最近、イジメで自殺とかニュースで良く見る。
それに慣れてく自分が怖い。
もう時効だと思うが、私は小学3年~6年まで○田接骨院院長が開いていた○○館という道場で柔道を習っていた。
その後、相△原市の名誉何たらになったりして他界した先生だったが、ごく普通に小学生相手に気分で凄い事してたョ。
絞め技で泡ふく寸前まで子供の首絞めて「三途の川見えたか、見えたか?」って何人もやられて気絶したりして道場外のブドウ畑に放り出されるなんて「普通」。
いつも竹刀引きずって、指導中に思いっ切り叩いて脳震とう起こす子も当たり前。
竹刀で喉や腹を突いて苦しくてのた打ち回るの見て喜んでたしね。
あれ、今だったら思いっ切り児童虐待じゃないのかな?
(相△原市の汚点だと思うぞ)
わざと頭から落下するように、壁に向かってトモエ投げでドーンと真っ逆さまに叩きつけ、そのまま頭から板の間に落ちるのを見て喜んでた(何度やられたか…)し、ね。
この頃は学生運動に参加してた先生も多く、○沼小学校の同時期は「悪い事」すると吹っ飛ぶ位にグーで思いっ切り先生に殴られたしなぁ。
今あれやったら「体罰」って教師が罰せられるんだろうけど、実は物凄く正義感の強い先生で、叩かれようと殴られようとあれだけ生徒に慕われていろいろな善悪を教えてくれた本気先生って今は稀なんだろうなぁ。
上記2例だけでも、暴力の体罰と、善意の体罰という対極のパターンがある事を覚えている。
最近はヒックルメて「体罰」として目くじら立てる傾向が強いみたいだけど、どっかのアニメじゃないけど一度もぶたれないで立派な大人になる人間って、本当にいるのかな??(汗。
仮想世界で生活してる子供が増える中、人は物理社会に存在するんだから当然「痛み」は状況によって必要になるか、と。
その小学校の5年の時は酷かった。
お母さん先生だったようでストレスが溜まってるのか、男女区別なく「切れる」と生徒を一列に並べて連続往復ビンタが日常茶飯事だった。
これには生徒も反発してたが、悪く無くとも「ゴメンナサイ」と言うまで往復ビンタが止む事が無かったので恐怖を感じた。
中学は○野○中学校、米軍病院のヘリ騒音対策で県内初のアルミサッシが採用された学校。
体育の先生が怒ると殴る程度で私的には退屈な3年間でした。
それよりもフェンス一枚隔て、高校ラグビーで当時有名(現在廃校)だった相○台工業高校の生徒のカツアゲとか暴力が校外で多発してたので、そっちの方が危険を感じてたな。
高校に入ると、数年前にサッカーで2年連続県代表になった部の顧問が恐怖の対象だった。
今でこそ某獣医大付属のその高校は進学校として思いっ切りイメージチェンジしたが、校内をいつもズルズルとジャージで竹刀引きずって生徒を威嚇する教師はマジ怖かった。
その教師がサッカー代表になった時、顧問として記念写真に写ってたのを見て「暴力教師が顧問ってスポーツとしてどうなの?」って苦笑してしまった。
記憶では体育(剣道)の授業で数分遅刻した生徒を竹刀でめった打ちし、血だらけで動けなくなるまで続けてそのまま放置したりしてたもんな。
あれはどう解釈すべき体罰なんだろう?
非が生徒にあったとして、あそこまでやるのは明らかに行き過ぎだと思うんだけどなぁ。
結局のところ、良識を持った人間が何か誤りを正すために必要と思えるだけの痛みを与え、理由を納得させる事を怠らなければ「悪意体罰」では無いんじゃないか、アリじゃないかってのが持論だが、各要素が曖昧過ぎて難しい問題ですよねぇ。
因みに、その体育教師のおかげか当時の高校は生徒が教師に恐怖し、「校内暴力の無い学校」でした(笑。
「身体に善悪を教え込む」という発想がそもそも正なのか誤なのか愚民たる私には答えが出せませんが、少なくとも最近教壇に上がる先生達ってのは「体罰を受けずに育った世代」なんだろうなと推測します。
だからきっと生徒に対してどう接していいか判らず暴走するのかもしれませんね。
教科書に「生徒との接し方手順書」なんてマニュアルがあるワケ無いですから(笑。
それに慣れてく自分が怖い。
もう時効だと思うが、私は小学3年~6年まで○田接骨院院長が開いていた○○館という道場で柔道を習っていた。
その後、相△原市の名誉何たらになったりして他界した先生だったが、ごく普通に小学生相手に気分で凄い事してたョ。
絞め技で泡ふく寸前まで子供の首絞めて「三途の川見えたか、見えたか?」って何人もやられて気絶したりして道場外のブドウ畑に放り出されるなんて「普通」。
いつも竹刀引きずって、指導中に思いっ切り叩いて脳震とう起こす子も当たり前。
竹刀で喉や腹を突いて苦しくてのた打ち回るの見て喜んでたしね。
あれ、今だったら思いっ切り児童虐待じゃないのかな?
