がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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護佐丸の日'14

2014年05月31日 | ・琉球史散策/第一尚氏

昨日の護佐丸の日」は皆様いかがお過ごしでしたか?

今年は秋から中城村で「ごさまる科」が
スタートすることもあってか
新聞でも「護佐丸の日」の文字を見ることができました。

新報での連載「眠れる先人たち」も
護佐丸と阿麻和利!
(…って、アレ?…尚巴志??)

今年は当ブログではネット上での護佐丸まつりではなく、
護佐丸飲み会 兼 第3回琉球歴女の会
を開催しました!

第1回、第2回は内々での開催だったので
ネットで呼びかけてやるのは初!

参加いただいた皆さん、ありがとうございました

また、欠席届をくれた3名の方、
お仕事や体調の都合で急に参加できなくなった3名の方、
次回はぜひお待ちしています
(一応、ハナキンとは言え平日だったからねー(^^;))

 

今回はみんな現代版組踊ファンだったということで
関係者(↓の左上の絵から分かる人は分かるかな?)から
肝高の阿麻和利のコアな裏ネタを聞けたのは
大いにツボりました(笑)

あと、個人的には某大学にあるという
百十踏揚と賢雄の昼ドラ的な劇台本に惹かれましたね。

是非とも一読したいものです。

 


あ、一応ちゃんと護佐丸の話もしましたよ。

で、結論。

護佐丸 = やっぱよく分からん。

一昨年の護佐丸の日に書いたときから何も変わってない(笑)
未だに雲の上の存在だわー。
でもそれがワタシだけじゃないって分かって良かったかも。

 

↑の下3枚の絵は会を記念してやったお絵描きリレー。
左から、百十踏揚、若護佐丸、爺護佐丸!!

6名で描いた合作です。
(基本、一人1パーツ)

ちなみに皆から「じゃんけん」を久しぶりにやったと言われ、
なんだかカルチャーショックだった和々です(笑)

 


今度は実際に「巡る」的な企画があってもいいかも!?

誰かワゴン車持ってて運転してくれる人がいれば
すぐにでも企画できるんだけどなー。

来年の護佐丸の日はもしかしたら…!?

 

最後に。

小説「百十踏揚」(与並岳生著/新星出版)は必読です!
キュンキュンしたい人も是非!!
カテゴリあるよ。
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/c/50a6d9483a4d224b0b8c70f2f0538aad

 


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【必見】麗しき琉球の記憶

2014年05月27日 | ・琉球/沖縄、徒然日記


↑クリックで拡大

 

沖縄戦によって失われた
数多くの沖縄の文化遺産。

戦前に、沖縄に魅せられ多くの文化財を写真で記録していた
鎌倉芳太郎。

沖縄の恩人です。

その鎌倉芳太郎が撮った
在りし日の沖縄の文化財の姿が見られる展示会。

必見です!!

 

コメント (4)
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攀安知の「攀」

2014年05月26日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

最後の北山王、攀安知(はんあんち)。

もちろんパソコンで打つときは普通変換では出ないので
辞書登録しています。
(琉球史人物はたいていそうだけど)

しかし問題は「攀」の字。

「ハン」の単漢字で探すか、
手書きツールで出すかですが、

フト、「攀」の字の意味を知りたくなって調べてみたら…

 

 

よじのぼる

 

 

って意味でした。

 

 

「よじのぼる」で変換したら
確かに「攀じ登る」で出ました。

 

試してみて。

 

で、攀の字、どーんと載せてみた。
(フォントは教科書体)

こうやって大きく提示して「図」として見たら
字としても覚えやすくなりますね。

この機会に「攀」の字、
書けるようになりましょう(・∀・)

 



530の日、参加申し込みのあった方に詳細メール送っています。
確認&返信よろしくお願いします(^_^)

コメント (2)
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攀安知の三男と四男

2014年05月24日 | ・琉球史散策/グスク時代

最近知って、行って、テンションあがった史跡(笑)

喜屋武久殿(きゃんくどぅん)IN南城市。

一見、神アサギのような普通に古い小屋のように見えますが、

にゃんと!!

