がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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近代の沖縄古道ワイトゥイ

2014年04月30日 | ・琉球史散策/神話・近代

 埋もれてた下書き記事発掘その2。

うるま市勝連にある近代の沖縄古道、ワイトゥイ。

 

人力で断崖を削って道をつないだ歴史の道。
(1935年昭和10年に完成) 

垂直に切り取られたその高さに圧倒。

これが人力によるものだとは…。 

ワイトゥイという不思議な響きは、
「割り(ワイ)取り(トゥイ)」
ということらしい。

納得。 

高さは最大20メートルあるそうです。

安全のためのネットが貼られています。

ワイトゥイは約150メートル続きます。

同じく人力で削って作られた国頭の「戻る道」よりも規模が大きいので
見ごたえ、撮りごたえ、歩きごたえがありますよ。 

恩納のフェーレー岩(エリア)もこんなイメージだったんだけどなあ(笑)

ワイトゥイのそばに立てられていた
案内板と石碑。

肝高の阿麻和利などで勝連に行く時は
ちょっと足をのばしてみてください

一見の価値アリ!ですよ。

 

参/「琉球古道」(上里隆史著/2012)

 

 
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おおあむしられ

2014年04月29日 | ・琉球史散策/第二尚氏

このブログには下書きをしたまま放置して
いつの間にか埋もれてしまっているのがいくつかあります。

それをちょっと発掘してきたので
UPしたいと思います。

(本日二投目)

 

というわけで、
三十三君は横に置いておいて、
(→ 追記 うをぅ、三十三君記事もほったらかしたままだ…)
その性格と立ち位置がハッキリと分かってる
「三平等(みひら)の大あむしられ」について。

神女組織の頂点はご存知、聞得大君。
そのすぐ下に位置するのが3人の高級神女。

その名も
「首里大あむしられ」「真壁大あむしられ」「儀保大あむしられ」

3人まとめて「三平等の大あむしられ」

この3名が琉球を3分割した間切・島を管轄していました。

三司官が国王をトップにした男の世界での3大臣なら、
三平等の大あむしられは聞得大君をトップにした
宗教世界の3大臣ってトコです。

それにしても

あむしられってスゴイ響きだよね。

漢字で書くと阿母志良礼
「あむ」は「母(神女)」
「しられ」は「治める」

という意味があるそうですよ。

その、「真壁大あむしられ」の住居跡が
首里高校隣、中山門跡すぐそばにあります。

現在は「琉染」という染物工房になってます。


写真は'11,2撮影。
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じゅん選手「沖縄のアンパンマン」

2014年04月29日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

シーミーまんじゅうたべながら見た動画。

ヤバイ、しにツボった(笑)

 「癒汰志駆」とか、芸が細かい(笑)

 


これくらいの方言なら今も生きてる。
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花織の宴PR動画[キャスト]

2014年04月28日 | ・現代版組踊レポ


ほー、初の女アカインコ!(・0・)
(次は賢雄あたりがくるかなと思ってたんだけど…(笑))

 

現代版組踊絵巻『読谷山花織の宴』

2014年5月4日(日)

13:00開演(昼の部)
18:00開演(夜の部)
※開場はそれぞれ開演の1時間前

読谷村文化センター・鳳ホール

【入場料】
大人2500円/小人2000円(高校生以下)

※全席自由

【お問い合わせ】
TAO Factory(平日10時~18時半)
TEL:098-983-0144
info@tao-factory.com

 


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【続】右か左か!?三つ巴の謎

2014年04月27日 | ・琉球歴史/文化風景

前々記事で尚家家紋の三つ巴のことを書きました

その際に触れた過去記事、
右か左か!?三つ巴の謎」を久しぶりに読んで、
もっと単純に説明できるなーと思ったので
今日はそれをご紹介。

 

右三つ巴と左三つ巴。

とっても似ている家紋ですが、
右なのか、左なのか、その見分け方は
「巴」の頭ではなく、しっぽの流れている方向にある。

それは絵師が実際に三つ巴を描く時に
筆ではらうことに由来するのではないか
というのが過去記事の概要。
(※諸説あります)

 

それを踏まえた上で、
もっと単純な見分け方があります。

三つ巴、つまり巴を三つ並べなくても、
巴単体でもすでに右か左か決まっているのです。

 

これが右巴で、

 

 

これが左巴。 

 

 

気付いた?

