第16章 呂客布陣
蕭天佐は敗北して幽州に逃げ戻ると、蕭太后に楊家将が復帰したことを話しました。蕭太后は楊六郎が死んでいなかったことを知ると、不安で居ても立ってもおられなくなり、全国各地にお触れ書きを発し、才能を持つ人を募集したのでした。
ある日、幽州城の番兵が椿岩という人を蕭太后の御前に連れて来ました。この人が城門に貼ってあったお触れ書きをはがしたというのです。実は、椿岩は自分の師匠である呂客を推薦にやって来たのでした。蕭太后はただちに呂客に昇殿するように伝えさせます。呂客がやって来ると、蕭太后は彼がさわやかで知的な風貌であるのを見て、奇才であるに違いないと思って尋ねました。「先生は仕官なさりたいのですか?」呂客は答えました。「私は仕官に来たのではありません。ただ陛下が宋と戦われると聞き、一臂の力をお貸ししたいと思ったまでです。」蕭太后は大喜びし、更に様々な攻守の策略を尋ねると、呂客はすらすらと返答します。そこで蕭太后は呂客を登用し、ともに宋を討つ計略を協議することにしました。
さて真宗はと言えば、汴梁に戻った後もずっと魏州で包囲された屈辱が忘れられませんでした。この年の春、彼は軍臣の反対を顧みず、王全節を南北招討使に任命し、遼国討伐の兵を起こさせます。
蕭太后はこの知らせを聞くと、すぐさま呂客を呼んで対策を協議します。呂客が言いますには、「小生は布陣に長じておりますので、今すぐ大陣を布きさえすれば、宋の君臣の心胆を寒からしめ、頭を下げて投降させることができましょう。」蕭太后は大喜びし、そこで全国から兵馬を調達し、また近隣の五つの国から兵を借りて、五十五万の大軍をかき集め、呂客に指揮させることにしました。呂客はこれらの兵馬を率い、九龍谷に凶悪な陣を布き、そうして宋軍に挑戦状を送りつけたのでした。
王全節は遼軍の挑戦状を受け取ると、次の日に部下を引き連れて陣を見に行きましたが、陣の中に陰気が満ちあふれ、殺気がみなぎっているのが感じ取られるのみです。王全節はこれが何の陣であるのかわからず、敵陣の情景を図にして描かせ、夜を徹して汴梁まで届けさせ、真宗に上奏させました。真宗は文武の大臣を招集し、陣形の図を逐一彼らに見せてみましたが、誰一人何の陣かわかる者がおりません。寇準が言いました。「やはり楊六郎を召し出してはいかがでしょうか。」楊六郎は命令を受けると、兵を率いて都に赴きます。そして図を受け取り、しばらく眺めてから言いました。「この陣は確かに複雑でございます。私が自ら陣前に赴いて見てみないとわかりません。」楊六郎はすぐさま兵を率いて九龍谷に赴きました。
蕭天佐は楊六郎が陣を見にやって来たのを目にして、全軍に軍令が行き渡るようにし、各陣の守将に声を揃えて掛け声を揚げさせます。蕭天佐が旗をふると、それに合わせて砲声が響き、まるで山が崩れ津波が押し寄せるかのように陣形が動き始めました。その変化の様子は予測しがたく、殺気に満ちあふれています。
六郎は陣前にやって来て長い間陣形を眺め、部下に対して言いました。「私は今までいろんな陣を布いてきたが、こんな変わった陣法は見たことがない。八門金鎖の陣にしては、門の数が六十四個多い。迷魂陣にしては、玉皇殿があるのがおかしい。確かに至極奇怪な陣形だ。私にも何の陣なのか見破れない!」王全節が言いました。「将軍にもわからないとなれば、見破られる者などおりますまい。これは一体どうすれば良いのでしょうか?」六郎が言いました。「私の母はずっと戦に出て、長い間戦場で過ごしてきたから、もしかしたらこの陣を知っているかもしれない。やはり見に来てもらうことにしよう。」
