がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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ふぇ~ぬ新城くん(3)

2019年04月18日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

おきなわ石獅子マンガ、
ふぇ~ぬ新城くん3本目です。

 

 

それでは、

実物をご覧ください。

 


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ふぇ~ぬ新城くん(2)

2019年04月13日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

 

なお、ふぇ~ぬ新城くんの「新城」は

しんじょう

ではなく、

あらしろ

と読みます。

 

八重瀬町(行政)としては

「あらぐすく」らしいのですが、

新城小学校は「あらしろ」読みだし、

保育園も「あらしろ保育園」。

 

あらぐすくくん

よりは

あらしろくん

のほうがリズムがいいので

あらしろ読みを採用しています。


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ふぇ~ぬ新城くん

2019年04月11日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

ずっと作りたいと思っていた
新キャラができました!

 

その名も、「ふぇ~ぬ新城くん」です!

 

 

「ふぇ~ぬ」 とは 「南の」ということ。

なので訳すると

「南の新城くん」

 

モチーフは、先日も記事にしました
八重瀬町新城にある石獅子です。

 

彼には
「にしぬ(北の)新城くん」という
双子のやっちー(兄)もいます(笑)

 

他に仲間もいっぱいいます。

 

4コママンガで展開していきますよ。

 

今後のふぇ~ぬ新城くんたちの活躍(!?)に
こうご期待♪

 


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喜舎場の石獅子

2019年04月04日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

 

昨日、シーサーの日にちなんで
八重瀬町の石獅子を紹介しましたが、

せっかくなのでまだ紹介してない
マイ石獅子写真コレクションの中から、
北中城村喜舎場の石獅子をピックアップ。

 

喜舎場公園の中にあります。

(ちなみに喜舎場地区は
コレとかコレとか色々と史跡があるので
史跡散策、オススメします☆)

 

 

鼻と口が前にぐーんと突き出た
ワニタイプ。

胴体の小さい、顔デカさん。

 

さて、村シーサーは
設置されている場所と向きにご注目!

 

↑クリックで地図部分拡大

 

移設はされていますが、元の場所と同一線上、
カニサン(跡)に向かって、
同じ向きで設置されています。

 

 

その視線の先には、
今はなき、カニサンが…。


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八重瀬町、石獅子巡り

2019年04月03日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

 

先日、
八重瀬町の具志頭歴史民俗資料館に行ってきた時に
手に入れたパンフレット。

八重瀬町石獅子まっぷ。

八重瀬町内にある村シーサー(村落獅子)を巡れるようにまとめたもの。

村シーサー好きのワタシとしては
これは見逃すわけにはいきません。

写真も載っていたので
造形に興味を引いたものと場所で絞って
5つの村シーサー巡りをしてみました!



+ + +

 

 

新城地区には2つの村シーサー。

そのうちの一つ、
北の石獅子。

 

 

…いた!

犬くらいの大きさ。

 

 

体を少し傾けて、
民家と民家の間を、
覗き見ている。

なにこれ、かわいいんですけど…!!

 

 

じーーーーーーっ………

何か獲物でも狙っているときのような……

 

 

正面がこちら。

まあるい顔に、

三角の鼻、

一直線の口。

にやっ。

 

 

大きさといい、

ちょっと傾いた体といい、

立地といい、

造形といい、

表情といい、

妙にかわいい。

 

今回周った中で1番気に入ったのがこれ。

 

+ + +

 

 

同じく新城にある

南の石獅子。

 

 

正面図。

 

基本、北の石獅子と同じ顔のパーツ。

でも妙にきれいなので
復元か、修復かされているのでしょうか。

 

 

かわいい。

でも獅子には見えない(笑)

 

基本、石獅子には「耳」がありません。

稀に、
大型の物や細工の細かい物にはありますが、
後方に倒れているたれ耳

 

今見るオーソドックスなシーサーのような
ぴょこんと飛び出た耳はありません。

 

 

横から見た図。

鼻が高くて
胴長短足。

 

 

やはり外側を向いています。

 

+ + +

 

 

お次は移動して志多伯(したはく)へ。

志多伯には東西南北の4つ(5体)のシーサーがあるようでしたが
そのうちしっかりしたフォルムの
西と南に行ってみました。

 

 

南の石獅子。

これはちょっと迷いました。
※志多伯公民館の敷地内(建物裏)にあります。

 

これも基本、

まん丸い目に

高い鼻に

一直線に割れた口。

 

ただ体は後ろ足の造形がはっきりせず、
個人的には
だら~んと寝そべっているように見えます。

歩くの拒否する犬って
たまにこんなポーズするよね(笑)

 

昔はこの辺が集落の縁だったのかな?

