知人に教わったので読んでみました。
『
ドキュメント ゆとり教育崩壊』
著:小松夏樹
中公新書ラクレ、2002年2月
ちょっと前の本なので、最新動向は
踏まえていないことに注意。
著者の小松氏は、読売新聞の記者でいらっしゃいます。
氏が、埼玉県の業者テスト偏差値問題を報道後、
教育とはしばらく遠ざかったセクションにいて、
ふたたび教育部門に戻ったら、
「ゆとり教育」が推進され、しかも揺り戻しが来ていたとのこと。
その有様を、つぶさに取材して
外部の目線で「なにがおこったか」を
描いておられます。
寺脇研氏がおっしゃっていた
ゆとり教育の本質、を示す言葉は一切出てきません。
(追記:わたし個人としては、この理念に共感しています)
目次を紹介します。
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序章 「よい」学校、「わるい」学校チェックリスト
第1章 「ゆとり教育」をめぐる戦後教育小史
第2章 一・五ショック—2001年1月、「ゆとり教育」の転換点
第3章 教科書検定の攻防—学習内容削減の経緯
第4章 学力って何だ—データが語る事実
第5章 そしてエリートの養成へ
第6章 教育の再生はあるのか
終章 学校が変わってきた
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どちらかというと、
ゆとり教育に伴って授業の時間数が減るために
授業内容(教科書内容)まで変な風に削ってしまった
文科省と世間の心配をめぐるドタバタ劇のレポート
と読めました。
公立校を週休5日制にして授業のコマが減る、
総合的な学習の時間が出来ることで教科学習のコマが減る、
それに併せて
学習指導要領の内容を3割削ったそうなのですが、
教科書に載せる内容を、その少ない指導要領に合わせて
教科書執筆者のわかりやすく理解を促す記述や
地域差に配慮した記述を、
四角四面に機械的にバッサリ切ってしまった時期があったそうです。
そして、学習指導要領に載っている内容についての
解釈は、ここまで教えれば充分という「上限基準」から
発展的な内容を教えても良いという「最低基準」に
ころっと変わったのでした。
これって、教科書をもとに教える先生の力量で
授業の質がものすごく変わること、示唆しています。
教える内容を理解して、話をきく子どもの状況を把握して
臨機応変に、子ども達が理解できるように教えられる
先生でしたらいいのですけれど、
教科書をただ読んで済ませるタイプの先生でしたら
ちょっとね・・。心配です。
あ、でも、今春から、また指導要領が変わるのでしたっけ。
pp.91-133「学力」と「生きる力」
の考察は必見。適宜まとめながら引用します。
狭義の学力を仮に 学力A とする。
学力Aとは、主に座学で身につける知識・技能が含まれるだろう。
Aのうち「読み書き計算」は、子ども時代に身につけるべき
「狭義の基礎学力」といえそうなので 学力a とする。
「大学生の学力低下」と言われる場合は、主にAまたはaの低下を指す。
学力Aに対し、学力Bを定義する。
問題解決能力や理解力、思考力、創造性、意欲、関心、
時にはコミュニケーション能力を付け加えたものを、学力Bとする。
学力A+学力Bを、総合的に考えたものを、本当の学力、
つまり「生きる力」と考える。
以前の文科省の場合、都合により学力AとBを切り分けて
考えていたとのこと。
さて、ペーパーテストで測れるものは、学力Aだけではなく
最近では学力Bも測れるタイプのものもある。
IEAの学力調査:A
PISA調査:A+B
・・という具合。
さらに著者は、種々の学力調査のデータを挙げて、
日本の子どもの学力傾向や、保護者の意識に迫っています。
PISA調査では、日本の子ども、めんどくさそーな
長文の記述式問題に、手を付けずにスルーする率が
他国に比べて高いんだそうです。
思考力を鍛えず、悪い意味での要領を覚えるという
傾向にあるのかしら??
わたしには、危険信号に思えます。
そして、本の最後を、当時の文科省事務次官でおられる
小野元之氏のインタビューで締めくくられています。
出来る子への対応が心配された「ゆとり教育」。
特に理科数学では、理解に必要なステップをひとつ
抜いたりしたそうです。
舵を切った「ゆとり教育」ではありますが
それをもっと超えた視点で
より重要な問題点を正視され、思い切った提言を
なさったご様子が感じられます。
偉そうに書いてしまって、申し訳ないです。
・・・なんだか、役所って、大変なところだなあ、と
思いました。
全国規模のことをを考えて、矛盾が出ないよう緻密な体系を
作り上げるっていうのは、ものすごくエネルギーが
いるんじゃないかしら・・?
でもって、皆さん優秀で、もちろん国全体のことを
お考えになって それぞれがベストを尽くして
最適解を求めていらっしゃるはず。
しかし、時代の変化は早すぎて、10年前のベストは
今では通用しないかもしれません。
「間違えました」とは口が裂けても言えないのが
役所のメンツらしいのですが
自分で自分を縛っているようにしか思えないなぁ・・。
大鑑巨砲主義で進路を変えにくくするより
意志決定を任せた小型艦の遊撃隊を、
しっかりとした情報伝達のしくみで支える方が
効率がいいような気がするのですが。