信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

景勝の地「山清路」の風景

2019年02月03日 | 生坂村の風景
 3日(日)は、朝から日差しが届いて、気持ち良い天気でしたが、お昼過ぎには、雲に覆われ、節分の豆まきの時には雨が降り出し、天気が変わりやすい一日でした。
 今日は村長選挙の投開票日でしたが、無投票でしたので公務が無く、朝の写真は当村の景勝の地「山清路」に撮影に行きました。




 北アルプスを水源とする犀川は、松本盆地を過ぎて長野盆地へと至る間、蛇行を繰り返しながら深い峡谷を成しています。犀川は生坂村にて支流の金熊川(かなくまがわ)と麻績川(おみがわ)を合流させており、このあたり延長1キロメートルの区間が信濃十名勝「山清路」とされています。
 昔々、松本平・安曇平は山々から水を湛える湖であって、その湖に犀龍が住んでおり、東の高梨の池に住む白龍王との間に一人の子供をもうけました。名前を日光泉小太郎と言います。しかし、小太郎の母である犀龍は、自身の姿を恥じて湖の中に隠れてしまいました。
 筑摩郡中山の産ヶ坂で生まれ、法光寺で成人した小太郎は母の行方を捜し、尾入沢で再会を果たしました。そこで犀龍は自身が建御名方神の化身であり、子孫の繁栄を願って顕現したことを明かし、湖を平地とし人が住める里にしようと告げました。そして、小太郎は犀龍に乗ってここ「山清路」の巨岩を突き破り、日本海に至る川筋をつくり、松本平・安曇平を肥沃の地にしたという泉小太郎(犀龍小太郎)伝説のいわれの場所でもあります。
 当村は、今工事中の主要地方道大町麻績インター千曲線の山清路バイパス工事の新橋梁等が完成しますと、県道を村道に払い下げていただき、遊歩道として「山清路」を満喫していただけるように取り組んでいきたいと考えています。

▽ 朝の写真は山清路の風景です。