おきなわ石獅子マンガ、
ふぇ~ぬ新城くん3本目です。
それでは、
実物をご覧ください。
なお、ふぇ~ぬ新城くんの「新城」は
しんじょう
ではなく、
あらしろ
と読みます。
八重瀬町(行政)としては
「あらぐすく」らしいのですが、
新城小学校は「あらしろ」読みだし、
保育園も「あらしろ保育園」。
あらぐすくくん
よりは
あらしろくん
のほうがリズムがいいので
あらしろ読みを採用しています。
ずっと作りたいと思っていた
新キャラができました!
その名も、「ふぇ~ぬ新城くん」です!
「ふぇ~ぬ」 とは 「南の」ということ。
なので訳すると
「南の新城くん」
モチーフは、先日も記事にしました
八重瀬町新城にある石獅子です。
彼には
「にしぬ(北の)新城くん」という
双子のやっちー(兄)もいます(笑)
他に仲間もいっぱいいます。
4コママンガで展開していきますよ。
今後のふぇ~ぬ新城くんたちの活躍(!?)に
こうご期待♪
昨日、シーサーの日にちなんで
八重瀬町の石獅子を紹介しましたが、
せっかくなのでまだ紹介してない
マイ石獅子写真コレクションの中から、
北中城村喜舎場の石獅子をピックアップ。
喜舎場公園の中にあります。
(ちなみに喜舎場地区は
コレとかコレとか色々と史跡があるので、
史跡散策、オススメします☆)
鼻と口が前にぐーんと突き出た
ワニタイプ。
胴体の小さい、顔デカさん。
さて、村シーサーは
設置されている場所と向きにご注目!
↑クリックで地図部分拡大
移設はされていますが、元の場所と同一線上、
カニサン(跡)に向かって、
同じ向きで設置されています。
その視線の先には、
今はなき、カニサンが…。
先日、
八重瀬町の具志頭歴史民俗資料館に行ってきた時に
手に入れたパンフレット。
八重瀬町石獅子まっぷ。
八重瀬町内にある村シーサー(村落獅子)を巡れるようにまとめたもの。
村シーサー好きのワタシとしては
これは見逃すわけにはいきません。
写真も載っていたので
造形に興味を引いたものと場所で絞って
5つの村シーサー巡りをしてみました!
+ + +
新城地区には2つの村シーサー。
そのうちの一つ、
北の石獅子。
…いた!
犬くらいの大きさ。
体を少し傾けて、
民家と民家の間を、
覗き見ている。
なにこれ、かわいいんですけど…!!
じーーーーーーっ………
何か獲物でも狙っているときのような……
正面がこちら。
まあるい顔に、
三角の鼻、
一直線の口。
にやっ。
大きさといい、
ちょっと傾いた体といい、
立地といい、
造形といい、
表情といい、
妙にかわいい。
今回周った中で1番気に入ったのがこれ。
+ + +
同じく新城にある
南の石獅子。
正面図。
基本、北の石獅子と同じ顔のパーツ。
でも妙にきれいなので
復元か、修復かされているのでしょうか。
かわいい。
でも獅子には見えない(笑)
基本、石獅子には「耳」がありません。
稀に、
大型の物や細工の細かい物にはありますが、
後方に倒れているたれ耳。
今見るオーソドックスなシーサーのような
ぴょこんと飛び出た耳はありません。
横から見た図。
鼻が高くて
胴長短足。
やはり外側を向いています。
+ + +
お次は移動して志多伯(したはく)へ。
志多伯には東西南北の4つ(5体)のシーサーがあるようでしたが
そのうちしっかりしたフォルムの
西と南に行ってみました。
南の石獅子。
これはちょっと迷いました。
※志多伯公民館の敷地内(建物裏)にあります。
これも基本、
まん丸い目に
高い鼻に
一直線に割れた口。
ただ体は後ろ足の造形がはっきりせず、
個人的には
だら~んと寝そべっているように見えます。
歩くの拒否する犬って
たまにこんなポーズするよね(笑)
昔はこの辺が集落の縁だったのかな?
+ + +
もう一つが西の石獅子。
馬場跡と、さとうきび畑の、
隅っこにありました。
これは今までの中で1番顔の造形がしっかりしてる。
口部分が突き出ている所とか。
鼻の穴もしっかり見えてるし、
首もやや上向き。
胴も短め。
ぶち柄ですね(笑)
舌を出しているようにも見える…。
ところで、
宜野湾喜友名の石獅子群の記事でも書きましたが、
村シーサーは立地とか、
どの方向に向かって置かれているのか、
が鑑賞ポイントでもあると思ってます。
造形を見るだけなら写真でもいいんだけど
立地環境を見るためには
やはり直接足を運ぶしかありませんね。
ツイッターでUPした動画→ ★
この西の石獅子君の視線の先には
丘があって…
調べてみるとテミグラグスクでした。
+ + +
最後は小城のニーセー石。
ニーセーとは「青年」のこと。
青年を栄えさせるための守り神として置かれたものだとか。
村シーサーは基本、
村を守るためのマジムンや火除け(火返し)として置かれるものだから
このニーセー石はちょっと意味合いが違うんだろうなー、と。
そのためか、
これまで紹介した4体と見た目も違う。
立ってます。
高さも結構ある。
龍柱のよう。
2つ並んでいる穴は鼻の穴です。
(目ん玉じゃないよー)
後頭部は修復されていました。
視線の向こうには与座岳・南山グスクがあるらしい。
それと関係があるのか、
このニーセー石の背後には
南山にまつわるたくさんの拝所・墓所がいくつかありました。
(南山世按司・南山世女神とか)
+ + +
ところで、村シーサーって、
村ごとにそれぞれフォルムに特徴があるな!
