がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

こどもの日、甲冑阿麻和利

2023年07月27日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

こどもの日に合わせて描いた
甲冑阿麻和利(紅型風味)

 

 

定期的更新はTwitter(@wawa_ryuq)で!

 

 

\インスタグラムはじめました/

@wawa_ryuq 

です(Twitterと同じ)。

和々 琉球とかの検索でも出てくるかな?


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阿麻和利アニメ「勝連おもろそうし」期間限定公開中!

2022年10月14日 | ・琉球史散策/第一尚氏

4月からあまわりパークで公開されていた

歴史ショートアニメ『勝連おもろそうし(阿麻和利編/百十踏揚編)』。


有料会場内限定で、しかも決まった時間しか視聴できないので
タイミングが合わないと2本とも見る、というのはなかなか…。

 

しかし、この2本を、

世界中のどこからでも!
あなたのスマホで!パソコンで!
好きな時間に好きなだけ見られます!


あまわりパークオープン1周年を記念して、
YouTubeに期間限定公開!
勝連城跡HPにもあまわりパークのインスタにも
うるま市観光協会のTwitterやインスタでも何も情宣されてなかったから、
最近知って驚いたんだけど今月の頭から公開されていたようで…

 


「期間限定」と書かれていますが
いつまでなのかは不明。(←おいーー)


いつ消されるか分からないので、
今のうちにチェックしてみて下さーーい↓

 

勝連おもろそうし−阿麻和利(あまわり)編

 

勝連おもろそうし−百度踏揚(ももとふみあがり)編−

 

私のおすすめは阿麻和利編♪

 

私が思っていること、言いたいことが

ぎゅっっ!!!

と詰まってます!

 

「肝高の阿麻和利」や「二童敵討」でおなじみの
組踊衣装姿の阿麻和利も出てきますが
時代考証を踏まえた鎧姿や常服姿の阿麻和利も登場!
髪型も、古琉球の横耳カタカシラになっています。

これまでの「阿麻和利像(ビジュアル)」との違いも
楽しんでいただければ思います。

 

また、勝連グスク一の郭からみた中城湾の風景や
勝連の城下町の風景も必見です!!
こういうのこそ、アニメならではって感じですよね♪


↑アニメの歴史衣装原案になっている『琉球戦国列伝(新装改訂版)』より

 

この作品についての私の想いなどはこちらで。

阿麻和利がアニメ化!「勝連おもろそうし」

 

でもやっぱり「カナ」のイントネーションは気になるよ~~~
現代の女の子の“佳奈ちゃん”みたいだよ~~~
イントネーションまっすぐの「カナー」だよ~~


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護佐丸の日in中城城跡

2022年05月28日 | ・琉球史散策/第一尚氏

5月30日は護佐丸の日!

 

ここ10年ほど、この日に合わせて
何かしらしてきましたが(できなかった年もあるけれど)

 

【護佐丸の日企画、及び護佐丸の日記事】
'12 https://bit.ly/2HGWebO 
'13 https://bit.ly/2WdaO3S 
'14 https://bit.ly/2wxpFql
'15 PC故障につきお休み 
'16 https://bit.ly/2EGPybN 
'17 https://bit.ly/2XfeLBA

'18 体調絶不調につきお休み
’19 https://bit.ly/3espYGU
’20 (コロナ禍で企画見送り)
’21 https://bit.ly/3wUj9sH

 

今年はこちら!

 

 

琉球史のキャラクターカードを作成しました~!

イラストはカード用に新たに描き下ろしました。
爺護佐丸で鎧兜フル装備は初めてかもしれない!

 

これは護佐丸の日の前日である5/29(日)に、
中城村観光協会が中城城跡で開催する
記念イベント(?)で入場者に無料プレゼント♪
(※先着順)

 

カードは2枚組で1枚は護佐丸(爺)。
2枚目は…さて誰でしょう!?

 

それは当日手にした方だけのお楽しみ💛

 

 

裏面は人物紹介や、その人物と関係ある中城城跡の最新研究成果などを記載。
このカードを見て、よりディープな(!?)中城グスクめぐりを
楽しんでいただければと思います♪

 

いずれ各グスク・各地域のキャラカードも作って(描いて)いきたいな。
ちゃんと規格揃えたシリーズ形式にして、
グスクや史跡を巡って学びながらコレクションしていけるような。

ノってくれる自治体・観光協会さん絶賛募集中!

