「ポッカリ月が出ましたら
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
沖に出たらば暗いでせう、
櫂から滴垂る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう。
---あなたの言葉の杜切れ間を。
月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。
あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
---けれど漕ぐ手はやめないで。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。」
いや~、良い雰囲気ですよねえ。
この詩は死後出版された「在りし日の詩」に収められてる詩なんだけど
なんか、いろんなことを乗り越えてきた後の静寂感というか、
嵐をくぐり抜けた後のぬくもり感というか、
激しい感情を経験した後の慈しみ感というか、
そんな感じの慈愛にあふれた詩ですなあ。
「昔 私は思つていたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと
今私は恋愛詩を詠み
甲斐あることに思ふのだ」
と、中也本人が別の詩でうたってたけど
人を愛するという気持ちも
ヒトの立派な感情の一つであるからにして
ホント、まったく愚劣ではありませぬぞよ。
ただ好きだとか、そんな感じだけだと
ちょっと、辟易しちゃうけど
いろんな経験を乗り越えたあとの
こういった感情は
すごく大事なことのように
感じまする。