っていうのが今回気づいたこと。
制作者が同じなのか、
最初に作られたのを模しているのか、
なんか似てるんです、フォルムが。
今回見た新城、志多伯の村シーサーは、
倒した円柱型。
なので各シーサートップは俯瞰図なのです(笑)
でも写真で見ると
東風平とかはまたちょっと違うっぽいけど。
Dee OKINAWANの記事で見た
与那原の村シーサーは
ゴリラ型
宜野湾喜友名のシーサーは…
正方形?
(でも7番だけ他の6つと違う感じはある)
こうやって集落ごとに
フォルムの特徴をまとめてみると
面白いかもしれません♪
八重瀬町石獅子まっぷを見ると、
八重瀬町にはまだまだたくさんのあるようなので
またいつか機会を見つけて
村シーサー巡り、したいと思います。
車で前を通るたびに気になっていた
宜野湾市喜友名の石獅子巡りを(やっと)してみました!
喜友名集落の周りに置かれた7つの村シーサー。
巡るための順路やマップもあったので
案内板の地図を写真に撮り、それを頼りに歩いてみました。
それでは1番から順に行ってみましょう!
村シーサーの特徴は、
1体単独であること。
そしてざっくりとした原始的なフォルム。
ころっとした体。
豚のような小さなしっぽ。
とにかく大きな口。
にやっと笑っている表情が実におもしろい。
3番4番はなかなかのフォルム(劣化・摩耗)。
表示がないと気づかないかな…。
6番は鼻筋が通っていて
なかなかのイケメン。
民家の塀の上にちょこんと載っていて
かわいらしい。
歯列がはっきりした7番。
空を見上げていました。
それぞれの獅子にちゃんと表示柱が立っていたので
7つとも迷わずに探すことができました♪
ところで
今回1つの集落の7つのシーサーを一気にめぐって再認識したことは
シーサーの置かれている「向き」。
マップにシーサーの向きを矢印で書きこんでみました。
(記憶に頼ったものなので、微妙なずれがあればご容赦を)
シーサーは外部からの厄を追い払うために外を向いているのですが
この7つのシーサーのあるところがかつての集落の縁だったのかなぁ、と想像しました。
(現在の喜友名地区はこの地図のエリアよりももうちょっと広い)
写真だけではわからない、
実際に巡ったからこそ、の再認識でした。
さっき思い出したんだけど、
今日は4月3日でシーサーの日!
という訳で、沖縄で現存する最大最古の村落獅子(シーサー)を!
つい先日訪れた、勢理(ジリ)グスクにある「富盛の石彫大獅子」
1689年に設置されたもので
それまで火事が絶えなかった富盛村の住民が
風水上の助言を受けてて設置したもの。
(フィーザン(火山)といわれる八重瀬岳に向かっている)
設置したらぴたりと火事が止んだとかなんとか。
斜めから見た図。
笑っているようでちょっとカワイイ
石彫だからどうしてもざっくりしたフォルム故かな。
そして
まさかのドラえもん足!(≧▽≦)ノ
まるいっ♪
(ドラえもんの手足がまるいのは漫画表現としてのものではなく、ホントにまるい設定らしい)
だけどさすがに、全体的なバランスは他の村落シーサーに比べると
シュッとしてて威厳がありますよね。
でも、実は生々しい戦争の傷跡(弾痕)が…。
ワタシも教えてもらうまで知らなかったんだけど
戦争中の、こんな写真があったんだね。→ ★
この激戦地の南部で、
よくぞ耐えてくれたと思います。
シーサーと言ったら赤瓦の上に乗っているものや、
建物の入口に阿吽のセットで据えられたものをイメージする方が多いと思いますが、
こうやって民家にシーサーを据えるようになったのは
実は近代(明治以降)になってからのこと。
じゃあそれまではどこにあったのかと言うと、
城門(ex→首里城)、
王陵(ex→玉陵、浦添ようどれ)、
寺院(ex→円覚寺)
そして、集落の入り口です。
このようなシーサーを
村落シーサーとか、村シーサーと言ったりします。
(※地域名を含めた固有名詞だと「獅子」と呼ぶことも多いです)
集落を災いから守るためのシーサーです。
村落シーサーの特徴は、
阿吽のセットではなく1匹の独立したものであること、
そして原始的なシンプルでころっとしたフォルム。
現在「シーサー」と聞いてイメージするものと
だいぶ印象が違うのでは?
いわゆる「ゆるキャラ」ですな。
愛きょうたっぷりの顔です。
村落シーサーは主に南部に残されています。
↑は知念グスクの近く、旧知念村具志堅の村落シーサー。
(※2009年撮影)
↑旧玉城村百名の村落シーサー(百名之獅子)
お尻は穴だらけ。
↑糸満市名城の村落シーサー。
拝み場所になっているのか、
香炉と、5円玉が3枚並んでいました。
シーサーと一口で言っても、
そのバリエーションは様々。
シーサーに出会ったときは素通りせず、
その表情や姿に目を向けてみると
きっと楽しい発見があるかもしれませんよ☆
夏休みの自由研究なんかにもイイかもね!
(もしくは「琉球の龍について」でも可!誰かやって(笑))
一時期シゴトでシーサーについて調べてました。
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意外と首里城のメインのシーサーピックアップしてなかった…。
(欄干のちびシーサーはあるけど)
*おまけ*
現在沖縄で1番でかいシーサー → ★