「勉強バカ」にはならないでくれ、と常々私は娘に対して思っています。「子どもの仕事は遊びだよ!」と、娘が小さいころには口にしてきました。
勉強はほどほどで良いから、きちんと自分の考えや気持ちを相手に伝えられるようになってほしい。そして、問題を発見し、自らの頭で考え、他者と協力して問題解決にあたってゆく力を養ってほしいと願っています。
さっきお風呂に入っていて、ふっと考えが浮かびました。「勉強バカ」とは、概念と現実をつなぐことができない人、ではないかと。
確かに、高学歴の人ほど、抽象概念を把握したり整理することにたけています。
けれど、そういう人の中には、抽象概念(机上)と、現実をつなぐことが不得手な人がいるに違いない、と。
いや、実際に居ました。かつて受け持ったあるアルバイトさんは、国立大、某東〇大の大学院の建築学部にいながら、仕事ができなかったのです。求めていた仕事は、住宅建築現場に行って、大工さんなどの仕事を逐一記録するというものでした。彼は、大工さんが何をしているか、分からなかったのです。
なぜそうなったのか、彼に聞いてみました。
彼は、中高一貫の私立で(もしかしたら小学校からかも)、勉強はいわゆる5教科ばかり、技術家庭科などはなかったとか。
勉強ばかりしているとろくなことにならないよ、と思った瞬間でした。
そうですね。
結局のところ、人生に無駄は無いというお話しでしょうか?
生きて行くのには、色々な事柄に対処する能力が
必要とされるので、小さな頃から特定の分野に
特化して英才教育を受ければ、その点では
他人よりも一歩も二歩もリードする事が可能ですが
欠けた部分も出来てしまうという事ですかね?
それに、偶々、先日妹と一緒に恵比寿ガーデンプレイスのローリーズで、ローストビーフを堪能して
カレッタ汐留のイルミネーション見物。
翌日は、築地でお寿司頂いて、有楽町で映画を観てと
年忘れ一泊旅行を楽しんで来たのですが。笑。
ごく一般的な大学から、東◯大学院へと進んだ
息子さんを持つ友人がいると妹が言っていました。
大学院は、必ずしも、その大学からの進学者とは
限らないので、学問的には優秀であることに
違いはないでしょうが、世間が思うイメージと
多少の誤差がありそうですよね?
「遊び」って、本当は、総合力が必要とされますよね?「無」から、「有」を生み出すチカラと言うのか?
何にも、道具らしい物が無くても遊べた昔の子供は
想像力と創造力に溢れていたんですね〜♪
こんばんは。
妹さんと、素敵な一泊旅行を楽しんでこられたんですね♪
いいなぁ~
都心のイルミネーション、素敵でしょう(≧∇≦)
私は今日はコーラスへ行って、憧れだけで手を挙げて
挑戦したソロがうまくいかず、
自分の身の程知らずに凹んできたところでした。
確かに、大学と大学院は別物です。
くだんの彼は、東〇大を卒業して一度社会に出た後
同じ大学の大学院に入りなおしたとのことです。
言葉が足りず、申し訳ありません。
くらべるのは良くないのですが、
同じ大学の学生さんも、何人か雇っていました。
そのほとんどは公立学校を進んできていて、
大工さんを観察しても、何をやっているかちゃんと
理解していました。
そして、学歴よりも大切なものは、
本人の自発的な意欲、と申し上げます。
これにまさるものなし!と思っています。
>「遊び」って、本当は、総合力が必要とされますよね?>「無」から、「有」を生み出すチカラと言うのか?
>何にも、道具らしい物が無くても遊べた昔の子供は
>想像力と創造力に溢れていたんですね〜♪
ほんとですよね~!
「人が自発的におこなうものは、すべて遊び」と
定義しているNPOがあります。
目からうろこがおちました。
その定義から行けば、私の毎日は、遊びです♪