琉球戦国列伝リテイクシリーズより、
亜蘭匏(あらんぽう)。
察度の代から進貢使として活躍し、
明との外交や貿易に従事。
続く武寧にも仕え、
中山ひいては琉球の発展に貢献した華人。
その実績により、明の皇帝から
琉球で最初の「王相(国相)」に任命され、
正五品という位をさずけられます。
↑の服は正五品の公服。
常服ではないので、
ホシ(胸部にある四角の刺繍)はありません。
彼は『琉球戦国キャラクター図鑑』でも採用したりと
これまで色々なタイプで描いてきましたが、
今回が1番ニュートラルかも。
琉球戦国列伝リテイクシリーズより、
亜蘭匏(あらんぽう)。
察度の代から進貢使として活躍し、
明との外交や貿易に従事。
続く武寧にも仕え、
中山ひいては琉球の発展に貢献した華人。
その実績により、明の皇帝から
琉球で最初の「王相(国相)」に任命され、
正五品という位をさずけられます。
↑の服は正五品の公服。
常服ではないので、
ホシ(胸部にある四角の刺繍)はありません。
彼は『琉球戦国キャラクター図鑑』でも採用したりと
これまで色々なタイプで描いてきましたが、
今回が1番ニュートラルかも。
久しぶりのイラスト投稿です。
リテイク版・琉球戦国列伝シリーズより、
道安(どうあん)。
琉球の使者として朝鮮外交を担い、
あの『大蔵経』をゲットして琉球に持ち帰った人です。
また、彼が朝鮮王朝に献上した
博多から琉球への海路を示した地図は、
この図はのちの時代の「海東諸国紀」(1471)に写本され、
そして「琉球国図」(1696)へとつながっていきます。
(イラストの中では「琉球国図」を元に描きました)
なお↑の地図は、
九州から見た向き(北→南)で描かれているので上が南、下が北。
よって、上にある大きな島が逆さになった沖縄本島です。
現在、国立歴史民俗博物館(千葉県)で
『海の帝国琉球-八重山・宮古・奄美から見た中世-』という展示会が開催中。
この展示会でも「琉球国図」が紹介されているようです。
(時勢柄、見に行くのを断念せざるを得なかったので図録のみ通販でゲット)
「琉球のユウナ⑥」(響ワタル著/白泉社)
を読みました。
物語の大きな転換があったりして
これ、どうやってまとまっていくの!?
と想像がつきません(^^;)
ともあれ、物語収束の気配は全くなく、
まだまだこれから、という感じなので楽しみです。
とりあえず、
宮古組が出てきたのは最終決戦あたりで
千代金丸(第一尚氏)VS治金丸(第二尚氏)
という構図にもっていくためなのか!?
と思ったりして。
(でも歴史では治金丸が尚真に献上されたのは1522年で
尚真57歳の時なのだけど)
それにしても毎巻そうなんですが、
この人もでてきた!?
この人も出てきた!!!
という感じで6巻も琉球史の新キャラもりだくさん!
これ、琉球史に馴染みのない読者さんは
整理できているのかしら…?
というわけで、
「琉球のユウナ」にこれまで出てきた
実際の琉球史上の人物を
相関図にまとめてみました。
((尚真の母・オギヤカは…もしかしたらマンガでは名前は出してなかったかな?
人物の見落としがあったらご容赦を)
↑クリックで拡大
マンガ上の相関図ではなく
あくまで琉球史の中の相関図です。
でもマンガの中でも
琉球史上の関係はしっかり踏襲されているので、
この図に入っていない人物を
加えたり、置き換えたりすれば
そのまま「琉球のユウナ」のキャラクター相関図になると思います。
つまり、
この図に出てこない人物は
マンガのフィクションキャラ
ということになります。
・ユウナ
・夜斗
・サニ
・真鶴 など。
ティダは「尚徳の子」部分に置き換え。
幸地里之子や大良金は…
フィクションだと思うのだけれど…
実は元があるのか…不明。
尚真の下に灰色文字にした人物は
マンガにはキャラクターとして出てこないのですが、
4巻と5巻にエッセンスは入っていたのでオマケで掲載。
尚真の孫(尚清の長女)が上級神女「阿応理屋恵」の初代。
(参/沖縄大百科事典・女官御双紙)
尚真の3男・韶威が(第二)今帰仁看守になり、
以後代々続いていきます。
なお、白澤は中国の霊獣で(17Cに描かれた自了の絵画が有名)、
マンガでは擬人化。
また、宮古組についてですが
マンガでは
・真濃秦天
・乙美我
という漢字表記でしたが
ワタシが調べた中ではこの表記は見かけなかったので
図では
→真濃茶天太
→宇津免嘉
にしています。
ちなみに、玄雅と真濃茶天太は双子らしいですよ。
(玄雅が長男)
仲宗根豊見親はもちろん知っていましたが
八重山との関係や治金丸など、
対外的なエピソードの中での知識がメインだったので
ユウナ6巻を見て、
改めて宮古島内の歴史や各人物を調べるきかっけになりました。
やはり、フィクションからきっかけをもらって
更に調べて深読みするのは…楽しいですね♪
皆さんにもその楽しさや発見を味わってほしい!
今回作った図がその助けになりますように。
過去巻レビューなど
今日は4月3日、シーサーの日!
ということで、久しぶりに村シーサー(石獅子)記事を。
↑は糸満市真栄里にある村シーサー。
ぽけ~…っとした
のんびりぼんやりした表情のシーサーです(笑)
視線は斜め45度上。
鳥でも見上げているような。
体部分はありません。
真横から見た図。
…って、
アレっ!?
もしかしてこの石って……
グスクの築石だったという可能性もあったりして!?
築石(つきいし)とは、
城壁の表側の石のこと。
城壁の石積み構造・断面図はこう。
特徴的なのはこの築石を真横からみると
三角形のように伸びているということ。
(この部分は「ひかえ」というらしい)
そうすることで飼石と組み合わせて
石を組む時の角度調整ができるようになるという
石積み建築の工夫であり
重要なポイントでもあるのですが…
バックショット
もしかして、
近くのグスクの石を転用した…のか…!?
現在は石積みは崩れた状態のものが一部見られるのみですが
中城グスクの「あの」美しい布積み城壁を作った
先中城按司の築城となると、
かつては真栄里グスクにも
このような切り石の城壁があったとしても不思議ではありません。
もちろん、
元々は八重瀬町新城のシーサーのような円柱形で
後ろがごっそりと損傷・紛失して今の形になった、
とも考えられます。
顔の下に前足部分のようなものも見えるしね…。
…う~ん、それにしても
このバックショットの三角形は
壊された結果というよりは
意図的に加工されたもののように見えるなぁ…
どうかな?
胴体のない(ほぼない)村シーサーというのは
宜野湾喜友名(⑥)や
宜野座村惣慶などにもあります。
他にもこのような形の例があるのかないのか、
気になるところです。