最近、結構読書家の和々です
(『告白』も映画見る前に1日で読んだし…)
おとといくらいからちょこちょこ読み始めて、
今日読み終えた本がこちら!
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』
(岩崎 夏海著/ダイヤモンド社)
通称、「もしドラ」
かなりアニメな表紙で目立つので、
本屋さんで見かけてなんとなく覚えてるって人も多いかも。
(私もその一人でした)
今、売れに売れている「ビジネス書」の1つです。
(ミリオンセラー間近ですね)
こう見えて、ビジネス書です。
経営術を書いた、なんと高校野球部青春小説です。
経営学の父と呼ばれるドラッガーの著書「マネジメント」を、
弱小野球部のマネージャーになった“みなみ”が勘違いをして
読み始めることから物語が始まります。
経営に関するビジネスマンはもとより、教師や学生さんにも非常に有効な1冊です。
人を動かすには、
集団として成果を上げるには、
成長していくためには、
どうすればいいのか。
部活やクラス、サークルやチームなど、
人が集団として動く時にどうすればいいのか、が小説形式ですごく分かりやすく学べます。
しかも、ちゃんと「小説」なので、
感動というか、泣けるというか、話としての見せ場もちゃんとあります。
いやはや、面白かったです。
公式サイト、公式PVもあるので、興味のある方はちょっと覗いてみてください。
「もしドラ」公式PV
人によっては、表紙のアニメ絵にちょっと引くかもしれませんが、
ビジネス書にアニメキャラ、
この作戦、大成功だと思います(苦笑)
もしドラ公式サイト
http://www.moshidora.jp/blog/
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昨夜、
ハブの夢を見ました。
しかも、場所を変えて、
一夜にして、何場面も。
しかも、かなりの大蛇。
おそらく、まっすぐに伸ばすと50Mくらい。
噛まれたりとかじゃなく、
気づかずに側を通って、うわっ!
みたいな。
お陰で寝起きはすっきりしませんでした。
しばらくグスク巡りは控えろっていう警告?
でも、蛇の夢ってたしかいい意味じゃなかったっけ?
ハブは別?
誰か、夢判断してほしいです…。
写真は本文と関係なく、梅雨の時期に撮ったモノ。
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今月初めに、ふらりと行った中城城址のついでに、
護佐丸のお墓に寄ってみました。
これまで行ったことがなかったので
中城城址のパンフレットで場所を確認してから。
入口に立派な案内表示が立っていたので
すぐに分かりました。
お墓までの道も整備されていて、
緑のトンネルの中を、奥深く、歩いてゆきます。
では、百十踏揚行脚。
■護佐丸の墓■
―――どれくらい経ったであろうか。
犬の吠え声に混じって、馬のいななきを聞いたように思って、
護佐丸は、ハッと目がさめた。
続いて、ブオーッと法螺の音のような、鈍く思いひびき―――。
「なんだ?」
護佐丸はガバと、夜具をはねのけて、寝所を飛び出した。
ブオーッ、ブオーッ―――
明らかに法螺の音が、北空にとどろき渡った。
*
そこへ、二の郭から、将の一人が転げ込んできた。
「敵は、敵は……勝連、阿麻和利!」
と、悲痛な声で叫んだ。
背に矢が突き刺さっていた。
「勝連軍は、首里の御旗を、打ちふり、首里の御旗ぞ、
これは王軍ぞと、声高に、呼ばわって、おりまする」
「何と?首里の御旗と?しかと、相違ないか」
*
南の表門も破られたらしい。
喚声があがり、激しい干戈のひびきがおしよせてくる。
「お、表門からは、う、鬼大城殿……
し、首里の軍勢で、ござりまする……」
「百十踏揚 357-」(与並岳生著/新星出版)
南の拱門が破られ、
黒い唐甲冑姿の鬼大城が姿を現した。
館は激しく炎を噴き上げ、
庭には火の粉が舞っていた。
その火の粉の中に、るいるいと、身体中に矢を突き刺されて倒れている
中城の武将の姿があった。
「……」
ゴウゴウと音を立てて燃え盛り、
崩れ落ちる館の炎の中に、
護佐丸は呑み込まれたのであろう。
(さらば、護佐丸公……)
さすがに、心の中に呟いていた。
万感込み上げてくるものがあった。
天下一の武将、
尚巴志王とともに北山征伐をなし
三山統一を成し遂げたあこがれの古英雄、
歴史のような存在―――。
その一代の英傑が今、その最期を遂げた。
「百十踏揚 372-」(与並岳生著/新星出版)
小説、「百十踏揚」の中でも臨場感あふれる