 

 

さて、この日のイベントでは他にも企画事がございます。

1つ目は先述したキャラカードプレゼント。

 

 

2つ目は護佐丸武将印の販売。

護佐丸武将印は

左 その場で直接手書き
右 印刷

の2種類があります。

 

直書きのものは事前予約が必要で
既に予約は終了しています。

 

印刷用の護佐丸武将印は、
予約なしで購入できるもので5/29が販売開始になります。
去年も同じデザインで販売されているのですが、
文字を新たに書いてもらった2022年度版になります。

地のデザインは御城印と全く一緒なので
来年は武将印らしくリニューアルしたいなぁ…

 

 

そして3つ目が
FECの芸人さんが扮する「MC護佐丸withいーちふぁ君」による
中城城跡ガイドツアー!(全3回)

 

 

こちらも事前予約制で既に受付終了しているのですが、
当日キャンセルがあったりまだ空きのある回は
もしかしたら当日参加OK…かも?!
(観光協会のアナウンスでは午後の2つの回は若干空きがあったはず)

 

こちらもご参照ください↓

中城村観光協会HP 

中城村観光協会Twitter 

 

 

梅雨真っ盛りの沖縄ですが、
奇跡的に(!?)5/29(日)は予報!

 

この機会に中城城跡に遊びに来ませんか?


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阿麻和利がアニメ化!「勝連おもろそうし」

2022年03月29日 | ・琉球史散策/第一尚氏

Twitterだけでなく、もう報道や広告が出ているので
見かけたよ!という人も多いかもしれませんが、

阿麻和利が歴史ショートアニメになりました!!

BYうるま市

 

その名も「勝連おもろそうし」

 

あまわりパーク限定で上映される
ショートアニメ(8分程度)で
阿麻和利編と百十踏揚編の2作品!

プレスリリース記事(詳細)→

 

 

声優陣は
日本を代表する大物声優・古谷徹さん
沖縄出身の声優・下地紫野さんが
それぞれメインの2役を務め、

「ダイナミック琉球」でおなじみのイクマあきらさん(!)や
「肝高の阿麻和利」OB・OGも参加しています!

 


 

時代考証は上里隆史さん。

ということで時代考証にこだわって、
数少ない歴史資料から可能な限り
当時の勝連や人々のリアルな姿を追求し、
アニメーションで再現しています!


 

なので、
ビジュアルも「肝高の阿麻和利」の組踊衣装や
ピンクの打ちかけではなく、
カタカシラに鎧にドゥジン・カカンに皮弁服!

今のあまわりパークの阿麻和利は組踊衣装一色なので
これがあまわりパーク初の考証ビジュアルになります!)

 

…おや?

と思った方もいらっしゃるでしょうか。

 

 

そうです、
新装改訂版 琉球戦国列伝』のイラストが
キャラの歴史衣装原案になっており、
15世紀首里城、進貢船などの歴史資料イラストも
私が提供させていただきました!
(クレジットにも私の名前でてるよ~\(^o^)/)

キャラクターそのもののデザインは私ではありませんが
まるで琉球戦国列伝がアニメ化されたような
気分を味わっています(笑)

 

それではさっそく予告編どうぞ!

 

 

古谷徹 「勝連おもろそうし」 スペシャルコメント映像!

 

前半は古谷徹さんのインタビュー
0:56からアニメの予告編です。

 

茂知附追放のクーデターから始まるあたり、
「肝高の阿麻和利」とは違う阿麻和利像が
垣間見れるのではないでしょうか。
冒頭にこれをピックアップした編集に唸る。

 

 

実はマスコミ・関係者試写会があったので
完成作品を一足先に見てきたのですが、

 

一言でいうと、

 

「そう!これだよこれ!!

