琉球歴女として仕事の依頼や取材等を受けると
必ず「そもそもなぜ琉球史好きに?」と聞かれます。
そうすると、必ず「肝高の阿麻和利」の話になるわけです。
肝高の阿麻和利が
ワタシが琉球史にハマった最初のきっかけなので。
(ちなみに2つめのきっかけはテンペスト)
じゃあ、
そもそも何で「肝高の阿麻和利」を見に行ったのか
ってなると、
ワタシの場合、すごく特殊だと思います。
だれかに誘われたわけでもない、
誰かに勧められたわけでもない、
関係者に知り合いがいるわけでもない、
アトラクションや映像を見たわけでもない、
平田大一さんも知らない、
現代版組踊も知らない、
組踊も知らない、
勝連グスクも行ったことない、
琉球史も全く知らない。
そんな中、
ふと開いた新聞に
東儀秀樹さんとのコラボ公演の広告が載っていて、
東儀さん目当てで一人でふらっと見に行ったのが
そもそもの始まり。
でも、
「肝高の阿麻和利」という単語を
全く知らなかったわけではない。
どこでこの単語を知ったのかというと、
実は、
公演ごとに道路に立てられるこの立て看板。
当時の出勤ルートに
立て看板が立てられるポイントがありました。
定期的に立てられ、
定期的に何度も目にしていたこの看板で
「肝高の阿麻和利」という単語は
たぶん、数年をかけて
いつの間にかワタシの中でインプットされていました。
もちろんそれがなんなのか、
(劇のようなもの、というのは看板から判断できましたが)
どんなストーリーで
どんな人たちが演じているのか
まったくわかりませんでしたが、
「肝高の阿麻和利」という単語が
インプットされていたおかげで
あの日、新聞広告にも気づくことができたのだと思います。
で、
「あ、あの看板の…」
「しょっちゅうやってるみたいだし…」
「面白いのかな…」
「東儀さんが来るなら…」
となったわけです。
この立て看板がなかったら、
ワタシはあの広告にも気づかず、
公演も見ることもなかったかもしれません。
そうすると、
琉球史にもハマっておらず、
テンペストも読んでなく、
イラスト描きを再開することもなく、
本を出すこともなく、
トヨタとも関わらず、
多くの人たちとの出会いもなかった。
そう考えると、
全てはこの立て看板から始まった
といっても過言ではありません。
立て看板って、このネット時代、
地味~な情宣方法ではありますが、
ワタシのようにそれがきっかけにという人も
ちゃんといるんですよ