護佐丸・阿麻和利の乱の場面でした。
(対 中城戦もいいが、対 勝連戦がまた泣けます…)
引用にもあったように、
阿麻和利は王の指示により(もしくは許可を得て?)、
左三つ巴の御紋を掲げた王軍の立場として中城に攻め入ります。
そして、護佐丸を打ったのち、
すぐに鬼大城を総大将とした王軍に打たれてしまうのです。
だから、護佐丸と阿麻和利は同じ年(1458年)に死んでいます。
どちらも「王軍」によって滅ぼされた中城と勝連ですが、
のちに王府によって編纂された「正史」には
中城・護佐丸=忠臣
勝連・阿麻和利=逆賊
となっています。
なぜ、護佐丸が正史で「忠臣」と書かれるほど名誉回復したかというと、
のちに、護佐丸の子孫が「毛氏」一族(テンペストでもお馴染み!)として大いに繁栄、
琉球王府にとってなくてはならない存在となったから、
と考えられています。
護佐丸の子孫は、今でもたくさんいて、
(護佐丸はかなり長生きしてたあげく、そうとう色々なところで子を産ませた…らしいことや、毛氏の繁栄も手伝って)
なんとまー、
私の身近に2人もいることが判明シマシタ
歴史はつながる、
歴史はつづく…。
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あまりの天気の良さに、
家にいるのはもったいない!
ということで、カメラ持って
久しぶりにグスク巡りしてきました
(天気が悪かったり湿気が高かったり日が暮れたりすると、さすがハブが心配なので)
どこに行こうかな~と思案した後、
まだ行ったことのなかった安慶名グスクへ。
薩摩侵攻史跡ツアーのときに、
講師で歴史家の上里隆史さんに、
1番当時の形が残っている、保存状態のいいグスクは?
と質問したら、安慶名グスクとのお返事でした。
他にも中城城跡や糸数城跡などを挙げてましたが、
安慶名城跡はまだ未経験…。
確かに、かなり古いワイルドな城跡でしたっ!
汗いっぱいかいた~
これからの季節は虫除けスプレーも車に常備してたほうがいいな…。
それから、江洲グスク周辺をうろうろして、
ドライブがてらおなじみ勝連城跡へ。
(写真は勝連城跡★)
写真、たくさん撮ったんですが、
整理してからまたアップします。
っていうか…
去年行った糸数城跡も未だに未紹介のままなんですが…
とりあえず、
「今日ここに行きました」記録。
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舞台は、廃藩置県後の沖縄。
琉球王族の三男坊・本部朝基は、王家の武術「御殿手」を習う兄に勝つため、
琉球伝統の「手」の修行を始める。
路上で実践の修行を重ねるうち、
沖縄の人々が抱える劣等感に気づいた朝基。
本土で「手」の強さを証明し、沖縄人に誇りを取り戻すことはできるのか……!?
沖縄から大阪、東京へ。
沖縄武士の誇りを懸けた戦いが今、始まる―――。
という帯文と、表紙のデザインに惹かれて何気なく買った一冊。
昨日一日で読んでしまいました。
本部朝基(もとぶちょうき)は実在した沖縄の唐手(=空手)家。
伝説的な強さを誇る、格闘技ファン、空手ファンなら誰もが知っている人だとか。
船越義珍(ふなこしぎちん)なら本土に空手を広めた人、ということで
琉球史の勉強に出てくるので知っていましたが、本部朝基という人は始めて知りました。
話は本部朝基の17歳~62歳ごろまでを描いた伝記のようなもの。
様々な流派の「手(=空手)」の使い手、
棒使い、
示現流の薩摩の元武士、
女武士、
相撲取り、
柔道家、
ボクサー
など、様々な人たちとの戦いを通じて、
「手」とは、
「沖縄武士」とは、
「沖縄人の誇り」とは、
などを描いています。
話としては、ものすごい事件やドラマがあるわけではなく、
割とたんたんと過ぎていくのですが、
でも印象的な文章がいくつかありました。
「手が高尚である必要などない。強ければいいんだ。
『敵に討たせず、敵討たず』などと気取っているから、
結局は薩摩に攻め込まれ、支配されてしまったのだ。」
朝基は、そう憲通に反論した。
「それは違う。薩摩の支配は世の流れだ。
沖縄から外に出てみて、それがよく分かった。
強ければいい、とお前は言ったが、
負けることを恐れて、手を野蛮で見苦しいものに変えてしまったら、
それこそが沖縄人の負けなんだ。」
*
「沖縄武士の誇りを取り戻したい。そう思っているのです。
沖縄の手は、誰にも負けない。
そういう自信を、沖縄の武士たちにもう一度持ってほしい。」
作者は北海道出身で自身も空手有段者の今野敏さん。