 

です。


特に阿麻和利編ね。
百十踏揚編は彼女の辿った歴史紹介って感じ。

 

 

知識ゼロベースで『肝高の阿麻和利』を見た衝撃から
阿麻和利に惚れ、
琉球史の世界に入り、
10年以上琉球史を学んだり考えたり、
巡ったり、本を出したりしたワタシが、
今、”阿麻和利”について思うこと。
(阿麻和利だけでなく他の琉球史の人物についても同じなのですが)

これまでも何度かブログやTwitterや本でも
書いてきたことでもあるのですが(例えば )、
それがこのアニメの「核」として
ぎゅっ!!!
と入っています。
(いかんせん、8分弱しかないもので…)


あまりにも私が言いたいことそのものすぎて
内心、膝を叩いて悶えましたよ。

 

もちろん「肝高の阿麻和利」の衣装じゃないからと言って
「肝高の阿麻和利」やその人物像を無下にしているわけではありません。
肝高の阿麻和利ファンにも、また、そうではない人にも
きっと気に入ってもらえると思います!

 

あとね、主題歌がいいです

すごく気に入っています♪(フルで聞きたい!)

 

 

あまわりパークには早速パネルが設置され
ポスターも至る所に貼られていました。
(うるま市お金あるな~😂)

予告編動画もエントランスでエンドレスリピート。

 

 

公開は2022年4月1日(金)から、
あまわりパーク常設展にて!

是非、ご覧ください!

 

なお、アニメ2本とは別に
琉球王国の歴史の概要を紹介する新コンテンツも!

アニメの阿麻和利が案内役で
ナレーションももちろん古谷さんが行っています。

そちらも併せてどうぞ

(「按司」のビジュアルがちゃんと考証されたイラストになってます♪)

 


クリアファイルもらったー!

 

 

 

【2022.10追記】

 

本編2作品が期間限定公開中!
この機会をお見逃しなく↓

 

勝連おもろそうし−阿麻和利(あまわり)編

 

勝連おもろそうし−百度踏揚(ももとふみあがり)編−


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リテイク版・尚徳

2021年08月21日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

琉球戦国列伝リテイクシリーズ
尚徳(しょうとく)/1441~1469年

第一尚氏王統最後の王(第7代)。
尚泰久の三男で、百十踏揚の異母きょうだい。
若干21歳で王となる。

喜界島遠征に自ら出陣するなど血気盛んだった。
積極的な外交など人並外れた才能があったが、
ワンマンであったが故に重臣の金丸と対立。

29歳で謎の急死。
直後にクーデターが勃発する。

 

 

尚徳です。

イメージは当初から一貫して、正装で好戦的。

前回と同じように袖結(紐)で描いていましたが
蟒匏を改めて調べてみたら
広袖ではなかったので、袖結は無理だろうと没に。

袖を直接結ぶのはできたかもしれないけど
蟒匏の1番の特徴である刺繍が隠れてしまうので
袖結無しのそのままで弓を構えさせました。

 

 

蟒匏、柄描くの頑張りました!

「蟒(うわばみ)」とは大蛇のこと。

どう見ても龍なんですが、
明確に言えば龍ではないんですねー。

ただ、蟒と龍の、デザイン上の違いが明確にあるのかは…不明。

少なくとも、「蟒匏」の刺繍では
角も腕も髭もあったので、
龍と全く同じにしか見えませんでした(^^;)

 

 

正史では暴君と名高い尚徳ですが、
単なる暴君ではなく、
才能と教養は高かった(故にオレサマワンマンにもなったか)
ということは抑えておきたい。

詳しくはキラキラゆんたくマンガでどうぞ→  


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リテイク版・渓隠

2021年08月16日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

琉球戦国列伝リテイクシリーズ
渓隠(けいいん)。

禅僧。
当時琉球最大の寺院だった天界寺の初代住職。
尚泰久王は仏教に帰依し多くの梵鐘をかけたが、それらの多くを手掛けた。
最も有名なものが万国津梁の鐘。
尚泰久王の心の師であった。

 

渓隠や天界寺については
以前まとめているのでどうぞ→   


ツイッターで先にUPしたとき、
「この顔、あの人に似てない?」
って言われないか心配してましたが
言われなかったのでよかったです(笑)
(いや、ひそかに思ってた人はいるかもしれないけど…)


鋭い感じの顔つきは
リテイク版では芥隠に譲ったので、
渓隠は敢えてニュートラルに。

それ以外は大きな変更は特にありません。


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リテイク版・大城賢雄

2021年08月08日 | ・琉球史散策/第一尚氏


琉球戦国列伝リテイクシリーズ
時代をすこし過去に戻して、
大城賢雄(うふぐしくけんゆう)/1400年代~1469?