まー単純!!

つまり、
頭の右側にしっぽが出てるか、
左側に出ているかの違いなんですね。

 

また、描くとき、つまりしっぽを筆ではらうときも
普通は上から下へのはらいになります。

普通はこう↑(下から上へのはらい)は
アリエナイ(とする)。

 

なので右か左か判断する巴の向きは
あくまで、

 

こう。

 

それを三つ並べると、それぞれ

 

  

 

というわけです。

 

右三つ巴と左三つ巴の見分け方、
もう分かったかな!?

 


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今日のウチナー紀聞、
赤瓦ちょーびんさんがでるよー。


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「ごさまる科」

2014年04月26日 | ・琉球歴史/文化風景

以前も記事で取り上げた、
中城村の小中学校でスタートする琉球史の教科化
(もう始まっているのか思いきや、2学期からだって)

名称はなんと「ごさまる科」

とりあえず、

なんかスゴそう。

 

琉球・沖縄史全般(先史~現代沖縄)と言うより、
護佐丸の時代前後がメインみたい!

うーむ、そそられます!

 

沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=67828

琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-224343-storytopic-7.html

 

で、記事見て思ったのは
やっぱり授業者は主に担任の先生っぽいねー…。

大変でしょうけど、
ただテキストをなぞるだけではなく、
先生自身が護佐丸に惚れて、
楽しみながらがんばってほしいです!

そしていずれは専科になることを望ム。
もしくは郷土教育コンダクターなる職種を作ってだな…

 

関連して劇脚本も作られたみたいだから
学芸会とかで披露されるんでしょうね♪
(確か執筆はクボウグランデの嘉数さんだったような…)

こうやって体系的に学校現場で琉球史が取り組まれるのは
とても意義深いことだと思います!

中城村のこれからが楽しみです!

 


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中城村の御当地キャラ、そのものズバリ「護佐丸」
(中城グスクにある看板より)


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尚家三つ巴の意味

2014年04月24日 | ・琉球歴史/文化風景


↑ワタシの愛読書の1つ「平安紋鑑」☆ 

 

このブログにはなぜか人気の過去記事というものがありまして、
それが三つ巴関連の記事なんです。

ex)「右か左か!?三つ巴の謎」「尚家家紋、左三つ巴を考える【1】」「尚家家紋、左三つ巴を考える【2】

なぜなのかは分かりませんが、
3年半前の記事にもかかわらず、
毎日いずれかがトップ10に入ってます。
(ここ最近の話ではなく、ずーっと前から)

三つ巴好きの人が多いということでしょうか。

それとも家紋好き?(←それはワタシ)

 

    

というわけで、
なぜ尚家の家紋が左三つ巴なのか!?
その由来や時期は!?
という疑問は相変わらず諸説あるままなのですが、
今日はこんな説をご紹介。

 

三つ巴を構成している「巴」は
そのものズバリ尚志の名前に由来し、
三つの巴が一つになっていることは
尚巴志が三山を統一したことを表しているのではないか。

よって尚家紋章としての三つ巴は
尚巴志の頃(または第一尚氏の早い時期)に

確立されたのではないか。

護佐丸・阿麻和利の乱(1458年)の時、
護佐丸は旗を見て攻めてきたのが王軍だとすぐに悟った。

それは、その時すでに王家(尚家)の紋が
確立されていたということだ。

 

参/「系図は生きている」(當間荘平著/H2)

 

三つの巴がそれぞれ中山・北山・南山なのだとしたら
なかなか面白いな―と思いました。
(ちょっと深読みできる設定だよね)

 

尚家三つ巴の説、逸話についての過去記事↓
百十踏揚行脚~安里八幡宮~」「聖人君子な「尚円王物語」「三つ巴を尚家家紋に定めた由来

 


個人的にはやっぱり尚徳の八幡つながりが1番信憑性あるかな~。
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*おまけ*

今回のモモトもステキスギ!
表紙もステキスギ!
chojiさんの写真、ステキスギ!
歴史連載も始まったよ☆


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天照大神in伊平屋島

2014年04月21日 | ・琉球史散策/神話・近代

伊平屋旅での1番の目的は
野甫の海屋蔵墓だったんだけど、

1番ショーゲキ!だったのは、
「クマヤ洞窟」でした。

島を北に向かって車を走らせていると、
突如現れた岩の塊。

むき出しの岩肌がワイルドな光景。

まるで沖縄ではないような。

階段をのぼっていくと…

行き止まり??