 

+ + +

 

 

もう一つが西の石獅子。

馬場跡と、さとうきび畑の、
隅っこにありました。

 

 

これは今までの中で1番顔の造形がしっかりしてる。

口部分が突き出ている所とか。

鼻の穴もしっかり見えてるし、

首もやや上向き。

胴も短め。

 

 

ぶち柄ですね(笑)

舌を出しているようにも見える…。

 

 

ところで、
宜野湾喜友名の石獅子群の記事でも書きましたが、
村シーサーは立地とか、
どの方向に向かって置かれているのか、
が鑑賞ポイントでもあると思ってます。

造形を見るだけなら写真でもいいんだけど
立地環境を見るためには
やはり直接足を運ぶしかありませんね。

ツイッターでUPした動画→ 

 

この西の石獅子君の視線の先には
丘があって…
調べてみるとテミグラグスクでした。

 

 

+ + +

 

 

最後は小城のニーセー石。

ニーセーとは「青年」のこと。

青年を栄えさせるための守り神として置かれたものだとか。

村シーサーは基本、
村を守るためのマジムンや火除け(火返し)として置かれるものだから
このニーセー石はちょっと意味合いが違うんだろうなー、と。

そのためか、
これまで紹介した4体と見た目も違う。

 

 

立ってます。

高さも結構ある。

 


龍柱のよう。

2つ並んでいる穴は鼻の穴です。
(目ん玉じゃないよー)

 

 

後頭部は修復されていました。

 

視線の向こうには与座岳・南山グスクがあるらしい。

それと関係があるのか、
このニーセー石の背後には
南山にまつわるたくさんの拝所・墓所がいくつかありました。
(南山世按司・南山世女神とか)

 

+ + +

 

ところで、村シーサーって、
村ごとにそれぞれフォルムに特徴があるな!

っていうのが今回気づいたこと。

制作者が同じなのか、
最初に作られたのを模しているのか、
なんか似てるんです、フォルムが。

今回見た新城、志多伯の村シーサーは、

倒した円柱型。

なので各シーサートップは俯瞰図なのです(笑)

 

でも写真で見ると
東風平とかはまたちょっと違うっぽいけど。

 

 

Dee OKINAWANの記事で見た
与那原の村シーサーは

ゴリラ型

 

 

宜野湾喜友名のシーサーは…

正方形?

(でも7番だけ他の6つと違う感じはある)

 

こうやって集落ごとに
フォルムの特徴をまとめてみると
面白いかもしれません♪

 

 

八重瀬町石獅子まっぷを見ると、
八重瀬町にはまだまだたくさんのあるようなので
またいつか機会を見つけて
村シーサー巡り、したいと思います。


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喜友名の石獅子群

2018年05月06日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

車で前を通るたびに気になっていた
宜野湾市喜友名の石獅子巡りを(やっと)してみました!

 

 

喜友名集落の周りに置かれた7つの村シーサー。

巡るための順路やマップもあったので
案内板の地図を写真に撮り、それを頼りに歩いてみました。 

 

 

それでは1番から順に行ってみましょう!