 

尚泰久の王子時代からの部下。

その優れた体格と武勇から「鬼大城」と呼ばれた武将。

百十踏揚が勝連の阿麻和利に嫁いだ際に
ボディーガードとして付き従う。
阿麻和利の首里攻めに気づいた賢雄は
百十踏揚をつれ勝連を脱出。

尚泰久王から阿麻和利討伐の王府軍大将に命じられ、
阿麻和利を討つ。

その後、百十踏揚を娶り越来グスクの按司となるが、
1469年の第二尚氏クーデターの際、
新王府軍に攻められ自害したと伝わる。

 

はい。

私が1番好きな人です。
LOVEです。

↑経歴をざっと紹介しましたが
これだけでは収まり切れないくらい
数々の裏話・逸話があって興味の尽きない男です。

琉球史でこれほどキャラの立っているやつは
他にはなかなかいないと思っています。

 

私にとっての賢雄ビジュアルは
デカイ、髭濃い、目大きい、寡黙、生真面目。

最初の出会いだった『肝高の阿麻和利』が
当時は割とそんな感じだったのです。
(その時々によって、クールな美青年キャラだったりもする)

決してがさつではないけど、
「THE漢」みたいなね。

 

イラストは基本そのままで、大きな変化はなし。

カタカシラ(おだんごは向こう側なので見えないけど)
袖結(紐)
腹巻(鎧)
着物2段裾上げ
はだし。

阿麻和利討伐総大将よりも前の
身軽な装備。

前回メイン武器だった長刀は、兼光(日本刀)へ。


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リテイク版・金丸

2021年07月03日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

琉球戦国列伝リテイクシリーズ
金丸(かなまる)。

 

どういう人かまとめると…

 

伊是名島の農民

島を脱出して沖縄本島を放浪

王子(尚泰久)に見いだされ仕える

王子が国王になる

王府の役人としてどんどん出世

役人を引退

クーデター

周りから国王に推挙

王位に就く(第二尚氏)

 

という人です。

 

非凡さを表すために
私の金丸は左利き設定♡

 

女性遍歴も多きモテモテの美青年
というのは今回はあまり前面に出さずに、
役人時代の金丸を。

 

服飾作画については
実はこれが今までで1番苦労しました

 

今に見ることができる琉装の着物とは違う、
古琉球らしいゆったりとした着物感を出すために
襟の開き具合とか、
袖の長さとか、
帯とのバランスとか、
全体のシルエットとか、
描いたり消したりの繰り返しで…

 

1回完成させて、もう一度まるまる描き直したり。
よし今度こそ完成!となってから、大きな路線変更があったり。
(なので金丸は完成しているデータがほかに2体あります)

今回ひとまず「完成」にしてアップしましたが、
もしかしたら1か月後、2か月後に見たら
また直したくなってたりして…(^^;)

 

ハチマチは、現在見ることができるような箱型被り物ではなく
当時は1枚の布をぐるぐる巻きつけたターバン形式。

ここでは琉球に漂流した朝鮮人の目撃記録の、

 

「男女頂辺に椎髻し、帛(きぬ)を以て之をつつむ
…(中略)…その守令、
班染の繪を用て髻をつつみ白細苧布の衣を着し、
紅染の帛を帯ぶ」

 

から取って、カタカシラは耳横ではなく、
ハチマチの中(頂辺)ということにしています。

…アングル的に見えないけどね。

 

そしてターバンは織ではなく染。
その色や模様は不明だけど
高官である黄冠をベースに。

 

そして衣は白に赤い帯。

 

オーソドックスな王府役人の黒朝衣を
白(きなり系)にするだけで
印象がガラリとかわりました。

これまで下っ端役人に白系を着させるのは
ドラマ『テンペスト』『尚巴志』をなどにあったのですが、
守令(=朝鮮王朝の地方官のこと)という
そこそこ高い地位の役人に着させているビジュアルは
無かった…はず!(部屋着・寝間着・下着・葬儀とかは別として)

 

いかがでしょうか?

 

 

 

<オマケ>

 

ところで、この証言記述の「男女」っていうの
気になりません?

男子はいいとして、
女子もターバンをしていた…!?

