台風24号が来る前、金・銀木犀の花は少し強めの風に吹かれて
面白いように花を散らして地面の色を変えた。
金色に染める
銀色に染める
以前ほど香りはしなくなったがまだ残りの花が香っている。
後で述べる話で小学校を訪問した際子供たちにいも掘り体験をさせたらどうでしょうかと
校長先生に話をしたら是非にと云うことになったので早速芋を掘り、
何時掘るか日程を決めることになった。
備後自然栽培研究会の会長と
安納芋を試掘する
焼き芋にするには丁度良い大きさだ。
低学年の小学生がサツマイモ掘りに来ることになった。
いつの間にかこの会の役員兼コンサル兼広報まで担うようになっている。
用事を云われないうちに逃げるが勝ちと思っているが上手く逃れられるかどうか?
オリンピックが終わって、あれから半世紀、
アンタまだタダの仕事をするつもりと叱られながら遊びを探している。
相変わらず懲りない馬鹿な私です。
責任のない仕事、蝶と遊ぶのが最高だけれどいつまでも、
蝶が遊んでくれるとはかぎらない。
今日はツマグロヒョウモンの幼虫が来てくれたが!
今日のブログは昔の話が良く出るが
堂々川ホタル同好会は2006年4月発足以後から多くの人に会の中身を知ってもらうために
情報誌を会の定例会が済んだ後、実績と次の予定を書いて発行している。
2006年度の情報誌の名前「ホタル恋」はホタルよ来いと甘い期待の恋をかけてある。
この名前、あるブログ友のアドバイがあり付いた名前である。
今ではランクもトップクラスの人である。こんな人ともお付き合いが出来る幸せを感じている。
そして2年目、「ホタルン」
設立2年目と云うか1年目の3月といえば良いか
会の小学生が「ホタレンジャー活動」に応募、見事環境大臣特別賞をいただき
東京の環境省まで旅費、ホテル付きで6名参加した。
ルンルン気分が頭の中にありついた名前。
3年目、「黄色い光に魅せられて」
3年目となると堂々川でもホタルの飛翔数は多くなり、季節の6月には
多くの人が見に来てくれるようになった。
つまり、ホタルの光に会員も近郊の人も酔い始めた。
お年寄りを民生委員と共同企画で夜、招待した。
お年寄りはホタルの光になぜか郷愁を持ち「見たい行きたい」
が募っていたので良い企画になった。
同好会の会員も100人を超えた時代だった。
2009年「ホタルと花と環境と」
この年あたりから環境と云うジャンルが会を引っ張る人の中に生まれたと思える。
が残念なことに当時のコピーが出てこないので今日はここまで!
堂々川ホタル同好会の昔を思い出して新しいことを産みだそうと努力しているが
まだまだこの頃の考えは素人の域を脱していなかった。
でもヒガンバナを植え始めたのはこの年であった。
それを花で例えれば
ゲンノショウコの花
現に証拠がこの赤花と白花がすぐ近くに咲く不思議
昔からよく云われている話、
ゲンノショウコは60ヘルツ地域は赤花、50ヘルツ地域は白い花が通り相場だが
この地には赤と白が10cmほどしか離れていない。
どうも今日の話がもつれている原因が分かった。この赤白が問題だったのだ。
面白いように花を散らして地面の色を変えた。
金色に染める
銀色に染める
以前ほど香りはしなくなったがまだ残りの花が香っている。
後で述べる話で小学校を訪問した際子供たちにいも掘り体験をさせたらどうでしょうかと
校長先生に話をしたら是非にと云うことになったので早速芋を掘り、
何時掘るか日程を決めることになった。
備後自然栽培研究会の会長と
安納芋を試掘する
焼き芋にするには丁度良い大きさだ。
低学年の小学生がサツマイモ掘りに来ることになった。
いつの間にかこの会の役員兼コンサル兼広報まで担うようになっている。
用事を云われないうちに逃げるが勝ちと思っているが上手く逃れられるかどうか?
オリンピックが終わって、あれから半世紀、
アンタまだタダの仕事をするつもりと叱られながら遊びを探している。
相変わらず懲りない馬鹿な私です。
責任のない仕事、蝶と遊ぶのが最高だけれどいつまでも、
蝶が遊んでくれるとはかぎらない。
今日はツマグロヒョウモンの幼虫が来てくれたが!
今日のブログは昔の話が良く出るが
堂々川ホタル同好会は2006年4月発足以後から多くの人に会の中身を知ってもらうために
情報誌を会の定例会が済んだ後、実績と次の予定を書いて発行している。
2006年度の情報誌の名前「ホタル恋」はホタルよ来いと甘い期待の恋をかけてある。
この名前、あるブログ友のアドバイがあり付いた名前である。
今ではランクもトップクラスの人である。こんな人ともお付き合いが出来る幸せを感じている。
そして2年目、「ホタルン」
設立2年目と云うか1年目の3月といえば良いか
会の小学生が「ホタレンジャー活動」に応募、見事環境大臣特別賞をいただき
東京の環境省まで旅費、ホテル付きで6名参加した。
ルンルン気分が頭の中にありついた名前。
3年目、「黄色い光に魅せられて」
3年目となると堂々川でもホタルの飛翔数は多くなり、季節の6月には
多くの人が見に来てくれるようになった。
つまり、ホタルの光に会員も近郊の人も酔い始めた。
お年寄りを民生委員と共同企画で夜、招待した。
お年寄りはホタルの光になぜか郷愁を持ち「見たい行きたい」
が募っていたので良い企画になった。
同好会の会員も100人を超えた時代だった。
2009年「ホタルと花と環境と」
この年あたりから環境と云うジャンルが会を引っ張る人の中に生まれたと思える。
が残念なことに当時のコピーが出てこないので今日はここまで!
堂々川ホタル同好会の昔を思い出して新しいことを産みだそうと努力しているが
まだまだこの頃の考えは素人の域を脱していなかった。
でもヒガンバナを植え始めたのはこの年であった。
それを花で例えれば
ゲンノショウコの花
現に証拠がこの赤花と白花がすぐ近くに咲く不思議
昔からよく云われている話、
ゲンノショウコは60ヘルツ地域は赤花、50ヘルツ地域は白い花が通り相場だが
この地には赤と白が10cmほどしか離れていない。
どうも今日の話がもつれている原因が分かった。この赤白が問題だったのだ。