攀安知の三男・四男ゆかりの地!!

というのは、尚巴志の北山討伐後、
捕虜として連れてこられた2人が、
後に釈放され、ここ津波古に居を構えた、とのこと。

そして、村の始祖となったとな。 

あの本で読んだ、あの説
こうやって形として残っていたとは!
(この説自体、他の本でも見たり聞いたりしたことなかった物だったから驚き倍増でした)

さて、問題は討伐後連れてこられたのが
捕虜か、保護か、ということですが。

尚巴志も聖人君子というわけではないでしょうから
あの戦世の中、捕虜・人質としてというのが普通かもしれませんが
(千代金丸も絶対ぶんどり品だし)

 

でも、過去記事で書いたように

“攀安知となんらかの約束があったのか”

だとしたら、ますます「歴史で楽しむ」が膨らみますねぇ(*^m^*)

この子どもたち、何歳くらいだったのかなー。
攀安知が男盛りの40歳とかだとしたら
側室腹の三男・四男で10代後半~20代とか?

釈放されたのはまだ若いってこともあっただろうから
10代後半かな??
(あの本によると長男・次男は首里留めだったみたいだし)

そんなのが気になるのが、歴女の性です(笑)
だよね?

殿の中。

角には火の神。

説明板にあった
「北山城へのお通し」の拝所はこれかな??

殿の側にあった拝所。

それとも殿よりいくらか低いエリア(階段の途中)にあったこれ?

どっちかな?

こっちの方が見た目立派だからこれかな?

ちょっと分からなかったデス;

案内板によると
この山(丘)の上には喜屋武子の墓もあるみたいですが
そこは未開拓エリア?

歴史・史跡関連ではかなり力を入れてる南城市なので
そっちもいずれ整備してくれたらいいなぁ。

南城市、まだまだあるある、南城市

(心の一句)

を実感した史跡でした

歴史浪漫だねぇ~

 


530の日、メール申し込み終了しました!
参加希望の皆様にはまた改めて時間・場所をご連絡します。
しばらくお待ちくださいm(_ _)m


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扁額レリーフ

2014年05月21日 | ・琉球歴史/文化風景

何度かブログでも書いたこともあるんだけど、
ワタシの首里城おススメ鑑賞ポイント、

「門の扁額」


トヨタカローラ沖縄季刊誌の首里城特集でも触れてもらったし、
ワタシが首里城ガイドする時は必ず言うこだわりデス。

普通はさっと通り過ぎるだけかもしれませんが、
こうやって改めて見てみると
色んな発見があるんじゃないですか?

龍は4本指。

雲のデザインがいいよなー。

こういうのがさらっと描けるようになりたい。
(簡単なようで意外とムズカシイ。バランスとか…)

 

門がたくさんある首里城ですが、
扁額のデザインもそれぞれ違います。

(参/叔順門 ・ 奉神門

漏刻門なんかもいいんだよねー。

首里城は1つの工芸品として見ると楽しいですよ

ところで「歓会門」ってどこ??

という方のために。

守礼門を通って、最初にくぐるこの門が歓会門です。

 

 


530企画、参加申し込みは23日(金)までです。
申し込みメールがあった方には全員返信しています。
万が一返信が届いていない方がいたら再度ご連絡ください。
現代版組踊関係者(OB/OG)、現代版組踊ファン、
学生さん(※18歳以上)も歓迎します


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丘春in読谷

2014年05月18日 | ・琉球史散策/グスク時代

読谷村大木にある徳武佐(とくぶさー)。

昔むかし、
今帰仁グスクを追われてこの地にたどりついた若按司が
この岩陰で身を隠していたという場所。

今帰仁を追われた若按司、
あの丘春(千代松)ですね。

丘春が身を隠したのは
この徳武佐よりもっと海側の泊グスクとも言われています。

読谷の史跡って濃いよなー。

古琉球好き、そして現代版組踊好きにはたまらんです(笑)