いやいや、小さな隙間がありました。
(ところで、左下の折れてる石柱が気になる…)

体の大きな人は諦めざるをえないほどの
人一人がやっと入るだけの小さな隙間。

そこを潜り抜けると…

なんじゃこりゃ~~~~!!

表からは想像もしてなかったほどの
広い広い空間がドーーン!!!

しかも、地面はさらさらの真砂!

聞くと、真正面にある浜から吹きあげられて
長い年月をかけて積もったものだとか。

*クマヤ洞窟*

天照大神(アマテラスオオミカミ)が隠れた天の岩戸伝説。

江戸時代の学者、藤井貞幹が
「天の岩戸はここだ」と発表。

以来、次々と学者や研究者が訪れ、
ついに昭和33年に史跡文化財に指定。

洞窟の中は高さ5メートル、
(※洞窟前の案内板には高さ10メートルとあり)
広さは200坪ほど。

洞窟の奥には石垣に囲まれた住居跡も残っているそう。

クマヤの由来は、
神がこの穴に籠っていたので
籠穴(クマヤ)と呼ぶようになった
とされています。

 

参/「いへや薬膳と旅のレシピ」(伊平屋村商工会)

確かに、そんな神話の舞台になってもおかしくないような
すごく不思議で、神秘的な空間でした。

天の岩戸伝説って
沖縄だったら知らない人もいるかな?

知らない人は例えば このサイトをどうぞ。

神話の世界も面白いよねー。

 

ま、天説云々はともかく、
この偉大な自然造形は一見の価値ありデス


写真では明るく見えますが、
洞窟の奥は天気のいい真昼でも闇の空間。

更に通路のようになっていて奥がありましたが、
さすがに行くのはやめておきました。

昔は手前に“勝手に建てられた”祭壇があったようですが
(※博物館の糾弾掲示物による)
撤去されたようでした。

入口の隙間を内側から撮ったの図。

これくらいの隙間。

穴を出ると、“現世”。

ふーっと深呼吸。

異空間を味わった伊平屋のクマヤ洞窟でした。

 


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金武町マンホール

2014年04月20日 | ・琉球歴史/文化風景

前記事に引き続きマンホール写真。

 

金武町巡りに行ってきたよー

金武町は通り過ぎるだけのことが多くて、
これまで伊芸のガジュマル(と)を
撮りにいったことくらいしか無かったんだけど
巡ってみたらなかなか面白かったです

 

とりあえず、忘れないうちに金武町マンホール。

特産品の「ターンム」と獅子舞です。

 


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伊平屋マンホール

2014年04月17日 | ・琉球歴史/文化風景

時々出てくるマンホールシリーズ。

伊平屋村バージョン。

結構シンプル。

松(念頭平松)をモチーフにしているあたり、
久米島マンホールとちょっとかぶります。

 


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今帰仁グスクを見下ろす

2014年04月15日 | ・琉球史散策/神話・近代

 

1回目は様子見
2回目は予想以上の難所で途中で挫折、
3回目ででやっとたどり着いた、
今帰仁のクバの御嶽登頂。

途中までは問題なく行けますが、
途中からロープを頼りに登るコースになります

途中にある御嶽。

祭事が行われる場所のようです。

この御嶽からが難所コース!

安須森御嶽を彷彿とさせる、
高所恐怖症泣かせのコースでした

地元の小学生(?)は学習の一環として
皆で頂上まで登るって聞いたけどホント!?
危険極まりないんだけど…

その難所をがんばって越えると…

今帰仁グスクを上から見下ろす、
絶景かな、絶景かな。

でもスペースはあまりなく、
足場も不安定だったので
全然動けませんでしたけど(^^;

フリーズ。

もうちょっと詳細を書くとこんな感じ。

全部見えます。

古宇利島です。 

聖地・クバの御嶽ですが意外と登山者いるみたいで、
挫折した2回目の時も、
今回の3回目も、
おじさま、おばさまに出くわしましたよ。
(登山サークルっぽいグループも)

