この岳に生きる

「この岳に生きる」とは僕の所属する山岳救助隊の記念誌の題名です。 北アルプス飛騨側で山と共に生きている僕の見た風景です。

志賀高原スキー旅行

2012年03月31日 | 旅行記

2012032909260000_2 焼額山から一の瀬方面。

毎年春休みに家族旅行に行っているが今年は志賀高原へスキー旅行へ行ってきた。

たまには大きなゲレンデで思いっきり滑ってみたいという息子のリクエストだった。

初日、朝6時自宅発。朝から雪が降っているが志賀高原が近づくにつれ雪が激しい降りになってくる。9時志賀高原着。ゲレンデ近くのホテルで身支度をして早速滑る事にした。しかし雪はドンドン強くなってくる。もう前も見えない。風も強くなってきて娘はギブアップ。ホテルに逃げ帰ってまったり過ごす事にした。夕食後息子はナイターへ行きたいというのでまだ雪は強く降っていたが付き合うことにした。

2012032910030000 焼額山スキー場。

2日目。この日は快晴。前日の借りを返すべく9時前から4人で滑りまくった。気温も午前中は低く雪質は最高。

息子は飛ばしまくる。娘も付いてくる。カミさん必死。

広大なスキー場を思う存分満喫した。

午後からは気温も上がり雪が重くなってきたので3時前でやめることにした。満足でした。

スキー場を後にしこの日は長野市で宿泊。

2012033010450000 三日目。イチゴ狩りして帰ってきました。

来年も行きたいなあ。


また送別会

2012年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

Shakujou2 訓練ではたくさん教えていただきました。

今年は別れの多い春となってしまった。

山岳警備隊の中心人物で24年余り北アルプスで救助活動に当ってきた先輩が去ることになってしまった。

僕も救助隊に入隊させてもらってから17年になるがいつもその先輩隊員とは訓練、捜索、救助と必ず同行させてもらって頼りにしている方であった。警備隊員は異動は宿命でいつかは変わって行ってしまうが、寂しいものがある。

昨夜の送別会は過去の色んな出来事を皆で語りまたまたグッとくるものがあった。

先日の指導官の退官、今回の先輩の異動、なんだか時代が変わっていくなあとしみじみ思った。

大変お世話になりました。長い間ありがとうございました。


山岳医療

2012年03月26日 | 山岳救助

Dscn08511_2 独標の下り。

先日の乗鞍岳の遭難者は低体温症だった。

三角巾や人工呼吸、心マッサージなどの練習は何度となくやってきたが、低体温症の遭難者の対処の仕方は僕はまだまだ勉強不足である。

ちょっとした事は分かっていても実際できるか曖昧だ。

近所の山岳ガイドが僕にあるサイトを教えてくれた。それは山岳医療に関して専門的なサイトでまだ若いが優秀な女医さんが情報を発信している物であった。

山岳医療のあらゆることがリアルタイムで発信されていて低体温症についての図説など分かりやすくなっていて素晴らしい。

講習講義も白馬などで行っているようなのでいつか参加してみたい。

僕は医者や救命士では無いのでやれることには限界があるがヘリが来るまでの間、少しでも遭難者の為になれるよう勉強しなければ・・・。


退官記念祝賀会

2012年03月25日 | 山岳救助

2012032418200000 奥様と一緒に花束贈呈。

昨日は県警航空隊航空指導官の退官記念祝賀会へ出席しに岐阜市内のホテルへ行ってきた。

県内の遭対協や山岳ガイド、警察関係、さらに遭難して救助された方、など60名ほどが集まった。

指導官は約40年に亘ったパイロット人生に終止符を打つ訳だが、その間県内で発生した山岳救助で救った遭難者は800名近い。北アルプスの過酷な条件の中で常に緊張を強いられながらの操縦は大変なことだっただろう。

色んな救助活動に僕もヘリで行かさせてもらったが指導官の操縦は常に安心感があった。その卓越した操縦技術は日本でも5本の指に入るそうである。

僕も公私共に大変お世話になった。指導官の挨拶に僕もグッとくるものがあって必死に涙をこらえた。今は感謝の言葉しかない。お疲れ様でした。

祝賀会が終わったあとは、2次会、3次会。航空隊の若い人たちと飲みにいっていろいろ語りまたまた親睦を図れ楽しい夜を過ごせました。ありがとうございました。


中尾のガイド

2012年03月23日 | 新穂高の歴史

20100511_1161648_2 旧穂高小屋の前の中尾のガイド達。

北アルプスの麓に住む僕の中尾は、古くから多くの山岳ガイドを輩出してきた。

そんな中、飛騨の山岳界の大御所から昔の写真に写っているガイド達の中に一人だけ名前は分かったがどういう人なのか分からないと僕に問い合わせがあった。

その写真には左から杉本為四郎 今田由勝 中畠政太郎 内野常次(前) 今田竜次郎さんは有名なので詳しい事はわかるが、右端に写っている小瀬紋次郎のことが分からなかったらしい。