もしかして、この女子というのはノロさんで、
「帛(きぬ)を以て之をつつむ」というのは

ノロさんがしている白ハチマキなのかもしれません。

この一文の後ろの記述には
「婦人…皆白苧布の衫、白苧布の裳を着る。或いは白苧布の長衣を期す…」
とあり、白装束なのがわかります。

朝鮮の証言者らは
ノロさんたちの拝み巡礼を目撃したのかもしれませんね。


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リテイク版・本部平原

2021年06月19日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

琉球戦国列伝リテイクシリーズ
本部平原(もとぶたいはら(ていばら))。

 

最後の北山王・攀安知の側近で
1416年の中山VS北山の戦の際、
尚巴志がひそかに賄賂を贈って寝返らせ、
北山を滅亡に招いたとされる人物。

正史には
「勇猛だが知恵がなく、欲深い」
と書かれてしまっている。

琉球戦国列伝は基本、正史・通史ベースなので
本部の人物表現もその路線で。

でも、いかにも、あからさまな悪・かっこ悪いではなく、
その匂いはさせつつも、かっこよさも感じさせるように
が、リテイク版のテーマなので
男気が感じられるような感じで描いてみました。

ポイントは「体毛」です(笑)
髭だけじゃなくて、手や脛にも毛を描き足したら
一気に男くさくなったよ。

「北山の風」メンバーさんには不評かな~?(^^;)

服装や武器はオリジナル版を踏襲。
鎧のタイプが少し変わりましたけどね。

ところで下に履いてるハーフパンツ
「袴」っていうんですけどね。
当時の人の「下着」なんですけどね。

私、先日「那覇袴」を購入しまして。
型紙と縫製が普通のズボンと全然違うのです。
全体的にピタっとしていないので、
股位置がたるむというか、実際の位置よりも下がるのです。
しわのつき方も少し変わる。
(あ、サルエルパンツのイメージに近いかな?)

鎧でほぼ隠れちゃったけど(^^;)、
今回はそんな所もこだわってみました☆

 

カタカシラはバリエーションを出すために頭頂部に。
頂部に結うって証言もありはするので(李朝実録)、ね。

 

そして実は…
オリジナルの琉球戦国列伝
それから琉球戦国キャラクター図鑑、
そして今回のリテイク版、
本部はALL横顔アングル(笑)

もちろん気づいていたし、
別アングルのラフも描いてあったんだけど
結局こっちのほうがしっくりきたので
「横顔が決め顔の男
ということにしておきます。


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リテイク版・王茂

2021年06月12日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

琉球戦国列伝リテイクシリーズ、
王茂(おうも)。

久米村の華人で、
思紹王代の王相(国相)です。

 

マイナーな人物ではありますが、
懐機の前任者、といえば「ああ」ってなるかな?

 

琉球の王相は
亜蘭匏(察度・武寧王代)にはじまり、

王茂(思紹王代)

懐機(尚巴志王代)

と続きます。

 

彼らは同じ久米村の華人ですが、
1406年に尚巴志・思紹親子が武寧を滅ぼすと
彼らの王相だった亜蘭匏の名前も見えなくなります。

よって、
久米村内でも武寧派と、新勢力の尚巴志派のようなグループがあり、
1406年を境に亜蘭匏は失脚したとも考えられています。

 

ということで、
オリジナルよりはもう少し図太そうなおじさんにしてみました。

服装はオリジナルとそのまま踏襲で
武官8品の常服、補子は犀牛。


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リテイク版・百十踏揚

2021年06月04日 | ・琉球史散策/第一尚氏


琉球戦国列伝リテイクシリーズ、
百十踏揚(ももとふみあがり)。

すっかりおなじみかもしれませんが、
尚泰久王の娘(王女)、
護佐丸の孫、
阿麻和利の妻、
阿麻和利を討った大城賢雄の妻、
という
15世紀の偉人たちをつなぎ、
故に波乱万丈な人生を送った王女です。

 

今回は服飾を色々と調べまして頑張りました!

まずは、打掛がこちら!

