昨日、焼岳の登山道を歩いていてとても気になることがあった。
木に付けられた赤の紐やテープである。これは雪で登山道が埋まっている時期に登山者が帰りの目印として付けられたものである。
それが回収されずにそのまま残っているのであるが、用をなしていない今となってはただのゴミである。本来ならばそれを付けた登山者は下山時の為に付けているので帰りはそこを通っているはずであるのに、なぜ回収していかないのだろう。全く自分勝手なことだと思う。ゴミを持ち帰らずに捨てていっているのと同じだ。
あまりにも目に付くので目に付いたものは僕が回収してきたが、たくさんあるので段々腹が立ってきた。自分でつけたら自分で回収。当たり前である。
今年初の焼岳参りにゴローと行ってきた。
上部は雪が多く昨年の3倍はあるだろう。
9時半、登山道入口発。今日はチョンボせず、下から歩き出すとすぐにエンレイソウがあり盛りだった。イワカガミの群生も花を咲かせていた。
今日はなんだか体が軽い。ゴローと一緒にスイスイ登っていく。
標高1800mを過ぎたあたりから雪が出はじめた。これは今年は雪は多そうだ。
しだいに登山道は完全に雪の下になってしまい、道は無くなったがこの山は熟知しているのでなんてことはない。ろくに休みもせず秀綱神社に着いた。
やはり雪は多い。いつもなら鳥居は大方出ているはずなのに頭しか出ていなかった。今年もやってきましたと安全登山を祈願した。
神社から上部も完全に雪に埋もれていた。1mは雪がある。雪はスベスベ。快適に直線にルートを取り夏よりずっと早く登る事ができる。
展望台に着いたが今日は快晴なのに誰もいなかった。
眼下に上高地が見えたが新緑の時期で散策するには良さそうだ。
ゆっくりしている暇も無いのですぐに下山開始。
下山は超スピードで走って秀綱まで降りた。時間は10分であった。新記録である。歩くより走ったほうが楽である。
登山口入口近くになると今まで僕の後ろを歩いていたゴローが僕を抜いて、そそくさと行ってしまった。
こいつも小心者である。
←去年は僕の方を向いてくれたが大きくなったら無視である。なんだか冷たい横顔のゴロー。
今日もそこそこ運動になった。
下関からの帰り、飛行機が飛ぶまで時間があったので中州のキャナルシティにあるラーメンスタジアムへ行ってみた。
8店舗ある中でどの店に入ろうか迷ったが、せっかく博多にきたので博多トンコツの店、初代だるま、に入ってみることにした。葱ラーメンを注文してみた。麺は極細麺の固め。スープを一口飲んでみる。ごめんなさい。僕には豚臭すぎる!我慢してなんとか食べようと思ったが、僕には無理だった。これが本当のトンコツなのかもしれないが、味が分からなくてすみません。ほとんど残してしまった。
しかしお腹はまだ満たされてないので納得がいかない。次の店、六本木つけ麺淵という店に入ってみた。今度はスープに極太麺をつけて食べるタイプだ。ここのスープもかなりコッテリで極太麺がスープに絡みつくようであった。ここなら食べられそうでホットした。しかし、北陸や地元で食べるラーメンは本当に美味しいなあと感じてしまった。
ラーメン食べて、つけ麺まで食べたが僕はイケメンではありません。ごめんなさい。
11日から昨日まで山口県は下関に行ってきました。
今回の旅の目的はある人に会うことである。ちょこっと観光もしたけど。
ある人というのは僕が子供の頃山登りや車でいろんな所へ連れて行ってもらったりして、子供居ないそのおじさんにとって僕を、本当の孫のように可愛がってくれた人である。しかし、そのおじさんも近年病に罹り、最近病状がかなり進んできた。いつ逝ってしまうか分からない状況なのでおじさんの親戚の方が僕を呼んでくれたのである。
おじさんが小松から下関に移ってから遠くなってしまいここ2年ほど会っていなかったがその間、親戚のおばさんには僕の事をよく話していたようで、おばさんも気にかけてくれていた。今回は僕の家族も、そういう事なら是非行ってやりなさいと快く出してくれたので最期になるであろう、会いに行く事にしたのである。
夕暮れの海峡と大橋。
11日午前、小松空港から福岡へ飛んだ。博多から特急で小倉へ行き、さらに電車で下関まで。家を出てから7時間ほどだった。
下関駅では連絡をくれたおばさんが待っていてくれおばさんの車で早速病院へ。道中関門海峡や大橋がずっと見える。素晴らしい景色である。わずか幅700mほどの海をひっきりなしに船が行き来している。よくぶつからないものだ。海峡の景色は見たことなかったが本当に美しかった。
まもなく海岸沿いにある新しい病院へ着いた。おばさんに案内してもらって病室へ。病状が進んでいると聞いていたので、僕は緊張したが久しぶりに会うことができた。はっきりしないが僕の事は分かったようでよかった。おばさんたちも喜んでくれていた。こんな僕でも会って喜んでくれてよかった。病室にあまり長くは居れないので今日は程々に出る事にした。
