラーが奥から走ってきてぃよ~ッ!で〆るところを
ぃよ~ッ!の3段活用。
ひきつけて、盛り上げて、盛り上げてから~、の
パン、パパパン!
ほほほう。
(でも外でのお見送り演舞の時はこれまで同じだったけど(笑))
《他、あれこれ》
*
屋慶名がやたらとモテキャラになってました(笑)
「キャー!屋慶名さまー♡♡♡」的な。
誰たちからモテてたのかと言うと、
望月按司側用人たちからです。
*
少年たちの声変わりにびっくり。
背も大きくなっちゃってー
中学生は変化が大きい時期だから
印象もガラリとかわりますね。
(中学生メンバーだけで演じられる
『かっちんカナー』今年も楽しみです)
*
観劇10年目にして、初めて聞き取れた掛け声が衝撃でした。
それはどこかと言うと、
クライマックス「肝高の詩」で
後半、阿麻和利が出てきて叫ぶあの掛け声。
これまでなんとなーく
「レッツ ァシンガアソーン(グ)!
(Let's a sing a song ←なぜか a が2回出てくる)」
って感じで聞こえてたんだよね。
(あくまで雰囲気的に)
もちろん、そのはずはないとは思ってたけど
それほど気にもしていなかったと言えば、気にしてなかったので。
ところがその曖昧だった掛け声が明らかに…!!
昼公演の時に、ロビーで、気を抜いてた状態で聞こえてきた音(声)は、
「さあ、シンカヌチャー!」
でした。
マジか。
もーね、
ロビーで一人で苦笑いしたよね。
おわり。
肝高の阿麻和利 7月公演
2018年7月7日、8日
きむたかホール
今年度初の、肝高の阿麻和利7月公演でした
今回は【裏編】と【表編】の2記事に分けて
振り返りを書こうと思っています。
まず最初は
「お礼と感謝」から。
今回の公演では、
前記事でもお伝えした通り、
『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』を
物販コーナーで販売させていただきました。
スタッフでもあるお母さん方に本当にたくさん助けていただき、
そして良くしていただいて
本も目標の約2倍の数を売ることができました!
購入してくださったお客さま
本当にありがとうございました!
これを買いに来ました!というお客さまもいれば、
パンフレットに入れ込んだチラシをみて興味を持ってくださり
購入しに来てくれたお客さまもいて、
感謝感激雨霰
現役阿麻和利君に宣材写真撮らせてもらいました☆
(本にも参加しています)
一般のお客さまももちろんですが、
阿麻和利メンバーさんや保護者の方々も
たくさん購入してくれて本当に嬉しかったです。
澪之助共々、お礼を申し上げます。
これまでとは一味違う琉球史本ですが、
現代版組踊で描かれる人物像と比較したり、
ツッコんだりしたがら楽しんでいただけたら嬉しいです♡
BY澪之助
BY和々
+ + +
合間合間のお母さんたちとのゆんたくも楽しかったです。
元々、肝高の阿麻和利お父さん・お母さんがたの
縁の下の力持ちぶりはすごいな~と思っていましたが、
今回実際に裏方の様子を見ることができて
(ほんの一部ではありますが)
本当に、つくづく、つくづく、頭が下がりました。
普通に仕事もあって、
家事もあって、
家族もいて、
メンバーでもある我が子の送迎などもあって、
自身も裏方として肝高の阿麻和利を支えている。
でもこのような方々の存在がいるからこそ、
子供たちは舞台に集中できるし、
お客さんは安心して舞台を楽しめ、
活動を途絶えさせることなくこれまで続けることができているんだろうな、と
改めて感じました。
お陰で、もう10年も楽しませてもらっています!
ありがとうございます!!
+ + +
そして今回、公演中もロビーにいたことで
初めて見れたこと、知ったことがたくさんありました。
肝高の阿麻和利は客席通路も
めいいっぱい演出に使われています。
なのでそのシーンに応じてメンバーさんが
ロビーにやってきてスタンバイするんですね。
「浪漫」の精霊たちや、
「伝令」の疑似首里軍や、
勝連の民たちや、
そして天の使いたち、
私がいつも胸キュンする「肝高の詩」でのエイサー隊などなど。
舞台(会場)に入る前のロビーで、
お互いに円陣を組んで気合を入れたり、
衣装のチェックをしたり、
メイクを直したり、
儀式をしたり。
阿麻和利が死ぬシーンで
阿麻和利のマブイ(魂)を抜く黒尽くめの死神的な存在がいますね。
役柄的にはアンガマーと言うのですが。
重要な役である彼らが
会場に入る前にある種の「儀式」を行っていたのが
非常に印象的でした。
これ以上は詳しくは書きませんが、
この役が他の役とはあきらかに一線を画しており、
舞台に出る前の、この「儀式」あってここそのアンガマーなんだな、
と見てて神聖な気持ちになり、静かに感動しました…
あともうひとつ。
(たぶん)演出部門さん?