 

 

手わざ展で復元された伊平屋のあもがなし衣装。

最新の研究により、この衣装は赤地ではなく黄色地であることが発覚。
模様は染ではなく刺繍で施されています。


この衣装をそのまま資料にして描いたのですが…
う~ん、なんとけったいな模様なんだろう…(笑)

ぐるぐる巻きやうねうねうねった蔦?や、
正体不明のこいつ↓とか。

 

視写っして観察すればするほど、
どのモチーフも有機的で活動的でどこか熱帯的で、
とにかく不思議。

これに類似する柄は、他国・他地域にあるのだろうか…。

配色もカラフルというわけでもないし、
多用されている黄色も紅型の黄色とは違っていて、

すっごい着る人を選ぶ色の着物だな~
(ブルべとかイエベとかの、アレね。)

とか思いながら描きました(^^;)

 

打掛の下のドゥジン・カカンは
『琉球服装の研究』(辻合喜代太郎、橋本千栄子著)
を参考にしました。

ドゥジンは4枚重ね。
丈を変えてそれぞれの色が見えるようになっています。

こちらも黄色が多用されていますが、
参考資料にあった配色を踏襲。

 

今回は
自分では想像だにしない柄と選ばない配色に
やや戸惑いつつの作画・着色でした。(^^;)

でもそれがかえって”琉球独特感”
ということになるのかもしれません。

 

 

手に持つは、紅釉水注。

↑写真の下段中央にあるものです。

このブログでも何度か紹介していますが、
現在世界で4点しか確認されていない
非常に貴重なもので、
1459年に燃えたとされる首里城倉庫跡から出土しています。

百十踏揚もきっとこの水注を目にし、
手に取っていたかもしれません。

 

リテイクシリーズでは、今、実際に残っている考古遺物なんかも
なるべくたくさん取り入れていきたいなと思っています♪


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2021護佐丸の日!リテイク版、護佐丸

2021年05月30日 | ・琉球史散策/第一尚氏


5月30日、
さあ、今年もやってきました護佐丸の日!

中城村が2009年に制定した、
正真正銘の記念日であります。

今日は各々、護佐丸について思いを馳せ
SNSなどでつぶやいてみてください。

#護佐丸の日
#ごさまるの日

【護佐丸の日企画、及び護佐丸の日記事】
'12 https://bit.ly/2HGWebO 
'13 https://bit.ly/2WdaO3S 
'14 https://bit.ly/2wxpFql
'15 PC故障につきお休み 
'16 https://bit.ly/2EGPybN 
'17 https://bit.ly/2XfeLBA
'18 体調絶不調につきお休み
’19 https://bit.ly/3espYGU
’20 (なし)

今年は中城村観光協会
中城村内企業
中城村ゆかりの芸人兼ミュージシャン(その名もMC護佐丸!)が
ごさまるの日に合わせて企画や取り組みをしてくれています♪

本当は中城グスクや護佐丸歴史資料図書館(開館5周年記念日)で
イベントごとができればもっとよかったのだけど(実際、企画はされていた)、
このコロナ禍でグスクも資料図書館も臨時閉鎖になって
それができくなってしまったのが残念ですが…
是非来年、リベンジしてほしいです!

そして願わくば、読谷村や恩納村も一緒に、
村を超えて盛り上げてくれたらもっといいなと思います。

 

さて、

というわけで、
琉球戦国列伝リテイクシリーズも護佐丸で。

人間味あふれる護佐丸が描きたいなと思い、
「盛親を抱くの図」
にしてみました。

孫にデレる爺のように見えると思いますが、
孫ではなく息子です。

護佐丸60代後半にして
最後につくった子になります。

 

1458年に阿麻和利に攻められ、
護佐丸と共に自害した息子たちもいましたが、
赤子だった盛親だけは
乳母らによって城から脱出。

糸満の国吉で隠れながら暮らしていたが
第二尚氏時代になって首里城に出仕、
出世、繁栄し、三司官(大臣)を多く輩出する
琉球の三大名門(毛氏)になっていきます。

現在も、「護佐丸の子孫」は多く、
10万人以上とも言われていますが
琉球時代の繁栄がベースにあるということですね。

 

阿麻和利に攻められたのが中秋の名月の頃、
ということなので、
盛親が生まれたのはそれより前、
8月~9月頃かな?、
ということで護佐丸の羽織はなしに。


オーバサーという深緑色の芭蕉衣をイメージした
服装にしてみました。
(本当はもっと透け感があるはず…だけど^^;)