それから、おばさんが下関市内をいろいろ案内してくれ僕はホテルへ入ったがまだ明るいし夕飯も食べなければならないので一人で歩いてみることにした。
船で関門海峡を渡って見ることにした。下関から対岸の門司までわずか5分である。門司はレトロな町で有名らしく下関とは全く違った雰囲気で静かであった。何も分からないので適当に歩いていると焼きカレーの看板が目立つ。どうやらここの名物らしい。それではとインド料理の店に入って焼きカレーとインドビールを注文した。カレーにチーズを乗せオーブンで焼いたカレーである。それだけである。家でも簡単に作れます。インドビールのキングフィッシャーというビールは美味しかった。お腹も膨れ程好く酔いも回り夕焼けも綺麗で潮風が気持ちよかった。1日目終わり。2日目に続く。
こんな町並みが続く。
下関2日目。朝9時前におばさんと待ち合わせ、再び病院へ。この日はおじさんが急遽転院することになりなんだか慌ただしくなった。僕は何も出来ないのでおじさんに付き添っていたがおばさんはいろんな手続きに追われていた。介護用の特殊なタクシーで転院する病院まで僕も乗って移動した。次の病院も響灘が見える小高い山の上で見晴らしは良かった。診察を受けたり説明を受けたりと午前中いっぱいかかった。おじさんも疲れたようで眠っていた。おばさんは午後から仕事なので僕も一旦ホテルに帰り、時間はあるのでレンタカーを借りて秋芳洞へ行ってみることにした。
車で1時間ちょっと。有名な秋芳洞へやってきた。平日なので観光客は少ない。1200円の入場料を支払い洞窟の中へ。洞窟の中は暗くて当たり前なのだが、ちょっと怖い。たまに他の観光客にあうとホットする。
しかし、中はとても広く洞窟の大きさには圧倒された。すごい迫力である。延々と整備された道が続いている。鍾乳石も綺麗だった。
まだまだ奥まで続いていたが、川の音も無くなり本当に誰もいなくなったので僕もこの辺で引き返そう。小心者である。
洞窟の次は秋吉台を見に行ってみた。洞窟の上に広がるカルスト台地である。
この景色も一度見てみたかった。独特の景色は中々美しかった。
これだけ見れれば充分なので下関に帰ることにして、も一度おじさんに会いに行ってみた。
次の日は帰るのでこれで会うのは最期だ。昔、山へ沢山連れて行ってもらったことのお礼を充分に伝えたつもりだが、聞こえているかは微妙だったが僕の気持ちは済んだ。もう少し元気な時に言えればよかったが仕方が無い。
大人になってからは会うこともかなり少なかったが、幼いころ山に連れていってもらった事は僕は一生忘れない。素晴らしい思い出を沢山与えてくれたおじさんには本当に感謝である。少しでも病状が回復する事を祈った。
そして、次の日帰路についた。
今日は息子とゴローとでワサビの葉を採りにいつも行く山へ行ってきた。
息子は初めてのワサビ採りで群生地までは険しい道のりで難所続きである。もちろん道など無い。
いつものように谷に下りるといきなり目の前に雪の壁が立ちはだかった。なんじゃこりゃと思ってさらに登ってみるとなんと雪崩が押し寄せてきた痕だった。
まじかよ。こんな景色ここでは見たこと無い。あたりはヒッチャカメッチャカになってデブリは2m近くありそうだ。もう止めようと思ったが息子は行く気満々である。まあ行ける所までいってみようと登り続けた。
雪崩地帯を抜け沢沿いに登ってゆく。所々小さなワサビがあると息子は喜んでいた。しかし、ニリンソウなど春の花がまだ咲いていない。今年はまだ早かったのだろうか。
段々急な斜面になって小さな滝も出てきて険しくなってきたので息子とロープで結び合って万が一に備えた。まだ雪が溶けたばかりで急斜面は崩れやすい。
やはりロープは必要である。何度かもう引き換えそうかと言ったがまだ行くという。今日は僕のほうが根性なしだ。
なんとか群生地までたどり着いたがやはり盛りにはまだ早く、あまり多くはなかった。しかし、袋いっぱいに採ることはできてよかった。
しかし、まだ急斜面を帰らなければならない。登り以上に慎重に降りた。
核心部の写真は撮れなかったが険しい沢を息子は頑張って登った。大人でも結構大変なのぼりである。何度か転び泥だらけにはなったが楽しかったと言っていたので、今度はワサビの盛りの時にまた行こうか。
GWも終わりようやく畑仕事に取り掛かれる時間が取れるようになった。
昨日は天気もよく朝から張り切って畑仕事に取り組んではかどると思っていたが、山林火災が発生して消防団で出動しなければならず、結局あまり出来なかった。仕方が無い。
今年も昨年と同様にいろんな野菜を作ってみようとおもっている。荒地だったところを畑にしてから年々土の質もよくなってきた。毎年根気と続けることは大事だ。
じゃが芋もやっとで植えつけることができたが、大きいのが出来るだろうか。やればやるほど難しいものである。
しかし、精魂込めて作った野菜が実った時の喜びは格別である。せっかく作ってもサルに毎年やられている。なんとか対策しなければ。