でも、ハブと足場に気をつけて。

経験者同行を推奨します。

 
↑クリックで拡大


この時はさすがに筋肉痛キマした…。
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護佐丸の兄ちゃん、安里大親の墓

2014年04月12日 | ・琉球史散策/第一尚氏

3月下旬からほぼノンストップ(無休)で走ってきて、
やっと、約20日ぶりくらいに、休日らしい休日です。

天気もいいし、洗濯機3回まわして、
わーっと家の掃除して、ほっと一息。

 

さて、今回のご紹介は安里大親(あさとうふや)のお墓。

安里大親はあの金丸(派)のクーデターの時に
「金丸こそ、王にふさわしい!」
と大演説をぶって、群衆をあおった人。

つまり、あのクーデターはこの安里大親がいなければ
成し遂げられなかったとも言えます。

安里大親は霊能者・預言者だという伝承もあり、
まだ一役人だった金丸に王の印を見たとか、
中国に赴く海上で妻の死の印を見たとか
中国皇帝の病を治して姪を嫁にもらったとか、
色々な「不思議な話」が伝わっています。
(詳しく書くと長くなるのでまた今度!…ってこんなんばっか(^^;))

また、護佐丸の兄弟だったとも言われています。
(安里大親=安里清信=毛興文)
 

そんな、安里大親のお墓。

実は、この訪問は狙って行ったわけではなく
たまたま訪問でした。

琉球古道・真珠道歩きをしたときに、
識名宮の側にあった地域マップ。

その中に「安里大親の墓」の文字を発見。

おおっ!?こんなところにあったのか!?

…という訳で行ってみた、という訳です。

分かりにくいところにあるという情報は得ていたので
マップで方向だけ確認して、分かりにくそうな所に入ってみたら
一発で行けました(笑)

確かにあれは分かりにくいわ(笑)

安里大親と護佐丸の関係、

第一尚氏(と阿麻和利)に討たれた護佐丸、

クーデターに協力した安里大親。

そして第二尚氏王統の樹立。

歴史ミステリーの重要な鍵を握っているような、
謎多き人物、安里大親です。

 


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尚徳王陵墓碑

2014年04月10日 | ・琉球史散策/第一尚氏

以前、尚徳王陵墓の記事をUPしたのは
2010年5月26日
(※写真撮影は2009年5月)

その時はちゃんと建っていた
尚徳王陵墓跡の石碑。

 

が、

 

今はこうなってます。
(撮影は今年の2月)

いつこうなってしまったのか、
もう何年かたつみたいで噂には聞いていたのですが
この間前を通ったので実際に見ると

「あちゃ~…(ノД`

でした。

いくらなんでも
自然災害でこうはならないデショ

意図的に折られてる感じですね…

第一尚氏というよりも、
尚徳に何か恨みでもあってのものなのか…?

 


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沖縄トヨタ充実・安心カーライフ4-7月号

2014年04月09日 | ・沖縄トヨタ×琉球偉人

 

沖縄トヨタ自動車のカタログ、
「沖縄トヨタ 充実・安心カーライフ」の4~7月号の表紙に
ワタシの撮った写真が採用されました

新緑萌える、今帰仁グスクです。

目次を見ると沖縄トヨタプレゼンツの番組「琉球サウダーヂ」から
阿麻和利、百十踏揚のページもあるようですよ。

沖縄トヨタ自動車におこしの際は
是非手にとってみてくださいね☆

で、

全くもって観れてない「琉球サウダーヂ」ですが
制作サイドからDVDが届きました\(^o^)/

放送初回からの5ヶ月分。

 

そろそろ番組枠拡大してほしいな~。
せめて15分!

 


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せめて、

2014年04月06日 | ・ネコスケ日和

 

せめて、1週間に1回は更新しなければと

思っているのです。

が…。

 

 

代わりに

今帰仁村文化センターのミーちゃんで。

 


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だいたい月1ペースで再放送してた
ウチナー紀聞の「大いなる遺産シリーズ」が
終わってしまった…。

カナシイ…

8回分しか録画できてないのに(涙)

見てない回もいくつかあるし。

全20話、もう一度再々放送するか、
DVDセットにして売って欲しい。


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