この岳に生きる

「この岳に生きる」とは僕の所属する山岳救助隊の記念誌の題名です。 北アルプス飛騨側で山と共に生きている僕の見た風景です。

2009-12-31 14:10:43

2009年12月31日 | インポート

2009年、大晦日。この1年もあっというまに過ぎてしまった。

人生なんて長いようで短い。来年も完全燃焼の毎日を送りたい。

皆さん、今年もお世話になりました。皆さんにとって来年が充実した素晴らしい1年になる事をお祈りしたいと思います。来年もよろしくおねがいします。ありがとうございました。

12月にニッポン放送(ラジオ)の取材を受けました。その時の放送した内容がニッポン放送のHPに載っていますので、暇な方はご覧下さい。

上柳昌彦のお早うGoodDay!

P1130410_2 来年も素晴らしい年になりますように。


月夜まわり

2009年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

「月夜まわり」という言葉がある。初めて聞く方もいると思うが、月齢の高い満月に近い夜は雪が降りにくい。という言葉である。信じられない人もいると思うが、本当にそうなのである。気圧配置は冬型で大雪が降ると天気予報でも言っているのに小雪しか降らない。なぜなのか学者が研究して欲しいくらいである。

昨年はせっかく冬型の気圧配置だったのに月齢の高い時にタイミングが合って雪がとても少ない年だった。

今週末も雪予報だが満月に近づきつつあるので多分あまり降らないだろうが、「月夜まわり」がはずれて、たくさん雪が降って欲しい。


本日のトレ

2009年12月22日 | 日記・エッセイ・コラム

Caso7zit_3 ダブルアックスで登る。

今日は同じ救助隊員のK村氏とアイスクライミングの練習をしようと思い、近所の堰堤へ氷の様子を見に行ってきた。林道をスノーシューを履いて歩き出すが、降りたての雪で膝までのラッセルだった。

いつもの凍る堰堤はまだまだ、氷は薄くとても登れる状態ではなかった。さらに上の堰堤まで行ってみたが残念ながら凍りは未発達である。

今回は体力作りと割り切って林道を1時間半ほど歩いた。車まで戻って、コレで終わるのは物足りなさ過ぎるのでK村氏と雪のついたよう壁でトレすることにした。コンクリートの隙間にダブルアックスとアイゼンの爪を引っ掛け、何度か登ってみた。それなりにいいトレが出来た。何事もやってみなければ始まらない。結構面白かったが、早く本当の氷を登ってみたい。


アイストレ

2009年12月21日 | 日記・エッセイ・コラム

ビックアリーナの人工壁でアイスクライミングの練習用に板が取り付けられたので、先輩にご指導を仰ぎながらトレしてきた。久しぶりのダブルアックスの感覚を確かめるように登ったが、上腕がすぐにパンプして力不足を感じた。明日からは八ヶ岳の予定だったが大雪のため中止となってしまったので次回の為にトレーニングを積んでおこうと思う。

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1泊北陸旅行

2009年12月14日 | 旅行記

P1020241_2 いとこのお兄ちゃんと。

カミさんの実家の会社で、毎年忘年会を兼ねて、親睦旅行を行っている。僕たちの家族も呼んで頂いたので、ありがたく参加させていただいた。しかし、当日の朝、娘が熱を出してしまい、カミさんと娘は行けなくなってしまった。1番楽しみにしていた二人だったのに残念な事になってしまったが、僕と息子は参加させていただいた。息子は旅行に行く前日から祖父ちゃんの家に泊まっていた。子供6名、大人13名、総勢、19名は、4台の車で朝9時半神岡を出発。まずは、富山のバッティングセンターで練習したりゲームをして遊び、次は高速に乗り石川県をめざす。ゆのくにの森で、いろんな体験などしてあそんだ。僕は3回目、息子は2回目で、今回はグラスに絵を描く体験をしてみた。2時間ほど遊んで今夜の宿に向かった。今夜の宿は、ゆのくに天祥。とても大きな宿でお風呂もかなり充実していた。宴会は日頃お世話になっている親戚の方々と語り合って飲み、とても楽しい宴会となった。

P1020263_2 トラを前に引きつる息子。

息子はイトコのお兄ちゃんが大好きでずっと一緒に遊んでいた。夜中も中々寝ず、結局1時間ほどしか寝なかったらしい。風呂に何度も入り、大人用の整髪量を大量に付けてとても親父臭かった。朝も僕はまだ寝ているのに、バタバタと走り回り勘弁してくれという感じだった。とにかくテンション上がりっぱなしで今回のメンバーの中で1番楽しんでいたようだ。

次の日は、石川動物園へ行き、昼食は海鮮丼が食べたいとう事だったので、9月にも行った金沢近江町市場の山さん寿司へ行く事にした。

みんなは海鮮丼を注文したが僕は前回食べているので、今回はウニイクラ丼を頼んだ。

P1020322 山さん寿司のウニイクラ丼。

さすがにネタは新鮮でピカピカ輝いていて絶品だった。カミさん、娘には申し訳ないが美味しく頂きました。

お腹が膨れると息子とイトコのお兄ちゃんは、さすがに眠たくなってきたようで車に乗ると二人とすぐに爆睡してしまった。

あとは寄るところも無く一路神岡へ帰ることになった。今回も親戚集と親睦を深める事が出来た。大変お世話になりました。ありがとうございました。


沖縄旅行(ダイビング編)

