博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

TVB96年版『笑傲江湖』その3 自決によって信念を表明するという文化について

2012年03月14日 | 武侠ドラマ
『笑傲江湖』第15~21話まで見ました。

内力がゼロになったうえ、『紫霞秘笈』を紛失し、仲の良かった陸大有を誤殺してしまったことで超絶に鬱になる令狐冲。(ホントはどちらも濡れ衣なのですが……)更に嵩山派の手先を独孤九剣で撃退して華山派一行の窮地を救うも、技の来歴を明かせないことで岳不群から猜疑を抱かれることに。

で、林平之の母方の実家である金刀王家に身を寄せることになった華山派御一行様ですが、そこで令狐冲の所持していた『笑傲江湖』の楽譜が『辟邪剣譜』と勘違いされ、令狐冲が『辟邪剣譜』を我が物にしたと疑われる事件が発生。しかし緑竹翁とその「姑姑」によって無実が証明されます。実は「姑姑」の正体は魔教の聖姑任盈盈で、令狐冲らは彼女が老婆だと勘違いするわけですが、このドラマでは顔を見せないだけで声は若いままなんですよね(^^;)

その後、林平之の旧宅がある福州へと向かう一行ですが、途中で神医の平一指や五毒教教主藍鳳凰ら邪派の怪人が令狐冲に面会を求めてVIP扱いし、ますます華山派の中で浮いてしまいます。

そして五覇崗で任盈盈と再会した令狐冲ですが、彼女が魔教の幹部であることが明らかとなると、岳不群は彼女をこの場で殺すよう命じます。しかし令狐冲はそれを拒否して華山派を破門されるという道を選ぶことに。ということで、魔教を批難しなきゃ正派の人士に邪派扱いされる状況がいよいよ令狐冲の身に降りかかってきたわけです……

ところで今回のパートを見ている時に、次のようなニュースがありました。

「信念ある人間なら自決の覚悟」維新府議が教員を批判

要するに大阪の学校の卒業式で君が代を起立斉唱しなかった教員に対して、大阪維新の会の府議がチベットのラマ僧の自決を例に挙げつつ「本当に信念ある人間なら自決するぐらいの覚悟があるでしょ」と発言したという話です。

そう言えばこのドラマ、今回見た部分で、令狐冲が岳不群から『紫霞秘笈』を紛失したことを責められる場面で、自決(するふりを)して師の赦しを得ようとする場面が出て来ました。これより前の場面でも魔教の曲洋との関係を問い詰められた衡山派の劉正風がやはり正派の人士の面前で自決(するふりを)して曲洋との関係を全うしようとしたりと、類似のシチュエーションが今まで何度か出て来ております。

自決によって政治的な信念を表明するという文化は、現代のラマ僧を例に挙げるまでもなく、東アジアでは殷末周初の伯夷と叔斉以来の古い伝統を持つものですが、これによって『笑傲江湖』という作品の持つ政治性が再認識されるとともに、維新の会の方々が東アジアの伝統(のダメな部分)を背負っていることが窺われるなと思った次第です。
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