推理小説家で数々の賞も受賞されているので
その方面で知っている方も多いのでは。
興味のある方は。
是非ご一読を。
「武士猿(ブサーザールー)」
今野 敏 著
集英社
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手ぬぐい日和で購入した、
紅型デザイン手ぬぐい。
ヤギセイ謹製。
注染。
そのまま美ら海水族館に置いたほうがいいくらいステキでデザインも高レベル
マンタとか、ジンベエとかいるし。
「鮫尽くし」というタイトルなのだそうだが、
(こっさ。サイト参照)
マンタが目立って、鮫じゃないじゃん!ってツッコミたくなる…
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終わりに近づいてきた、
薩摩侵攻史跡めぐり。
浦添グスク&浦添ようどれを後にして、さらに南下。
最後の決戦地、首里城へ。
陸路から首里入りを目指す薩摩軍は、太平橋(現・平良橋)で琉球軍と戦います。
首里の入り口である太平橋を突破されれば、
首里城は目前。
琉球軍も必死に防戦しますが
琉球側の指揮官が鉄砲に撃たれ戦死し、
しかも「首を討ち取る」という薩摩の戦習に度肝を抜かれ戦意喪失の琉球軍。
あえなく太平橋を突破、首里入りを許してしまいます。
(太平橋、今では存在感を消した小さな橋で、通過するのみで写真撮れませんでした)
陸路と同時に、海路からの進入を狙った薩摩軍は那覇港に進入。
琉球軍は三重グスク、向かいの屋良森グスクに設置した大砲で応戦します。
写真は以前、西のアザナから撮った那覇港の図。
向こうに見える島影は慶良間諸島です。
海に浮かんだ軍艦と、
跳び通う砲台。
そのような戦模様が西のアザナからも見えたことでしょう。
とうとう首里城に進入した薩摩軍は西のアザナで最後の攻防戦が繰り広げられました。
(こちらも以前撮った写真。この日は雨でもう夕方だったので綺麗な写真で代用)
福井から琉球にやってきて王府お抱えの医者となった山崎二休さんは
「琉球軍」として薩摩軍と戦います。
捕らえられ、「なぜお前は日本人なのに我らに敵対するか」との問いに、
「確かに私は日本人だが、琉球に来て住み、琉球に多大な恩恵を受けた。その恩を裏切ることができようか」
と答えたという話が残っているそうです。
また薩摩侵攻以来、和睦か、戦かと王府の中でも意見が二分しましたが、
負けると分かっていてもやすやすと薩摩の言いなりになるわけにはいかぬ、
と最後まで抵抗を続けた若者達もいました。
ともあれ、
戦慣れした薩摩軍に、応戦するも敗れた琉球。
尚寧王は薩摩へと連行されてしまいます。
ツアーでもらった資料の最後にはこう書いてありました。
*敗れはしたが、屈しなかった琉球。自らを改革し、現在の沖縄へとつないだ*
以後、薩摩の支配下に入る琉球ですが、
その中にあっても周りを取り込み、異なるものを吸収し、新たな文化を築きあげていったのです。
事実、薩摩侵攻後にでき、今に続く琉球文化は数多くあるのです。
(というか、今私たちがイメージする琉球像はほぼ薩摩侵攻後の文化らしいですよ)
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夏に向けての具体的な活動計画を始動させました!
まず、
平田さんの舞台、「尚巴志」東京公演に行くことにしました!
どうしよう~~~
と、2週間くらい悩んでいたのですが、
こんなに悩むなら行かなきゃきっと後悔するかも!
と思い、思い切って決行することにしました!
(公演先が大阪とか京都だったら悩まず即決だったのですが、東京か~…みたいな(笑))
公演チケットと、
航空券と、
ホテルの手配。
無事、終・了。
もちろん、せっかく東京にいくので公演だけじゃなく、
どこか回って自主研修(という名の旅行)するつもりですが。
その内容はこれから。
(つまりは最初に舞台ありき、の旅行計画(笑))
それから、美術館での実習教室の申し込み。
琉球の伝統工芸である漆芸の「沈金」を学びます★
そして、前々から話に上がっていたショクバでの
琉球史を学ぼうツアーの企画を本格的に詰めているところです。
そして、「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」の認定10周年記念事業の
さまざまな企画も予定に組み込んで。
今日、夏のスケジュール表を見ながら、活動計画をいろいろと決めていきました。
ちょっとわくわくしてきました
みなさんはどのような夏の計画を立てていますでしょうか?