ちなみに阿麻和利の墓のすぐ近くです。

しばらく行けてないなー、読谷 (;_;)
(写真は去年の11月撮影)

 


530の日、やっぱり「護佐○」かなぁ?
参加希望の学生さん(※18歳以上)は特別割引ありますよー。
まだメールの返事が来ていないと言う方は再度メールください。
(尚、yhooアドレスから送っています。ブロックされていないかご確認下さい)


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王妃様のバルコニー

2014年05月17日 | ・琉球歴史/文化風景

(本日2投目)

首里城の新施設が公開されてもうすぐ4カ月。

色々スポットを紹介しようと思ってたのに
新施設公開記念シリーズも
暗シン御門を紹介したきりになっていました。

ということで、再開。

今回はワタシ自身もすっかり失念していた
(教えてもらって、データさらって記憶復活(^^;))
新施設の中でもマイナースポットの1つ、
「黄金御殿庭園」です。

場所は黄金御殿(くがにうどぅん)2階の裏側。

見学ルートとはちょっと外れた、
廊下の奥にあたる部分です。

この塀に覆われた芝生部分が庭園。
※写真は公開2日目の1月撮影。今はもっと芝生伸びたかな?

…っていっても庭園というほどのスペースではありませんが。

黄金御殿は王妃が管轄する
王と王妃のプライベートエリア。

この庭園は普段外にでない王妃が健康のために日光浴をしたり、
月見をしたりするために
設けられた庭だと考えられているそうです。

(参/「首里城物語」真栄平房敬著)

 

つまり一言で言うとアレだな。

王妃様のビタミンD補給バルコニー。

でもさすがにガードは厳重です。

廊下にいても、顔の高さまで塀に隠されています。

芝生に下ろしてみたら
もっと厳重。

っていうか、王妃って後ヌ御庭(くしぬうなー)とかに
出ることもなかったのかな…?

まさに籠の中の鳥?

後ヌ御庭=御内原の中央にある広場

ちなみにワタシはバルコニーよりも
隣接する御内原の台所、寄満(ゆいんち)の方が気になってて
撮った写真がこれ↑

現在、寄満内は公開されておらず、
倉庫として使われています(笑)

暗シン御門もそうなんだけど
通常の見学ルートを追うだけだと見つからないので
地図を見ながら、丁寧に周ってみることをおススメします☆

二階御殿は一般公開しないのかなぁ…。

 

 

*再度お知らせ*

今年の530の日企画はこちらから↑
すでにご連絡くださった方にはお返事しています。
参加希望のメール連絡は23日までです☆

 


今日もご訪問ありがとうございます。


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今年も手ぬぐい日和

2014年05月17日 | ・手ぬぐい活用術など

 

梅雨に入ってめっきりじめじめ蒸し暑くなってきたせいか、
ここんところ手ぬぐい記事目当ての訪問者さんが増えてます。
(最近は全然手ぬぐい記事書けてないけど…)

さあ、手ぬぐい大活躍の季節がやってきますよ―!
(1日2・3枚使いは当たり前!)

さて、毎年恒例になった
ひばり屋プレゼンツ「手ぬぐい日和」
今日・明日開催されます!

おススメは「そ」で扱っている
「かまわぬ」と「SOU・SOU」の
手ぬぐい&手ぬぐいグッズ!

沖縄ではなかなか手に入らないメーカーなので
是非この機会に手に取ってみてください♪

また、沖縄の作家さんが作っている
オリジナル手ぬぐいが一同に集うのも
手ぬぐい日和ならでは!

ぜひ、今年の夏は手ぬぐいデビュー!
いかがでしょうか??