1453年の証言記録(『瑞宗実録』)で

「尊者は袖口及び衣上に五色の糸を以て獣形を繍す」

にあることから、襟と袖口に装飾を入れています。

衣上っていう書き方が気になりますけどね。
アシャゲコムネ(アシアゲコムネ)みたいに、
胸部にどーんっていう可能性もあるのか…
どうなんでしょうね。


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リテイク版・国笠

2021年05月11日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

琉球戦国列伝リテイクシリーズ
国笠(くにちゃさ)。

リテイクシリーズ初の女性キャラです。

尚徳王に見初められ、
彼と運命を共にした久高島のノロ、国笠です。
(→ 

 

今回は背中に垂れ下げる玉ハベルを中心に
ポージングしました。

県博の常設展で展示されている
玉ハベルのデザインを参考にしました。

ビーズ細工の玉ハベル。
ビーズの粒々感もちゃんと表現したので
拡大できる人は見てみてね。

 

玉ハベルの「ハベル」とは蝶のこと。
琉球で蝶は霊的な化身にたとえられました。
(おなり神の化身など)

下の三角形の布切れを蝶に見立てています。

 

なお、県博展示の玉ハベルにはないのですが、
鎌倉芳太郎のスケッチの玉ハベルには
上部に小さな鈴が付けられていたので採用。

祭祀で動くたびにチリチリと鳴っていたであろう
鈴の音をイメージしてもらえたら…

 

手に持つ神扇は裏面。

表面は鳳凰と太陽が描かれていますが、
裏面は牡丹・月というパターンが多いそう(例外もあり)。

久高島の外間殿に飾られていた神扇図案を参考に。


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リテイク版・道安

2021年04月18日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

久しぶりのイラスト投稿です。

リテイク版・琉球戦国列伝シリーズより、
道安(どうあん)。

琉球の使者として朝鮮外交を担い、
あの『大蔵経』をゲットして琉球に持ち帰った人です。

また、彼が朝鮮王朝に献上した
博多から琉球への海路を示した地図は、
この図はのちの時代の「海東諸国紀」(1471)に写本され、
そして「琉球国図」(1696)へとつながっていきます。

(イラストの中では「琉球国図」を元に描きました)

 

なお↑の地図は、
九州から見た向き(北→南)で描かれているので上が南、下が北。
よって、上にある大きな島が逆さになった沖縄本島です。

 

 

現在、国立歴史民俗博物館(千葉県)で
『海の帝国琉球-八重山・宮古・奄美から見た中世-』という展示会が開催中。

この展示会でも「琉球国図」が紹介されているようです。
(時勢柄、見に行くのを断念せざるを得なかったので図録のみ通販でゲット)


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尚徳王代の首里城CG

2020年03月02日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

ドラマ「尚円王」で
毎回登場していた「首里城CG」について。

特に2話の最後でピックアップされ
「15世紀の首里城を時代考証にもとづき再現したCG」
とのテロップもついたこともあって、
ちょっとした物議を醸しだしてしまいました

 

う~ん、やはり、
ワタシとしても
スルーすることはできない…なぁ…。

 


念のため最初に断っておきますが、
これは特定の誰かを批判したり
擁護したりするためのものではなく、

番組で初めて見て、
イチ琉球史ファンである私が率直に感じたことであることを
記しておきます。


そして、
色んな人の目と、意見で
今後、より良いものにしていけたらいいな

との願いも込めて、
ワタシも見解を書いておきたいと思います。 

 

 

 


第一話で出てきたのを見て、
一目で正殿位置と向きが変わっていることに気づいて、
え、ええぇぇぇ……((((;゚Д゜))))??!?!?
ってなりました…。

 
「かつて首里城は南面しており、
美福門が正門だった」

という伝承があるのは知っていましたが、

え、でもこの伝承って14世紀とか、古い時代の、
とにかく首里城最初期の話だよね…?

しかもこのCGの正殿、北向きになってるから
この伝承をなぞってるわけでもないよね??
と思ってたら、

「CGは(この伝承に基づき)南面しているのを表現」、
とのこと…。

うむむ?????


だとすれば、
首里城を後ろからみた図を
視聴者に見せてるってことになるよ?

敢えて南面説をとるなら
違うアングルの(南側からの)絵にするべきでは???

それに、あれが南面正殿だとしたら
他の施設との関係がおかしくない?
正殿と御内原が更地を挟んであんなに離れてるってことある?
御庭空間は?(〝背後〟にあるのは御庭ではないことになるし)
グスク全体の構造としてはどうなの?
正門とされた美福門周辺は???