演出部門さんって正直どんなことをやっているのか
分からない所が多かったのですが(裏方だから当然と言えば当然だけど)、
今回、その一端が見れました!
例えばメンバーさんが全員退場して、
客出しをするときの、下準備。
ほほ~~~~~
はだしの役者チームのためにぞうりをそれぞれの立ち位置にセットしたり
汗(や涙)を拭くためのティッシュをスタンバイさせたり、
いったんメンバーさんがハケてきたら
小道具の回収やマイクの回収などなど。
これまで気にもしてなかったけど
そうだよね、こういうの必要だよね!
ティッシュ必須!
演出部門さん+OBスタッフ+出番がなく裏方に回っていたメンバーさんなどが
実に無駄なく動いていて、すごく感心しました。
こういう所にも改善が重ねられ
システム化された肝高の阿麻和利の歴史を垣間見ることができて
とても良かったです。
そういえば、
本の現代版組踊座談会の時に、森屋さんから
もしワタシや澪之助が中高生で阿麻和利に入れたとしたら
どの部門希望しますか?と逆質問されて
2人して「演出部門」だったという(笑)
(【表編】につづく)
【第114問】
日本の独立とともに沖縄が分離されることとなった
1951年9月に結ばれた条約は?
ヒント:発効は1952年4月28日
(答えは下)
■ ■ ■ ■
【答え】
サンフランシスコ講和条約
(対日講和条約)
恥ずかしながら、ワタシはこの日(4月28日)は
大人になってから知りました。
(琉球史にハマるのとは全く別)
慰霊の日や本土復帰の日、終戦記念日などは
子供のころから知っていましたが
この日は社会人になるまで
知らなかった(意識したことなかった)なぁ…。
沖縄戦後史をざっくり学ぶのにも
オススメなのがこちらの本!
レビュー記事→ ★
琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑
(イラスト・文/和々・澪之助 ボーダーインク発行)
『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』
お買い上げいただいた皆様、
感想などをツイートしてくださった皆様、
メッセージやコメントを下さった皆様、
どうもありがとうございます!
さて、この本は
『琉球史を楽しむ』
というコンセプトの元作られた本です。
この本で(歴史学として教科書的に)
琉球についての見識を深めようとか
この本で当時の琉球ついて詳しく勉強しようとか、
つまり「学習」が主な目的の本では、ありません。
だって、ピンクの髪色の百十踏揚や
パンクロックな鋲のついた革のコートを着ている賢雄のイラストを見て
なるほど、当時の琉球人はこんな格好をしていたのか!
と思う人は、さすがにいないでしょう(笑)
なので、
琉球史を題材にしたエンタメ本、
ということなのです。
このブログでキラキラ化シリーズを始めた時にも
書いていますが、
時代考証的に、年齢相応に、当時の風俗を踏まえて、とか
そういうのは一切放り投げて、
琉球史の人物をゲームやアニメのキャラクターのように
キラキラのイケメン化してみたら…!?
というのスタンスになっています。
でも、キャラクター設定やビジュアルデザインは、
歴史的な背景やモチーフ、史実、エピソードや伝承を元にアレンジしているので、
琉球史に詳しい人は詳しい人で、違った見方でも楽しめるようになっています。
また、関連する歴史的な話やエピソードやなども一緒に紹介したり、
(琉球史に基づいた)相関図や人物年表なども入れています。
なので、琉球史をまったく無視している、琉球史について1ミリも学べない、
というわけではありません。
エンタメから琉球史に興味を持つきっかけになる本、となれれば。
じゃあ、その意義はなんぞや。
キラキラ化することに何の意味があるのか。
流行ってるから、
というのももちろんあります。
琉球史ではまだそういう系のはまだ少なかったしね。
(本土の歴史ゲームの中のいち単体キャラとして、や
琉球モチーフのオリジナルキャラ、世界遺産の擬人化キャラなど
色々と出てき始めていたけど
琉球史の人物たちを琉球史を踏まえた上で体系的に描いたものはまだなかった。)
また、それは
これまでとは違った層に琉球史をアピールできる
ということでもありますし。
ところで、
本来、ワタシはどちらかと言うと
このような現代美少年化した歴史キャラには
ちょっと抵抗がある派、でした。
首里城のアニメ調の里之子キャラを最初に見た時は
髭無しは許せても髪型は許せませんなぁ(# ゚Д゚)
なんてツッコんでます。
でも、次第に、
世間も擬人化やイケメンキャラ化のブームが広がって
そういった絵を目にする機会も増え、
多少なりとも私にも免疫的なものができてきたこともあり、
ある時からは、
いんじゃね!?