 

*手ぬぐい日和レポ*
'13(ちょっとだけ)
'10(マップもこちらに)

*手ぬぐいのスゝメ*
其の一  其の二

 

*ひばり屋プレゼンツ『手ぬぐい日和』*
5/17(土)・5/18(日)11:30~21:00
珈琲屋台ひばり屋の庭(那覇・パラダイス通り)
那覇市牧志1-2-12 「理容たかまつ」裏

MITSU PRINT / Doucatty / 雑貨屋[そ]/ 琉球ぴらす / 眞水 / 島しまかいしゃ

*夕方からは『夜ひばり』(夕方~21:00)
 18日/「 su-su-soon」 くるっと楽しい手巻き寿司など
 19日/「YANBAR(ヤンバール)」ワインによく合うヨーロッパのお惣菜

※雨天時は、 SAKATAKIYOKOスタジオにて開催(那覇市壷屋1-4-4)

 


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尚泰久長男の安次富グスク

2014年05月13日 | ・琉球史散策/第一尚氏

南城市にある安次富グスク。

尚泰久の長男、つまり百十踏揚の兄ちゃんである
安次富金橋(あしとみかなはし)が、
首里を出てこの地に移った時に
一時住んでいたと言われるグスク。
(※金橋は“加那巴志”とも)

首里を出て田舎下りしたのは、
護佐丸・阿麻和利の乱後、
護佐丸の血をひいていたために追放されたとも
父ちゃん(尚泰久)と折り合いが悪かったとも言われています。
(尚泰久の長男・次男は正妃の生んだ子。つまり護佐丸の孫です)

王位継承は三男(※側室腹)の尚徳だったしね。

この岩が安次富グスク。

岩の上は一応平らになっているようです。
登らなかったけど(^^;)

グスクらしい城壁などはなく
岩の根元に古いお墓が2つありました。


金橋のお墓ではありません。
(でも家族とか一族とか関係のある人のお墓なのかなぁ???)

金橋のお墓は現在、尚泰久の墓の隣にあります。

古老の言い伝えによると
金橋は王位につけず追放された事を恨み
(父と尚徳に?)天罰が下るようにここで祈ったのだとか。

(参/「沖縄のグスクめぐり」当真嗣一監修)

もしそうなら、金丸(派)によるクーデターも
「ユーシッタイ!」って感じだったのでしょうか。

いやぁ、でもなぁ…
すぐ近くの仲栄真グスク(同じく田舎下りしてた尚泰久の四男在)では
新王軍に抵抗するために集まってたみたいだからなぁ。

やっぱり謎ですね。

「追放」なのか、「自ら出て行ったのか」で
だいぶ印象変わるしね。
(小説「百十踏揚」では追放ではなく、自ら王位を尚徳にゆずり出て行ってる。
もちろん裏では金丸がそう仕向けるように画策してるんだけど。
叔父である布里を頼って…、というのも有力な説)

尚泰久との仲がホントはどうだったのかも
気になるトコロ。

そんな安次富グスクでした。

 

ちなみに、安次富グスクの斜め向かいの藪は
金橋と一緒に田舎下りした弟、
つまり尚泰久の次男である三津葉多武喜(みつばたむき)
居を構えたと言われる大川グスク。


ハッキリは分からないんだけど(参考資料によって位置が微妙にズレてる…)、だいたいこの藪群のエリア。

こちらも城壁などの遺構はなく
いまはただの藪になっています。

ちなみに、多武喜のお墓は、
百十踏揚のお墓の隣です。

 

 

この南城市富里エリアは
尚泰久周辺の人物巡りにはもってこいの場所です。

是非セットで巡ってみてください。

尚泰久の墓
長男・金橋の墓

次男・多武喜の墓
長女・百十踏揚の墓


布里(と妃)の墓

安次富グスク(長男ゆかり)
大川グスク(次男ゆかり)

仲栄真グスク(四男ゆかり)

 

 

*おまけ*

富里におこしの際は、
仲栄真グスクと百十踏揚の墓のすぐ近くにある
タイ料理レストラン「シャム」もどんぞ。
あの時のあの子がこんなに大きくなってた(≧▽≦)♪
グレーの子には会えず(>_<)


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今年の530(護佐丸の日)企画

2014年05月11日 | ・琉球史散策/第一尚氏

5月30日は護佐丸の日!