2009年12月08日 | 旅行記

Pc020074 先日の沖縄旅行のダイビングの時の写真を昨日頂いた。

初めてのダイビング体験で始めはかなりビビッたがスモールフィッシュさんのお陰で安全に楽しく素晴らしい経験ができた。

今回の写真は全てスモールフィッシュさんが撮ってくれたものです。感謝です。

当日の天気は曇りでかなりの風が吹き荒れている。さすがに一時は中止を考えたがスモールフィッシュさんでは問題ないというので、当初の場所とは変更になったがやることになった。

Pc020007 誰かが屁をこいたわけではありません。

ダイビングスーツを着た後、ダイビングのまえにインストラクターの方からいろんな説明が行われた。ボンベの銜え方や耳抜き、めがねに水が入った時の出し方。などなど。不安があったが結構安全なものだと分かると少し安心感が出てきた。

説明が終わるといよいよ本番。今回は全部で11名。経験者も何名かいる。その人たちは余裕の表情であるが、僕は少し緊張気味。歩いて2分、海岸に着いた。波は結構高い。酸素ボンベや、錘、足のヒレ?を装着し海に入る。始めは冷たかったが、直ぐに慣れた。

Pc020096 みんなで記念撮影。

そこで少し話を聞いたあと、直ぐに潜らされた。水深2mも無い海底にクサリが張ってありそれを掴んで沖へと伝っていった。50mほど伝っていくと突然深くなっていてかなり僕はビビッた。マジかよ。もう帰らせてと思ったが後で笑いものになるので我慢してどんどん深いところへ潜っていった。息をしたり、耳抜きをしたりで必死である。確かに海は綺麗だがゆっくり見ている余裕は無かった。沢山写真を撮ってくれるので平静を装ってポーズをとった。後で聞いた話だが男の人でも怖くて泣き出す人もいるそうだ。

しかし、魚に餌を与えたりしているうちに、慣れてきた。そして、さらに深い水深約10mまで連れていってもらうと、そこには沖縄本島では1番の規模という珊瑚が広がっていた。

2 色とりどりの珊瑚。

すごい景色である。普段山しか見ていない僕にとって始めて見る夢のような世界である。少し珊瑚に触ってみた。グニュグニュして柔らかい感触にこれまた驚いた。

綺麗な熱帯魚も沢山いてテレビでしか見た事無い世界が目の前に広がって感動ものであった。約50分のダイビングが終わり、陸に上がった。

Photo カクレクマノミ。

イヤー。すごいです。

不安と驚きと、いろんな気持ちが入り混じった初めてのダイビング。貴重な経験が出来ました。

またやってみたいと思うし、今度はもっと余裕でやれそうな気がします。

沖縄の海、バンザイ。おわり。


北飛山岳救助隊50周年

2009年12月06日 | 山岳救助

Cayhogou_2  昨日は、僕の所属する北飛山岳救助隊の発足50周年の式典、祝賀会が拓かれた。出席者170名余、とても盛大なものとなった。

式典ではまず、9月の防災ヘリ墜落事故による犠牲者3名に対し黙祷を捧げ、各表彰式となり、隊への貢献者がいろんな賞を受けた。僕も勤続10年以上ということで高山市長から表彰していただいた。ありがたいことである。

来賓の祝辞では名簿にはお名前は無かったが飛び入りのような感じで金子衆議院議員が祝辞を述べられたり、約1時間半の式典だった。

引き続き祝賀会である。席次表を見るとなんと僕の席が超上座!県警本部長や本部地域課長などお偉いさんばかりで、なんとも場違いである。お酒に弱い僕だがこのときばかりは酔えなんだ。めでた(飛騨の謡)が出ると早速本部長に挨拶。名刺交換させていただいた。他にも多数の県議会議員、公安委員長、高山や、飛騨の各市長とにかくそうそうたる方々ばかりで改めて救助隊の存在意義の高さを感じた。

しかし、僕が嬉しかったのは懐かしい人たちとの再会であった。共に遭難現場に行き厳しいレスキューを行ったが異動などで山から離れている人たちも、この祝賀会に遠方からはるばるやってきてくれた。お互い再開を喜び当事の懐かしい話に花が咲いて何度も握手をした。

祝賀会が終わり続いて同じ場所で、今度は2次会である。2次会でも70から80名が参加した。今度はお堅い方はいないので少しは気楽に飲めた。が、突然僕に挨拶しろという命令が下った。マジかよ!何にも考えてないよ!しかも、次の方が終わったら僕の番ではないか。頼むで他の人にしてくれと御願いしたが、ダメだった。頭の中は真っ白!えーい!と腹をくくり、どうにでもなれとステージに上がった。何を喋ったか覚えてないが、本当に参った。

Cabkh43n 素晴らしい記念誌が出来ました。

50周年を記念して記念誌を発刊した。現在の隊員みなの手記やOBの方の思い出やコレまでの救助活動など、救助隊の歴史がぎっしり詰まっている。

コレを造った事務局の方の計り知れない労力には本当に敬服する。お疲れ様でした。

Caeu23zr 素晴らしいDVDができました。

今年で50年を迎えた救助隊だが、60年、70年とこれからも続いていく。

僕も微力ではあるが、少しでも力になれるよう、やっていきたい。

Cavs9knq ステージで喋る僕。あー怖かった。