自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

桃の神様

2012-04-14 21:44:51 | Weblog
例年より1週間遅れてようやく桃の花が8分咲きになってきた。
今回の話は桃の秘話である。


桃の花を見る野鳥ヒワ


此処では満開になった桃の花


櫻より桃の花が遅く咲くのは珍しい


神辺下御領の八幡神社には桃の神様がお祀りしてある。


右上に桃之神と刻印あり


裏側の碑文を見ると読めない部分が多いので
この碑文を建立した可能性のある人が書いた書物から
推定の翻訳をする。推定等おかしいが今は真面目である。



本村において桃果樹園として経営を始めたのは明治23年下御領村出身の備中国小田郡新山村(現在の笠岡市)の長福寺住職長尾圓澄師が1673年の大土石流で荒れ果てた堂々川沿いの小松原を開墾して植えた桑が失敗した後の農地を借り、実兄諏沢禮助氏と共にナシを植えた。
ナシは玄米一斗=梨一貫と収益はよかったが数年したら赤星病が発生し壊滅。明治27年圓澄師は新しいことに挑戦し中国は上海から天津桃を輸入、交配技術を駆使して新種を作った。その中の一つに土用水密桃が出来、天下を風靡した。
御領桃は明治30年半には30余町歩に達した。又岡山県でも笠岡から玉島、倉敷と一大桃の産地になった。
土用桃であるが昭和30年代まで我が家でもこの種の桃の木はあった。
まずくはないが酸っぱさが多い桃であった。
ただし当時大久保なる種が出たため比較してのことである。
これはすべて長尾圓澄師の功績で御領桃と岡山桃は出発点では兄弟であった。


藪の中の秘話はここまで


今日、半日かかって圓澄師の実家や小松原を探したがわからなかった。
わかったのは国分寺の碑より南側



その先にあったと言われる道しるべ


石州ぎんざん道
九州おうくわん(往還道)


まだ南の堂々川沿いらしい。
らしいと書いておけば責められても逃げることが出来る。
いい言葉だ。

余談と言うより本当はこれが堂々川ホタル同好会の主張だ。
4月13日夜22時30分
堂々川の川の中
ホタルの幼虫が2匹
3mの石崖を登っていたが雨がやみ石崖が乾きはじめたので
1匹は川を目指して下った。
ピントが合っていんないので公表をやめた。
残りの一匹も回れ右して下り始めたので
やらせをして、ホタルの上から水をまいた。
又向きを変えて上昇を開始したので撮影。


レンズ開放5分間


そのホタルの姿は



見て綺麗な姿ではない。
今の顔形でホタル恋をしているのではない事を断わっておきます。