この岳に生きる

「この岳に生きる」とは僕の所属する山岳救助隊の記念誌の題名です。 北アルプス飛騨側で山と共に生きている僕の見た風景です。

2011-03-28 18:54:47

2011年03月28日 | 子育て

2011032813470000 復興を願って。

被災地の人たちの為に自分は何が出来るか。

現地へ行くことはできない。募金や自分のやるべきことをやることやるしかないだろう。

子供たちにも聞いてみたら支援物資を送りたいということだった。

丁度、市でも支援物資の受付が始まったので早速送る事にした。

自分たちの小遣いでインスタント麺を買い込みダンボール箱に詰め込み所定の受付所に届けてきた。読まれるか分からないが二人とも手紙を書いて入れていた。

ほんの僅かな物資だが少しでも被災者の方たちの支援ができたらいい。

困った時はお互い様という精神は大事にしてほしい。


2011-03-23 11:44:27

2011年03月23日 | 子育て

P1060611 すました顔。

先日娘の音楽教室の発表会があった。

通い始めてから来年で3年目になるが根気良く通っている。出来なくてカミさんに叱られ泣きながら練習していた事もあったが、出来ると嬉しいらしくなんとか続けている。

発表会では楽しそうに歌ったりエレクトーンを弾いていたのでよかった。

辛いだけじゃ中々続かないが楽しそうにやっているのでよかった。


2011-03-20 17:26:56

2011年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

原発の影響で日本にいた、外国人が次々と帰国しているようだ。僕達は日本を捨て外国に逃げてしまうことなんて出来ないが、最悪日本に住めなくなってしまうような事になるのだろうか。

そうならないように必死の対策が取られているが、原発の事故現場で必死に作業に当っている方には本当に有りがたく、頭が下がる思いで一杯だ。

目に見えない放射線という恐怖の中での放水や電気の復旧作業はまさに命懸けである。消防、自衛隊、東京電力、各機関の沢山の方々には最小限の被曝で済む事を願うし、感謝しなければならないと思う。


一丸となって。

2011年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

今日の奥飛騨は真冬に逆戻りし、雪の降る寒い日になっている。しかし暖房は普通に使えて不自由は無い。今も被災された多くの方たちは物資が乏しく大変な目に遭っていると思うと心が痛い。

こういう時、自分には何ができるだろうと考えてしまうが、毎日の仕事にベストを尽くすしかない。また少しでも被災地に物資が早く届くように、被災しなかった僕たちは買いだめや、不必要な物の消費は我慢したい。

原発も気が収まる時が全く無いが、何があっても落ち着いてパニックにならないように行動しなければならない。

被災地が少しでも早く復興し、素晴らしい日本を取り戻すために、一人一人が自分さえよければ良いという考えを捨て、力を合わせていかなければならないと思う。


2011-03-12 21:31:48

2011年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

P1060546 コンクリートが割れた。

未曾有の大地震が日本を襲った。

この先日本はどうなってしまうのだろう。

我が家もグラスや茶碗、ビン類が大量に割れた。

コンクリートの壁にもヒビが入ってしまった。恐怖を感じるほどの横揺れだった。

宮古には僕の友人がいる。連絡など付くはずがない。心配している。

巨大地震の前に人間は、なす術は無い。


輝山 平湯峠から

2011年03月10日 | 山行記録

Terasiyama_4 本日のルート。赤登り。青スキーで下り。下りでもスピードの遅い箇所は赤。

本日、穂高UJ君と輝山へ山スキーに行ってきた。輝山は飛騨の山スキーのクラッしくルートである。

朝、9時。平湯トンネル西側から登り始める。いつもは南尾根から最短距離で登るが今日は平湯峠から挑戦してみる事にする。僕もUJ君も初めてのルートである。

2011031010500000_2 まるで真冬の雪。

ここ三日間くらい雪が降り続いていたので、歩き始めてすぐから靴上ラッセルである。先が思いやられるが車道をモクモクと平湯峠目指してラッセルである。気温-10℃。

約1時間で峠着。

ここから尾根に取り付き山頂を目指すが、ドンドン雪が深くなってきて膝上のラッセルとなった。とても3月の雪とは思えないフカフカの雪でラッセルは厳しい。UJ君と交代しながら登っていくとピラミッドと言われる平湯から良く見える少し剥げた斜面に出た。ここを輝山と思っている人も多いが、本当の輝山はまだ先。

2011031012130000 ここはラッセル地獄。

もう勘弁して欲しいラッセルだが今シーズン最後かもしれないラッセルを充分楽しもうと思った。

南尾根から登るよりも約1時間余分にかかったが、3時間半で山頂に着いた。

ガスも取れて真っ青な青空が広がって降雪直後の山々は輝いていて綺麗だった。

さあ後はパウダーをゲットして楽しい滑りだ。

下りは南尾根沿いに滑り込むとする。

僕が先頭で行かさせてもらったがなんだか様子がおかしい。いつもの伐採地が出てこない。マズイ。どうも間違って降りていることに気が付いた。速めに引き返さないとエライことになるのでシールをつけて再び山頂へ引き返すことにした。

いつもと違う尾根から登っているのにいつもと同じ感覚で降りてしまった。全くおかしなことをしまって反省。UJ君にも余分なアルバイトをさせてしまった。

2011031012160000 山頂付近から北アルプス。

気を取り直して今度こそ南尾根にドロップイン。ようやく気持ち良く滑ることができそうだ。

途中いつものO森君と電話をしたら近くのスキー場で滑っているということだった。

O森君は昨日まで3日間、山へ訓練にいっていたので今日は誘わなかったがスキーをしているなんてこの人もタフである。

滑って下るにしたがい段々雪が重くなってくるが、快適に滑り降りていく。

2011031013530000 快適南尾根。

車道に着くとO森君が登ってきて待っていてくれた。物好きな人である。

終始厳しいラッセルだったが初めてのルートから登れて楽しかったです。

UJ君ありやと。

O森君いっつもありやと。

 


2011-03-03 19:28:54

2011年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム

2011030222400000 ぐっすり眠ってる。

最近、この近辺で地震が続いた。

震度4が連続して起きたり体に感じる余震がしばらく続いた。ニュージーランドの地震も影響してか皆、敏感になっている。

子供たちも自分なりに地震対策をしていた。

娘と息子は寝ている間に地震が起きても大丈夫なように自分たちの学習机の下にもぐりこんで寝ることにしていた。

机の下には非常食、ティッシュ、ジャンバー、昔の思い出の写真、さらに閉じ込められても助けが来るまで暇じゃないようにマンガも沢山入れていた。

2011030222400001 こんな所でよく寝れるなあ。

面白半分でやっていると思うが、本当に地震が起きたらビックリして飛び起きて頭をぶつけるだろう。