101_0420_2 100年近く前の写真。

小瀬といえば僕の母の旧姓。母に聞いたところ、僕の曾祖父の弟だった。

中尾のガイドで北アルプスの初登頂がいくつも成し遂げられたりしてその活躍ぶりは有名である。そんな先人達を誇りに思い、僕ももっと精進しなければと思った。

大御所のブログをご覧いただければ飛騨の登山史がわかります。

隠居の『飛騨の山とある日』

大御所は錫杖の冬季1ルンゼ初登攀者など飛騨を代表する僕の尊敬する岳人の一人です。


西穂へ。

2012年03月22日 | 山行記録

Imgp0676_2 白山と沈む夕日。

昨日から近所の山岳ガイド二人ととガイド研修で西穂へ行ってきた。

一日目は昼過ぎのロープウェイで上がり西穂山荘へ。午前中は結構雪が降っていたが登りはじめたら止んできた。

時間はあるので丸山まで写真を撮りに行ってきた。宿泊者は僕たちを入れて15名ほど。平日なのに結構いる。夕食後は支配人さんと飲みながら語り親睦を図る事ができてよかった。

Imgp0686 明るくなってきた。

本日、3時過ぎ起床。朝食を摂ったりちんたら準備して4時半過ぎ山荘発。

天気予報は好く晴れると言っていたが外はビュービュー風が吹いている。丸山を過ぎてからは凄まじい風。体を持っていかれるので耐風姿勢をとりながら暗闇を登り続けた。そのうち風は弱くなるだろうと思っていたが甘かった。

Imgp0690_2 夜が明けてきた。

1時間で独標着。

ここでロープを出しコンテで進む事にした。

雪は締まってアイゼンがよく利く。

稜線は風が巻いていてバランスをとるのが必死。一時も気が抜けない。目出帽が鼻や口に引っ付き窒息しそうになる。勘弁してほしい。

Imgp0708 細い稜線。

でも頑張ってピッタシ3時間で西穂山頂着。

写真を撮ったらさあ帰りましょう。下りは登り以上に慎重に下った。

独標から下は朝より風が強くなっていた。

ホウホウノテイで逃げ帰った。実際他の登山者は四つん這いで下っていた。

山荘で一服して帰りました。今回も良いトレーニングになりました。おしまい。


初スキー大会。

2012年03月20日 | 子育て

P1110300 スタートに立つ息子。

今日は、息子が初めてスキー大会に出場した。

今日まで毎週日曜、練習に励んできた。

先生は地元の元レーサーのお父さん達が、雨の日でも一生懸命教えてくれた。

レース直前の息子は慣れない雰囲気に緊張して体はガチガチだった。深呼吸しろと言っても耳に入っていない感じ。

結果は17人中15位と散々だったが完走することができた。

P1110302 スタート!

今回初めて、スキーのレースに挑戦してみた息子。

来年も必ず出場すると言っていた。練習も頑張ってやるといっていた。子供のやる気は大事にしてやりたい。

平湯ジュニアの先生方、今後ともよろしくお願いします。ありがとうございました。


息子の好きなもの。

2012年03月17日 | 子育て

Imgp0646 最近、息子がヘリコプターにはまっている。

音がするだけでも外へ飛び出して空を眺めている。

先日も鍋平に飛来した時もヘリポートへ速攻で駆けつけ興奮気味で眺めていた。近所のヘリ博士アキ兄に色々教えてもらって本やDVDまで借りて見ていた。

僕としてはヘリでの山岳救助にも少しは興味を持ってもらいたいが今はまだいいだろう。

P1110260息子が 学校で友達と作ったヘリ。


山の写真

2012年03月16日 | 今日の槍ヶ岳

P1110244_2  ジャンダルム飛騨尾根。

夕方、夕焼けに染まる山の写真を撮りにいったが、イマイチ綺麗な夕焼けにならなかった。

もっと迫力のある山の写真が撮れるようになりたいなあ。

P1110254 西穂高西面。

なんだか写真が暗い。露出を操作したが今度は明るくなりすぎた。

写真は難しいものである。