というわけで、
去年一昨年と「530~護佐丸の日~企画」を行ってきましたが
去年で予告した通り、
今年はこれまでのような呼びかけ・取りまとめは致しません。

もちろん5/30に護佐丸ネタをUPする
というのは推奨いたしますが、

今年の護佐丸の日はちょいと趣向を変えて、

「530~護佐丸の日~飲み会
(兼 第3回琉球歴女の会)
を実施します!

だって今年の5月30日はハナキンなんだもん

 

場所は未定ですが本島中部~那覇ぐらいのトコ、
(読谷の護佐○になるかどうかも未定)

時間は夕御飯の時間頃から、

を予定しています。

費用は…ワリカンで。

 

護佐丸を肴に、大いに語って楽しみましょう

護佐丸の事はあんまり知らなくても
琉球史好きor現代版組踊好きならNOプロブレムです!

お酒は飲んでも飲ま(め)なくてもOK!
ワタシもあまり飲めないし(笑)
この辺はまぁフリーダムで。

でも夜だし高校生以下は参加不可となりますです。
ごめんね。

第3回琉球歴女の会と兼ねますが
心が歴女なら(つまりノリについていけるなら(笑))女性じゃなくても参加可。
(第2回の時もフタを開けてみたら男性のが多かったしね(^^;))


興味ある、参加してみたいって方は
こちらまでとりあえずメール下さい。
(※その際は本名の明記もお願いします)

決まり次第詳細をお伝えします。

 

*申し込みは終了しました*

 

 


希望者2人以上で決行です(・∀・)ノ
イラストは座喜味時代設定。
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琉球の軍事道路、真珠道

2014年05月10日 | ・琉球歴史/文化風景

琉球古道を歩いてみようシリーズ。

尚真が作った首里城から那覇港の南岸までをつなぐ軍用道路
その名も「真珠道(まだまみち)」

テキスト(「琉球古道/上里隆史著)は122ページ。

 

スタート地点は首里城守礼門。

本来は手前の芝生のスペースに
真珠道完成の記念碑(真珠湊碑文)があったようですが
今はレストセンター前の広場に置かれています。
(※今あるのは復元されたもの)

写真は多いのでまとめてざっくりご紹介。

観光スポットとしても有名な金城町の石畳エリア。

これも真珠道の一部。

「ちゅらさん」の主人公"えりぃ"のおうちもここ。
(ちなみにウチナンチュは"えり"という名前の子を"えりぃ"とは言わない。普通なら"えーりー")

下から2段目の、門構えが立派なおうちは第一尚氏の末裔「孫氏」のおうち。
確か那覇の景観ナントカに認定されてたはず。

ちょっと寄り道すれば鬼餅伝説の大アカギスポットもあります。
(今回は割愛)

静かで風情のある石畳道ですが
軍事道路として見ながら歩いてみるとまた新しい発見があるかも?

ただ、雨の日は滑りやすいので要注意。

 

いわゆる"金城町の石畳"を抜けると、
繁多川エリアへ。

今は普通の住宅街ですが
繁多側自治会ががんばって色んな所に
案内板を立ててくれています。

カー(泉)も点在していて
水の豊かなエリアだったことが分かります。

途中で、沢岻親方のお墓参りをして
更に行くと識名宮。

真珠道の道のりはまだまだ序盤なんだけど
ここまででも結構注目スポットがたくさんあって
見ごたえあります。

識名宮を過ぎると一気に見どころスポットは減りまして、
安里大親の墓参りに寄り道した以外は
ひたすらゴールを目指すのみ。

途中に例の尚徳王陵墓跡や真和志間切番所跡、
沖縄女子短期大学前を通って国場方面へ。

軽便鉄道の跡などを見つけたら
真玉橋へ出ました。

真珠道はこの後、真玉橋を渡って
豊見城グスク、そして那覇港の方に続くのですが
今回の古道歩きはとりあえず真玉橋まで。
豊見城グスクとその周辺はこの後、車で散策しました)

琉球の軍事道路、真玉道でした。

 

*おまけ*

かなり不安になる電信柱。

何か、錯視効果でも狙っているのだろうかと
疑いたくもなるほどの傾斜。

カメラの構えが斜めっているわけではないことは
周りをよーく見ていただければ分かるかと(^^;