 

 

村シーサーの特徴は、

1体単独であること。

そしてざっくりとした原始的なフォルム。

ころっとした体。
豚のような小さなしっぽ。
とにかく大きな口。

にやっと笑っている表情が実におもしろい。

 

 

3番4番はなかなかのフォルム(劣化・摩耗)。

表示がないと気づかないかな…。

 

 

6番は鼻筋が通っていて
なかなかのイケメン。

民家の塀の上にちょこんと載っていて
かわいらしい。

 

 

歯列がはっきりした7番。

空を見上げていました。

 

それぞれの獅子にちゃんと表示柱が立っていたので
7つとも迷わずに探すことができました♪

 

 

ところで
今回1つの集落の7つのシーサーを一気にめぐって再認識したことは
シーサーの置かれている「向き」。

マップにシーサーの向きを矢印で書きこんでみました。
(記憶に頼ったものなので、微妙なずれがあればご容赦を)

シーサーは外部からの厄を追い払うために外を向いているのですが
この7つのシーサーのあるところがかつての集落の縁だったのかなぁ、と想像しました。
(現在の喜友名地区はこの地図のエリアよりももうちょっと広い)

写真だけではわからない、
実際に巡ったからこそ、の再認識でした。


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シーサーの日

2013年04月03日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

さっき思い出したんだけど、

今日は4月3日でシーサーの日

という訳で、沖縄で現存する最大最古の村落獅子(シーサー)を!

つい先日訪れた、勢理(ジリ)グスクにある「富盛の石彫大獅子」

1689年に設置されたもので
それまで火事が絶えなかった富盛村の住民が
風水上の助言を受けてて設置したもの。
(フィーザン(火山)といわれる八重瀬岳に向かっている)
設置したらぴたりと火事が止んだとかなんとか。

斜めから見た図。

笑っているようでちょっとカワイイ

村落シーサーは表情がかわいいのが多いんです

石彫だからどうしてもざっくりしたフォルム故かな。

そして

まさかのドラえもん足!(≧▽≦)ノ

まるいっ♪

(ドラえもんの手足がまるいのは漫画表現としてのものではなく、ホントにまるい設定らしい)

 だけどさすがに、全体的なバランスは他の村落シーサーに比べると
シュッとしてて威厳がありますよね。

でも、実は生々しい戦争の傷跡(弾痕)が…。

ワタシも教えてもらうまで知らなかったんだけど
戦争中の、こんな写真があったんだね。→ 

この激戦地の南部で、
よくぞ耐えてくれたと思います。

 

 
一時期シゴトでシーサーについて調べてました。
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村落シーサー

2012年07月16日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

 

 シーサーと言ったら赤瓦の上に乗っているものや、
建物の入口に阿吽のセットで据えられたものをイメージする方が多いと思いますが、

こうやって民家にシーサーを据えるようになったのは
実は近代(明治以降)になってからのこと。

じゃあそれまではどこにあったのかと言うと、
城門(ex→首里城)、
王陵(ex→玉陵浦添ようどれ)、
寺院(ex→円覚寺

そして、集落の入り口です。

このようなシーサーを
村落シーサーとか、村シーサーと言ったりします。
(※地域名を含めた固有名詞だと「獅子」と呼ぶことも多いです)

集落を災いから守るためのシーサーです。


村落シーサーの特徴は、
阿吽のセットではなく1匹の独立したものであること、

そして原始的なシンプルでころっとしたフォルム。

 

現在「シーサー」と聞いてイメージするものと
だいぶ印象が違うのでは?

いわゆる「ゆるキャラ」ですな。

愛きょうたっぷりの顔です。

 

村落シーサーは主に南部に残されています。

 ↑は知念グスクの近く、旧知念村具志堅の村落シーサー。
(※2009年撮影) 

↑旧玉城村百名の村落シーサー(百名之獅子)

お尻は穴だらけ。

 

 

↑糸満市名城の村落シーサー。

拝み場所になっているのか、
香炉と、5円玉が3枚並んでいました。


 

シーサーと一口で言っても、
そのバリエーションは様々。

シーサーに出会ったときは素通りせず、
その表情や姿に目を向けてみると
きっと楽しい発見があるかもしれませんよ☆

 

夏休みの自由研究なんかにもイイかもね!
(もしくは「琉球の龍について」でも可!誰かやって(笑))

 

 
一時期シゴトでシーサーについて調べてました。
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意外と首里城のメインのシーサーピックアップしてなかった…。
(欄干のちびシーサーはあるけど)


 

*おまけ*
現在沖縄で1番でかいシーサー → 


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