(相△原市の汚点だと思うぞ)
わざと頭から落下するように、壁に向かってトモエ投げでドーンと真っ逆さまに叩きつけ、そのまま頭から板の間に落ちるのを見て喜んでた(何度やられたか…)し、ね。
この頃は学生運動に参加してた先生も多く、○沼小学校の同時期は「悪い事」すると吹っ飛ぶ位にグーで思いっ切り先生に殴られたしなぁ。
今あれやったら「体罰」って教師が罰せられるんだろうけど、実は物凄く正義感の強い先生で、叩かれようと殴られようとあれだけ生徒に慕われていろいろな善悪を教えてくれた本気先生って今は稀なんだろうなぁ。
上記2例だけでも、暴力の体罰と、善意の体罰という対極のパターンがある事を覚えている。
最近はヒックルメて「体罰」として目くじら立てる傾向が強いみたいだけど、どっかのアニメじゃないけど一度もぶたれないで立派な大人になる人間って、本当にいるのかな??(汗。
仮想世界で生活してる子供が増える中、人は物理社会に存在するんだから当然「痛み」は状況によって必要になるか、と。
その小学校の5年の時は酷かった。
お母さん先生だったようでストレスが溜まってるのか、男女区別なく「切れる」と生徒を一列に並べて連続往復ビンタが日常茶飯事だった。
これには生徒も反発してたが、悪く無くとも「ゴメンナサイ」と言うまで往復ビンタが止む事が無かったので恐怖を感じた。
中学は○野○中学校、米軍病院のヘリ騒音対策で県内初のアルミサッシが採用された学校。
体育の先生が怒ると殴る程度で私的には退屈な3年間でした。
それよりもフェンス一枚隔て、高校ラグビーで当時有名(現在廃校)だった相○台工業高校の生徒のカツアゲとか暴力が校外で多発してたので、そっちの方が危険を感じてたな。
高校に入ると、数年前にサッカーで2年連続県代表になった部の顧問が恐怖の対象だった。
今でこそ某獣医大付属のその高校は進学校として思いっ切りイメージチェンジしたが、校内をいつもズルズルとジャージで竹刀引きずって生徒を威嚇する教師はマジ怖かった。
その教師がサッカー代表になった時、顧問として記念写真に写ってたのを見て「暴力教師が顧問ってスポーツとしてどうなの?」って苦笑してしまった。
記憶では体育(剣道)の授業で数分遅刻した生徒を竹刀でめった打ちし、血だらけで動けなくなるまで続けてそのまま放置したりしてたもんな。
あれはどう解釈すべき体罰なんだろう?
非が生徒にあったとして、あそこまでやるのは明らかに行き過ぎだと思うんだけどなぁ。
結局のところ、良識を持った人間が何か誤りを正すために必要と思えるだけの痛みを与え、理由を納得させる事を怠らなければ「悪意体罰」では無いんじゃないか、アリじゃないかってのが持論だが、各要素が曖昧過ぎて難しい問題ですよねぇ。
因みに、その体育教師のおかげか当時の高校は生徒が教師に恐怖し、「校内暴力の無い学校」でした(笑。
「身体に善悪を教え込む」という発想がそもそも正なのか誤なのか愚民たる私には答えが出せませんが、少なくとも最近教壇に上がる先生達ってのは「体罰を受けずに育った世代」なんだろうなと推測します。
だからきっと生徒に対してどう接していいか判らず暴走するのかもしれませんね。
教科書に「生徒との接し方手順書」なんてマニュアルがあるワケ無いですから(笑。
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