蕭天佐は敗北して幽州に逃げ戻ると、蕭太后に楊家将が復帰したことを話しました。蕭太后は楊六郎が死んでいなかったことを知ると、不安で居ても立ってもおられなくなり、全国各地にお触れ書きを発し、才能を持つ人を募集したのでした。
ある日、幽州城の番兵が椿岩という人を蕭太后の御前に連れて来ました。この人が城門に貼ってあったお触れ書きをはがしたというのです。実は、椿岩は自分の師匠である呂客を推薦にやって来たのでした。蕭太后はただちに呂客に昇殿するように伝えさせます。呂客がやって来ると、蕭太后は彼がさわやかで知的な風貌であるのを見て、奇才であるに違いないと思って尋ねました。「先生は仕官なさりたいのですか?」呂客は答えました。「私は仕官に来たのではありません。ただ陛下が宋と戦われると聞き、一臂の力をお貸ししたいと思ったまでです。」蕭太后は大喜びし、更に様々な攻守の策略を尋ねると、呂客はすらすらと返答します。そこで蕭太后は呂客を登用し、ともに宋を討つ計略を協議することにしました。
さて真宗はと言えば、汴梁に戻った後もずっと魏州で包囲された屈辱が忘れられませんでした。この年の春、彼は軍臣の反対を顧みず、王全節を南北招討使に任命し、遼国討伐の兵を起こさせます。
蕭太后はこの知らせを聞くと、すぐさま呂客を呼んで対策を協議します。呂客が言いますには、「小生は布陣に長じておりますので、今すぐ大陣を布きさえすれば、宋の君臣の心胆を寒からしめ、頭を下げて投降させることができましょう。」蕭太后は大喜びし、そこで全国から兵馬を調達し、また近隣の五つの国から兵を借りて、五十五万の大軍をかき集め、呂客に指揮させることにしました。呂客はこれらの兵馬を率い、九龍谷に凶悪な陣を布き、そうして宋軍に挑戦状を送りつけたのでした。
王全節は遼軍の挑戦状を受け取ると、次の日に部下を引き連れて陣を見に行きましたが、陣の中に陰気が満ちあふれ、殺気がみなぎっているのが感じ取られるのみです。王全節はこれが何の陣であるのかわからず、敵陣の情景を図にして描かせ、夜を徹して汴梁まで届けさせ、真宗に上奏させました。真宗は文武の大臣を招集し、陣形の図を逐一彼らに見せてみましたが、誰一人何の陣かわかる者がおりません。寇準が言いました。「やはり楊六郎を召し出してはいかがでしょうか。」楊六郎は命令を受けると、兵を率いて都に赴きます。そして図を受け取り、しばらく眺めてから言いました。「この陣は確かに複雑でございます。私が自ら陣前に赴いて見てみないとわかりません。」楊六郎はすぐさま兵を率いて九龍谷に赴きました。
蕭天佐は楊六郎が陣を見にやって来たのを目にして、全軍に軍令が行き渡るようにし、各陣の守将に声を揃えて掛け声を揚げさせます。蕭天佐が旗をふると、それに合わせて砲声が響き、まるで山が崩れ津波が押し寄せるかのように陣形が動き始めました。その変化の様子は予測しがたく、殺気に満ちあふれています。
六郎は陣前にやって来て長い間陣形を眺め、部下に対して言いました。「私は今までいろんな陣を布いてきたが、こんな変わった陣法は見たことがない。八門金鎖の陣にしては、門の数が六十四個多い。迷魂陣にしては、玉皇殿があるのがおかしい。確かに至極奇怪な陣形だ。私にも何の陣なのか見破れない!」王全節が言いました。「将軍にもわからないとなれば、見破られる者などおりますまい。これは一体どうすれば良いのでしょうか?」六郎が言いました。「私の母はずっと戦に出て、長い間戦場で過ごしてきたから、もしかしたらこの陣を知っているかもしれない。やはり見に来てもらうことにしよう。」