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1996年
糸満市摩文仁にある平和の礎には
23万6095人の沖縄戦戦没者名が刻まれていた。
沖縄戦戦没者数の正確な数はいまだに不明で、
毎年追加刻銘がなされ、
1996年から14年たった今年は
24万931人。
1996年時点での、23万6095という数字は、
今でもそらではっきりと言える。
それは、
ワタシ自身が23万6095という数字を体感したから。
単なる知識としての数字はすぐに忘れても、
身を持って体感したことは忘れない。
23万6095の体感。
それは、
「石の声」
14年前の6月。
宜野湾市普天間基地に隣接する
佐喜眞美術館前広場にて行われた表現活動。
石、ひとつひとつに
1から23万6095まで番号を打つという
ただ、それだけの作業。
最初、2日間だけの予定で始めたこの取り組みは、
半分にも満たないまま予定の2日間を終えた。
23万という数字を、
いかに甘く認識していたかが身にしみた。
話合いのすえ、
さらに2日間の作業日を追加した。
この取り組みは、県内外に広く報道され、
一般からも多くの参加者が詰め掛けた。
のべ、600名が参加。
14年前の6月23日。
慰霊の日。
23万6095個の小さな石は、
積み重なって山となった。
刺すような日差しと、
どしゃ降りの大雨。
滝のように流れる汗と、
しびれてゆく脳。
疲れて重くなる手足。
セミの声。
空を飛ぶ軍用機の爆音。
日が暮れ、そよぐ風の心地よさと、
闇夜に赤々と光る、目の前の普天間基地。
高校生だったワタシが、
身をもって体感した23万6095の記憶。
絶対に忘れない。
平和の礎刻銘者数詳細(平成22年6月23日現在)
写真は14年前にワタシが撮った写真をスキャンしたものです。
『嗚呼、諸行無常。-ゆらぎ、朽ちてゆく美-』
蓮祭りに行った時、
綺麗な花々を撮ると同時に、
虫に喰われ、朽ちて枯れゆく蓮の姿にも惹かれました。
(きれいな蓮を撮った女子カメラなデジブックはこちら→「蓮のゆりかご」)
魚が跳ねる、
水面がゆらぐ、
その一瞬のように、
華の盛りも永遠ではなく、
いつかは朽ちてゆく自然の摂理。
嗚呼、諸行無常。
というわけで、
このような姿を撮った写真をまとめてみました。
*例えばこのような写真が入っています*
平家物語。
ワタシが中学生だったときも暗唱テストがあって覚えさせられたものです。
なんだか、言葉の響きとリズムを気に入っていて、
今でも覚えている一節です。
いまだに覚えてる古典のフレーズってありますか?
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『蓮のゆりかご-東南植物楽園・蓮祭り-』
日曜日に行った東南植物楽園での蓮祭り。
デジブックにまとめてみました。
デジイチ君で撮った写真です。
*たとえばこのような写真が入ってます*
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ブログ2周年、ということで
原点に戻った記事も書いておきましょう
もともと、このブログは手ぬぐいブログとしてスタートしました。
(元題/和心、この頃 手ぬぐい、ひらり」)
だから1年前の記事はひたすら手ぬぐいコレクションと、
手ぬぐい活用術の記事。
でも半年もたたないうちに、
「肝高の阿麻和利」と「テンペスト」のお陰で
琉球・沖縄関連記事がどばっと増えて、
デジイチカメラとの出会いにより、
ブログスタイルのみならず、ライフスタイルも変わって。
ブログ内容の拡大により、
「がじゅまるの樹の下で。」とタイトルを変えたのが去年の11月。
最近はもっぱら、手ぬぐいコレクションの記事は
週1ペースほどになってしまいましたが、
手ぬぐいは前ほどではないにしろ(※通販自粛中なので)順調に増え続けております。
というわけで、このブログの原点である、手ぬぐいコレクション。
沖縄そば、ソーキそば手ぬぐい。
前回紹介した、手ぬぐい日和企画で当選してGETした、
Docattyさんの手ぬぐい。
(これは自分で購入したものデス♪)
やっぱり抜染っぽい。
このゆるいフォルムがたまりませーん。
沖縄そば、大好き!
(ヨモギを練りこんだ、緑のよもぎそばも好き!)
真ん中にあるのはこーれーぐーす(※薬味の一種。唐辛子の泡盛漬け)かな?
(それともたんなる急須?)
七味よりもこーれーぐーす派のワタシです
あなたはなにそばがお好き?
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