と。
悟りを得たというか、
新たなステージに行ったというか(^^;)
とりあえず、
私自身にもこんな変化(経緯)があり、
時を経て、ブログで興味本位かつ実験的に描き始めた
…という感じです。
でも、実際に描いていくうちに
確信したことがあって。
ワタシはただ単に、
イケメンキャラを描いて
”ほらかっこいいでしょ?きゃっきゃっ♡”
という類の、ミーハーな、オタクなノリだけをアピールしたいのではなく、
キラキラ化には意味があり、描く意義がある、
と。
それは、やはり、
人は見た目が9割(10割!?)!
ということ。
例えば。
南山王の他魯毎ですが、
これまでの彼がどう絵で描かれてきたのか。
嘉手志川と金の屏風の逸話から
小太りで髭もじゃで成金趣味のだらしない(もしくは頭の悪そうな)おっさん
だったと思います。
実際、ワタシもそんなイメージがあったし
『琉球戦国列伝』ではそのように描きました。
『球戦国列伝』での絵は基本、資料に基づいた中山視点がコンセプトになっています。
だから尚巴志に敵対した側は基本かっこ悪いor悪そう系なのです
でも、本当に他魯毎は
小太りで髭もじゃで成金趣味のだらしない(もしくは頭の悪そうな)おっさん
なのか?
この逸話だけで他魯毎という人物像を固めてしまっていないか?
この逸話は中山(勝者)側から見た他魯毎ではないのか?
阿麻和利がそうであったように、
他魯毎も(この逸話の真相も含めて)観方を変えれば
全然違う人物が浮かび上がってくるはずです。
『琉球戦国列伝』のあとがきでも、
今回の本の前書きでも書いていますが、
人物像というのは一つではない
100%悪人も100%のヒーローもない
ということは私がずっと意識していることです。
(このブログでも以前から何度も書いている通り)
英雄とされている人にも同時に黒い一面があるだろうし、
逆賊とされている人にも同時に英雄の一面もありうる。
どの立場に立ってその人を観るか、
その人のどの部分を切りとるかで、
人物像というのはガラリと変わってしまうのです。
でもね。
そういう別の角度でその人物をとらえるという作業は、
色んな人の解釈や歴史的背景や研究を読む・聞くなど、
とりあえず色んな知識(勉強)が必要になってくるわけです。
それにはある程度時間がかかる。
また、よほど琉球史が好きじゃないと、
こういったことを自分で調べて見方を深める…
という所まではなかなかできません。
そこで、絵、です。
それを一番簡単にアピールできるのが、
絵、だと思うのです。
しかも、それがサブカルなマンガ的イラストだとしたら?
琉球史をあまり知らない人、
特に若い女性や子どもたちが
初めて見る他魯毎の絵が、
小太りの成金おっさんか
キラキラな好青年か
では、その人物に対する印象は180度違うはずです。
そしてどっちに好印象を持つかは…
たぶん小太りおっさんよりはキラキラのほうが多数でしょう。
(絵としての好みはもちろんありますでしょうが)
つまり、
その人物のビジュアルが変わると
琉球史の見え方も変わる…!
と言ってもいいくらい
絵は影響力を持っていると思っています。
書店用に作ったポップ(全4種類あります)
ブログでシリーズを始めた時の中間考察でも書いているんですが、
これまでマイナスなイメージがあった人をキラキラにすることで
たとえ何かやらかしている人でも
なんだかそれも正義というか、分がある、
という印象を受けるから不思議(笑)
だから、
全員キラキラにしてみたかったのです。
そう描くことで、
これまでとは一味違ったその人や
新鮮さを知ってほしかったのです。
(なのでこのシリーズをブログで始めた時は
マイナー人物やプラスイメージの薄い人物から始めているのです)
そして100%の悪者はいないのだと、
みんな琉球史を彩ったステキな人間なんだと、
そういうことを示したかった。
それが私が考えるキラキラ化の意義です。
1人の人物を澪之助と私との2人で描く、
そいうスタイルのもその一環。
同じキラキラ化だとしても、
モノの観方は一つじゃないよ
それぞれの解釈で人物像は変わるんだよ、と。
どっちが正しいとかではなく、
どっちがタイプ?とか、どっちが自分のイメージに近い?
