自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

堂々川が東京で

2012-03-18 12:11:24 | Weblog
のぞみ34号 14:31発
「堂々川を全国レベルにする」目標を持ち、
明治時代まで福山城のお濠の中にあったところにできた福山駅から東京へ立つ。
途中関ヶ原駅を過ぎたころ左の車窓に伊吹山?の雪をかぶっている姿が見えた。
5年間続けていた薬草教室を時代の知識に追いつけず、ついについに閉校することにした。
最後の講義を4月か5月に開くために調整している。
そのお祝いだろうか日本でも薬草が最高に多い伊吹山が見えた。



ふと隣の席を見ると可愛い女学生が薬学の本をひも解いていた。
この方と薬草談義をすることが出来たので時間が過ぎるのが早い。
いつもの事例で「どく虫」に刺されたら「ニラ」で始まり自説を話した。
そして新しい薬のことも少しだけ教えてもらった。
名古屋、静岡は「のぞみ」通りの速さであっという間に過ぎ、
富士川にかかると少し赤くなった富士の顔が見られてカメラを急ぎとり出した。





私の場合約5昔前から上京に際しては富士山と縁があり、
富士山を見て事例にあたるとすべて成功した経緯がある。今回もその事例にあたった。
小田原を過ぎた頃、富士は赤い夕映えの空に黒のシルエットを浮かべた。
福山より夕暮れがかなり早く東に来たのが良くわかる。



東京駅に着くと約束した人と待ち合わせして四谷まで、
東京の街がドレミの歌を歌ってくれる。うれしい一幕だ。


四分音符が踊りリズムを奏でる


さて、翌朝10時から「社団法人全国治水砂防協会」主催の
「砂防および地すべり防止講習会」で事例を交えた発表をした。
堂々川にはなぜ砂防堰堤の砂留が必要なのか。
花崗岩が崩落して真さ土になり、土石流が起き、砂留が埋もれる過程


4枚の写真で説明



堂々川の歴史をひも解き説明


広島県、福山市との連携、ホタルとのかかわり
御野小学校が「堂々川今昔」の本を使用して学習をしてくれたこと
そして堂々川最大の6番砂留脇にある碑にある歌の詠みを質問してきた。
それを会独自の試行錯誤の検証で
「安那の海は 彌砂の海と なりにけり 川とは見えす 埋もる砂留」
詠み
「あなのみは やすなのうみと なりにけり 川とは見えず うもるすなとめ」
と答えた。
またこの冊子「堂々川今昔」を無償で配布して、義援金の寄付を1口1000円で募った。

等などを交えて40分ほぼ時間通りで終わることが出来た。



砂防会館職員の皆様にお世話になり、集まった義援金11.000円を明日和歌山県平成23年台風12号災害義援金に送らせて貰うことにしています。

たったこれだけのことなのに、緊張した1カ月
終わってほっとした12時頃
砂防会館の近くで見た鳥

シジュウカラ?


すべてを忘れさせてくれる「ほっと」を与えてくれました。
本日の「トリ」はシジュウカラでした。