 


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名護マンホール

2014年05月09日 | ・琉球歴史/文化風景

過去のケータイ写真データさらってたら出てきた
名護市のマンホール。

沖縄では珍しい、カラーマンホールです。

一応、図柄は名護市の花のカンヒサクラとテッポウユリ、
そして名護市の鳥のリュウキュウメジロです。

 

名護なー。

名護モチーフで何か1つ作品作れたらと思ってたけど、
(名護按司の物語とか。案ももらってできてたんだけど。しかも阿麻和利も絡んでくる的な(笑))
結局できないまま、脱名護したな。

まー、でも足跡は残せたのでこれとか。別の某取り組みは両新聞にも載ったし)
ちょこっとは貢献できたかなということで良しとすることにします。

 


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なんじぃ。

2014年05月07日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

なんじぃ、かわいい。

台詞には語尾に「なん」が付く(笑)
(実際にはしゃべらず、文字表記ONLY?)

沖縄のナンバーワンご当地キャラだと思う。
活用具合なんかもイイ。

キャラを作るのは簡単。

問題はどう活かすか、

だもんね。

南城市…いいね!
(ワタシの中で常に注目自治体ベスト3に入ってる)

 

尚巴志バージョンもあったよ。

ちゃんと7列皮弁冠+皮弁服。

 

なんじぃのバリエーション、全部集めてみたくなる
(こっちも→

 


そういや名護の新キャラクターって決まったの??

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島添大里按司の墓

2014年05月06日 | ・琉球史散策/グスク時代

尚巴志の初戦の相手、
島添大里按司の墓です。

尚巴志の戦いでは北山討伐が有名ですが
(ドラマもあるしね)
個人的にはこの島添大里戦も
もっとクローズアップされてもいいと思ってます。

なんせ、尚巴志のデビュー戦なんですから。

島添大里グスクのある
崖の中腹にあります。

お参りの跡も見られました。

墓を塞いでいる石はグスク正殿の礎石?
島添大里グスクはやっぱり礎石のリサイクル率ハンパない(笑)

崖に沿うように這っていたガジュマルが
いつの台風でなのか、
べロンとはがれて倒壊していました。

墓の右手には柵があって、
内部が見れるようになっています。。。
(足場もある)

 

島添大里按司個人はどんな人だったんでしょうねぇ。

島添大里グスクは南山の二大勢力のひとつだったので
すごく力のある人物だったとは思います。

とゆーわけで、
南山の皆さんをそれなりにカッコヨク描いてみようシリーズ第3弾、
島添大里按司。

汪応祖の時と違って、割と本のまんまだけど(^^;
ちょっと若めにしてみた。

そんでもって、こっち勢力は縮れ毛ではなく直毛系で(笑)

ちなみに小説「琉球三国志」(加藤真司著/学研/1995)では
島添大里按司と尚巴志には隠れた関係があるという設定。

島添大里按司の墓は崖の中腹にあり
ロープや鎖が貼られているものの
足場も悪いのでちょっと危険。

自己責任でどうぞ。


読谷山花織の宴、お疲れ様でしたー。
賢雄役、トグチ君だったみたいね。うをぅ、見たかった!


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祝☆書籍化!おばぁタイムス

2014年05月01日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

このブログでも触れたことがあるけど
毎週水曜日のダーヴァでの連載からファンだった
うちなーゆる4コマ「おばぁタイムス」が
やっと、やっと書籍化されました!!

待ってました―!
(タイムスに取材してもらった時、記者さんに書籍化訴えてたくらい(笑))

早く買いたい!

 

165ページ(600円+税)

*問い合わせ*
沖縄タイムス社出版部 098(860)3591

裏話コラムもあったのでリンク貼っておきます。


刊行記念! 担当記者による『おばぁタイムス』裏話(上)

刊行記念! 担当記者による『おばぁタイムス』裏話(下)

 


今日もご訪問ありがとうございます。
ぽちっとクリック↑してくれたら嬉しいです!

コメント (2)
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