みたいな感じで比較して楽しんでもらえれば。
でも琉球史の入口が一緒なので(というか私が洗脳した)
どっちも似た感じになったキャラもいますけどね(^^;)
ツイッター企画でやった時は眼帯が被った攀安知。本では外しました。
ちなみに、これは私の個人的なこだわりなのですが、
各人物には必ず弱点を設定しています。
(ステータス枠や文章に書いてあります)
弱点=人間らしさ
琉球史の偉人たちも、私たちと同じ人間。
弱点を通して、完璧ではない人間臭さも感じてくれれば嬉しいです。
(前回のつづき)
過程について書くのはこれがラストです。
全原稿、素材(写真など)をボーダーインクに提出し、
やったー!終わったー!
これであとは編集さんにおまかせ!
あとは誤字脱字などの最終チェックをするだけね☆
…と思っていたワタシ。
しかし、ここからが
「本を作るとはどういうことか」
を学んだ、初体験の連続でした。
ゲラ&校正チェックをした紙束。データでのやりとりや郵送したものもあるので、実際にはもっと多い。
前にもふれたように、
ワタシはこれまで「依頼・指示されたものを描くだけ」という経験しかなかったため、
各ページをどう作っていくか、という
「編集」に関わったことはありませんでした。
というか、
こういう感じにしたいというイメージだけを伝えれば
あとは編集者さんとプロのデザイナーさんが
ちょいちょいっとやってくれるものだと思ってました。
文章がメインの本ではそれでだいたいいいのかもしれませんが
今回はイラストがメイン。
しかもイラストのタイプや大きさ、組み合わせ、文字とのバランスなど
ケースバイケースの場合が多かったため、
ほぼ全ページ、完成予想図や細かな指示画像を作って送り、
それを元にできたものを更に検討して改善し…
という作業の繰り返しでした。
例えば、
「はじめに」と「この本の特徴」の見開き2ページの部分。
提出した原稿の文章を調整して
ページにざっくりはめられたもので最初の確認。
上部や周りには各キャラの決め台詞を入れてもいいかも、
という提案を受け、
↓
どんな感じになるのか、
どのセリフを使うのか、
そしてどう構成するかを
ざっくりイメージを作ってみて再提出。
↓
それを元に作られたものを見て、
改善案を再々制作して提出。
↓
PC上で切り貼りしたり、
直接かき足したりして
ページの完成予想図の精度を高めていきます。
ワタシの意図が伝わるように、
完成予想図に説明(指示)を加えたもの。
これを元に再々度作られたものを見て…
↓
更にチェック&赤入れ。
↓
そしてその通りにできたものが
実際に収録されている完成形となりました。
ほぼ全ページこんな感じで、
私が編集の要領をイマイチ分かってなかったこともあり
実際の構成デザインを担当してくださった東洋企画印刷さんには
かなり手間をかけさせてしまいました…。
(最初から完成予想図をもっと具体的に作って
しっかり指示できていればもう少し楽だったかも…)
実際に作ってもらったけど、
比較検討した結果、没になった構成もあり。
(琉球七御嶽は○○戦隊みたいなグループ感や一体感を出したかった)
こういうこともあって
本の発売が当初の予定よりもかなり遅くなってしまいました
が、
時間がかかった分、
かなり細かいところまでこだわることもでき、
今のワタシの最大限を注いだ本、と言える
仕上がりになりました!
そして何より、多くの事を学ばせてもらい、
自分自身がレベルアップ(経験値が上がった)できた実感があります。
「次」がもしあれば、
今度はもっと要領よくできるはず!
ここまで『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』を
出すにあたっての経緯を
記録もかねて振り返ってみました。
この約2年間、
ボーダーインクの新城さん、東洋企画印刷のTさんをはじめ、
多くの人の助言、サポート、励ましなどを頂きながら
思いを形にすることができました。
本当にありがとうございました!
そしてなにより、
共著者の澪之助。
彼女がいてこそ、
今回の本、今回のスタイルが実現できました。
叱咤多めの叱咤激励に、
最後までめげずについてきてくれた澪之助に感謝です。