…と、正殿だけを移動させて南面させても
他を近世と全く一緒にしてしまってるから
至極ちぐはぐな印象に…。

もちろん、全体的に見て
外郭を消しているとか
系図座を消しているとか
建物の色味を変えているとか
高世層理殿をいれているとか
色々と押さえているのは分かります。


でも、
 尚徳期は実際に今の正殿の場所に基壇が出てるし
火災前までは1階の床の一部をガラス張りにして
実際に見学できるようになってたんだから、

仮に、この基壇が「正殿」ではなかったとしても、
何もない更地にしちゃうのはマズイくない……?(´;ω;`)
 
と、
結局、これがずーっとつまずきになってしまいました…。

 


首里城跡-正殿地区発掘調査報告書-(2016)』黄色が尚泰久や尚徳の時代の基壇。水色が戦前まであった首里城の基壇ライン。

 
もちろん、
その時代の首里城を誰も見たことがないんだから、
100%の「正解」なんて誰にもわからないし
「フィクションドラマ(娯楽)」だからある程度は……
というのは十分分かるけど、

「完全正解」ではなくとも、
もっとリアル(研究成果)に近づけられたはずだし、
一般視聴者からの
「これが当時の首里城なんだ!感動!」
という類の反応をみると
正直「うぅ~~~ん………(困)」
となってしまったのも事実。
 
当時の姿がわからないものを
ビジュアル化して公に提示することは
とても効果的ですが、
その分リスクもあるんですよね…。
(ワタシも絵を描く人間として、その点は重々…)

ゴールデンタイムのTVだと、
さらにそれは大きくなるわけで…。

 
 


とりあえず問題提起というか、
製作サイドにとっても「次」につながればいいな、
との願いを込めて、
あのCGを、
「(尚徳時代の首里城であることを前提に)〝私なら〟こうする」
というのを上げてみます。
 



首里城正殿の位置と向きを
平成復元の首里城正殿の所に戻す
(発掘調査結果から、尚徳王時代にこの場所が更地なのはありえない)
もちろん、「南殿」の場所にもなんらかの建物を建てる。
(こちらも南殿地区の発掘調査から建物の存在が分かっている)



正殿の外観(屋根、壁の色など)を
朝鮮王朝実録の目撃証言に合わせて、
これ」のようにする。


周辺施設の建物の屋根を
灰色ではなく木の色にする


奉神門の高さ及び三門の形式を、なにかしら変える。
今の奉神門のスタイルは1754年以降のことらしいので。
(参/『首里城 甦る琉球王国』海洋博覧会記念公園管理財団)


御内原の色味を他とそろえる
(作画ベースにしたであろう空撮写真の、
新築の色味そのままで他と統一感がない)
これは美術的なこと。


御内原側の内郭城壁ラインを
単に緑で削るのではなく、きちんと取る
(ただ、正殿が元の場所に戻れば見えなくなるかも)


高世層理殿(3階建ての塔)の位置をもっと奥にする。
実際に礎石が出ていて、
高世層理殿跡ではと推測されている場所がちゃんとあるため。
(参/『首里城京の内展』(沖縄県埋蔵文化材センター)、他)

 


瑞泉門の外側のすべてを原生林にしない。
 
 →15世紀前半頃(尚巴志期か)に
  綾門大道が整備されていることを考えると、
  それに続く瑞泉門に至る道が未整備だとは考えにくい。

 →安国山樹花木記碑(1427年)から、
  この一帯が憩いの場として様々な木や花を植え、
  「太平の世の象徴」として整備されていることがうかがえる。

 →龍潭は画面外だとしても、
  安国山エリア(園比屋武御嶽石門の裏)は入るはず。

 →もし入らないとしても、以上の点から
  この一帯すべてが未整備の原生林だとは考えにくい。
 


首里城のすべてに施設・エリアついて調べているわけでないのですが、
少なくとも以上のことは上げられると思います。

 

繰り返しますが、
ワタシが上げたことや、資料も
必ずしも「正しい」とは限りません。
同じ資料でも、解釈や判断も色々あるでしょう。

 

あくまで、イチ意見として、
私が現時点で考えたこと、思ったことです。

 

いかがでしょうか。

 

 

 

 

【追記】
今回、ドラマの時代考証をした嘉数さんが
このCGについての見解をツイートしていたので
リンク貼っておきます。

合わせてご覧下さい→ 


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