以前から狙っていた焼岳北面台地へスーパーテレマーカーミット君と行って来た。北面台地とは黒谷、白水谷に挟まれている緩やかな台地である。出発時間が遅く、9時登山口発となってしまった。
夏の登山道の入り口手前から右の林道に入り最終巨大堰堤を越えたら台地に取り付く。悪雪の急斜面を登りきり台地に登りあげ、快適な疎林を登っていると背後に笠ヶ岳、左手に西穂高が見えてくる。なんとも雰囲気の良いところだ。こんな素晴らしいところがあるなんて、まさに別天地である。
標高も1800mを超えると木も少なくなってきて雪も硬くなってきたので僕はクトーを付けるがミット君は持っていないので苦労して登っている。
時折雪崩の音がする。あまり気持ちいいものではない。
右手に黒谷が見えるので偵察しながら滑れないか見ながら登った。実に快適そうで美味しそうな谷である。
しかし、時間はすでにお昼で気温も随分高くなってきた。標高2000mを超えたところで雪崩の危険を感じたので、この辺で今日はやめとこう。滑るのも黒谷はもう少し早い時間ならともかく、雪崩がおきそうだったので北面台地を滑り降りることにした。右手に素晴らしいシュートがある。そこにまず、ミット君から飛び込んでもらった。やはり素晴らしい滑りである。次に僕が飛び込んだ。超快適斜面である。近くにこんな所があるなんて。今まで知らなかったことが情けないくらいだ。最終堰堤まで滑り降り黒谷を見ると、今朝はなかった雪崩が発生しているではないか。やっぱり黒谷を滑らなくてよかった!ホッとミット君と顔を見合わせた。僕たちの判断は正しかった。あっという間に登山口に到着。スキーは速い。またどっかいこうとと誓って別れた。ミット君の素晴らしい滑りをご覧ください。
</object>先週の救助訓練で撮影した写真で1枚いいのがあったので、試しに読売新聞の写真を投稿するページがあったので送ってみた。
しばらくして読売新聞の方から電話がかかってきて、秀作に選ばれスクープ写真としてHPに載せるという連絡があった。まさか選ばれるとは思っていなかったので、嬉しくなった。来月、月別のコンテストに出すということである。写真の知識など無く、闇雲に撮り続けているが、これからもいい写真を撮れるように精進するのみである。
僕の家からロープウェイ方面を見ると山肌が崩れ落ちている跡がよく見える。これは明治22年7月24日に外ヶ谷右岸が大崩壊した跡である。新穂高は全国有数の風光明媚なところであり、北アルプスの雄大な自然のふもとでもある。しかしその分険しい山々に囲まれて昔は住むのに厳しい環境の所でもあった。今は亡き僕の祖父がよく語っていたが外ヶ谷や足洗谷は雨が降るたび土石流が押し寄せて来たそうである。まさに新穂高の歴史は砂防の歴史と言っても過言ではない。僕が子供の頃は少しでも雨が降ると、学校へ続く道のゲートが閉まり自宅で待機することがよくあった。また五六豪雪の時は学校の近くの民宿に泊まりそこから通ったりもした。
現在はトンネルが二つも出来てゲートも無くなった。交通の便は飛躍的によくなったことに感謝である。
今日、新穂高の観光案内所に用事にいったところ、中崎山荘が跡形もなく取り壊されていた。この地は大きな谷が合わさる場所で大雨が降り土石流が発生した場合大変大きな災害が発生する可能性があるため現在大規模な砂防工事が行われている。その為この場所に建つ中崎山荘は移転を余儀なくされたのである。大変歴史のあるこの宿が無くなってしまったことはとても寂しい。
新穂高温泉の元は蒲田、穂高、槍見、宝、中崎と5つに別れていたそうである。昭和26年に中崎山荘の先代が木材業を営む為にこの地に入りましたが、年々増える登山者のために山小屋を開くことを決意され、昭和32年山荘を建てこの地の名前をとり中崎山荘と名づけ営業を開始されたそうである。同時に、新しく始まり発展する穂高、という意味を込め「新穂高温泉」と命名されました。
何もなかったこの地をここまで発展させてきた先代達のおかげで今の新穂高があるのである。この地に生まれ育ってきた僕ですが、地名の由来など全く知らなかった。新穂高の歴史を知ることで、さらに愛着が増し、大切にしていかなければといういう気持ちが一層強くなった私でした。
新穂高は昨今、スキー場もなくなり、冬のお客さんは昔に比べとても少ない。なんとか冬のお客さんに楽しんで戴ける遊びはないかと考え、今日新穂高温泉観光協会で、スノーシューとネイチャースキーの体験トレッキングを行った。今年が初めての行事だったのでよそからのお客さんに紹介する前にまず、地元民に知ってもらうために、対象者は新穂高で旅館の経営者や従業員である。
天気も好くまずまずのコンディションの中、ネイチャースキー班、スノーシュー班に別れそれぞれ散策を始めた。僕はスキーの方のガイドをした。みんなこのスキーは初めての方ばかりではじめはゲレンデスキーとの違いに戸惑っていたがすぐに慣れ雪の上での歩きやすさに驚いていた。約2時間のトレッキングだったが、みんなとても楽しんでくれたようで、この企画の言いだしっぺの僕はホっとした。来シーズンは一般のお客さんを対象にして新穂高の冬の遊びを楽しんでいただきたい。